百三十四話 来ちゃった
文字数 2,200文字
美代の体調が良くなってから一ヵ月と少しが過ぎた。美代は俺と直治の部屋に来なくなった。鴉でこっそり部屋を覗いてみたが、元気に過ごしている。直治曰く『脱皮』したのかもしれない。トラウマを乗り越えて精神的に成長したのだ。
「しかしだなァ」
俺は独り言つ。習慣づけられたものをあっちの都合で急にやめられても困る。俺は寝巻のまま、美代の部屋に向かった。
こんこん。
『はい』
一条家のルールだ。鍵をかけていない時は『どうぞ』、かけている時は『はい』で、来訪者が誰か尋ねる。
「お兄ちゃんですよー」
『淳蔵? 今、開ける』
美代が鍵を開け、ドアを開く。
「どうした?」
「来ちゃった」
俺は語尾にハートマークをつけた。
「えっ」
「添い寝だよ」
美代は少し驚いたあと、顔をほんのり赤くして俺を部屋に通す。俺はベッドに腰掛けた。
「なんで来ないんだよ」
「い、行っていいのかよ・・・」
「来いよ」
美代は無言で頷いた。枕を持つと、殴るようにして俺に押し付ける。それを受け取りベッドに寝転ぶと、美代はそっと寄り添った。
「明日憂鬱だなァ」
「クーラーの点検な。いくらジャスミンが暑がりだからって五月からクーラー入れなくたっていいのに・・・」
「業者の中に変なヤツが居ないとも限らないし、館の中を他人がうろつくのも嫌だし、見張るのも疲れるし・・・」
「鼠出すわけにはいかないもんな。蛇なんてもっと・・・」
「ハハッ、あいつこの前、面倒臭いヤツ追っ払うのに出してたぞ」
「えっ、いつ?」
「お前が寝込んでる時。『幸せの青い小鳥委員会』っていうのが来てな? 要するに新興宗教団体なんだけど、直治が対応したんだと。うるさくてけばけばしいおばさん二人組だったらしい。直治がなにを言っても二人で連携して矢継ぎ早にぺちゃくちゃ喋るから、ズボンの裾から蛇を出した」
美代がくすっと笑う。
「『きゃあ! 蛇!』って二人で騒ぎ出したから、『失礼、ペットのパスタとスパゲッティです』って言って、胸元からもう一匹掴んで出したらしい。そしたら慌てて帰って行ったってよ」
「なんだそのネーミングセンス・・・」
「違いについて考えてたらしいぞ。で、休憩時間に携帯で調べた。パスタはイタリア語で『小麦粉を練った食品全般』のこと、スパゲッティはその中でも『細長く伸ばしたもの』だってよ」
「じゃ、スパゲッティもパスタで間違いは無いわけだ」
「そうそう」
「フフッ・・・」
美代がうつらうつらとし始める。
「直治のところにも、ちゃんと行けよ」
「わかった。ありがとう・・・」
話を続けてやると、美代は寝息を立て始めた。
翌朝。
美代が設定した時間に目覚まし時計が鳴る。俺が設定している時間よりかなり早いので、起きた時少し眠かった。
「おはよう」
「んー、まだ寝る・・・」
「ちょ、離せって。俺、スキンケアしないと・・・」
「いいからいいから・・・」
「よくないっ!」
美代は俺の腕を跳ねのけて飛び起きた。
「俺が化粧し終わるまでに起きてないと、寝てるお前の顔に化粧するからな」
「はいはいわかったよ・・・」
俺はベッドに腰掛け、ぼーっとする。美代は洗面台で時間をかけて顔を洗ってくると、部屋に設えてある化粧台で化粧を始めた。
「なあ、都って優しいよな」
「なんだ今更」
「俺達ってあんまり恥かいたことないだろ? 『恥ずかしい』っていう感情、一人では抱えきれない感情だと思うんだよ。俺、この前取引先で四回も舌噛んじゃって、部屋に帰ってきてからベッドの上で暫く悶えてたし、思い返すと未だに恥ずかしくて悶えたくなる」
「ああ・・・。なにをやっちゃいけないのかは、半年くらいは付きっきりで教えられたなあ、俺もお前も直治も。『学校の授業は一科目五十分で計六回、休憩は十分単位だから』つって、都が組んだカリキュラムで勉強させられたな」
「『口を開けて食事しちゃいけない』とか、『食事の席に食器以外のものは持ち込まない』とかはわかるんだけど、『鼻クソをほじって食べちゃいけない』とか『踊ってはいけない』とか言われなかったか?」
「言われた言われた。でも俺達馬鹿だったからさ、教えられなきゃ調子乗ってやってたかもしれないぜ」
「俺もそう思う。教育って大切だよなあ」
「千代はあっという間に礼儀作法覚えたなあ、元々できてるヤツだったけど・・・」
「千代君は良家の出身だからな。幼い子供特有の謎の正義感で同級生を殺しちゃったくらいネジは飛んじゃってるけど・・・」
「・・・『サイコパス』ってやつ?」
「かも。あ、そうそう。千代君の猫、なんて品種か知ってるか?」
「知らねえ。なんて猫なんだ?」
「『メインクーン』っていって、家猫では世界最大の品種なんだって。性格は極めて賢くて、器用で遊び好き。メスの成体の平均体重は6kgから9kgだってさ」
「ハハハッ、千代らしい猫だな」
喋っていたら目が覚めてきた。
「さて、と。そろそろ戻るわ」
「・・・ありがとう」
「またな」
美代の部屋を出たところで、ランニングから帰ってきた直治と出くわした。
「び、吃驚した・・・」
「なァに驚いてんだよ。ちょっとこっち来い」
直治の肩をぱんぱんと叩いて、美代の部屋から遠ざける。
「なんだ?」
「美代が部屋に行きたがってるぞ」
「・・・来ればいいだろ。自分からじゃ恥ずかしくて言えないのか?」
「そうみたい」
「ッチ、馬鹿美代が・・・」
直治は部屋に戻っていった。
「・・・良いことをした朝は気分が良いぜ」
ぐいと伸びをして、俺も部屋に戻った。
「しかしだなァ」
俺は独り言つ。習慣づけられたものをあっちの都合で急にやめられても困る。俺は寝巻のまま、美代の部屋に向かった。
こんこん。
『はい』
一条家のルールだ。鍵をかけていない時は『どうぞ』、かけている時は『はい』で、来訪者が誰か尋ねる。
「お兄ちゃんですよー」
『淳蔵? 今、開ける』
美代が鍵を開け、ドアを開く。
「どうした?」
「来ちゃった」
俺は語尾にハートマークをつけた。
「えっ」
「添い寝だよ」
美代は少し驚いたあと、顔をほんのり赤くして俺を部屋に通す。俺はベッドに腰掛けた。
「なんで来ないんだよ」
「い、行っていいのかよ・・・」
「来いよ」
美代は無言で頷いた。枕を持つと、殴るようにして俺に押し付ける。それを受け取りベッドに寝転ぶと、美代はそっと寄り添った。
「明日憂鬱だなァ」
「クーラーの点検な。いくらジャスミンが暑がりだからって五月からクーラー入れなくたっていいのに・・・」
「業者の中に変なヤツが居ないとも限らないし、館の中を他人がうろつくのも嫌だし、見張るのも疲れるし・・・」
「鼠出すわけにはいかないもんな。蛇なんてもっと・・・」
「ハハッ、あいつこの前、面倒臭いヤツ追っ払うのに出してたぞ」
「えっ、いつ?」
「お前が寝込んでる時。『幸せの青い小鳥委員会』っていうのが来てな? 要するに新興宗教団体なんだけど、直治が対応したんだと。うるさくてけばけばしいおばさん二人組だったらしい。直治がなにを言っても二人で連携して矢継ぎ早にぺちゃくちゃ喋るから、ズボンの裾から蛇を出した」
美代がくすっと笑う。
「『きゃあ! 蛇!』って二人で騒ぎ出したから、『失礼、ペットのパスタとスパゲッティです』って言って、胸元からもう一匹掴んで出したらしい。そしたら慌てて帰って行ったってよ」
「なんだそのネーミングセンス・・・」
「違いについて考えてたらしいぞ。で、休憩時間に携帯で調べた。パスタはイタリア語で『小麦粉を練った食品全般』のこと、スパゲッティはその中でも『細長く伸ばしたもの』だってよ」
「じゃ、スパゲッティもパスタで間違いは無いわけだ」
「そうそう」
「フフッ・・・」
美代がうつらうつらとし始める。
「直治のところにも、ちゃんと行けよ」
「わかった。ありがとう・・・」
話を続けてやると、美代は寝息を立て始めた。
翌朝。
美代が設定した時間に目覚まし時計が鳴る。俺が設定している時間よりかなり早いので、起きた時少し眠かった。
「おはよう」
「んー、まだ寝る・・・」
「ちょ、離せって。俺、スキンケアしないと・・・」
「いいからいいから・・・」
「よくないっ!」
美代は俺の腕を跳ねのけて飛び起きた。
「俺が化粧し終わるまでに起きてないと、寝てるお前の顔に化粧するからな」
「はいはいわかったよ・・・」
俺はベッドに腰掛け、ぼーっとする。美代は洗面台で時間をかけて顔を洗ってくると、部屋に設えてある化粧台で化粧を始めた。
「なあ、都って優しいよな」
「なんだ今更」
「俺達ってあんまり恥かいたことないだろ? 『恥ずかしい』っていう感情、一人では抱えきれない感情だと思うんだよ。俺、この前取引先で四回も舌噛んじゃって、部屋に帰ってきてからベッドの上で暫く悶えてたし、思い返すと未だに恥ずかしくて悶えたくなる」
「ああ・・・。なにをやっちゃいけないのかは、半年くらいは付きっきりで教えられたなあ、俺もお前も直治も。『学校の授業は一科目五十分で計六回、休憩は十分単位だから』つって、都が組んだカリキュラムで勉強させられたな」
「『口を開けて食事しちゃいけない』とか、『食事の席に食器以外のものは持ち込まない』とかはわかるんだけど、『鼻クソをほじって食べちゃいけない』とか『踊ってはいけない』とか言われなかったか?」
「言われた言われた。でも俺達馬鹿だったからさ、教えられなきゃ調子乗ってやってたかもしれないぜ」
「俺もそう思う。教育って大切だよなあ」
「千代はあっという間に礼儀作法覚えたなあ、元々できてるヤツだったけど・・・」
「千代君は良家の出身だからな。幼い子供特有の謎の正義感で同級生を殺しちゃったくらいネジは飛んじゃってるけど・・・」
「・・・『サイコパス』ってやつ?」
「かも。あ、そうそう。千代君の猫、なんて品種か知ってるか?」
「知らねえ。なんて猫なんだ?」
「『メインクーン』っていって、家猫では世界最大の品種なんだって。性格は極めて賢くて、器用で遊び好き。メスの成体の平均体重は6kgから9kgだってさ」
「ハハハッ、千代らしい猫だな」
喋っていたら目が覚めてきた。
「さて、と。そろそろ戻るわ」
「・・・ありがとう」
「またな」
美代の部屋を出たところで、ランニングから帰ってきた直治と出くわした。
「び、吃驚した・・・」
「なァに驚いてんだよ。ちょっとこっち来い」
直治の肩をぱんぱんと叩いて、美代の部屋から遠ざける。
「なんだ?」
「美代が部屋に行きたがってるぞ」
「・・・来ればいいだろ。自分からじゃ恥ずかしくて言えないのか?」
「そうみたい」
「ッチ、馬鹿美代が・・・」
直治は部屋に戻っていった。
「・・・良いことをした朝は気分が良いぜ」
ぐいと伸びをして、俺も部屋に戻った。