二百四十二話 軛

文字数 2,576文字

晴れた空の下、辺り一面はシロツメクサの花畑。気付くと俺達はそこに居た。


「まァたジャスミンのしわざかよ・・・」


淳蔵が苛立ちながら言う。


「あ、都が居るぞ」


都は白いガーデンチェアに深く腰掛けて、眠っている。美代の声に反応したのかはわからないが、都がゆっくりと目を開いた。

ぱち。

俺が瞬きをした瞬間、都の対面に異様なモノが現れた。都はそれを見て、口を開けてぽかんと呆けている。


「あっ、あ、あつ、ぞう、あ、あ・・・!」


苦悶の表情を浮かべて首を吊っている淳蔵。俺が吃驚して横に居るはずの淳蔵を見ると、ちゃんとそこに淳蔵は存在していて、自分の死体を見て固まっていた。


「あっ、ああっ、あああ、ああああああああああああッ!!」


淳蔵の首を絞めるロープは、真っ直ぐに空に向かって伸びている。都の瞳から滝のように涙が溢れ、錯乱しているのか、淳蔵の足を持ち上げてロープから解放しようとしていた。


「なんで、なん、やだ、やだやだやだ!! あっ、あっ、あああ!! ああああああああああああああああ!!」

「都!! 都しっかりしろ!!」


駆け寄ろうとした俺達の前に、ジャスミンが、『白い男』が立ち塞がる。冷たい表情を浮かべて、素早く首を横に振ったあと、俺達に都の姿が見えるように身体を躱した。俺達の身体は動かない。動けない。都は辺りを見回し、自分が座っていた椅子を見つけると、淳蔵の足の下に運んでなんとか助けようとしていた。

ぱち。

都の浴室。バスタブの中は真っ赤になっていて、蛇口から水がドバドバと注がれている。バスタブから真っ赤な液体と、真っ青になった美代の腕が零れている。美代は薄く口を開けて、虚ろな目をして、バスタブの縁に頭を乗せていた。どう見ても死んでいる。


「あああああああああああああ!! いやあああああああああああああああああ!!」


都が美代の身体を持ち上げてバスタブから出そうとしている。


「だめだめだめだめえええええええ!! こんなっ、こんなことおおおおお!! あああああああああああ!! みよっ!! みよなんで、なんでああああああああ!!」


ずるり。美代の死体がバスタブから出てくる。都は美代の身体をぺたぺたと触りながらガクガクと震えていた。

ぱち。

ひゅっ、どさ。都の足元に俺が落ちてきた。四肢があらぬ方向に折れ曲がり、首は捻じれている。


「なおじ、な、なおじ、あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


膝をついた都は、どうしたらいいのかわからないのか、空中で手を漂わせている。


「あああああああああああああああ!! なんで、なんでおち、あ、あ、ああああああああああああああああ!!」


ぱち。

千代と桜子が都の右手と左手を引っ張り上げて立たせる。二人はくすくすと楽しそうに笑いながら、くるくると踊るように都の周りを回る。時々、都の身体をちょんとつついたり、ぱん、と軽く叩いたり、とん、と身体とぶつける。都はそれを呆然と目で追っていた。千代と桜子が再び都の右手と左手を持ち、前に引っ張る。

ぱち。

夕暮れの踏み切り。かん、かん、かん、と列車の接近を警告する音が鳴る。都は目を大きく見開き、咄嗟に手を握りしめたが、するり、と二人は電車の前に吸い込まれるように飛び出していき、激しい音を立てて血飛沫を撒き散らしながら肉片になった。都は尻もちをついた。

ぱち。

都の前に老婆が居る。都の祖母だ。


『都さん』


厳しくも優しく微笑む祖母を見上げた都の表情は、ぴくりとも動かない。


『貴方は私の、』


ザザッ、とノイズが混じる。祖母はこの世で一番嫌いなものを見る目で都を見て、


『跡継ぎなのに男に産まれやがって』


と吐き捨てた。


「馬ッ鹿じゃないの?」


祖母の喉から刃が飛び出し、血飛沫が都の顔を染める。祖母と同じ着物を着たもう一人の都が祖母の首から包丁を抜くと、祖母はドウッと倒れ、消えてなくなった。


「自分だって女のくせにね?」


唇を歪めて、嗤う。


「ねえ、なに考えてるの?」


都が、都の前髪を掴み上げる。痛がる素振りも、抵抗する素振りも見せない。


「幸せになりたい、とか?」


都と都が額を引っ付ける。都は目を見開き、威圧するような表情をした。


「お前は『軛』だ。お前が居なければ皆、幸せになれる」


都が怯える。


「死ねよ、一条都。そして誰からも忘れ去られろ。お前は糞と腐った肉が詰まった皮の袋だ。愛だなんて臭い感情は必要無い。捨てろ」


都は額を離すと、前髪を掴んだまま地面に叩きつける。一切抵抗しない都の頭を踏んで、愚か者を蔑む目で見つめる。


「来る日のための戦士であることを忘れるな」

「・・・はい」


くぐもった声で、都は答えた。

そこで目が覚めた。

俺は慌てて部屋を飛び出した。淳蔵と美代、千代と桜子も飛び出してきた。誰もなにも言わずに都の部屋に続く階段を駆け上がる。淳蔵が何度もノックをしたが返答は無い。鍵もかかっている。


「蹴破れ」


美代の言葉に淳蔵が頷き、ドアを蹴破って開けた。部屋の中に、白い男が立っていた。黙ってトイレの方を指差す。トイレのドアを開けると、都が便器の中に顔を突っ込む形で項垂れていた。吐瀉物の酸っぱいにおいが充満していて、かなりの量を吐いたのか、便器の中に吐瀉物が溜まっている。


「都」


淳蔵が都の身体を引っ張る。都は弱々しく抵抗したが、淳蔵は無理やり都を起こした。


「大丈夫だ、大丈夫」


淳蔵は自分が汚れることも厭わず、都の後ろ髪に指を這わせ、強く強く抱きしめる。


「お前、ここまで追い詰めることを愛情表現の一言で片付けるつもりか?」


桜子の声に振り替えると、桜子が白い男の胸倉を掴んで睨み付けていた。白い男は何故か悔しそうな表情を浮かべて、顔を横に振る。


「お前があの夢を見せたんじゃないのか?」


美代も詰め寄る。白い男は再び首を横に振る。


「説明しろよ」


まるで肉体に苦痛を与えられたかのように顔を歪め、首を横に振る。


「何故説明できない?」


桜子が再び問う。やはり首を横に振るだけだった。


「・・・直治さん、お風呂をお願いします。私は消化に良いものを作ってお持ちします」

「わかった」


千代は白い男を少しだけ睨んでから、部屋を出ていった。


「桜子、手を放せ」


ゆっくりと、桜子が白い男を解放する。白い男も部屋を出ていった。衰弱した都を、苛立っている皆を刺激しないよう、俺は爆発しそうな感情を拳を握りしめて堪えるしかなかった。
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