百七十三話 車椅子
文字数 2,897文字
俺は都になって、直治を抱いていた。
「あ! ああっ! す、すごっ、んう! あああっ!」
都の中には、興奮と、愛と、大きな悲しみがあった。シーツを掴んでいた直治が、自分の乳首に手を伸ばし、潰すように掴んで引っ張り上げる。
「あああイくっ! ああぁ! あぁああぁあっ!」
仰け反り、果てる。潤んで煌めくトルマリン色の瞳を、都は綺麗だと思った。
「直治、ごめんね・・・」
直治は荒く呼吸しながら、慈愛に満ちた表情で首を横に振る。
「・・・もう一回」
「フフッ・・・」
そこで目が覚めた。悶々として、朝まで寝付けなかった。
朝食の時間になる。
都は居らず、直治はいつも通り食事を摂っていた。
「淳蔵、美代、あとで仕事の話があるから事務室に来い」
「はいよ」
「わかった」
食事を終え、事務室に集まる。
「・・・千代にはもう話してある」
直治はデスクの引き出しから一枚の写真を取り出して、俺達に見せた。
「通称『達磨屋の辰』だそうだ」
金髪で色黒の若い男。派手な服を着ている。
「中畑が都を呪うために雇った。若い連中の間で有名な『拝み屋』だ」
ぴた、と美代が静止した。俺は鼻から息を吐いて腕を組む。
「『達磨』の名の通り、手足を不自由にさせる呪いを得意としている。報酬の一部として『達磨』にしたヤツを男女問わずレイプする趣味を持つ最低のクズだよ」
直治が引き出しに写真を戻す。
「本来ならこんなヤツ、相手にもならねえ。でも今回は、都は呪いを受け入れることにした」
「なんで?」
美代は目を見開いたまま、笑って問う。こめかみの血管がビキビキと盛り上がっていた。
「中畑を油断させるためだ。今後の策も考えてある。当分の間、都は車椅子生活になる。俺が介護をし、」
美代が直治の胸倉を掴み上げて殴ろうとしたので、俺は咄嗟に美代の身体を掴んで止めた。
「淳蔵、止めるな」
「いや、」
「止めるな」
俺はそっと、美代を放した。美代は直治を殴らなかった。
「中畑をここに迎え入れるのを賛同したのは俺だ。反対していた美代には殴る権利がある」
「ふざけんなよテメェ! 俺が今から都を説得して、」
「もう遅い」
「あぁ!?」
「都はもう動けない」
美代は徐々に呼吸を荒くしていき、事務室の壁を殴った。穴が開く。
「都はどこだ」
「客室の一号室。介護のために下に降ろした」
「鍵を寄こせ」
「誰にも見られたくないそうだ」
「なんで・・・。なんで・・・!」
美代は感情が昂って、涙を流していた。
「俺は反対したよなあっ? なんで、なんであんなクズのために、都がそこまでしなくちゃなんねえんだッ!!」
俺はなにも言えなかった。
「都からの命令だ。中畑を殺すな。いつも通りにしろ」
「直接言われないと聞けない。都に会わせろ」
「駄目だ。あとで電話で声を聞かせるから、その時にしろ」
「クソがァッ!!」
「食事には参加する。中畑に姿を見せるためだ」
「・・・なんで、なんで、」
美代は怒りと悲しみの間を行き来して、ついに感情が壊れてしまった。
「なんで頼るのが俺じゃねえんだよぉ・・・」
直治は一瞬、つらそうな顔をしたが、すぐに隠した。
「美代、都の代わりができるのは、お前しかいない。淳蔵にはこのことで色々と動いてもらわなくちゃいけない。お前とは仕事のことで話し合わなくちゃいけないから、あとで必ず電話する。事務室でも自室でもいいから、一旦戻って落ち着いてくれ。頼む」
美代はギチギチと音が鳴る程、拳を握り締めたあと、事務室を出ていった。直治が頭を抱える。
「・・・で、俺はなにをすればいい?」
「鴉でパトロールをしてくれ。できるだけ、広範囲、長時間。それと、美代と千代の話し相手を。千代も頭にキてて、説得するのに時間がかかったんだ」
「そうか。わかった」
「美代が冷静になったらあとで美代にも伝えるが、達磨屋はそう遠くないうちに山に来て、中畑が敷地内に招き入れる手筈になっている。俺が二十四時間、都を介護しているのを中畑にアピールして、わざと都から目を離して隙を作る。その隙を突いて中畑は都を達磨屋に引き渡すはずだ」
沈黙が横たわる。堪え切れなくなったのか、直治は静かに泣き始めた。
「・・・泣くなよ」
「クソッ! あ、あの、馬鹿犬っ! こ、これの、どこがっ、都のためなんだよっ!」
「泣くな。早く都のところに行け」
直治は涙を拭いながら、早足で事務室を出ていった。俺は自室に戻り、鴉をいつもより多く飛ばす。敷地内にも山にも変化は無い。少し迷ってから、客室の一号室のベランダに行った。カーテンは閉め切られている。かつかつ、と嘴で窓を叩いた。何度か叩いているとカーテンが少しだけ開けられて、直治が顔を覗かせる。そして、なんの反応も返さずにカーテンを閉めた。諦めて、俺はパトロールを再開した。
昼飯時。
都は中畑に食事マナーを教えるため、中畑の前の席に座っているが、今日はそこに食事は配膳されず、直治の横の席に、少量のお粥と卵焼き、漬物が乗った盆を千代が置いて、椅子を移動させた。車椅子のための空間だろう。中畑はそれを見て、笑いを堪えられないのかにやけた顔で俯いている。直治の食事は配膳されなかった。
そっと、車椅子に乗った都が食堂に現れる。
覚悟はしていたが、受け止めることはできなかった。駄目だとわかっているのに凝視してしまう。都はいつも通りの上品な笑みを浮かべている。直治が車椅子を押して自分の席の横に都を移動させ、向き合う形で車椅子を固定すると、席に座る。美代は目を伏せたまま唇を強く噛み締めて、血を流していた。
「美代、唇を噛んじゃ駄目よ」
「す、すみません、俺、食事は・・・」
「そう? 無理して食べなくていいわよ。部屋に戻ってゆっくり休みなさい」
美代は頷いて、食堂を出ていった。
「都さん、どうしたンですか?」
中畑が聞く。
「起きたら手足が動かなくてね」
「えぇー!? 大丈夫ですか?」
俺は心臓がある位置を無意識に掴もうとして、シャツをぎゅっと握りしめていた。
「お昼過ぎにはお医者様が来てくれるから、大丈夫よ」
「そうですかぁ。あれ? 直治さんは食べないンですか?」
「黙れ」
「直治、やめなさい」
「・・・俺はあとで部屋で摂る」
「そうですかぁ」
「・・・さ、いただきましょう」
食事が始まる。食べているのは中畑一人だけで、千代は昏い瞳で目の前の食事を見つめ、俺は見たくないのに都と直治から目が離せなかった。直治が木製のスプーンにお粥を掬い、都の口元に差し出す。都が啄むようにして食べると、直治が再びお粥を掬う。
「ごめんなさいね、見苦しくて」
俺はぶんぶんと顔を横に振った。直治が卵焼きを箸で解して小さくすると、都の口元に運ぶ。
「淳蔵、千代さん、具合が悪いの?」
「い、いいえ・・・」
「だいじょうぶ、です・・・」
「無理に食べなくていいのよ。具合が悪いなら部屋で休んでいなさい」
千代が震える手で箸を持つが、からころと音を立てて落としてしまった。
「わ、私、キッチンに居ますっ! 皆さんが食べ終わったら片付けますからっ!」
逃げるようにキッチンに行った千代を俺は目で追った。中畑は上機嫌に食事をしている。俺は都と直治を中畑と一緒にしたくなくて、都が食べ終わるまで、黙ってシャツを掴んだまま堪えた。
「あ! ああっ! す、すごっ、んう! あああっ!」
都の中には、興奮と、愛と、大きな悲しみがあった。シーツを掴んでいた直治が、自分の乳首に手を伸ばし、潰すように掴んで引っ張り上げる。
「あああイくっ! ああぁ! あぁああぁあっ!」
仰け反り、果てる。潤んで煌めくトルマリン色の瞳を、都は綺麗だと思った。
「直治、ごめんね・・・」
直治は荒く呼吸しながら、慈愛に満ちた表情で首を横に振る。
「・・・もう一回」
「フフッ・・・」
そこで目が覚めた。悶々として、朝まで寝付けなかった。
朝食の時間になる。
都は居らず、直治はいつも通り食事を摂っていた。
「淳蔵、美代、あとで仕事の話があるから事務室に来い」
「はいよ」
「わかった」
食事を終え、事務室に集まる。
「・・・千代にはもう話してある」
直治はデスクの引き出しから一枚の写真を取り出して、俺達に見せた。
「通称『達磨屋の辰』だそうだ」
金髪で色黒の若い男。派手な服を着ている。
「中畑が都を呪うために雇った。若い連中の間で有名な『拝み屋』だ」
ぴた、と美代が静止した。俺は鼻から息を吐いて腕を組む。
「『達磨』の名の通り、手足を不自由にさせる呪いを得意としている。報酬の一部として『達磨』にしたヤツを男女問わずレイプする趣味を持つ最低のクズだよ」
直治が引き出しに写真を戻す。
「本来ならこんなヤツ、相手にもならねえ。でも今回は、都は呪いを受け入れることにした」
「なんで?」
美代は目を見開いたまま、笑って問う。こめかみの血管がビキビキと盛り上がっていた。
「中畑を油断させるためだ。今後の策も考えてある。当分の間、都は車椅子生活になる。俺が介護をし、」
美代が直治の胸倉を掴み上げて殴ろうとしたので、俺は咄嗟に美代の身体を掴んで止めた。
「淳蔵、止めるな」
「いや、」
「止めるな」
俺はそっと、美代を放した。美代は直治を殴らなかった。
「中畑をここに迎え入れるのを賛同したのは俺だ。反対していた美代には殴る権利がある」
「ふざけんなよテメェ! 俺が今から都を説得して、」
「もう遅い」
「あぁ!?」
「都はもう動けない」
美代は徐々に呼吸を荒くしていき、事務室の壁を殴った。穴が開く。
「都はどこだ」
「客室の一号室。介護のために下に降ろした」
「鍵を寄こせ」
「誰にも見られたくないそうだ」
「なんで・・・。なんで・・・!」
美代は感情が昂って、涙を流していた。
「俺は反対したよなあっ? なんで、なんであんなクズのために、都がそこまでしなくちゃなんねえんだッ!!」
俺はなにも言えなかった。
「都からの命令だ。中畑を殺すな。いつも通りにしろ」
「直接言われないと聞けない。都に会わせろ」
「駄目だ。あとで電話で声を聞かせるから、その時にしろ」
「クソがァッ!!」
「食事には参加する。中畑に姿を見せるためだ」
「・・・なんで、なんで、」
美代は怒りと悲しみの間を行き来して、ついに感情が壊れてしまった。
「なんで頼るのが俺じゃねえんだよぉ・・・」
直治は一瞬、つらそうな顔をしたが、すぐに隠した。
「美代、都の代わりができるのは、お前しかいない。淳蔵にはこのことで色々と動いてもらわなくちゃいけない。お前とは仕事のことで話し合わなくちゃいけないから、あとで必ず電話する。事務室でも自室でもいいから、一旦戻って落ち着いてくれ。頼む」
美代はギチギチと音が鳴る程、拳を握り締めたあと、事務室を出ていった。直治が頭を抱える。
「・・・で、俺はなにをすればいい?」
「鴉でパトロールをしてくれ。できるだけ、広範囲、長時間。それと、美代と千代の話し相手を。千代も頭にキてて、説得するのに時間がかかったんだ」
「そうか。わかった」
「美代が冷静になったらあとで美代にも伝えるが、達磨屋はそう遠くないうちに山に来て、中畑が敷地内に招き入れる手筈になっている。俺が二十四時間、都を介護しているのを中畑にアピールして、わざと都から目を離して隙を作る。その隙を突いて中畑は都を達磨屋に引き渡すはずだ」
沈黙が横たわる。堪え切れなくなったのか、直治は静かに泣き始めた。
「・・・泣くなよ」
「クソッ! あ、あの、馬鹿犬っ! こ、これの、どこがっ、都のためなんだよっ!」
「泣くな。早く都のところに行け」
直治は涙を拭いながら、早足で事務室を出ていった。俺は自室に戻り、鴉をいつもより多く飛ばす。敷地内にも山にも変化は無い。少し迷ってから、客室の一号室のベランダに行った。カーテンは閉め切られている。かつかつ、と嘴で窓を叩いた。何度か叩いているとカーテンが少しだけ開けられて、直治が顔を覗かせる。そして、なんの反応も返さずにカーテンを閉めた。諦めて、俺はパトロールを再開した。
昼飯時。
都は中畑に食事マナーを教えるため、中畑の前の席に座っているが、今日はそこに食事は配膳されず、直治の横の席に、少量のお粥と卵焼き、漬物が乗った盆を千代が置いて、椅子を移動させた。車椅子のための空間だろう。中畑はそれを見て、笑いを堪えられないのかにやけた顔で俯いている。直治の食事は配膳されなかった。
そっと、車椅子に乗った都が食堂に現れる。
覚悟はしていたが、受け止めることはできなかった。駄目だとわかっているのに凝視してしまう。都はいつも通りの上品な笑みを浮かべている。直治が車椅子を押して自分の席の横に都を移動させ、向き合う形で車椅子を固定すると、席に座る。美代は目を伏せたまま唇を強く噛み締めて、血を流していた。
「美代、唇を噛んじゃ駄目よ」
「す、すみません、俺、食事は・・・」
「そう? 無理して食べなくていいわよ。部屋に戻ってゆっくり休みなさい」
美代は頷いて、食堂を出ていった。
「都さん、どうしたンですか?」
中畑が聞く。
「起きたら手足が動かなくてね」
「えぇー!? 大丈夫ですか?」
俺は心臓がある位置を無意識に掴もうとして、シャツをぎゅっと握りしめていた。
「お昼過ぎにはお医者様が来てくれるから、大丈夫よ」
「そうですかぁ。あれ? 直治さんは食べないンですか?」
「黙れ」
「直治、やめなさい」
「・・・俺はあとで部屋で摂る」
「そうですかぁ」
「・・・さ、いただきましょう」
食事が始まる。食べているのは中畑一人だけで、千代は昏い瞳で目の前の食事を見つめ、俺は見たくないのに都と直治から目が離せなかった。直治が木製のスプーンにお粥を掬い、都の口元に差し出す。都が啄むようにして食べると、直治が再びお粥を掬う。
「ごめんなさいね、見苦しくて」
俺はぶんぶんと顔を横に振った。直治が卵焼きを箸で解して小さくすると、都の口元に運ぶ。
「淳蔵、千代さん、具合が悪いの?」
「い、いいえ・・・」
「だいじょうぶ、です・・・」
「無理に食べなくていいのよ。具合が悪いなら部屋で休んでいなさい」
千代が震える手で箸を持つが、からころと音を立てて落としてしまった。
「わ、私、キッチンに居ますっ! 皆さんが食べ終わったら片付けますからっ!」
逃げるようにキッチンに行った千代を俺は目で追った。中畑は上機嫌に食事をしている。俺は都と直治を中畑と一緒にしたくなくて、都が食べ終わるまで、黙ってシャツを掴んだまま堪えた。