百四十二話 昔話
文字数 2,130文字
ジャスミンを連れてドッグランに来た。
「つ、疲れる・・・」
「直治さん、もう三十年以上このやりとりしてますよ」
淳蔵はくすっと笑った。
「・・・なあ、あんま触れてほしくなさそうなところ触っていいか」
「なんだ?」
「十四歳で『ヤク中』ってなかなかハードな人生送ってるよな。どうしてそうなった?」
「あ、あー・・・」
淳蔵は視線を逸らしながらも、口元だけは笑った。
「父親がちょっとな。『ヤ』のつく自由業のお偉いさんで、そっちのビジネスに手を出してた。身長が198cmもある大男で、怖い男だったよ。母親は、その、舞台女優だったんだ」
淳蔵の長身は父親に、綺麗な顔は母親に似たのかと、独り納得する。
「母親は父親の、愛人の一人だった。父親の気を引こうとして、俺を身籠っても堕ろさなかったって言ってたな。子供が生まれれば、家族になれば、夫婦になれるかもしれない、って。順番がよくわからねえよなァ」
淳蔵は苦笑する。
「母親は、俺が小さい頃はちゃんと『親子』してたんだけどよ、育つにつれ、顔が母親に似てくるにつれ、態度が冷たくなっていって、あんま世話してくれなくなってな。今でいう『ネグレクト』ってヤツだな。たまに父親が家に帰ってくると、俺が居ようが居まいが一日中セックスしてて、堪ったもんじゃなかったよ。父親は俺に悪い知識を教えるのが好きで、薬もその一環、だったな」
「それが、始まり・・・?」
「そう。で、組に所属する人間の家族のガキや、若い衆と引き合わされてつるむうち、どんどん悪くなっていった。小学校は四年生くらいの頃から行かなくなったかな。なんでもやったよ。薬を手に入れるためにな」
淳蔵はそこで言葉を終えた。
「・・・で、都を殺そうとして返り討ちにあったと」
「そういうこと。最低最悪の馴れ初めだろ?」
「今は至上の人生を送っているわけか」
「・・・お前は家族に、思うところがあるのか?」
俺は鼻から息を吐いた。
「両親は両親なりに俺のことを愛していたんだろうけれど、それが正しいかどうかは別だと思うんだ」
「・・・というと?」
「小学生の時、俺は明らかにおかしかったのに両親は一度も病院に連れて行かなかった。『うちの子が障害児なわけない』って言ってな。中学に行って警察沙汰を起こした時は、お互いの育て方の悪さについて口論になっていた。高校にはなんとか進学できたが、名前を書ければ誰でも入れるような馬鹿学校で、そのことについても口論になってたな」
俺は少し間を置いた。
「実は、自殺未遂を起こして、高校を退学になったんだ」
「えっ・・・」
「屋上に上履きを揃えて、その下に遺書を挟み込んで飛び降りた。四階から飛び降りたのに、幸運なのか不幸なのか切り傷と打撲だけで済んだんだ。遺書を読んだ両親は、初めて俺を病院に連れていった。そこで俺は重度の統合失調症だと判断された。そのことについても両親は責任の擦り付け合いをしていた。医者との相性も悪くて、俺は薬は欲しいのに病院には行きたくないって言って、両親を困らせて、それでまた口論・・・」
俺は淳蔵を見た。
「俺が産まれなければ、一組の夫婦が幸せに暮らしていたのかもしれないと思うと、罪悪感で頭がどうにかなりそうな時がある。だから、都との幸せな生活を享受することが、時々怖くなるんだ。俺は、いつ、どんな形で報いを受けるんだろうって怖くなる。俺の幸せは、都の幸せだ。俺が報いを受けるということは、都が幸せではなくなるということ。俺は、それが怖い。都にはずっと幸せでいてほしい。そのためなら死んだって構わないんだ」
淳蔵がぱんぱんと肩を叩いて、俺は、はっ、とした。
「考え過ぎ」
「わ、悪い。変なこと言った・・・」
「いや・・・。俺も似たようなこと考える時、あるよ」
淳蔵はジャスミンを見つめる。
「俺は殺人以外の犯罪は、全部やったからな。傍観は共犯だ。そういう意味では、強姦もやっちまってる。俺は惨たらしく死んで、死体も弔われることなくゴミみたいな扱いを受けて、地獄で永遠の苦しみを受け続けなくちゃいけない存在だ。なのに、今、都と幸せな生活を送ってる。都が生きているだけで、俺は幸せを感じられるんだ。だから、俺が罪を罰せられる時は、都が幸せじゃなくなるっていう責め苦を受けるんだろうって思う。考えただけで、怒りと悲しみで内臓がどうにかなりそうだよ」
「・・・悪い。この話、すべきじゃなかった」
「いいってことよ」
「やっぱり、過去は詮索するモンじゃないな」
「いや、たまには昔の話をするのも悪くないさ。『相手を知って距離を縮めたい』って気持ちの表れだからな。俺達がちょっと特殊な過去を抱えているだけだよ」
「・・・淳蔵、昔の話、美代にしたか?」
「寝物語にね。お前もだろ?」
「俺は中身すかすかの男だから、最近じゃ書斎から小説借りてきて読み聞かせてるぞ」
「あ、その手があったか」
「お前、今までどうしてたんだ?」
「雑誌の内容諳んじてた」
「高度なことしてるな」
俺達は苦笑した。ジャスミンが戻ってきて、ハッハッと短く息をしている。
「帰るか」
「おう」
帰る場所と、待っている人が居る。それが堪らなく嬉しい。ジャスミンを車に乗せると、後部座席で寝息を立て始めた。俺はいつもより安全運転を心掛け、淳蔵の指示に従った。
「つ、疲れる・・・」
「直治さん、もう三十年以上このやりとりしてますよ」
淳蔵はくすっと笑った。
「・・・なあ、あんま触れてほしくなさそうなところ触っていいか」
「なんだ?」
「十四歳で『ヤク中』ってなかなかハードな人生送ってるよな。どうしてそうなった?」
「あ、あー・・・」
淳蔵は視線を逸らしながらも、口元だけは笑った。
「父親がちょっとな。『ヤ』のつく自由業のお偉いさんで、そっちのビジネスに手を出してた。身長が198cmもある大男で、怖い男だったよ。母親は、その、舞台女優だったんだ」
淳蔵の長身は父親に、綺麗な顔は母親に似たのかと、独り納得する。
「母親は父親の、愛人の一人だった。父親の気を引こうとして、俺を身籠っても堕ろさなかったって言ってたな。子供が生まれれば、家族になれば、夫婦になれるかもしれない、って。順番がよくわからねえよなァ」
淳蔵は苦笑する。
「母親は、俺が小さい頃はちゃんと『親子』してたんだけどよ、育つにつれ、顔が母親に似てくるにつれ、態度が冷たくなっていって、あんま世話してくれなくなってな。今でいう『ネグレクト』ってヤツだな。たまに父親が家に帰ってくると、俺が居ようが居まいが一日中セックスしてて、堪ったもんじゃなかったよ。父親は俺に悪い知識を教えるのが好きで、薬もその一環、だったな」
「それが、始まり・・・?」
「そう。で、組に所属する人間の家族のガキや、若い衆と引き合わされてつるむうち、どんどん悪くなっていった。小学校は四年生くらいの頃から行かなくなったかな。なんでもやったよ。薬を手に入れるためにな」
淳蔵はそこで言葉を終えた。
「・・・で、都を殺そうとして返り討ちにあったと」
「そういうこと。最低最悪の馴れ初めだろ?」
「今は至上の人生を送っているわけか」
「・・・お前は家族に、思うところがあるのか?」
俺は鼻から息を吐いた。
「両親は両親なりに俺のことを愛していたんだろうけれど、それが正しいかどうかは別だと思うんだ」
「・・・というと?」
「小学生の時、俺は明らかにおかしかったのに両親は一度も病院に連れて行かなかった。『うちの子が障害児なわけない』って言ってな。中学に行って警察沙汰を起こした時は、お互いの育て方の悪さについて口論になっていた。高校にはなんとか進学できたが、名前を書ければ誰でも入れるような馬鹿学校で、そのことについても口論になってたな」
俺は少し間を置いた。
「実は、自殺未遂を起こして、高校を退学になったんだ」
「えっ・・・」
「屋上に上履きを揃えて、その下に遺書を挟み込んで飛び降りた。四階から飛び降りたのに、幸運なのか不幸なのか切り傷と打撲だけで済んだんだ。遺書を読んだ両親は、初めて俺を病院に連れていった。そこで俺は重度の統合失調症だと判断された。そのことについても両親は責任の擦り付け合いをしていた。医者との相性も悪くて、俺は薬は欲しいのに病院には行きたくないって言って、両親を困らせて、それでまた口論・・・」
俺は淳蔵を見た。
「俺が産まれなければ、一組の夫婦が幸せに暮らしていたのかもしれないと思うと、罪悪感で頭がどうにかなりそうな時がある。だから、都との幸せな生活を享受することが、時々怖くなるんだ。俺は、いつ、どんな形で報いを受けるんだろうって怖くなる。俺の幸せは、都の幸せだ。俺が報いを受けるということは、都が幸せではなくなるということ。俺は、それが怖い。都にはずっと幸せでいてほしい。そのためなら死んだって構わないんだ」
淳蔵がぱんぱんと肩を叩いて、俺は、はっ、とした。
「考え過ぎ」
「わ、悪い。変なこと言った・・・」
「いや・・・。俺も似たようなこと考える時、あるよ」
淳蔵はジャスミンを見つめる。
「俺は殺人以外の犯罪は、全部やったからな。傍観は共犯だ。そういう意味では、強姦もやっちまってる。俺は惨たらしく死んで、死体も弔われることなくゴミみたいな扱いを受けて、地獄で永遠の苦しみを受け続けなくちゃいけない存在だ。なのに、今、都と幸せな生活を送ってる。都が生きているだけで、俺は幸せを感じられるんだ。だから、俺が罪を罰せられる時は、都が幸せじゃなくなるっていう責め苦を受けるんだろうって思う。考えただけで、怒りと悲しみで内臓がどうにかなりそうだよ」
「・・・悪い。この話、すべきじゃなかった」
「いいってことよ」
「やっぱり、過去は詮索するモンじゃないな」
「いや、たまには昔の話をするのも悪くないさ。『相手を知って距離を縮めたい』って気持ちの表れだからな。俺達がちょっと特殊な過去を抱えているだけだよ」
「・・・淳蔵、昔の話、美代にしたか?」
「寝物語にね。お前もだろ?」
「俺は中身すかすかの男だから、最近じゃ書斎から小説借りてきて読み聞かせてるぞ」
「あ、その手があったか」
「お前、今までどうしてたんだ?」
「雑誌の内容諳んじてた」
「高度なことしてるな」
俺達は苦笑した。ジャスミンが戻ってきて、ハッハッと短く息をしている。
「帰るか」
「おう」
帰る場所と、待っている人が居る。それが堪らなく嬉しい。ジャスミンを車に乗せると、後部座席で寝息を立て始めた。俺はいつもより安全運転を心掛け、淳蔵の指示に従った。