二百十三話 疎ましい

文字数 2,949文字

「直治、お前やばいよ・・・」

「・・・俺もそう思う」


直治一人で、一階と二階に居た警備員と研究員を殆ど殺してしまった。脳や心臓の血管をピンポイントで弾けさせて殺したので本当にあっという間だった。それだけではない。警備員と研究員が使用した、なにかの薬液が入った弾丸を撃つ銃を見た時、俺はそれがなんなのかわからなかった。桜子も初めて見たらしい。直治は水を感知する力ですぐに危険なものだと気付き、撃ち出された弾丸を相手に撃ち返した。薬液を注入された相手は肌を変色させながら泡を吹いたり、おもちゃのスイッチを切ったかのようにパタリと倒れて動かなくなった。桜子が倒れている者の顔を調べ、死んだことを確認すると、ポケットを漁って念のために鍵やカードキーを集める。


「日本じゃ違法の『テーザー銃』まで使ってくるし、滅茶苦茶だねえ」


『テーザー銃』とは、小さな棘が生えた二つの射出体を発射し、標的の肌に突き刺し、射出体の電極に電流を流して無力化を図る銃だ。射出体と本体の間は絶縁された細い銅線で繋がっている。

警備員がテーザー銃を取り出した時、俺は初めて本物を見たので、瞬時にテーザー銃だとは判断できなかった。肉の盾となった桜子は電流に怯みもしなかった。俺も直治も吃驚した。撃った本人である警備員も吃驚していたのだから笑える。桜子が射出体を掴んで身体から引き抜き、投げ返して警備員の左胸に突き刺すと、警備員は激しく痙攣しながらバタンと倒れ、そのまま死んでしまった。テーザー銃は『非致死性武器』ではなく『低致死性武器』なので、当たりどころが悪いと死んでしまう。淳蔵が俺と直治にしか言葉が通じないのを良いことに『おっ、末吉』と言ったので、笑わないように唇を噛み締めるのが大変だった。


「残るは三階です」


機密性のためなのか、研究所には階段が無い。唯一の経路であるエレベーターは、イリスから桜子に支給されたカードキーと暗証番号で問題無く動いている。なにか策があって誘い込んでいる可能性が高い。三階の入り口の、重厚なドアを開ける。その中は、白を基調とした空間だった。あまりに白過ぎて、無機質過ぎる。


「ここにホムンクルス達が監禁されています。イリスの部屋もここにあります。教育室、格闘訓練室、食堂、トイレと、幼いホムンクルス達が遊ぶためのキッズルームがありますが、今は機能していません」

「イリスの部屋は?」

「最奥にあります。滅多なことがない限り、イリスは部屋から一歩も出ません。イリスの部屋に続く廊下に面する形で、独居房が二十部屋、雑居房が二部屋あります。今、機能しているのは、独居房と雑居房だけです」

「血のにおいが充満してるけど、圧搾機はここに?」

「はい。キッズルームに圧搾機があります」

「よろしい。案内を」


桜子が、辺りを警戒しながらゆっくりと歩き出す。


「直治、どうだ?」

「・・・多分、キッズルームに」


直治がキッズルームに水の気配を感じている。どういう意味か、俺はすぐに理解したが、桜子には言わなかった。


「あ・・・」


桜子が固まる。白地にパステルカラーの動物が描かれた壁紙の部屋の真ん中に、巨大な圧搾機が置かれていた。その横には謎の装置。恐らく、血液を取り出すためのものだろう。


「か、稼働して、ま、まさか・・・!」

「待てよ」


俺は桜子の肩を掴む。桜子は俺と直治を交互に見た。直治は黙って首を横に振った。桜子は悔恨の表情で歯を食いしばり、ぎりりと音を鳴らし、拳を握りしめる。


「俺達は、いや、都は『あえて』言わなかっただけだ。こうなる展開は予想できただろ」

「・・・はい。行きましょう」


雑居房にも独居房にも、可燃物は無い。イリスの部屋に一番近い独居房のドアに『281』と書かれたプレートがあった。気持ち悪いったらありゃしねえ。

イリスの部屋のドアは、薄く開いていた。


「突撃しろ」


俺が桜子に命令すると、桜子はドアノブを掴み、一気に開けた。部屋の中は、豪華絢爛、という言葉を使うには、悪趣味なゴテゴテとした装飾品ばかりの部屋だった。如何にも『趣味の悪いお金持ち』という感じだ。


「281」


部屋の中央に、背凭れをこちらに向けて、椅子が置いてある。イリスはその椅子に反対向きに座り、背凭れの上で腕を組み、顎を腕の上に乗せて、昏い目で俺達を見た。


「なんて呆気ないんだ・・・」


イリスの頬には、涙の痕があった。


「厳しい訓練を受け、銃弾を二、三発喰らっても任務を遂行するよう鍛え上げられた警備員達をこんなにもあっさりと・・・。それだけではない。抵抗する術を持たないただの人間の研究員達も、なんの容赦もなく殺してしまうだなんて・・・」


くぎぎ、とイリスは不愉快な笑い声をあげた。


「悪魔に骨抜きにされたか、281」


桜子はなにも答えず、イリスを見ている。


「ならば私も悪魔になりたいっ・・・!」


イリスはくたびれた白衣のポケットから、注射器を取り出した。


「やめておけ」


直治が言った。


「そんなことをしても、悪魔になんてなれはしない」

「なれるさっ! なれるっ! 私も悪魔になれるっ! なるっ! 君達に対抗する超常の力を得るのだよっ!」


イリスがなにをしようとしているのか、俺もすぐに察した。イリスは、くぎ、くぎぎ、と不愉快な笑い声をあげながら、自分の首に注射器の針を刺し、ホムンクルス達の身体に幾重に流れた、劣化した悪魔の血を体内に注入した。イリスが笑みを保てたのは、ほんの数秒だけだった。目から、鼻から、口から、耳から、全身の穴から血が流れだす。がたがたと身体を震わせ、ゆっくりと椅子から崩れ落ち、やがて激しくのたうち回り始めた。


「言わんこっちゃない」


直治が呆れた様子で言う。


「直治様、これは一体・・・?」

「都から聞いた話だ。血液には魂の情報が詰まっている。『分け与える』という精神で採取された血液なら兎も角、生きたまま圧搾機にかけられたホムンクルス達の血液には、当然、相手に対する恨みが詰まっている。人間を含む動物の血なら気分が悪くなる程度で済んだかもしれないが、こいつが自分の身体に打ち込んだのは、劣化していたとはいえ『悪魔の血』だからな。超常的な力がある。虐待、拷問、惨殺を五百人以上も繰り返した『情報』が、『恨み』が詰まった血だ。こいつは今、呪い殺されているんだ」


イリスは自ら叩きつけた腕の骨が折れる程の勢いで暴れている。


「永遠に苦しめばいいのに・・・」

「それは永遠に生き続けるということでもある。馬鹿な考えはやめておけ。都はそれで苦労した」

「イリス・モーリー」


桜子がイリスの名を呼ぶと、暴れていたイリスが大人しくなった。激痛の中にあった意識が現実に戻ってきたのか、イリスが縋るような目で桜子を見つめる。


「なによりも・・・」


桜子は、獣が威嚇するように牙を剥いた。


「なによりも疎ましい存在だわッ!」


イリスの涙は血に混じり、頬を少しだけ洗い流した。イリスは息絶えた。イリスの作った血の海から、少量の血が集まって宙に浮かび、ぷるぷると震えだす。桜子がそれに両手を差し出すと、血が桜子の手の平に乗り、静かに震え続けた。


「全てを、受け入れます。わたくしが憎いのなら、どうか、イリスと同じように殺してください」


桜子が、最後の賢者の石を飲み下した。

沈黙。

変化は無い。


「・・・帰りましょう」
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