三十六話 おふろだいすき
文字数 1,979文字
「都?」
雑誌を読もうと思って談話室に来たら、都がぺたんと床に座っていた。放心していて、動かない。対面に座っているジャスミンはまあるい瞳で、都の水晶体を通してなにかを伝えている。
ぐにゃ。
都の身体が崩れる。俺は慌てて支えた。
「あっ、都様!?」
千代じゃないメイドが談話室の前を通りかかり、声を上げる。
「ちょっと具合が悪いみたいだ。ソファーに寝かせるから毛布かなんか持ってきてくれ」
「わかりました」
運の悪いことに、客も一人通りかかる。
「医者呼んだ方がいいんじゃ・・・」
「いえ、大丈夫です。お気になさらず」
「あ、すんません。新聞失礼します」
「どうぞ」
ささっと新聞を取って去って行ってくれたので、助かった。
「淳蔵様、美代様と直治様にお伝えしてきました。雅さんと千代さんも呼びますか?」
「いや、いい。あー、あんた名前なんだっけ」
俺の悪癖だ。人の顔と名前が一致しない。
「薫です」
「薫な、ありがとう」
薫はお辞儀をして去っていった。入れ違いに美代と直治がやってくる。
「何事だよっ」
「馬鹿犬がなんかやってたんだよ」
「またあいつか・・・」
俺達は小声で言い合う。
「おっ?」
うわ、やかましいのが。千代がお茶の入ったコップを持って談話室の前を通りかかった。休憩かなにかだろう。幸い、大きな声は出さなかった。
「うーん・・・」
都がゆっくりと起き上がる。
「あ、頭、痛い・・・」
千代が、すちゃ、とポケットから痛み止めであろう薬のシートを取り出して、手に持っていたお茶の入ったコップを都に渡す。
「あ、貴方のでしょ、いいの?」
「はい。一回二錠です」
「ありがとうね」
都は薬を飲んだ。千代は猫のような笑みを浮かべるとサムズアップをして消えていった。メイドの態度としてはどうかと思うが、有難い。
「ごめんなさい、お客様も居るのに・・・」
「謝ることないよ」
「時間が、時間の量が、凄くて・・・」
「都、無理に喋るな」
「無駄なことばっかり、足掻いて、においが・・・」
「錯乱してね?」
俺が言うと、美代と直治は顔を見合わせた。
「見えてないの、殆ど・・・。痒い、ダニが・・・」
ふらふらしはじめた。
「直治、部屋に連れてってなに言ってるのか聞いてやれ。お前なら抱き上げて階段登れるだろ」
「おう」
「美代はメイドと客を頼む。俺は馬鹿犬と雅が余計なことしないよう外に連れ出してくる」
「わかった」
直治が無事に階段を登りきるのを見守ってから、俺はジャスミンを探した。お気に入りの場所には居ない。虱潰しにする前に雅を確保しようと、部屋のドアをノックする。
『誰?』
「俺だ」
『えっ! 今、開ける!』
ガチャ、とドアが開いた。
「淳蔵、どうしたの?」
「・・・なんでここに居るんだよ」
ジャスミンは酷く怯えた様子で雅の部屋の奥に居た。
「あ、あのね、ドアをカリカリ引っ掻くから入れてあげたら、凄く怯えてたの。お客さんの誰かに虐められたの・・・?」
「都に反抗的な態度とったから俺が怒ってんだよ」
「えっ・・・。だ、駄目だよ叱りすぎちゃ・・・」
俺は腰に手を当てて顔を横に振った。
「蹴り殺されたくなかったら、今すぐ謝りに来い」
「そんなこと言ったってわかんないよ! 犬なんだし!」
「黙ってろ」
ジャスミンは尻尾を丸め、鼻をぴすぴす鳴らしながら俺に近寄ってくる。俺はそっと、額に手を添えた。
都。
可愛いよ、都。
俺の娘。
女の子は天使だ。幼ければ幼いほどに。
歳をとった女は須らくゴミだ。
実の娘だとか、そんなの関係ない。
折角、あの金づるの馬鹿が女の子に産んでくれたんだ。
父親に犯されるという最高の絶望に染まる表情を見てみたい。
十五歳の誕生日に、首を絞めて君を犯すよ。
きっとね。
「・・・淳蔵?」
「成程な」
俺は壁を殴った。なにかを攻撃しないと冷静でいられなかった。
「こいつから守ろうとしてんだな?」
ジャスミンは俺に敵意がないことを示したいのか、尻尾を巻きながら腹を見せて悲痛な鳴き声を上げている。
「や、やめて、虐めないで・・・!」
雅が泣く。
「ジャスミン、怒って悪かったよ」
俺は前髪を搔き上げた。
「・・・ドッグラン行くか?」
ちろちろ、と俺に視線を送る。
「はあ・・・。わかったよ。お前の好きな風呂に入れてやる」
ジャスミンは尻尾を振った。風呂に入るのが好き、ではなく、正確には、馬鹿みたいに湯水をばしゃばしゃ浴びるのが好き、だ。
「三時間くらいかかる。雅、夜は外に連れてってやるから準備しとけ・・・」
「え!? わ、わかった!!」
俺は自室の風呂場にジャスミンを連れて行った。どう髪を結わえても、整えても、ジャスミンが馬鹿みたいに暴れて喜ぶので台風の中を歩いたように髪が濡れる。
「ちくしょー! クソ犬! 馬鹿! 馬鹿!」
俺の顔をぺろぺろと舐めやがった。確実にわかってて煽っている。
「俺の髪を滅茶苦茶にして許されるの、お前と都だけだよくそったれ!」
髪の手入れの時間を考えて、俺は気が遠くなった。
雑誌を読もうと思って談話室に来たら、都がぺたんと床に座っていた。放心していて、動かない。対面に座っているジャスミンはまあるい瞳で、都の水晶体を通してなにかを伝えている。
ぐにゃ。
都の身体が崩れる。俺は慌てて支えた。
「あっ、都様!?」
千代じゃないメイドが談話室の前を通りかかり、声を上げる。
「ちょっと具合が悪いみたいだ。ソファーに寝かせるから毛布かなんか持ってきてくれ」
「わかりました」
運の悪いことに、客も一人通りかかる。
「医者呼んだ方がいいんじゃ・・・」
「いえ、大丈夫です。お気になさらず」
「あ、すんません。新聞失礼します」
「どうぞ」
ささっと新聞を取って去って行ってくれたので、助かった。
「淳蔵様、美代様と直治様にお伝えしてきました。雅さんと千代さんも呼びますか?」
「いや、いい。あー、あんた名前なんだっけ」
俺の悪癖だ。人の顔と名前が一致しない。
「薫です」
「薫な、ありがとう」
薫はお辞儀をして去っていった。入れ違いに美代と直治がやってくる。
「何事だよっ」
「馬鹿犬がなんかやってたんだよ」
「またあいつか・・・」
俺達は小声で言い合う。
「おっ?」
うわ、やかましいのが。千代がお茶の入ったコップを持って談話室の前を通りかかった。休憩かなにかだろう。幸い、大きな声は出さなかった。
「うーん・・・」
都がゆっくりと起き上がる。
「あ、頭、痛い・・・」
千代が、すちゃ、とポケットから痛み止めであろう薬のシートを取り出して、手に持っていたお茶の入ったコップを都に渡す。
「あ、貴方のでしょ、いいの?」
「はい。一回二錠です」
「ありがとうね」
都は薬を飲んだ。千代は猫のような笑みを浮かべるとサムズアップをして消えていった。メイドの態度としてはどうかと思うが、有難い。
「ごめんなさい、お客様も居るのに・・・」
「謝ることないよ」
「時間が、時間の量が、凄くて・・・」
「都、無理に喋るな」
「無駄なことばっかり、足掻いて、においが・・・」
「錯乱してね?」
俺が言うと、美代と直治は顔を見合わせた。
「見えてないの、殆ど・・・。痒い、ダニが・・・」
ふらふらしはじめた。
「直治、部屋に連れてってなに言ってるのか聞いてやれ。お前なら抱き上げて階段登れるだろ」
「おう」
「美代はメイドと客を頼む。俺は馬鹿犬と雅が余計なことしないよう外に連れ出してくる」
「わかった」
直治が無事に階段を登りきるのを見守ってから、俺はジャスミンを探した。お気に入りの場所には居ない。虱潰しにする前に雅を確保しようと、部屋のドアをノックする。
『誰?』
「俺だ」
『えっ! 今、開ける!』
ガチャ、とドアが開いた。
「淳蔵、どうしたの?」
「・・・なんでここに居るんだよ」
ジャスミンは酷く怯えた様子で雅の部屋の奥に居た。
「あ、あのね、ドアをカリカリ引っ掻くから入れてあげたら、凄く怯えてたの。お客さんの誰かに虐められたの・・・?」
「都に反抗的な態度とったから俺が怒ってんだよ」
「えっ・・・。だ、駄目だよ叱りすぎちゃ・・・」
俺は腰に手を当てて顔を横に振った。
「蹴り殺されたくなかったら、今すぐ謝りに来い」
「そんなこと言ったってわかんないよ! 犬なんだし!」
「黙ってろ」
ジャスミンは尻尾を丸め、鼻をぴすぴす鳴らしながら俺に近寄ってくる。俺はそっと、額に手を添えた。
都。
可愛いよ、都。
俺の娘。
女の子は天使だ。幼ければ幼いほどに。
歳をとった女は須らくゴミだ。
実の娘だとか、そんなの関係ない。
折角、あの金づるの馬鹿が女の子に産んでくれたんだ。
父親に犯されるという最高の絶望に染まる表情を見てみたい。
十五歳の誕生日に、首を絞めて君を犯すよ。
きっとね。
「・・・淳蔵?」
「成程な」
俺は壁を殴った。なにかを攻撃しないと冷静でいられなかった。
「こいつから守ろうとしてんだな?」
ジャスミンは俺に敵意がないことを示したいのか、尻尾を巻きながら腹を見せて悲痛な鳴き声を上げている。
「や、やめて、虐めないで・・・!」
雅が泣く。
「ジャスミン、怒って悪かったよ」
俺は前髪を搔き上げた。
「・・・ドッグラン行くか?」
ちろちろ、と俺に視線を送る。
「はあ・・・。わかったよ。お前の好きな風呂に入れてやる」
ジャスミンは尻尾を振った。風呂に入るのが好き、ではなく、正確には、馬鹿みたいに湯水をばしゃばしゃ浴びるのが好き、だ。
「三時間くらいかかる。雅、夜は外に連れてってやるから準備しとけ・・・」
「え!? わ、わかった!!」
俺は自室の風呂場にジャスミンを連れて行った。どう髪を結わえても、整えても、ジャスミンが馬鹿みたいに暴れて喜ぶので台風の中を歩いたように髪が濡れる。
「ちくしょー! クソ犬! 馬鹿! 馬鹿!」
俺の顔をぺろぺろと舐めやがった。確実にわかってて煽っている。
「俺の髪を滅茶苦茶にして許されるの、お前と都だけだよくそったれ!」
髪の手入れの時間を考えて、俺は気が遠くなった。