三百三話 あいあむあ
文字数 2,225文字
「う、んん・・・」
淳蔵が目を覚ました。
「おはよう。気分はどうだ?」
「・・・大分良くなったよ」
そう言って上体を起こしたが、まだつらいのだろう。
「淳蔵、良い知らせだぞ」
俺を見た淳蔵は、膝の上に都が居ることに気付いたらしい。俺はクッションごと寝ている都を持ち上げて、ベッドの上に乗せる。
「医者が来て治療を受けて、意識が戻った。今朝は自分で飯も食えた。目もちゃんと治るそうだ」
「・・・そう、か」
淳蔵は心臓がある位置のシャツをぎゅっと掴んだ。
「わ、悪い。部屋を出てくれ」
「わかった」
俺はわざと、都を残したまま部屋を出た。事務室に戻って二時間後、全身を蜂にかえて山を見張っているはずの桜子の本体が事務室に来た。
「直治様、淳蔵様が仕事に戻れと」
「淳蔵の様子は?」
「上機嫌でした。とても」
「そうか。良かった・・・」
良かった。本当に。
その日の夕食。淳蔵はにこにこ笑いながら都をクッションに乗せて食堂に運んできた。一番奥、いつもの都の席には『白い男』が座っている。
「おわ、吃驚した」
「こいつずっとこの姿なんだよ。都の介護をしてる」
「成程」
淳蔵は美代と会話したあと、ジャスミンに都を渡す。ジャスミンは膝の上にクッションを置くと都を遠慮なくガシッと掴んで、テーブルに乗せた。千代と桜子が食事を運ぶ。都の前には、林檎、苺、バナナが盛られた皿が配膳される。
「都」
美代が都を見て微笑んだ。
『にーっ!』
都の言葉で、『いただきます』の声が重なる。
「果物食べさせてるのか?」
「医者がそうするようにって色々と説明を。あとで話すよ」
「おう」
ジャスミンは指で果肉を小さく千切り、都の口元に運ぶ。誰も余計なことは言わない。『都は人間の言葉を話せるようになるのか』だとか、『都は人間の身体に戻れるのか』だとか。都の食事はすぐに終わる。そうするとジャスミンが都の自室に連れて戻る。
「夜はジャスミンと寝てるんだ」
「いつも通りじゃねえか」
「ハハ、確かに。確かにそうだな」
全員、食事を終えたあと、美代が医者の話を淳蔵に説明する。
「・・・それで、淳蔵に頼みがあるんだ」
「なんだ?」
「日中は淳蔵が都の介護をしてくれないか?」
「えっ!? あ、いや、俺はいいんだけど、都が嫌がらないか? その、『シモ』の世話とか・・・」
「都は承諾したよ。ジャスミンのペットシートの上に、都が中に入れるように出入り口を作ったダンボールを被せて、その中で。排泄の度に毎回取り換えてもらいたいんだ。いいか?」
「まあ、都が承諾してるなら、いいぞ」
「・・・実は、ジャスミンが『あの姿』でいることは、あまりよくないらしくてな」
「なんだそりゃ」
「人の形をしている時が、本来の姿だそうだ。・・・お尋ね者だとよ」
淳蔵が長い腕を組み、首を傾げて方眉を上げる。
「一体全体なにをやらかしたんだか・・・」
俺は淳蔵に見せてもらった『絵本』の内容を思い出す。雲の上から幼い都を見つめていた白い男。謎の黒い影と激しい言い合いをして、空から堕とされ、小さな化け物になり、草むらに横たわっていたところを都に拾われた。
「堕天使、って感じじゃないよな」
俺はそう言った。ジャスミンは悪魔には違いない。悪魔の姿が化け物の姿なのだろうと、なんとなくわかっている。恐らく、淳蔵も美代も。だから二人共、同じ顔をして考え込んでいる。
「もっと崇高な存在、か?」
「まあ、神は八百万だからね」
「どの宗教の神様か知らねえけど、宝石商のクソジジイが言っていた通り、都は『神を堕とす美貌』の持ち主ってこったな」
「違いない」
美代が嘲る。一体誰を嘲っているのか。
「美代、昼だけなんて言わずに一日中介護しててもいいぞ」
「うーん・・・。ジャスミンに聞いてくるか」
「んっ? ちょっと待て。お前、ジャスミンとどうやって会話してるんだ?」
「ジャスミンは筆記。俺は普通に喋ってる。あいつ日本語イマイチらしくてな。英語だとすらすら書けるんだけど日本語だとトロいのなんの」
「あー、俺、英語苦手なんだよなァ・・・。英検も三級で諦めたしTOEICも履歴書に書けないレベルだし・・・」
「弟に任せな兄貴」
「おう」
美代が食堂を出ていった。
「美代は凄いな・・・」
俺が感心していると、淳蔵が不思議そうな顔をする。
「お前は英語はどうなんだ?」
「あいあむあぺんレベルだな」
「嘘だろ!?」
「俺は兄さん達が思ってるより馬鹿だぞ」
「ええ、そんなことある?」
「宿泊客もメイドも日本人ばかりだからなんとかやっていけてるけど、桜子がうちに来た時は『変な言葉喋られたらどうしよう』ってビビり散らかしてたぞ」
「『変な言葉』ってお前、マジかあ・・・」
ひょこ、と桜子がキッチンから顔を出す。
「お呼びですか?」
「お、桜子。お前英語喋れる?」
「英語ですか? 読み書きはできますが話すことはできません」
「ありゃ意外」
「わたくしが話せるのはドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語と日本語です」
「ん? ロマンシュ語?」
「スイスの公用語です」
「ああ、おお、そうか、スイス人と日本人の家系、だったな」
二、三、言葉を交わして、桜子がキッチンに戻る。
「やっぱ『変な言葉』喋るじゃねえか」
「怒られるぞお前・・・」
美代が『犬の』ジャスミンを連れて食堂に戻ってきた。都の介護は淳蔵がすることになった。俺達はそれぞれ部屋に戻った。そのあと、千代に英語を話せるか尋ねて、
「日常会話程度ならなんとかァ!」
と言われて、俺は暫くの間、千代にびくびくしながら過ごすことになった。
淳蔵が目を覚ました。
「おはよう。気分はどうだ?」
「・・・大分良くなったよ」
そう言って上体を起こしたが、まだつらいのだろう。
「淳蔵、良い知らせだぞ」
俺を見た淳蔵は、膝の上に都が居ることに気付いたらしい。俺はクッションごと寝ている都を持ち上げて、ベッドの上に乗せる。
「医者が来て治療を受けて、意識が戻った。今朝は自分で飯も食えた。目もちゃんと治るそうだ」
「・・・そう、か」
淳蔵は心臓がある位置のシャツをぎゅっと掴んだ。
「わ、悪い。部屋を出てくれ」
「わかった」
俺はわざと、都を残したまま部屋を出た。事務室に戻って二時間後、全身を蜂にかえて山を見張っているはずの桜子の本体が事務室に来た。
「直治様、淳蔵様が仕事に戻れと」
「淳蔵の様子は?」
「上機嫌でした。とても」
「そうか。良かった・・・」
良かった。本当に。
その日の夕食。淳蔵はにこにこ笑いながら都をクッションに乗せて食堂に運んできた。一番奥、いつもの都の席には『白い男』が座っている。
「おわ、吃驚した」
「こいつずっとこの姿なんだよ。都の介護をしてる」
「成程」
淳蔵は美代と会話したあと、ジャスミンに都を渡す。ジャスミンは膝の上にクッションを置くと都を遠慮なくガシッと掴んで、テーブルに乗せた。千代と桜子が食事を運ぶ。都の前には、林檎、苺、バナナが盛られた皿が配膳される。
「都」
美代が都を見て微笑んだ。
『にーっ!』
都の言葉で、『いただきます』の声が重なる。
「果物食べさせてるのか?」
「医者がそうするようにって色々と説明を。あとで話すよ」
「おう」
ジャスミンは指で果肉を小さく千切り、都の口元に運ぶ。誰も余計なことは言わない。『都は人間の言葉を話せるようになるのか』だとか、『都は人間の身体に戻れるのか』だとか。都の食事はすぐに終わる。そうするとジャスミンが都の自室に連れて戻る。
「夜はジャスミンと寝てるんだ」
「いつも通りじゃねえか」
「ハハ、確かに。確かにそうだな」
全員、食事を終えたあと、美代が医者の話を淳蔵に説明する。
「・・・それで、淳蔵に頼みがあるんだ」
「なんだ?」
「日中は淳蔵が都の介護をしてくれないか?」
「えっ!? あ、いや、俺はいいんだけど、都が嫌がらないか? その、『シモ』の世話とか・・・」
「都は承諾したよ。ジャスミンのペットシートの上に、都が中に入れるように出入り口を作ったダンボールを被せて、その中で。排泄の度に毎回取り換えてもらいたいんだ。いいか?」
「まあ、都が承諾してるなら、いいぞ」
「・・・実は、ジャスミンが『あの姿』でいることは、あまりよくないらしくてな」
「なんだそりゃ」
「人の形をしている時が、本来の姿だそうだ。・・・お尋ね者だとよ」
淳蔵が長い腕を組み、首を傾げて方眉を上げる。
「一体全体なにをやらかしたんだか・・・」
俺は淳蔵に見せてもらった『絵本』の内容を思い出す。雲の上から幼い都を見つめていた白い男。謎の黒い影と激しい言い合いをして、空から堕とされ、小さな化け物になり、草むらに横たわっていたところを都に拾われた。
「堕天使、って感じじゃないよな」
俺はそう言った。ジャスミンは悪魔には違いない。悪魔の姿が化け物の姿なのだろうと、なんとなくわかっている。恐らく、淳蔵も美代も。だから二人共、同じ顔をして考え込んでいる。
「もっと崇高な存在、か?」
「まあ、神は八百万だからね」
「どの宗教の神様か知らねえけど、宝石商のクソジジイが言っていた通り、都は『神を堕とす美貌』の持ち主ってこったな」
「違いない」
美代が嘲る。一体誰を嘲っているのか。
「美代、昼だけなんて言わずに一日中介護しててもいいぞ」
「うーん・・・。ジャスミンに聞いてくるか」
「んっ? ちょっと待て。お前、ジャスミンとどうやって会話してるんだ?」
「ジャスミンは筆記。俺は普通に喋ってる。あいつ日本語イマイチらしくてな。英語だとすらすら書けるんだけど日本語だとトロいのなんの」
「あー、俺、英語苦手なんだよなァ・・・。英検も三級で諦めたしTOEICも履歴書に書けないレベルだし・・・」
「弟に任せな兄貴」
「おう」
美代が食堂を出ていった。
「美代は凄いな・・・」
俺が感心していると、淳蔵が不思議そうな顔をする。
「お前は英語はどうなんだ?」
「あいあむあぺんレベルだな」
「嘘だろ!?」
「俺は兄さん達が思ってるより馬鹿だぞ」
「ええ、そんなことある?」
「宿泊客もメイドも日本人ばかりだからなんとかやっていけてるけど、桜子がうちに来た時は『変な言葉喋られたらどうしよう』ってビビり散らかしてたぞ」
「『変な言葉』ってお前、マジかあ・・・」
ひょこ、と桜子がキッチンから顔を出す。
「お呼びですか?」
「お、桜子。お前英語喋れる?」
「英語ですか? 読み書きはできますが話すことはできません」
「ありゃ意外」
「わたくしが話せるのはドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語と日本語です」
「ん? ロマンシュ語?」
「スイスの公用語です」
「ああ、おお、そうか、スイス人と日本人の家系、だったな」
二、三、言葉を交わして、桜子がキッチンに戻る。
「やっぱ『変な言葉』喋るじゃねえか」
「怒られるぞお前・・・」
美代が『犬の』ジャスミンを連れて食堂に戻ってきた。都の介護は淳蔵がすることになった。俺達はそれぞれ部屋に戻った。そのあと、千代に英語を話せるか尋ねて、
「日常会話程度ならなんとかァ!」
と言われて、俺は暫くの間、千代にびくびくしながら過ごすことになった。