百十九話 寿命
文字数 2,348文字
ジャスミンがドッグランに行きたがっているので、直治の運転で行くことにしたのだが、いつも通っている二つ隣の町のドッグランは人数制限に引っかかったので、四つ隣の町のドッグランに行くことにした。滅多に行かないが、何度か利用したことはあるので道はしっかり覚えている。ドッグランに着き、受付を済ませてジャスミンのリードを外してやると、久しぶりの友達に囲まれて嬉しかったのか、相当はしゃいでいた。
「はああああ・・・。ふぅ・・・。久しぶりの遠出だ・・・」
「まあ、弟ちゃん、お可哀想に。お疲れなのね」
「そうだよ兄さん。次から運転はお兄ちゃんに頼んでくれ」
「へいへい。ちょっとは外の空気吸えっつうの」
「ランニングで吸っとるっつうの」
「ハハハ」
俺達はジャスミンを見つめた。季節は三月中旬。寒くもなく温かくもなく。風が吹くとドッグランの芝のにおいを運んできて、その中に犬達のにおいも混ざっていて、良いにおいなんだか臭いんだかわからない。ジャスミンは都が丁寧に手入れしているし、よく林檎を食べているので、口臭はあまりしないし体臭は良いにおいの部類に入るが、他の犬はそうともいかない。
新しい客が来て、ふわふわのポメラニアンをドッグランに放す。ポメラニアンは一直線に直治のところに来て、腹を見せて尻尾を振った。
「お、モテてんな」
「犬にモテてもなあ」
直治がポメラニアンの腹をぽんぽんと触ってやる。飼い主の爺さんが近付いてきて、俺を見るとぴたっと止まった。
「こんにちは」
「あ・・・そんなはず・・・」
妙な反応をしている。
「あの、お兄さん、名前は?」
「一条淳蔵です」
「淳蔵!? い、いや、どう見たって二十代だ、そんなはずない・・・」
「あの、なにか?」
「ああ、失礼。昔の知り合いに似ているというか、面影があったもので。名前も同じなので吃驚してしまいましたよ。彼は生きていれば五十代なので、人違いですね。失礼しました」
俺と直治は顔を見合わせた。こいつ、多分、俺の昔の知り合いだ。
「あの、差し支えなければ教えてください。どんな知り合いだったんですか?」
「え?」
「イトコに同じ名前の人がいまして。若くして死んじゃったんですけど」
「いつお亡くなりに?」
「確か、十四歳、だったかな?」
「ああ・・・。だったら、私の知っている淳蔵、かもしれませんな・・・」
爺さんは寂しそうに笑って顔を横に振った。
「失礼、紹介が遅れました。大川と申します」
「大川・・・」
俺の悪癖だ。顔と名前が一致しない。というか昔のことなのでわからない。
「私は昔は粗暴者でしてな。淳蔵の、あ、いや、淳蔵さんの『先輩』に当たる存在、ですかな。淳蔵さんは、私以上に粗暴者でしたけれどね。おっと、イトコさんにこんなこと言って申し訳ない」
「いえいえ、それで?」
「恐ろしくも優しい男でした。喧嘩が滅法強くてね。抜き身の刀のような男でした。そして、馬鹿みたいに優しかった。男に騙されて泣いている女の話を聞いてやったり、ボコボコにされて立ち上がれない仲間に肩を貸してやったり、寒い日に外に追い出されている可哀想な子供に上着をかけてやったり・・・」
「へえ」
直治が口元をおさえている。笑ってんじゃねえ。
「淳蔵さんが十四歳の頃に、『デカい仕事が入った』と言って、よくつるんでいた仲間と出掛けて行って、それっきり。淳蔵さんを雇っていた上の集団も、そのあとすぐ潰されちまって、その周りも崩れるようにどんどん潰れていきましたねえ。私もその影響で悪いことから足を洗うしかなくなりましてね」
「そうなんですか」
「ハハハ、もしかしたら人違いかもしれないのに、申し訳ない。このこと、ずっと誰かに喋りたかったんですよ。私は男ですが、あいつに、ハハ、恋をしていたんでね。では・・・」
大川は去っていった。
「モテてんな」
「男にモテてもな・・・」
一時間程ジャスミンを遊ばせ、館に帰る。談話室で直治が美代にこの話をすると、美代は何故か明るい表情になった。
「そっか! 俺達の家族とか知り合いって、そろそろ寿命で死んでる頃か!」
「喜ぶことかァ?」
「俺は死んでほしいと思ってるんでね。邪魔な存在だからな」
「邪魔、ねえ。まあ、俺も不要だから死んでいてくれた方が助かるけど・・・」
「・・・俺もそうかな」
全員、意見が一致した。
「半田雅ィ、お客様としてェ、遊びにやってきましたァ!」
雅が談話室に顔を出す。
「なんだまた来たのか」
俺は畳んでいた雑誌を広げ直した。美代はノートパソコンのキーボードを叩きだし、直治はテレビをつける。
「だってぇ、帰ってくると身体の調子が良くなるんだもん」
ぴくり、と俺達は反応した。
「なんだ雅、具合が悪いのか?」
美代が聞く。
「うーん、ずっと山の空気を吸って育ったから、町の空気はイマイチなのかも。町も十分田舎だけど。なんかお腹が気持ち悪くなっちゃうのよね」
「・・・健康診断受けてる?」
「うん。会社のね。特に悪いところはないよ。なあに? 心配してくれてるの?」
「・・・フン、アホが」
「美代、ひっどーい!」
雅はケラケラ笑った。暫く雑談をして、部屋に戻っていく。
「・・・そろそろだな」
「都が悲しむな」
「いつまでもベタベタされても困る。都の悲しみは俺達で癒せばいいんだ。時間は有り余る程ある。その内、悲しみも薄れるだろ」
直治が立ち上がり、談話室を出て行った。
「はーあ。せめて苦しまないで死ねばいいねえ」
美代も出て行った。入れ替わりにジャスミンがやってくる。
「・・・美代の台詞、聞いたか?」
ジャスミンが首を傾げる。
「雅のこと、せめて最後は苦しまずに死なせてやれ。好きなだけドッグランに連れてってやるし、好きなだけ風呂に入れてやるからよ」
ジャスミンは俺の足元で寝転がって腹を見せ、尻尾をブンブン振ると、立ち上がって談話室を出て行った。
「はああああ・・・。ふぅ・・・。久しぶりの遠出だ・・・」
「まあ、弟ちゃん、お可哀想に。お疲れなのね」
「そうだよ兄さん。次から運転はお兄ちゃんに頼んでくれ」
「へいへい。ちょっとは外の空気吸えっつうの」
「ランニングで吸っとるっつうの」
「ハハハ」
俺達はジャスミンを見つめた。季節は三月中旬。寒くもなく温かくもなく。風が吹くとドッグランの芝のにおいを運んできて、その中に犬達のにおいも混ざっていて、良いにおいなんだか臭いんだかわからない。ジャスミンは都が丁寧に手入れしているし、よく林檎を食べているので、口臭はあまりしないし体臭は良いにおいの部類に入るが、他の犬はそうともいかない。
新しい客が来て、ふわふわのポメラニアンをドッグランに放す。ポメラニアンは一直線に直治のところに来て、腹を見せて尻尾を振った。
「お、モテてんな」
「犬にモテてもなあ」
直治がポメラニアンの腹をぽんぽんと触ってやる。飼い主の爺さんが近付いてきて、俺を見るとぴたっと止まった。
「こんにちは」
「あ・・・そんなはず・・・」
妙な反応をしている。
「あの、お兄さん、名前は?」
「一条淳蔵です」
「淳蔵!? い、いや、どう見たって二十代だ、そんなはずない・・・」
「あの、なにか?」
「ああ、失礼。昔の知り合いに似ているというか、面影があったもので。名前も同じなので吃驚してしまいましたよ。彼は生きていれば五十代なので、人違いですね。失礼しました」
俺と直治は顔を見合わせた。こいつ、多分、俺の昔の知り合いだ。
「あの、差し支えなければ教えてください。どんな知り合いだったんですか?」
「え?」
「イトコに同じ名前の人がいまして。若くして死んじゃったんですけど」
「いつお亡くなりに?」
「確か、十四歳、だったかな?」
「ああ・・・。だったら、私の知っている淳蔵、かもしれませんな・・・」
爺さんは寂しそうに笑って顔を横に振った。
「失礼、紹介が遅れました。大川と申します」
「大川・・・」
俺の悪癖だ。顔と名前が一致しない。というか昔のことなのでわからない。
「私は昔は粗暴者でしてな。淳蔵の、あ、いや、淳蔵さんの『先輩』に当たる存在、ですかな。淳蔵さんは、私以上に粗暴者でしたけれどね。おっと、イトコさんにこんなこと言って申し訳ない」
「いえいえ、それで?」
「恐ろしくも優しい男でした。喧嘩が滅法強くてね。抜き身の刀のような男でした。そして、馬鹿みたいに優しかった。男に騙されて泣いている女の話を聞いてやったり、ボコボコにされて立ち上がれない仲間に肩を貸してやったり、寒い日に外に追い出されている可哀想な子供に上着をかけてやったり・・・」
「へえ」
直治が口元をおさえている。笑ってんじゃねえ。
「淳蔵さんが十四歳の頃に、『デカい仕事が入った』と言って、よくつるんでいた仲間と出掛けて行って、それっきり。淳蔵さんを雇っていた上の集団も、そのあとすぐ潰されちまって、その周りも崩れるようにどんどん潰れていきましたねえ。私もその影響で悪いことから足を洗うしかなくなりましてね」
「そうなんですか」
「ハハハ、もしかしたら人違いかもしれないのに、申し訳ない。このこと、ずっと誰かに喋りたかったんですよ。私は男ですが、あいつに、ハハ、恋をしていたんでね。では・・・」
大川は去っていった。
「モテてんな」
「男にモテてもな・・・」
一時間程ジャスミンを遊ばせ、館に帰る。談話室で直治が美代にこの話をすると、美代は何故か明るい表情になった。
「そっか! 俺達の家族とか知り合いって、そろそろ寿命で死んでる頃か!」
「喜ぶことかァ?」
「俺は死んでほしいと思ってるんでね。邪魔な存在だからな」
「邪魔、ねえ。まあ、俺も不要だから死んでいてくれた方が助かるけど・・・」
「・・・俺もそうかな」
全員、意見が一致した。
「半田雅ィ、お客様としてェ、遊びにやってきましたァ!」
雅が談話室に顔を出す。
「なんだまた来たのか」
俺は畳んでいた雑誌を広げ直した。美代はノートパソコンのキーボードを叩きだし、直治はテレビをつける。
「だってぇ、帰ってくると身体の調子が良くなるんだもん」
ぴくり、と俺達は反応した。
「なんだ雅、具合が悪いのか?」
美代が聞く。
「うーん、ずっと山の空気を吸って育ったから、町の空気はイマイチなのかも。町も十分田舎だけど。なんかお腹が気持ち悪くなっちゃうのよね」
「・・・健康診断受けてる?」
「うん。会社のね。特に悪いところはないよ。なあに? 心配してくれてるの?」
「・・・フン、アホが」
「美代、ひっどーい!」
雅はケラケラ笑った。暫く雑談をして、部屋に戻っていく。
「・・・そろそろだな」
「都が悲しむな」
「いつまでもベタベタされても困る。都の悲しみは俺達で癒せばいいんだ。時間は有り余る程ある。その内、悲しみも薄れるだろ」
直治が立ち上がり、談話室を出て行った。
「はーあ。せめて苦しまないで死ねばいいねえ」
美代も出て行った。入れ替わりにジャスミンがやってくる。
「・・・美代の台詞、聞いたか?」
ジャスミンが首を傾げる。
「雅のこと、せめて最後は苦しまずに死なせてやれ。好きなだけドッグランに連れてってやるし、好きなだけ風呂に入れてやるからよ」
ジャスミンは俺の足元で寝転がって腹を見せ、尻尾をブンブン振ると、立ち上がって談話室を出て行った。