九十一話 嗚咽
文字数 2,705文字
こんこん。
「どうぞ」
『失礼します』
てっきり千代が入ってくるものだと思っていたから、都が入ってきた時、俺は思わず椅子を後ろに引いてジタバタしてしまった。
「ちょっとぉ、なあに、その反応は?」
都が拗ねたように言う。俺は顔が真っ赤になって、シャツを引っ張った。
「あ、まだ余韻が残ってた?」
「っ、馬鹿!」
「でへへへ・・・」
一昨日、キスマークだらけの美代が談話室にやってきて、淳蔵の機嫌が物凄く悪くなった。俺もかなり嫉妬した。美代は勝ち誇った笑みを浮かべ、ガラガラの声でいつも通り雑談に混じる。なにがあったのかは話す気が無いのか口止めされているのかわからなかった。少し話したところで、淳蔵が都に呼ばれて談話室から消えていった。
翌日、つまり昨日。談話室に居た淳蔵もキスマークだらけになっていて、俺は心底悔しかった。淳蔵は美代のように勝ち誇るのではなく何故かつらそうにしていて、美代はそんな淳蔵を見てくすくす笑っていた。少し話したところで、今度は俺が都に呼ばれた。そして、俺が一番苦手としている、つまり一番恥ずかしいと思っている水晶型のプラグでしこたま虐められた。七回目あたりから記憶が無いが、『ご褒美』の射精の時にはきっちりと意識がある状態で射精させられて、俺はみっともない声を上げて尿道から内臓が飛び出るんじゃないかと思うくらいの快楽を味わわされた。目が覚めたらキスマークだらけになっていて、今朝、千代と顔を合わせた時、千代は顔を真っ赤にして頬をぽりぽりと掻いていた。
「な、なんの用だよ・・・」
「ジャスミンがお風呂に入りたがってるの。入れてあげてくれない?」
「あー、わかった」
「ありがと。じゃあね」
都が事務室を出たのと入れ替わりに、ジャスミンが入ってくる。
「おら、俺の部屋行くぞ」
俺は自室にジャスミンを連れて行く。脱衣所で服を脱いで下着だけになる。下着もジャスミンが馬鹿みたいに湯水を浴びて暴れるせいで濡れるのだが、全裸で洗うのは流石に気が引けた。湯の温度を調節し、バスタブに貯めてやると、ジャスミンはバスタブの中に入ってゴロンゴロンと寝返りを打ちまくって暴れ始めた。俺の身体にばっしゃんばっしゃんと湯がかかる。
「・・・ったく」
淳蔵はたまに風呂に入れてやるらしいが、美代は滅多に入れない。となると必然的に俺と風呂に入る回数が多くなる。都が一番多く入れている。淳蔵が二割、美代が一割、俺が三割、都が四割、くらいか?
「ん・・・?」
眠くなってきた。この感じは、ジャスミンが夢を見せようとしている。風呂場で眠るのはまずい。そう思って脱衣所に出ようと這ったところで、俺は意識を失った。
「騎士?」
「はい! この間、美代様のことをそうお呼びしたんですよ。美代様が都様に接する時は、ゆーっくり、そぉーっと、騎士がお姫様に傅くみたいに接しておりますから、美代様は都様の騎士ですねぇ、と」
「騎士、ねえ。じゃあ淳蔵は?」
「淳蔵様は王子様ですかねェ」
「どうして?」
「あの気位の高さと優しさはまさしく王子様って感じですよォ! 雅さんに社交ダンスを教えていた時に、淳蔵様にホールドだけやってもらったことがあるじゃないですか? あれを見て、ああ、この人は王子様と呼ぶに相応しい人なんだなって確信しましたねェ!」
「じゃあ直治は?」
「勇者ですねェ!」
「勇者?」
「あの勇敢さですよォ! 都様のためなら、例え話じゃなくて、本当に火の中水の中、飛び込んでいっちゃうでしょうねェ。お肉さんが来た時も、腕が使い物にならなくなるまで無理してお肉さんの胸倉を掴んだり、腕が使い物にならなくなるってわかってて殴り飛ばしたりしたじゃないですかァ? ちょーっとぉ、蛮勇、ですかね?」
「そうね、蛮勇ね。でも・・・」
「でも?」
「嬉しかったの。とても」
「・・・あのォ、以前、雅さんが都様に聞こうとして、私がお止めした、疑問というか質問があるんですけれどぉ」
「なあに?」
「王子様、騎士様、勇者様、三人同時に求婚されたら、誰を選ぶんですか?」
「誰も選ばない」
「おやまぁ」
「雅さんは『つまらない返答だ』と言って項垂れるでしょうね。でもね、千代さん。王子様には王子様の、騎士様には騎士様の、勇者様には勇者様の愛情があるのよ。平等とか依怙贔屓とか不公平とか特別とか、そんなものないの。こんなことを言って三人の殿方の間を行き来する私は、純情可憐なお姫様じゃなくて、悪い魔女、かもね」
「『ファム・ファタール』、破滅に導くほどの魔性の女、かもしれませんね!」
「あはは! 面白い子ね。ありがとう、誉め言葉よ」
そこで目が覚めた。ジャスミンはたっぷり湯が貯まったバスタブの中でオスワリをして、気持ち良さそうに目を細めている。
「・・・勇者様、ね」
俺は起き上がりながら笑った。
「どの世界にお姫様にヒイヒイ言わされて悦ぶ勇者が居るんだよ・・・」
悪魔と契約した、人を喰う悪い魔女。お姫様よりそっちの方が正解に近いのに、全然しっくりこない。
「見ろ、ジャスミン」
俺は首筋から胸元にかけて、大量につけられたキスマークを指差した。
「お姫様からの勲章だ。お前は貰えないだろう。羨ましいか?」
ジャスミンは思いっきり牙を剥くと、珍しく、ぐるるるる、と唸った。バスタブから飛び出して俺の目の前に立ち止まり、身体を高速で回転させて水飛沫を俺に浴びせる。そのまま風呂から脱衣所に移動し、鍵を開けて俺の部屋に出た。あとを追いかけると、ジャスミンは俺が早朝のランニングの時に着る、床に脱ぎっぱなしにしていたジャージの上でごろごろ転がって身体を拭いていた。
「ベッドに乗ったら二度と風呂に入れないぞ」
俺とベッドの間で視線を何度か行き来させ、嫌がらせより風呂を優先したのか、ジャスミンは鍵を開けて俺の部屋から出て行った。部屋中びちょびちょだ。
「く、ふふっ、馬鹿犬め」
鍵をかけ直し、風呂場に戻る。ジャスミンの毛を洗い流すためにシャワーを浴びたかった。脱衣所の洗面台の鏡に映った俺を見て、立ち止まる。
「・・・あーあ。ひッでえな」
顔も、キスマークも。
「直治、今、幾つだ? 二十歳の時とは別人だな」
鏡を見て自問自答する。俺はいつまで経っても過去を吹っ切れない。病気だった自分と、それによって両親を死に追いやった事実を、いつまで経っても忘れられない。両親を愛していたか、と聞かれると、正直、わからない。そんな自分が嫌だった。はらはらと涙が流れ出てきて、俺は笑ってしまった。
「・・・愛してるよ、都。俺のお姫様」
今は都を愛している。どうしようもないくらいに。都のためなら、全て捧げても構わない。俺は蛇口のハンドルを捻った。水の中に、俺の嗚咽が消えていった。
「どうぞ」
『失礼します』
てっきり千代が入ってくるものだと思っていたから、都が入ってきた時、俺は思わず椅子を後ろに引いてジタバタしてしまった。
「ちょっとぉ、なあに、その反応は?」
都が拗ねたように言う。俺は顔が真っ赤になって、シャツを引っ張った。
「あ、まだ余韻が残ってた?」
「っ、馬鹿!」
「でへへへ・・・」
一昨日、キスマークだらけの美代が談話室にやってきて、淳蔵の機嫌が物凄く悪くなった。俺もかなり嫉妬した。美代は勝ち誇った笑みを浮かべ、ガラガラの声でいつも通り雑談に混じる。なにがあったのかは話す気が無いのか口止めされているのかわからなかった。少し話したところで、淳蔵が都に呼ばれて談話室から消えていった。
翌日、つまり昨日。談話室に居た淳蔵もキスマークだらけになっていて、俺は心底悔しかった。淳蔵は美代のように勝ち誇るのではなく何故かつらそうにしていて、美代はそんな淳蔵を見てくすくす笑っていた。少し話したところで、今度は俺が都に呼ばれた。そして、俺が一番苦手としている、つまり一番恥ずかしいと思っている水晶型のプラグでしこたま虐められた。七回目あたりから記憶が無いが、『ご褒美』の射精の時にはきっちりと意識がある状態で射精させられて、俺はみっともない声を上げて尿道から内臓が飛び出るんじゃないかと思うくらいの快楽を味わわされた。目が覚めたらキスマークだらけになっていて、今朝、千代と顔を合わせた時、千代は顔を真っ赤にして頬をぽりぽりと掻いていた。
「な、なんの用だよ・・・」
「ジャスミンがお風呂に入りたがってるの。入れてあげてくれない?」
「あー、わかった」
「ありがと。じゃあね」
都が事務室を出たのと入れ替わりに、ジャスミンが入ってくる。
「おら、俺の部屋行くぞ」
俺は自室にジャスミンを連れて行く。脱衣所で服を脱いで下着だけになる。下着もジャスミンが馬鹿みたいに湯水を浴びて暴れるせいで濡れるのだが、全裸で洗うのは流石に気が引けた。湯の温度を調節し、バスタブに貯めてやると、ジャスミンはバスタブの中に入ってゴロンゴロンと寝返りを打ちまくって暴れ始めた。俺の身体にばっしゃんばっしゃんと湯がかかる。
「・・・ったく」
淳蔵はたまに風呂に入れてやるらしいが、美代は滅多に入れない。となると必然的に俺と風呂に入る回数が多くなる。都が一番多く入れている。淳蔵が二割、美代が一割、俺が三割、都が四割、くらいか?
「ん・・・?」
眠くなってきた。この感じは、ジャスミンが夢を見せようとしている。風呂場で眠るのはまずい。そう思って脱衣所に出ようと這ったところで、俺は意識を失った。
「騎士?」
「はい! この間、美代様のことをそうお呼びしたんですよ。美代様が都様に接する時は、ゆーっくり、そぉーっと、騎士がお姫様に傅くみたいに接しておりますから、美代様は都様の騎士ですねぇ、と」
「騎士、ねえ。じゃあ淳蔵は?」
「淳蔵様は王子様ですかねェ」
「どうして?」
「あの気位の高さと優しさはまさしく王子様って感じですよォ! 雅さんに社交ダンスを教えていた時に、淳蔵様にホールドだけやってもらったことがあるじゃないですか? あれを見て、ああ、この人は王子様と呼ぶに相応しい人なんだなって確信しましたねェ!」
「じゃあ直治は?」
「勇者ですねェ!」
「勇者?」
「あの勇敢さですよォ! 都様のためなら、例え話じゃなくて、本当に火の中水の中、飛び込んでいっちゃうでしょうねェ。お肉さんが来た時も、腕が使い物にならなくなるまで無理してお肉さんの胸倉を掴んだり、腕が使い物にならなくなるってわかってて殴り飛ばしたりしたじゃないですかァ? ちょーっとぉ、蛮勇、ですかね?」
「そうね、蛮勇ね。でも・・・」
「でも?」
「嬉しかったの。とても」
「・・・あのォ、以前、雅さんが都様に聞こうとして、私がお止めした、疑問というか質問があるんですけれどぉ」
「なあに?」
「王子様、騎士様、勇者様、三人同時に求婚されたら、誰を選ぶんですか?」
「誰も選ばない」
「おやまぁ」
「雅さんは『つまらない返答だ』と言って項垂れるでしょうね。でもね、千代さん。王子様には王子様の、騎士様には騎士様の、勇者様には勇者様の愛情があるのよ。平等とか依怙贔屓とか不公平とか特別とか、そんなものないの。こんなことを言って三人の殿方の間を行き来する私は、純情可憐なお姫様じゃなくて、悪い魔女、かもね」
「『ファム・ファタール』、破滅に導くほどの魔性の女、かもしれませんね!」
「あはは! 面白い子ね。ありがとう、誉め言葉よ」
そこで目が覚めた。ジャスミンはたっぷり湯が貯まったバスタブの中でオスワリをして、気持ち良さそうに目を細めている。
「・・・勇者様、ね」
俺は起き上がりながら笑った。
「どの世界にお姫様にヒイヒイ言わされて悦ぶ勇者が居るんだよ・・・」
悪魔と契約した、人を喰う悪い魔女。お姫様よりそっちの方が正解に近いのに、全然しっくりこない。
「見ろ、ジャスミン」
俺は首筋から胸元にかけて、大量につけられたキスマークを指差した。
「お姫様からの勲章だ。お前は貰えないだろう。羨ましいか?」
ジャスミンは思いっきり牙を剥くと、珍しく、ぐるるるる、と唸った。バスタブから飛び出して俺の目の前に立ち止まり、身体を高速で回転させて水飛沫を俺に浴びせる。そのまま風呂から脱衣所に移動し、鍵を開けて俺の部屋に出た。あとを追いかけると、ジャスミンは俺が早朝のランニングの時に着る、床に脱ぎっぱなしにしていたジャージの上でごろごろ転がって身体を拭いていた。
「ベッドに乗ったら二度と風呂に入れないぞ」
俺とベッドの間で視線を何度か行き来させ、嫌がらせより風呂を優先したのか、ジャスミンは鍵を開けて俺の部屋から出て行った。部屋中びちょびちょだ。
「く、ふふっ、馬鹿犬め」
鍵をかけ直し、風呂場に戻る。ジャスミンの毛を洗い流すためにシャワーを浴びたかった。脱衣所の洗面台の鏡に映った俺を見て、立ち止まる。
「・・・あーあ。ひッでえな」
顔も、キスマークも。
「直治、今、幾つだ? 二十歳の時とは別人だな」
鏡を見て自問自答する。俺はいつまで経っても過去を吹っ切れない。病気だった自分と、それによって両親を死に追いやった事実を、いつまで経っても忘れられない。両親を愛していたか、と聞かれると、正直、わからない。そんな自分が嫌だった。はらはらと涙が流れ出てきて、俺は笑ってしまった。
「・・・愛してるよ、都。俺のお姫様」
今は都を愛している。どうしようもないくらいに。都のためなら、全て捧げても構わない。俺は蛇口のハンドルを捻った。水の中に、俺の嗚咽が消えていった。