五十八話 母親
文字数 2,420文字
十月になった。明日は雅が修学旅行で北海道に行くらしく、勉強の最中も浮かれている。
「雅さん、居る?」
珍しく都が談話室に顔を出した。
「あ、居た居た。ちょっと制服に着替えておいで」
「え? あ、はい」
雅が談話室を出て、小さな箱とガムテープを持った都が入ってくる。都はそれをテーブルに置いた。
「なにそれ?」
「うーん、お母さんとの思い出、かな?」
妙なことを言うので、俺達は視線を交わしながら困惑した。
「都さん、着替えてきました」
「ちょっとここに立って」
「はい」
都は雅の制服のあちこちを調べ始める。
「雅さん、修学旅行に持っていっていいお小遣い、二万円だったでしょ?」
「はい」
「足りるかなぁ?」
「え・・・?」
都は小さな箱を開けた。五百円玉がぎっしりと詰まっている。一枚取り出すとガムテープを貼り付け、雅の制服のポケットの内側に隠すように貼り付けた。袖や胸元にも貼り付けていく。
「えっ、えっ」
「うーん、こんなもんか。結構いけたな」
「あ、あの、なんですか、これ・・・?」
「秘密のお小遣い。美味しいもの沢山食べたいでしょ? 先生とお友達に見つからないように、慎重に、派手に使っちゃいなさい。私達へのお土産には使っちゃ駄目よ? 貴方が楽しむためのお小遣いなんだからね」
「あ、ありがとぉ!」
「じゃ、着替え直してきなさい」
「はい!」
雅は跳ねるような足取りで談話室を出て行った。
「・・・都、まさか雅に情がわいたのか?」
「ちょっとだけね」
美代が渋い顔をした。都は淳蔵の隣に座る。
「お母さんとの思い出って?」
淳蔵が雑誌を畳んで都に聞いた。
「見ての通り。私もああしてもらったの。一応、お嬢様学校って呼ばれるような学校に行ったんだけどね、お小遣いの規則をだーれも守ってなかったなあ」
「へえ・・・」
「短い命なんだから、なるべく楽しく過ごさせてあげないとね。あの子のおかげで私は・・・」
都は首を横に振った。
「直治様ァ!」
千代が談話室に入ってきた。
「なんだ」
「休憩です!」
「いいぞ」
都は五百円玉の入った箱を持って立ち上がると、それを千代に押し付けた。
「千代さん、これあげる」
「えっ、ありがとうございます」
「仕事があるから、じゃあね」
都は去っていった。千代が箱の蓋を開ける。
「これ、なんです・・・、ごごご、五百円玉がこんなにいっぱい!?」
「千代、貰っとけ」
「ええっ!?」
「二度言わせるな! 貰っとけ!」
「ひぃ!? 頂きます!! ありがとうございますゥ!!」
千代が慌ただしく去っていった。俺は苛ついてテーブルを叩く。
「都は優しすぎる」
「ッチ、人間なんて使い捨てればいいのに」
俺と美代が言うと、淳蔵は溜息を吐いた。
「お前ら、雅のこと嫌ってんなァ」
「お前も情がわいたのかよ」
「いや? 全然。なんとも思ってないだけ。マイナスかゼロかって話だな」
「クソッ、俺達の母親なのに、雅のヤツ・・・」
「美代君はマザコンでちゅねえ」
「テメェもだろうが!」
「落ち着け、雅が戻ってくる」
美代は舌打ちをし、前髪を搔き上げた。
翌日、雅は朝早くに館を出発して修学旅行に行った。勉強を教える相手が居ないので美代は談話室に居ないが、淳蔵は雑誌を読むために来ているはずなので、話し相手には丁度良い。休憩時間に談話室に行く。
「・・・なにしてんだお前」
「見てのとーり」
何故か都が居て、淳蔵に膝枕をしていた。淳蔵は長い足をソファーから出してぷらぷらさせている。
「直治、お疲れ様」
「あ、ああ、ありがとう」
「淳蔵がたまには話の輪に加われってね。雅さんは私が居ると緊張しちゃうから遠慮してたんだけど、今は居ないから」
「成程」
俺はいつもの席に座る。
「直治、美代呼んでこいよ」
「・・・やだよ。お前が行け」
かちゃかちゃ、ジャスミンの足音。
「お、ジャスミンが呼んだか」
美代が談話室に来た。
「ッ、淳蔵おまなにして!」
「ママに甘えてます」
「・・・そうかよ」
美代が腕を組んで俺の隣に座った。
「なあ、都。俺、都の学生時代の話が聞きたい」
「覚えてるのは小学校から大学までだけど、どの辺?」
「全部」
「ちょっと量が多すぎない?」
「いいじゃん。聞かせてよ」
過去を詮索されたくないから、過去を詮索しない俺にとって、淳蔵の行動は尊敬に値するものだった。
「幼稚園から大学まで、エスカレーター式のお嬢様学校でね。意外と馬鹿ばっかりなのよ」
「へえ」
「小さい頃から身長が高めでこの顔だったから、女の子から結構告白されたなあ」
「えっ」
「ラブレター渡されたり、呼び出されて告白されたり、抱き着いてキスしようとしてきた子もいたね」
「ええ・・・」
「だから私、女が嫌いなのよね。肉は女しか喰わないけど」
「男の肉は不味いもんなァ」
「部活はずっと合唱部だったよ」
「えっ、都、歌ってたの?」
「うん。お母さんが私をオペラ歌手にしたがってたのよ。自分がなりたかったけどなれなかったから、娘はどうしても、って思ってたみたい。私、あまり声が高くないのにソプラノ歌手になるよう躾けられてて、結構つらかったな」
「・・・母親とあんま仲良くないの?」
「女同士だとぶつかるよ。まあ、良い思い出も沢山あるけどね」
「雅にやった五百円玉かァ」
「あとは、おにぎり、かな」
淳蔵が黙って先を促す。
「お母さん、ちょっと感受性の高い人だったから、感情が昂ってぶっちゃったりした日は、『都さん、ごめんなさい』って言っておにぎり握って持ってくるの。はは、あの人、普段料理なんてしないから、不格好だったし、塩が薄かったりきつかったりで、食べるの大変だったよ」
わん、とジャスミンが鳴いた。都が腕時計を見る。
「ああ、ごめんなさい。そろそろ仕事に戻らないと」
「ほいよ」
淳蔵が起き上がる。都は談話室を去っていった。
「淳蔵」
「あ?」
「でかした」
淳蔵は苦笑した。
「・・・哀れな女だな」
「淳蔵、冒涜だぞ」
美代が自分の太腿を叩く。
「・・・今日は許してやる。次はない」
それきり、誰もなにも喋る気が起きなくなったのか、黙ったまま時間が過ぎていった。
「雅さん、居る?」
珍しく都が談話室に顔を出した。
「あ、居た居た。ちょっと制服に着替えておいで」
「え? あ、はい」
雅が談話室を出て、小さな箱とガムテープを持った都が入ってくる。都はそれをテーブルに置いた。
「なにそれ?」
「うーん、お母さんとの思い出、かな?」
妙なことを言うので、俺達は視線を交わしながら困惑した。
「都さん、着替えてきました」
「ちょっとここに立って」
「はい」
都は雅の制服のあちこちを調べ始める。
「雅さん、修学旅行に持っていっていいお小遣い、二万円だったでしょ?」
「はい」
「足りるかなぁ?」
「え・・・?」
都は小さな箱を開けた。五百円玉がぎっしりと詰まっている。一枚取り出すとガムテープを貼り付け、雅の制服のポケットの内側に隠すように貼り付けた。袖や胸元にも貼り付けていく。
「えっ、えっ」
「うーん、こんなもんか。結構いけたな」
「あ、あの、なんですか、これ・・・?」
「秘密のお小遣い。美味しいもの沢山食べたいでしょ? 先生とお友達に見つからないように、慎重に、派手に使っちゃいなさい。私達へのお土産には使っちゃ駄目よ? 貴方が楽しむためのお小遣いなんだからね」
「あ、ありがとぉ!」
「じゃ、着替え直してきなさい」
「はい!」
雅は跳ねるような足取りで談話室を出て行った。
「・・・都、まさか雅に情がわいたのか?」
「ちょっとだけね」
美代が渋い顔をした。都は淳蔵の隣に座る。
「お母さんとの思い出って?」
淳蔵が雑誌を畳んで都に聞いた。
「見ての通り。私もああしてもらったの。一応、お嬢様学校って呼ばれるような学校に行ったんだけどね、お小遣いの規則をだーれも守ってなかったなあ」
「へえ・・・」
「短い命なんだから、なるべく楽しく過ごさせてあげないとね。あの子のおかげで私は・・・」
都は首を横に振った。
「直治様ァ!」
千代が談話室に入ってきた。
「なんだ」
「休憩です!」
「いいぞ」
都は五百円玉の入った箱を持って立ち上がると、それを千代に押し付けた。
「千代さん、これあげる」
「えっ、ありがとうございます」
「仕事があるから、じゃあね」
都は去っていった。千代が箱の蓋を開ける。
「これ、なんです・・・、ごごご、五百円玉がこんなにいっぱい!?」
「千代、貰っとけ」
「ええっ!?」
「二度言わせるな! 貰っとけ!」
「ひぃ!? 頂きます!! ありがとうございますゥ!!」
千代が慌ただしく去っていった。俺は苛ついてテーブルを叩く。
「都は優しすぎる」
「ッチ、人間なんて使い捨てればいいのに」
俺と美代が言うと、淳蔵は溜息を吐いた。
「お前ら、雅のこと嫌ってんなァ」
「お前も情がわいたのかよ」
「いや? 全然。なんとも思ってないだけ。マイナスかゼロかって話だな」
「クソッ、俺達の母親なのに、雅のヤツ・・・」
「美代君はマザコンでちゅねえ」
「テメェもだろうが!」
「落ち着け、雅が戻ってくる」
美代は舌打ちをし、前髪を搔き上げた。
翌日、雅は朝早くに館を出発して修学旅行に行った。勉強を教える相手が居ないので美代は談話室に居ないが、淳蔵は雑誌を読むために来ているはずなので、話し相手には丁度良い。休憩時間に談話室に行く。
「・・・なにしてんだお前」
「見てのとーり」
何故か都が居て、淳蔵に膝枕をしていた。淳蔵は長い足をソファーから出してぷらぷらさせている。
「直治、お疲れ様」
「あ、ああ、ありがとう」
「淳蔵がたまには話の輪に加われってね。雅さんは私が居ると緊張しちゃうから遠慮してたんだけど、今は居ないから」
「成程」
俺はいつもの席に座る。
「直治、美代呼んでこいよ」
「・・・やだよ。お前が行け」
かちゃかちゃ、ジャスミンの足音。
「お、ジャスミンが呼んだか」
美代が談話室に来た。
「ッ、淳蔵おまなにして!」
「ママに甘えてます」
「・・・そうかよ」
美代が腕を組んで俺の隣に座った。
「なあ、都。俺、都の学生時代の話が聞きたい」
「覚えてるのは小学校から大学までだけど、どの辺?」
「全部」
「ちょっと量が多すぎない?」
「いいじゃん。聞かせてよ」
過去を詮索されたくないから、過去を詮索しない俺にとって、淳蔵の行動は尊敬に値するものだった。
「幼稚園から大学まで、エスカレーター式のお嬢様学校でね。意外と馬鹿ばっかりなのよ」
「へえ」
「小さい頃から身長が高めでこの顔だったから、女の子から結構告白されたなあ」
「えっ」
「ラブレター渡されたり、呼び出されて告白されたり、抱き着いてキスしようとしてきた子もいたね」
「ええ・・・」
「だから私、女が嫌いなのよね。肉は女しか喰わないけど」
「男の肉は不味いもんなァ」
「部活はずっと合唱部だったよ」
「えっ、都、歌ってたの?」
「うん。お母さんが私をオペラ歌手にしたがってたのよ。自分がなりたかったけどなれなかったから、娘はどうしても、って思ってたみたい。私、あまり声が高くないのにソプラノ歌手になるよう躾けられてて、結構つらかったな」
「・・・母親とあんま仲良くないの?」
「女同士だとぶつかるよ。まあ、良い思い出も沢山あるけどね」
「雅にやった五百円玉かァ」
「あとは、おにぎり、かな」
淳蔵が黙って先を促す。
「お母さん、ちょっと感受性の高い人だったから、感情が昂ってぶっちゃったりした日は、『都さん、ごめんなさい』って言っておにぎり握って持ってくるの。はは、あの人、普段料理なんてしないから、不格好だったし、塩が薄かったりきつかったりで、食べるの大変だったよ」
わん、とジャスミンが鳴いた。都が腕時計を見る。
「ああ、ごめんなさい。そろそろ仕事に戻らないと」
「ほいよ」
淳蔵が起き上がる。都は談話室を去っていった。
「淳蔵」
「あ?」
「でかした」
淳蔵は苦笑した。
「・・・哀れな女だな」
「淳蔵、冒涜だぞ」
美代が自分の太腿を叩く。
「・・・今日は許してやる。次はない」
それきり、誰もなにも喋る気が起きなくなったのか、黙ったまま時間が過ぎていった。