二百八十二話 文香
文字数 2,415文字
宿泊客が居ない昼過ぎ。いつも通りの時間に談話室に行って雑誌を読むのが、このところ億劫になっていた。椿が俺と接触しようと談話室を掃除する振りをして待ち構えているからだ。部屋に籠って椿を避けると直治の心労が増えそうなので、最近は仕方なく談話室に行っている。美代が来ると退散するので、会話する時間は長くても三十分程度だが、それでも十分疲れる。しかし、今日は絶対に談話室に行って雑誌を読まなければいけなかった。都が文香に『たまにはお喋りしなさい』と指示したと、直治が携帯のメッセージで知らせてきたからだ。『邪険にするな』とも。強制されているわけではない。全員が拒否しても都はなんとも思わないだろう。
「あーあ、めんどくさ・・・」
溜息なのか深呼吸なのか自分でもわからない。俺は談話室に向かった。
「淳蔵様、お疲れ様です」
「お疲れ様」
やっぱり椿は居た。床を掃除している。俺が雑誌をラックから取り出して広げたところで、文香がやってきた。俺は折角取り出した雑誌を畳んで、横に置いた。
「あぅ、淳蔵様、お、お疲れ様です」
「お疲れ様」
「あっ、あ、あの、都様が、たまにはお喋りしてきなさいと、仰ったので、お、お邪魔してもいいですか?」
「一番奥のソファーなら空いてるぜ」
「しィッ、し、失礼します!」
文香は緊張した面持ちでソファーに座った。椿は一瞬、文香を強烈に睨み付けた。文香は俺を見ていたので気付かなかったようだが、俺は視界に入ってアピールしようとされているので当然気付く。小賢しく、同時に馬鹿だ。
「淳蔵様、雑誌がお好き、なんですか?」
「おう、好きだぜ。仕入れも俺が任されてる」
「えっ、女性向けの雑誌、もですか?」
「女性と会話するための知識の宝庫だよ。ファッションも手芸も料理も俺はできねえけどな」
「あ、読んでるん、ですね?」
「ここにあるのは全部読んでるよ。隅っこに置いてある胡散臭いオカルト雑誌もな」
「う、胡散臭い・・・」
「まーったくそういうことは信じてないんだけどな」
「えっ!?」
「意外だろ? 『夢』なんてものを商品として提供してる会社の従業員なのにな。お前はなんか面白い夢は見たか?」
「あっあっ、いえ、あ、えっと、んな、何度か・・・」
「お、良かったな。従業員割引きでタダで見られたか」
「そ、そですね・・・ハハ・・・」
俺はにっこり笑った。こいつは善がり狂う俺を見てなにを考えたのか、それ自体に興味は無いが、都との仲を見せつけられたのだと思うと少し気分が晴れる。
「おや、文香君」
「あっ、美代様、おお、お疲れ様です」
美代は椿を遠ざけるため、早めの時間に談話室に来てくれる。が、今日の椿は美代が来ても退散しなかった。
「都がお喋りして親睦を深めろってよ」
「へえ。文香君とは会話する機会があまり無かったから、良いね」
美代はノートパソコンをテーブルに置いた。美代も直治からメッセージを送られているので、邪険にしないために仕事をしながら話すことはしないようだ。
「従業員割引きで面白い夢を見られたらしいぞ」
「おお、文香君、良かったね」
「んぃ、あ、ありがとうございます・・・」
「文香君、ずっと言うタイミングを逃してたんだけど、髪を切って可愛くなったね」
嫌味だ。
「いえっ! あ! 可愛いだなんてとんでもないです!」
「あは、そんなに謙遜しなくてもいいのに。『ウルフヘア』に大きな丸眼鏡で館に帰ってきた時はちょっと驚いたよ。都のオススメなんだろう?」
「は、はい。私、お洒落には疎いので、手櫛で整えるだけでいい髪形にしようと、都様が考えてくださいました。髪に少し癖があるので、この髪型が良いんじゃないかと。眼鏡も、目付きが悪いことを気にしていると、打ち明けたら、貴方の顔の形なら丸眼鏡が良いと言って、桜子さんが、可愛いものを選んでくださいました」
髪を切って眼鏡をかける前の文香は、毛先が不揃いの伸ばしっぱなしの髪と、目が悪いのも加わって確かに目付きが悪く、少し不潔な印象を与える容姿をしていた。今の文香は、知性からきているのであろう、形容し難い独特の雰囲気を醸し出している。
「化粧はしてないよね?」
「あ、お化粧は、ちょっと・・・」
「そう? 俺で良ければいつでも相談に乗るから、気軽に話しかけてね」
「ありっ、ありがとうございます・・・」
直治も来た。椿は掃除を続けている。
「な、直治様、お疲れ様です」
「おう」
「お喋りして親睦を深めてこいと都に言われたんだとさ」
「そうか」
直治がソファーに座る。
「あ、あの、直治様は、本がお好きと聞きました」
「都にか?」
「はい。都様が、直治様は我が家の司書だから、と、書斎の管理を自主的にしているから、気になることがあったら直治様に聞いてみなさいと言われまして、あの、オススメの本を、教えてほしいです」
「ジャンルはなんでもいいのか?」
「はい。なんでも読みます」
「なんか小さくてかわいいやつ」
「へ?」
俺も美代も耳を疑った。
「あ、ち、『ちいかわ』ですか!?」
「おう」
「あ、ふっ、へえ、あっ」
文香は笑いを堪えている。
「半分本気で半分冗談だ。漫画の棚に置いてあるから好きに読め。オススメの小説なら『変な家』が良かったぞ」
「あ、読んだことないです」
「作者がちょっと、作者がちょっとな」
「えっ、ちょ、ちょっと・・・?」
「ウェブライターや動画配信者もやってるんだが、そっちでは白い面を被って奇妙なことばっかりやってるんだよ。作者を見ると好き嫌いの差がより激しくなるだろうな。都は堪らなく好きなんだが・・・」
「直治様は、作者は嫌いなんですか?」
「・・・いや、俺もかなり好きだ」
「あっ、へへ、あの、あとで借りに行きます」
「ミステリーの棚だ」
「ありがとうございます」
文香が嬉しそうに笑う。そういえば、こいつの笑う顔は今日初めて見たかもしれない。
「あの、凄く今更なんですけど、皆さんに、お話したいことがあります」
文香はゆっくりと、頭を下げた。
「不法侵入して、すみませんでした」
「あーあ、めんどくさ・・・」
溜息なのか深呼吸なのか自分でもわからない。俺は談話室に向かった。
「淳蔵様、お疲れ様です」
「お疲れ様」
やっぱり椿は居た。床を掃除している。俺が雑誌をラックから取り出して広げたところで、文香がやってきた。俺は折角取り出した雑誌を畳んで、横に置いた。
「あぅ、淳蔵様、お、お疲れ様です」
「お疲れ様」
「あっ、あ、あの、都様が、たまにはお喋りしてきなさいと、仰ったので、お、お邪魔してもいいですか?」
「一番奥のソファーなら空いてるぜ」
「しィッ、し、失礼します!」
文香は緊張した面持ちでソファーに座った。椿は一瞬、文香を強烈に睨み付けた。文香は俺を見ていたので気付かなかったようだが、俺は視界に入ってアピールしようとされているので当然気付く。小賢しく、同時に馬鹿だ。
「淳蔵様、雑誌がお好き、なんですか?」
「おう、好きだぜ。仕入れも俺が任されてる」
「えっ、女性向けの雑誌、もですか?」
「女性と会話するための知識の宝庫だよ。ファッションも手芸も料理も俺はできねえけどな」
「あ、読んでるん、ですね?」
「ここにあるのは全部読んでるよ。隅っこに置いてある胡散臭いオカルト雑誌もな」
「う、胡散臭い・・・」
「まーったくそういうことは信じてないんだけどな」
「えっ!?」
「意外だろ? 『夢』なんてものを商品として提供してる会社の従業員なのにな。お前はなんか面白い夢は見たか?」
「あっあっ、いえ、あ、えっと、んな、何度か・・・」
「お、良かったな。従業員割引きでタダで見られたか」
「そ、そですね・・・ハハ・・・」
俺はにっこり笑った。こいつは善がり狂う俺を見てなにを考えたのか、それ自体に興味は無いが、都との仲を見せつけられたのだと思うと少し気分が晴れる。
「おや、文香君」
「あっ、美代様、おお、お疲れ様です」
美代は椿を遠ざけるため、早めの時間に談話室に来てくれる。が、今日の椿は美代が来ても退散しなかった。
「都がお喋りして親睦を深めろってよ」
「へえ。文香君とは会話する機会があまり無かったから、良いね」
美代はノートパソコンをテーブルに置いた。美代も直治からメッセージを送られているので、邪険にしないために仕事をしながら話すことはしないようだ。
「従業員割引きで面白い夢を見られたらしいぞ」
「おお、文香君、良かったね」
「んぃ、あ、ありがとうございます・・・」
「文香君、ずっと言うタイミングを逃してたんだけど、髪を切って可愛くなったね」
嫌味だ。
「いえっ! あ! 可愛いだなんてとんでもないです!」
「あは、そんなに謙遜しなくてもいいのに。『ウルフヘア』に大きな丸眼鏡で館に帰ってきた時はちょっと驚いたよ。都のオススメなんだろう?」
「は、はい。私、お洒落には疎いので、手櫛で整えるだけでいい髪形にしようと、都様が考えてくださいました。髪に少し癖があるので、この髪型が良いんじゃないかと。眼鏡も、目付きが悪いことを気にしていると、打ち明けたら、貴方の顔の形なら丸眼鏡が良いと言って、桜子さんが、可愛いものを選んでくださいました」
髪を切って眼鏡をかける前の文香は、毛先が不揃いの伸ばしっぱなしの髪と、目が悪いのも加わって確かに目付きが悪く、少し不潔な印象を与える容姿をしていた。今の文香は、知性からきているのであろう、形容し難い独特の雰囲気を醸し出している。
「化粧はしてないよね?」
「あ、お化粧は、ちょっと・・・」
「そう? 俺で良ければいつでも相談に乗るから、気軽に話しかけてね」
「ありっ、ありがとうございます・・・」
直治も来た。椿は掃除を続けている。
「な、直治様、お疲れ様です」
「おう」
「お喋りして親睦を深めてこいと都に言われたんだとさ」
「そうか」
直治がソファーに座る。
「あ、あの、直治様は、本がお好きと聞きました」
「都にか?」
「はい。都様が、直治様は我が家の司書だから、と、書斎の管理を自主的にしているから、気になることがあったら直治様に聞いてみなさいと言われまして、あの、オススメの本を、教えてほしいです」
「ジャンルはなんでもいいのか?」
「はい。なんでも読みます」
「なんか小さくてかわいいやつ」
「へ?」
俺も美代も耳を疑った。
「あ、ち、『ちいかわ』ですか!?」
「おう」
「あ、ふっ、へえ、あっ」
文香は笑いを堪えている。
「半分本気で半分冗談だ。漫画の棚に置いてあるから好きに読め。オススメの小説なら『変な家』が良かったぞ」
「あ、読んだことないです」
「作者がちょっと、作者がちょっとな」
「えっ、ちょ、ちょっと・・・?」
「ウェブライターや動画配信者もやってるんだが、そっちでは白い面を被って奇妙なことばっかりやってるんだよ。作者を見ると好き嫌いの差がより激しくなるだろうな。都は堪らなく好きなんだが・・・」
「直治様は、作者は嫌いなんですか?」
「・・・いや、俺もかなり好きだ」
「あっ、へへ、あの、あとで借りに行きます」
「ミステリーの棚だ」
「ありがとうございます」
文香が嬉しそうに笑う。そういえば、こいつの笑う顔は今日初めて見たかもしれない。
「あの、凄く今更なんですけど、皆さんに、お話したいことがあります」
文香はゆっくりと、頭を下げた。
「不法侵入して、すみませんでした」