七十七話 変化の予感
文字数 2,156文字
「運転手?」
「そう、『正式』にね」
額に似合わない熱冷ましシートを貼った都が言う。
「今の車、自家用車ってことにして社用車を買おうと思うの。社用車で高齢のお客様や身体が不自由なお客様を館まで送迎してもらおうと思って。ほら、もうすぐ雅さんが出て行くし、宿泊客を増やしても問題なさそうだからね。新しいメイドを雇う、こ、う、じ、つ、にね?」
「ああ、成程。俺は全然構わねえよ」
「これまで通り、美代の運転の練習と直治の気分転換にも付き合ってあげてね。三月までには淳蔵の名刺も作っておくから」
「わかった」
「で、お給料の話なんだけど」
「んっ?」
「運転手の年収の相場が四百万らしいから、月給に換算して三十万。今、渡している二十万にプラス三十万して月五十万くらいで、」
「待て待て! そんなに受け取れないから! っていうか十分過ぎるくらい貰ってるし!」
「えー、でも、」
「そんなに貰えません!」
「そ、そうですか・・・」
「まさか、美代と直治は貰ってるのか?」
「ううん、二人共受け取ってくれないの。理由を聞いても『俺を甘やかし過ぎだ!』って怒っちゃって・・・。淳蔵もそう思う?」
「都、変なところ金銭感覚狂ってるぞ・・・」
ということがあったと、談話室で二人に話した。
「もし受け取ってたら、俺、お前らのこと殴るところだったわ」
「受け取るわけないだろ。拾ってもらって育ててもらってキチンとした仕事まで与えられて、これで小遣いとは別に給料なんて貰ってたら『スカフィズム』にかけてやる」
『スカフィズム』とは、最も残酷な拷問、もとい処刑方法だ。頭と手足が出るようにカヌーやくり抜いた木などに身体を固定し、犠牲者にハチミツや牛乳を大量に与えて下痢を起こさせる。外に出ている顔や手足などにもハチミツを塗りたくり、汚い池や沼などに放置する。犠牲者が固定されている木の中は排泄物でいっぱいになり、甘いにおいと汚物に引き寄せられた蠅などの昆虫が卵を産みつけ、孵化した幼虫が犠牲者の肉を突き破って貪り食う、体内を蠢く芋虫が血流を妨げるため、壊疽が広がる。そんなことを犠牲者が死ぬまでやるのだ。
「美代君は過激ですねぇ。愛しの都様の前では雨に打たれて震える捨てられた子犬みたいになるのに」
「お前もだろうが! 紳士振りやがって、鼻につくんだよ!」
「やめろ二人共」
直治が仲裁する。
「うーん、直治もかわるよなァ。気の強い女から初心な少女って感じで」
「あー、それはわかる」
「・・・やめろ二人共」
トイレに行っていた雅が帰ってきた。
「また喧嘩? また都さんの取り合い?」
「そーです」
「皆、いつも都さんの話してるねー。他に共通の話題無いの?」
「雅の悪口」
「もうっ、あとで都さんに言いつけてやるんだから!」
雅はケラケラ笑った。
「あーあ、クリスマスも終わっちゃったし、もうすぐ一月。一月になったら物件見に行って決めて、家具買って引っ越しして、三月頭には引っ越しかあ」
「雅、全力で応援するよ!」
「ちょ、とっとと追い出そうとしないでよね!」
雅はそう言ったが、あっという間に一月になって、雅の月給でも家賃が払えるようなオートロックのマンションと契約が決まって、俺の運転する車に美代と千代と雅を乗せて家具だの家電だの食料品だのを買いに行ってマンションに運んで、三月十日に都は館を出て行った。
「やーっと出て行ったな」
俺はかわらず雑誌を読んでいる。
「都が悲しんでいるのをわかってて言うけど、清々するよ」
美代はいつも雅に勉強を教えていた時間に談話室に来て、気分転換に雑談しながら仕事をするようになった。
「来月、新しいメイドを雇うぞ」
直治もいつも通り休憩にくる。
「ちょっとややこしい経歴の持ち主でな」
「ほう、如何に?」
「ジャスミンが選んだんだから間違いは無いと思うんだが・・・。名前は坂田愛美。三十九歳。身長147cmで体重が130kgもある」
「えっ、そりゃ凄い」
「うちは制服はエプロンしかないだろ? でもそれも入るかどうか・・・」
「脂ぎってて不味そうだなァ」
「仕込みに倍の時間、四ヵ月かけようと思う。でな、」
直治は腕を組んで背凭れに身体を預けた。不機嫌な時にやる仕草だ。
「八年前に起こった〇〇事件って知ってるか?」
「いや・・・」
美代が否定する。俺も首を横に振る。
「楠大樹ってホストの顔の皮をナイフで剥いで、二度と社会に出られなくした事件だよ。その犯人が愛美だ。ホストが千二百万もの借金を愛美に背負わせ、風俗などで働かせていたこと、愛美がそれにより統合失調症を発症したこと、犯行当時、監視カメラに映っていた愛美から計画性が無かったと判断されたことなどから、愛美には情状酌量の余地あり、心神耗弱状態が認められて、かなり軽い刑で出てきてる」
成程、統合失調症の人間を見ていると、昔の自分を思い出してつらいわけだ。
「先に言っておく。仕事はできないぞ。それと、優しくすると勘違いするから、必要最低限のこと以外で関わるなよ。顔の皮を剥がれたくなければな」
直治は談話室を出て行った。
「うーん、優しい直治があそこまで言うってことは、相当やばいんだなァ」
「どうせ喰っちまうんだから、空気が悪くならない程度に扱っておけばいいんじゃないか?」
「そうするか。メイドなら千代が居るんだし・・・」
直治の未来は、当分の間、昏いようだ。
「そう、『正式』にね」
額に似合わない熱冷ましシートを貼った都が言う。
「今の車、自家用車ってことにして社用車を買おうと思うの。社用車で高齢のお客様や身体が不自由なお客様を館まで送迎してもらおうと思って。ほら、もうすぐ雅さんが出て行くし、宿泊客を増やしても問題なさそうだからね。新しいメイドを雇う、こ、う、じ、つ、にね?」
「ああ、成程。俺は全然構わねえよ」
「これまで通り、美代の運転の練習と直治の気分転換にも付き合ってあげてね。三月までには淳蔵の名刺も作っておくから」
「わかった」
「で、お給料の話なんだけど」
「んっ?」
「運転手の年収の相場が四百万らしいから、月給に換算して三十万。今、渡している二十万にプラス三十万して月五十万くらいで、」
「待て待て! そんなに受け取れないから! っていうか十分過ぎるくらい貰ってるし!」
「えー、でも、」
「そんなに貰えません!」
「そ、そうですか・・・」
「まさか、美代と直治は貰ってるのか?」
「ううん、二人共受け取ってくれないの。理由を聞いても『俺を甘やかし過ぎだ!』って怒っちゃって・・・。淳蔵もそう思う?」
「都、変なところ金銭感覚狂ってるぞ・・・」
ということがあったと、談話室で二人に話した。
「もし受け取ってたら、俺、お前らのこと殴るところだったわ」
「受け取るわけないだろ。拾ってもらって育ててもらってキチンとした仕事まで与えられて、これで小遣いとは別に給料なんて貰ってたら『スカフィズム』にかけてやる」
『スカフィズム』とは、最も残酷な拷問、もとい処刑方法だ。頭と手足が出るようにカヌーやくり抜いた木などに身体を固定し、犠牲者にハチミツや牛乳を大量に与えて下痢を起こさせる。外に出ている顔や手足などにもハチミツを塗りたくり、汚い池や沼などに放置する。犠牲者が固定されている木の中は排泄物でいっぱいになり、甘いにおいと汚物に引き寄せられた蠅などの昆虫が卵を産みつけ、孵化した幼虫が犠牲者の肉を突き破って貪り食う、体内を蠢く芋虫が血流を妨げるため、壊疽が広がる。そんなことを犠牲者が死ぬまでやるのだ。
「美代君は過激ですねぇ。愛しの都様の前では雨に打たれて震える捨てられた子犬みたいになるのに」
「お前もだろうが! 紳士振りやがって、鼻につくんだよ!」
「やめろ二人共」
直治が仲裁する。
「うーん、直治もかわるよなァ。気の強い女から初心な少女って感じで」
「あー、それはわかる」
「・・・やめろ二人共」
トイレに行っていた雅が帰ってきた。
「また喧嘩? また都さんの取り合い?」
「そーです」
「皆、いつも都さんの話してるねー。他に共通の話題無いの?」
「雅の悪口」
「もうっ、あとで都さんに言いつけてやるんだから!」
雅はケラケラ笑った。
「あーあ、クリスマスも終わっちゃったし、もうすぐ一月。一月になったら物件見に行って決めて、家具買って引っ越しして、三月頭には引っ越しかあ」
「雅、全力で応援するよ!」
「ちょ、とっとと追い出そうとしないでよね!」
雅はそう言ったが、あっという間に一月になって、雅の月給でも家賃が払えるようなオートロックのマンションと契約が決まって、俺の運転する車に美代と千代と雅を乗せて家具だの家電だの食料品だのを買いに行ってマンションに運んで、三月十日に都は館を出て行った。
「やーっと出て行ったな」
俺はかわらず雑誌を読んでいる。
「都が悲しんでいるのをわかってて言うけど、清々するよ」
美代はいつも雅に勉強を教えていた時間に談話室に来て、気分転換に雑談しながら仕事をするようになった。
「来月、新しいメイドを雇うぞ」
直治もいつも通り休憩にくる。
「ちょっとややこしい経歴の持ち主でな」
「ほう、如何に?」
「ジャスミンが選んだんだから間違いは無いと思うんだが・・・。名前は坂田愛美。三十九歳。身長147cmで体重が130kgもある」
「えっ、そりゃ凄い」
「うちは制服はエプロンしかないだろ? でもそれも入るかどうか・・・」
「脂ぎってて不味そうだなァ」
「仕込みに倍の時間、四ヵ月かけようと思う。でな、」
直治は腕を組んで背凭れに身体を預けた。不機嫌な時にやる仕草だ。
「八年前に起こった〇〇事件って知ってるか?」
「いや・・・」
美代が否定する。俺も首を横に振る。
「楠大樹ってホストの顔の皮をナイフで剥いで、二度と社会に出られなくした事件だよ。その犯人が愛美だ。ホストが千二百万もの借金を愛美に背負わせ、風俗などで働かせていたこと、愛美がそれにより統合失調症を発症したこと、犯行当時、監視カメラに映っていた愛美から計画性が無かったと判断されたことなどから、愛美には情状酌量の余地あり、心神耗弱状態が認められて、かなり軽い刑で出てきてる」
成程、統合失調症の人間を見ていると、昔の自分を思い出してつらいわけだ。
「先に言っておく。仕事はできないぞ。それと、優しくすると勘違いするから、必要最低限のこと以外で関わるなよ。顔の皮を剥がれたくなければな」
直治は談話室を出て行った。
「うーん、優しい直治があそこまで言うってことは、相当やばいんだなァ」
「どうせ喰っちまうんだから、空気が悪くならない程度に扱っておけばいいんじゃないか?」
「そうするか。メイドなら千代が居るんだし・・・」
直治の未来は、当分の間、昏いようだ。