百九十一話 阿藤家殺人事件

文字数 2,874文字

談話室にちょっと荒っぽい足音が近付いてくる。事務室の方向ではなく玄関の方向から直治が現れて、腕を組みながら背凭れに身体を預けてソファーに座った。


「じゅえりの両親とじゅきあが来たから、都に言われて対応してた」

「やーっぱり乗り込んできたか」

「お疲れ様。で、どんな話をしたの?」

「しいざあが産まれて母親が働ける状態になったから、雇ってほしい、と。断ったら意外とあっさり引き下がってな。二つ、提案をしてきた」


直治は相当機嫌が悪いらしい。


「『可愛い赤ちゃん、社長に差し上げます。社長好みの男に育てるチャンスですよ』だとよ」


短く溜息を吐く。


「ある程度育った子供が欲しいのなら、他の子供を好きなだけ養子にしてもらって構わない、だとよ」


俺と美代は呆れつつも、黙って、先を促す。


「もう一つの提案は、じゅきあを社長好みの顔に整形してくれて構わないから養子にしてほしい、だった。『痛いの我慢しますんで』だとよ。馬ッ鹿じゃねえの」

「雇用が駄目なら養子って、すっごい話の飛び方だな・・・」

「全く理解できない。なんでそうなるんだろう・・・」

「あいつらなりの理屈があってな。ほら、麓の町の夏祭り。八月にやってるヤツ。都が幾らか金を出してやってるだろう? よちよち歩きの子供から車椅子の老人まで楽しめるって毎年評判のヤツだ」

「ああ、都が毎年届く祭りの写真や感謝の手紙を楽しみにしてるな」

「麓の町が唯一賑わう時期だね。開催は来月か」

「そうだ。一条家に取り入ろうと情報を集めているうちに祭りのことに気付いたらしくてな。開催を知らせるチラシに『小学生は百円引き』の売店のチケットが四枚付いてるだろ? あれを『子供が好きなんだ』と解釈したらしい。それで養子だとよ」


直治は洗うように両手で顔を撫でた。


「都に『コテンパンにして追い返せ』と言われていたんでな。普段なら黙殺する馬鹿馬鹿しい考えにも一つ一つ相手してやったんだよ。下手に出ていた両親はあっという間に怒り狂った。それをじゅきあが制止してな。次はどう出るのかと思ったら、じゅきあが俺に『ラップバトル』を仕掛けてきた」

『はあ?』


俺と美代の声が重なった。


「俺も意味がわからん。母親はうっとり聞き入ってるし、父親は身体を小刻みに振ってリズムに乗ってた。俺は『もういいか』と思って、指輪の『スイッチ』を入れた」


直治は呆れ、笑う。


「じゅきあの鼻を狙った。鼻血がドバドバ出てきて、じゅきあも両親も大慌てだ。『救急車を呼んでほしい』と言われたので自分で呼ぶように言った。俺を罵倒しながら帰っていったよ。最後まで、じゅえりの名前は出なかった。それでな、」


少し、言い淀む。


「都にこのことを伝えたら、『明日からじゅえりさんは私の部屋に来させるように』だとよ。千代はなにか知ってるみたいなんだが、都に口止めされててなにも喋らねえ。腹立たしいことこの上ない」


直治はそう締め括った。タイミングが良いのか悪いのか、千代がひょこっと顔を覗かせる。


「直治さァん」

「・・・休憩だな、いいぞ」

「では、失礼して・・・」


いつもならそのまま談話室を出ていく千代が中に入ってきて、誰も座っていない一番奥のソファーに座った。


「『阿藤家殺人事件』という映画を知っていますか?」


千代はチェシャ猫のように笑う。俺達は首を横に振った。


「夫の啓太郎と妻の美砂子の間に産まれた長女の早紀が引き起こした、連続誘拐、殺人、死体遺棄事件。阿藤夫婦は八人の子供を儲けており、早紀はその長女。早紀含む子供達は虐待と育児放棄を受けており、早紀は家族の中で一番虐げられていた。早紀は両親だけでなく、弟と妹にも肉体的、精神的に虐げられていた。ある日、自宅近くの公園に啓太郎に呼び出された早紀は犯されかけ、咄嗟に啓太郎を殺害し逃亡する。そして運命の男、海原と出会い、虐待で傷付いた身体を癒すうち、阿藤家に対する復讐心が産まれる。海原との幸せな生活を捨て、早紀は復讐の鬼と化し、家族を拉致、監禁、拷問、殺害する。早紀は事件を追っていた二人組の刑事を罠にかけ、一人を殺害する。その後、早紀はもう一人の刑事に撃たれて死亡。阿藤家の人間は全て息絶えた」


歌うようにすらすらと、千代が言う。


「映画館では規制がかかって二日しか上映されませんでした」


瞳が、ピンクオパールの色に輝く。


「『高峰事件』を知っていますか?」


俺達は首を横に振る。


「夫婦で共謀して実の娘である長女を殺害し、遺体を車道に投げて交通事故を装い保険金を騙し取ろうとした事件です。事件に巻き込まれた長女は行方不明になっていましたが、無事に発見されました。長女は『恋人に匿ってもらっていた。警察は信じてくれないと思ったので通報するのが怖かった』と証言しました」


千代の瞳が、ぎらぎらと輝きを増していく。


「高峰事件の夫婦、そうですね、仮に『柊家』としておきましょうか。柊家は四男四女の大家族でした。過去にテレビ番組に出演したこともあるんです。さて、家計の苦しい柊夫婦は、長女に保険をかけて、長女を殺し、死体を車に轢かせて死亡事故を装い、保険金を得ようとしました。提案したのは妻です。妻は当時、妊娠していたため、長女が抵抗して暴れた際にお腹の子供に影響が出て流産しないように、死体の処理だけ手伝うことになり、長女殺しは夫がやることになりました。この時、夫は妻に肉体関係を求められていましたが、妻に性的な魅力を感じなくなっており、妻が身重であることを理由に断っていました。夫は夜の店に行く金も無く、仕事先の女性に悪戯をして出勤停止処分を受けて、性欲を持て余しており、『どうせ殺すんだから』と長女をレイプしようとしました」


千代の狂気が、少し薄れる。


「長女は抵抗し、隙を突いて逃げ出すことに成功します。長女の死体の処理を手伝うため、長女から隠れて待機し、それを見守っていた妻は、長女を取り逃したことと、普段馬鹿にして見下している長女が夫に『女』として扱われたことに嫉妬の感情を覚え、夫を責め始めます。夫も、逃げた長女を咄嗟に捕まえなかったことと、年老いて容姿の劣化が激しくなった妻に、お前が悪い、と責め始めます。口論は過熱し、激昂した夫は妻を殺そうとしましたが、返り討ちに遭い、妻は夫を縊り殺しました」


千代は顔を横に振る。


「柊家は近隣住民に金の無心をして、金を貸さない家には嫌がらせをしていたので評判は最悪でした。じゅえりさんの家と違うのは、長女以外の子供達が嫌がらせに積極的に参加していた点ですね。両親を失い、経済的に困窮した子供達は電車に飛び込んで自殺を。妻は心臓麻痺で獄中で死亡しました」


千代は目蓋を閉じ、ゆっくりと開く。


「『阿藤家殺人事件』のモデルは『高峰事件』なんですよ。『マニア』の間では有名な話です」


千代の瞳が、黒に戻った。


「都さんは、優し過ぎます。血の詰まった肉袋に情けをかける必要はありません。でも、」


すう、と息を吸い、


「あの優しさが、一条都の最も美しい点なのです」


と言い、立ち上がった。


「失礼します」


千代が談話室を出ていく。俺達は顔を見合わせ、溜息を吐いた。
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