三十一話 ドッグラン

文字数 2,374文字

ジャスミンがドッグランに行きたがっているので、雅を連れてドッグランに行くことにした。


「淳蔵、なんでそんなに髪が綺麗なの?」

「生まれつき」

「絶対嘘だぁ・・・」


下らない会話をしながら、俺が運転して二つ隣の町まで行く。未だに『外』の世界は怖い。道なんて覚えてられなかった。受付を済ませてドッグランに入り、ジャスミンのリードを放す。人気者なのであっという間に犬が群がって、そのまま遠ざかっていった。雅も嬉しそうに群れに混ざっている。


「はああー・・・」

「おいおいおい、もう十年は経つだろ。まだ『外』の世界が怖いのか?」

「お前にはわかんねーよ・・・。わけのわからない妄想に憑りつかれて自分を見失ったり、在りもしないモノが見えたり聞こえたりする恐怖が・・・」

「薬の症状とはまた違うのかね?」

「やったことないからわかんねーよ、やりたくもねー」

「言えてる」


淳蔵は自虐するように笑った。俺はジャスミンを見つめて、ぽつりと零す。


「あいつ、なんなんだろうな」

「悪魔だろ」

「悪魔ってあんなもちもちした生き物なのか」

「もちもちって・・・。お前変なところで言葉が可愛いというかなんというか」

「あ?」

「拾った時はあんな見た目じゃなかったらしいぞ」

「そうなのか」

「・・・お前、ちゃんと都と会話してる?」

「過去のことは詮索しない」

「ま、いいけどさ。敷地内の森で拾ったらしいぞ。拾った時は雨が降っていた」

「どの辺りだ?」

「今は客用の駐車場になってるとこ。探検してたら見つけたんだと」

「うーん、可愛いな」

「どこに脱線してんだよ。で、見た目が変わってて、目玉が一つ、足が六本、尻尾が二本、口が二つあったらしい」

「ええ・・・」

「幼き都はこう言った。『犬さん、あのね、犬さんはおめめが二つ、あんよは四つ、尻尾は一本、お口は一つなんだよ』ってな。そうしたら、するするとその形に姿が変わって、都の腕の中に飛び込んできたらしい。都は喜んで拾って帰った。ペットを飼うのを渋ってた両親が、ジャスミンだけは許したんだとよ」

「なんだあいつ、拾われた恩を返してるのか?」

「とんでもねえ忠犬だよ。俺達以上に都のこと好きなんじゃねえの」

「・・・かもな」


ジャスミンは似た体格の犬とはぶつかりあって遊んだり、自分より小さな体格の犬には伏せて目線を合わせたりしてなかなか行儀良く振舞っている。それよりも雅があっちこっちの犬を触りまくっていた。


「ガキって無邪気でいいよなァ」

「無邪気すぎて美代の地雷を踏んだりするけどな」

「あいつ沸点低いよな」

「なんだかんだお前が一番穏やかだな」

「ええ・・・。そう?」

「ガキに髪を引き千切られても堪えてたじゃねえか。結んで自衛するくらいには」

「まあね」

「俺は今でも笑顔を向けられると、」


淳蔵の方を見て、


「吐き気がする」


と言った。雅の笑い声が穏やかに響く。


「都には言うなよ」

「・・・おう」


ひゃあ、と間抜けな声が響いた。女性客が柴犬の口を捕まえてなにやら喚いている。


「あああ! ピノちゃん! バッタなんて食べないでぇ! 普段もっと良いモノ食べてるでしょぉ!?」

「お、常連のピノだ」

「今度はバッタか・・・」


俺が近付いて行くと、飼い主の佐藤さんが今にも泣きだしそうな顔を向けてくる。


「ああ、直治さん! お願いします!」

「はい」


ピノの口に指を突っ込んでバッタを取り出す。まだ生きていた。よかった。ドッグランを覆うフェンスの向こう側に放り投げて解放してやる。


「ほ、ほんといつもすみません!」

「いえいえ」

「こいつ噛まれ慣れてますから」


横に来た淳蔵が余計なことを言った。確かに、メイド達を絞めるときは大抵噛まれている。


「ピーノー! なんでバッタなんて食べるの? 春はバッタ、夏は蝉、秋はコオロギ、冬はオケラだのなんだの捕まえたり掘り出したりしてぇ・・・!」

「時代に乗っかって昆虫食かァ?」

「ちょちょ、淳蔵さん冗談じゃありませんよォ」

「ハハハ」


ピノは少し高い声で『ワン!』と鳴くと、嬉しそうに走り去っていった。


「あの、雅ちゃんなにかありました?」

「え?」

「最近、明るくなったというか、口数が多くなったような気がします」

「へー、彼氏でもできたんじゃないんですかね」


淳蔵が余所行き用の笑顔で適当なことを言った。佐藤さんは真に受けたのか『あら!』と言って笑う。


「あっ、そうそう、淳蔵さん達に会ったらお話したかったことがありまして」

「なんです?」

「いやぁ、なんかね? 変な男に声を掛けられたんですよ。『一条』って名乗ってて、都さんの関係者だから、都さんのこと教えてほしいって言ってたんです」

「え!? いつの話ですか?」

「二週間前の・・・、いつだったかなぁ、時間は覚えてるんですけどね。旦那が真昼間から呑んでる時に来たから・・・」


淳蔵が唇に人差し指を添えて考え込む。


「午前十一時ですね。旦那のお気に入りのドラマの時間でしたから。で、どうも目が悪いみたいで、家の扉だの小窓だの壁だのべたべた触って中に入ってこようとしたんですよ。足が痛いから座らせてほしいとかなんだの言って。旦那が怒って追い返そうとしたから、私は可哀想に思ってちょっとだけ話を聞いてあげたんです。そうしたら、都さんの話が出てきて。私が『関係者なら詳しく知ってるはずだろう』って指摘したら、『お前らも悪魔に呪われてる』とか悪態ついてヒョコヒョコ出て行って・・・」

「そうですか。男の特徴は?」

「目が悪い、足が悪い、白髪、言っちゃ悪いけど汚らしいジジイでしたよ」

「気を付けますね、ありがとうございます」


ジャスミンが戻ってきて、遅れて雅も戻ってきた。


「帰るぞ」

「はーい」


上機嫌な雅とは違って、俺と淳蔵は緊張していた。俺は慎重に運転し、館に帰る。都と美代にも事の次第を伝えた。


「気にしなくていいよ」

「でも、」

「い、い、の」


都が強く言うので、俺達は従うしかなかった。
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