百二十話 自己満足

文字数 2,234文字

こんこん。


『どうぞ』


俺は都の部屋に入った。


「あら、美代。どうしたの?」

「ちょっと聞きたいことと、返答によってはお願い、かな?」

「んん?」

「・・・俺の祖母と母親って、殺してない、よね?」


都は酷く動揺した。


「・・・殺してない」

「生きてるんだ」

「殺しに行くの?」

「ううん。見に行く。喋ったりするかも。駄目?」

「あ、なんだ。ほっとしちゃった」


都は笑った。


「可愛い息子のおねだりは、なんでも叶えたくなっちゃう」

「いいの?」

「いいよ。ただし、会うのは一回だけ。わかった?」

「わかった! 今、どこに住んでいるか知ってるんだよね?」


都は手帳の一ページを切り取り、万年筆でさらさらと字を書いた。


「今はここに住んでいるはず。存分に嫌味を言ってらっしゃい」

「ありがと!」


俺は談話室に行く。


「お、今日は遅いな」

「よう兄弟!!」

「おお、どうしたどうした」

「直治、明日ちょっと出掛けようぜ! 淳蔵は鴉な!」

「いいけど・・・」

「なんだなんだ」

「ハハッ、俺の元の家、麓の町にあるんだ。都が嫌味言いに行っていいってさ!」


淳蔵と直治は顔を見合わせた。


「美代君、性格悪いですよ」

「今更気付いたのか?」

「ったく、わかったわかった」

「運転はお前がしろよ」

「おう!!」


翌日。

膝に淳蔵を乗せ、俺が車を運転する。都に教えてもらった住所は、トタン板で出来たようなボロッボロのアパートだった。


『っておい、俺を抱いていくのかよ』

「特等席だぞ?」

『性格わっるぅ・・・』

「で、どうすんだ美代。突撃するのか様子見るのか」

「そりゃ突撃するに決まってんだろ」

「あんまおおごとにするなよ・・・」

「わかってるって」


俺達はアパートのドアの前に立つ。雨風に晒されて碌に掃除もされていないインターホンを押した。ぴんぽおん、と中に響き、衣擦れの音が聞こえる。ゆっくりとドアを開けて出てきたのは、記憶の中の祖母そのものの人だった。


「こんにちは」

「誰?」

「美代です」

「・・・美代? ・・・美代。・・・え、美代? ・・・美代!?」


手応えあり。


「俺の祖母の千鶴さんですか? それとも母の千尋さんですか?」

「み、美代のはずないっ! だってあの子、今、生きてたら、えっと、幾つだっけ・・・!」

「五十二歳ですね」

「嘘っ、嘘嘘嘘! あんた、どう見たって二十代・・・! で、でも美代だわ! 記憶の中の、十六歳のまま・・・!」

「ハハッ、そんなはずないでしょう。背が大分伸びましたからね」

「い、今まで、どこで、どうやって、生きて、」

「千鶴さんですか? 千尋さんですか?」

「千尋よ! あんたの母親!」

「ハハッ、千鶴さんにそっくりだから、わかりませんでした」

「会いたかった! 会いたかったのよ、美代!」


千尋は俺に抱き着こうとした。それを淳蔵が威嚇して止める。


「ひぃ!?」

「失礼。ペットの淳蔵です。こっちは弟の直治」

「・・・どうも」

「おと、弟? どう見たって二十代・・・」

「ところで千尋さん、お仕事はなにを?」

「・・・はぁ?」

「俺は今、とある会社の秘書をやっています。千尋さんはお仕事はなにを?」


千尋はにたぁと笑った。


「お母さんね、生活保護で暮らしているの。生活がとっても厳しいのよ」

「そうですかそうですか。俺ね、千尋さんに感謝の言葉を伝えたくて、今日、ここに来たんです」

「へ?」


俺はとびっきりの笑顔を浮かべた。


「やりがいのある仕事に就いて、仲の良い兄弟が居て、好きな女性と一緒に暮らして、趣味も充実しています。俺を産んでくれてありがとうございます。では、失礼しますね」


俺は背を向けて歩き出す。直治も着いてきた。


「ま、待って待って!! 待って美代!!」


再び淳蔵が威嚇する。千尋は老人特有のよたよたした足取りで、ゆっくりゆっくり着いてきていた。


「お母さん、生活がすっごく苦しいの!! 美代は今、幸せなんでしょう!? 社長の秘書やっててお金持ちなんでしょう!? こんな生活をしているお母さんを見て、助けてあげようと思わないの!?」

「おッもしろいこと言いますねえ。俺が男にレイプされかけた時、ケラケラ笑って見てませんでしたっけ。そんなヤツ助ける子供がいますかね?」

「あの時のことなら謝るから!! ね?? 今からでも遅くないわ!! お母さんと一緒に暮らしましょう!!」

「お断りします」

「助けてっ!! お母さんを助けてえええっ!!」


俺は振り返る。


「俺もそれ、言った」

「え?」

「レイプされかけた時に、『お婆ちゃん、お母さん、美代を助けて』ってね」

「あ・・・あ・・・」

「あんたは俺を助けてくれた?」

「美代ぉ・・・」

「その表情が見たかったんだ。最高。じゃあね」


俺は車に乗り込み、館へと走らせる。


『だーれーがーペットの淳蔵だこの野郎』

「悪い悪い。でも助けてくれてありがとうな」

『・・・馬鹿美代』

「俺のこと馬鹿呼ばわりして許されるのは、淳蔵と直治くらいなもんさ」

『そーかよ』

「・・・美代、運転かわれ」

「なんでだよ」

「泣いてるぞ」

「えっ」


俺は頬を拭う。涙が伝っていた。車を路肩に寄せる。直治がハンカチを取り出して、渡してくれりゃいいのに、俺の頬にあてて涙を拭った。


「あはは、なぁんで泣いてるんだろ・・・」

「悔しかったからだろ」

「悔しかった、から・・・」

「復讐はなにも生まない、なんていうが、自己満足くらいは生んでくれるさ」


俺は直治のハンカチを受け取り、涙を拭いながら車を降りて助手席に乗りなおす。直治が走らせる車の中で、子供がぬいぐるみを抱いて悲しさを紛らわせるように、淳蔵を抱いて泣き続けた。
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