百十六話 喧嘩したことある?
文字数 2,044文字
「半田雅、ただいま帰還しましたぁ!」
沈黙が流れた。
「ちょっとぉ、一応、お客様なんだから、余所行きの対応してくれてもいいんだよ?」
「ふざけろ」
「ひっどぉーい、もう・・・」
雅はソファーに座った。
「ねえ、こないだ白木って刑事さんが会いに来たよ」
俺は雑誌から目を上げた。
「二人組で来て、二人共、警察手帳を見せてきて、都さんのこととか、館のこととか、私のこととか聞いてきたから、『その警察手帳は本物ですか?』って聞いたの。そしたら目を真ん丸にしてたなあ」
「へえ、雅、賢いじゃないか」
「でっしょー? で、警察署に連絡して確認したら本物だったから、質問に答えることにしたの。私の生い立ちの話から始まって、館での暮らし、一条家から独り立ちして今はどんな暮らしをしているのか、とかね。その話の流れで、都さんのこととか、淳蔵達のこととか、館で働いていたメイドさん達のこととか聞いてきてね。嘘偽りなく、私の知っている範囲で確かな情報だけ答えたよ」
「・・・ま、警察が相手じゃそうするしかないよな」
「刑事さんが帰る時に『これは一体なんの情報収集なんですか?』って聞いたら、都さんをストーカーしていた男が変な死に方をしたから調べてるって言ってた」
「ンだよあの刑事、まだそんなことしてんのか・・・」
「都さんから聞いたよぉ。『もしかしたら雅さんに迷惑をかけるかもしれないから気を付けてほしい』って言って、ストーカーがどんな人物でどんなことしてきたのか・・・。ほんっとサイッテー・・・」
雅は肩を竦ませ、両手を広げて首を横に振った。
「都さん、言ってたよ。最初に会った時はそんな顔じゃなかったのに、プロポーズしてきた時は、ストーカーの顔が都さんが世界一嫌いな男の顔にそっくりになってたって」
雅は虚空を見つめ、顎に手をやって考えるような仕草をした。
「『お客様だからしっかり対応しなくちゃいけないのに、あんまりにも顔がそっくりだから言葉が出てこなかった』って言ってたよ。だから淳蔵達が守ってくれてすっごく嬉しかったってさ。『本当は私が息子達を守らなくちゃいけないのに』って言ってちょっと悲しそうにしてたけど・・・」
「都の馬鹿。逆だっつの」
「全くだ」
「本当にな」
「いいねえ、そんなこと即答するくらい都さんのこと愛してるのって。幸せだねえ」
「なァにわかったような口利いてやがる」
「私、この前、下らない理由で敏明さんと喧嘩になっちゃってさあ。皆は都さんと喧嘩したことあるの?」
雅はこういう疑問を持つと、答えが出るまでしつこくなる。つまり俺達から聞き出せなかったら都に聞くということだ。仕方なく、俺は雑誌を畳んだ。
「『馬鹿』だった時期は毎日な」
「ば、馬鹿?」
「思春期」
「あー、成程」
薬の禁断症状に苦しんでいた頃は、都を殺してでも『外』に出て、なんとかして薬を手に入れようと躍起になっていた。俺の世話をする都を見て、初めのうちは俺を利用してなにかをするつもりなんだろうと酷く警戒していた。けれど、都の献身的な世話を享受するうち、俺は母親からあまり貰えなかった母性愛のようなものを都から感じて、少しずつ都のことを好きになっていった。薬が身体から抜ける頃には、俺は都のことを命の恩人だと思うのと同時に、一人の人間として好きになっていた。
「美代はー?」
「うーん、怒られたことは何度もあるけど、喧嘩したことはないかな・・・」
「えっ、美代でも怒られるんだ」
「そりゃあね。なんで怒られたのかは教えてあげない」
「あ、先手打たれちゃった。直治は?」
「来て三年くらいの間はバチバチだったぞ」
「ええーっ!!」
「俺は美代よりキレやすかったからな」
「おい聞き捨てならんぞ」
「元の家に居た頃はキレて物事を押し通してたからな。そういうのが通じるのはランドセル背負ってるガキだけだってわかるのにかなり時間がかかった」
「へえー・・・」
美代がノートパソコンのキーボードを叩く指を止める。
「そういえば淳蔵、俺とお前が初めて会った時って、『馬鹿』の時期だったのか?」
「そうだよ。『精神安定剤』貰って飲んで、その日は珍しく外に出ることを許された」
「えっ!? 淳蔵、薬が必要なくらい荒れてたの?」
「まあな」
「こ、こわー・・・」
なにも知らない雅が呑気に言う。『精神安定剤』とはジャスミンの血のことだ。
「『馬鹿』がマシになるのに三年、治るのに二年かかった」
「成程なあ、それで最初の内は俺とあんま会わなかったわけだ」
「直治は来て五年くらいの間は可愛かったよなァ」
「ハハッ、確かに、可愛かったな」
「どういう意味だよ」
「右も左もわかんねえから質問責めだったじゃねえか」
「最初は結構反発してたしうるさかったけど、段々素直に静かになっていって、教え甲斐があったよ」
「・・・そうかよ」
「今も可愛いぜ、弟よ」
「確かにな、弟よ」
美代がくすくす笑う。直治は腕を組み、背凭れに身体を預けた。不機嫌なんじゃなく照れているらしい。
「人生いろいろだねえ」
雅が再びわかったような口を利いたが、今度は言及しなかった。
沈黙が流れた。
「ちょっとぉ、一応、お客様なんだから、余所行きの対応してくれてもいいんだよ?」
「ふざけろ」
「ひっどぉーい、もう・・・」
雅はソファーに座った。
「ねえ、こないだ白木って刑事さんが会いに来たよ」
俺は雑誌から目を上げた。
「二人組で来て、二人共、警察手帳を見せてきて、都さんのこととか、館のこととか、私のこととか聞いてきたから、『その警察手帳は本物ですか?』って聞いたの。そしたら目を真ん丸にしてたなあ」
「へえ、雅、賢いじゃないか」
「でっしょー? で、警察署に連絡して確認したら本物だったから、質問に答えることにしたの。私の生い立ちの話から始まって、館での暮らし、一条家から独り立ちして今はどんな暮らしをしているのか、とかね。その話の流れで、都さんのこととか、淳蔵達のこととか、館で働いていたメイドさん達のこととか聞いてきてね。嘘偽りなく、私の知っている範囲で確かな情報だけ答えたよ」
「・・・ま、警察が相手じゃそうするしかないよな」
「刑事さんが帰る時に『これは一体なんの情報収集なんですか?』って聞いたら、都さんをストーカーしていた男が変な死に方をしたから調べてるって言ってた」
「ンだよあの刑事、まだそんなことしてんのか・・・」
「都さんから聞いたよぉ。『もしかしたら雅さんに迷惑をかけるかもしれないから気を付けてほしい』って言って、ストーカーがどんな人物でどんなことしてきたのか・・・。ほんっとサイッテー・・・」
雅は肩を竦ませ、両手を広げて首を横に振った。
「都さん、言ってたよ。最初に会った時はそんな顔じゃなかったのに、プロポーズしてきた時は、ストーカーの顔が都さんが世界一嫌いな男の顔にそっくりになってたって」
雅は虚空を見つめ、顎に手をやって考えるような仕草をした。
「『お客様だからしっかり対応しなくちゃいけないのに、あんまりにも顔がそっくりだから言葉が出てこなかった』って言ってたよ。だから淳蔵達が守ってくれてすっごく嬉しかったってさ。『本当は私が息子達を守らなくちゃいけないのに』って言ってちょっと悲しそうにしてたけど・・・」
「都の馬鹿。逆だっつの」
「全くだ」
「本当にな」
「いいねえ、そんなこと即答するくらい都さんのこと愛してるのって。幸せだねえ」
「なァにわかったような口利いてやがる」
「私、この前、下らない理由で敏明さんと喧嘩になっちゃってさあ。皆は都さんと喧嘩したことあるの?」
雅はこういう疑問を持つと、答えが出るまでしつこくなる。つまり俺達から聞き出せなかったら都に聞くということだ。仕方なく、俺は雑誌を畳んだ。
「『馬鹿』だった時期は毎日な」
「ば、馬鹿?」
「思春期」
「あー、成程」
薬の禁断症状に苦しんでいた頃は、都を殺してでも『外』に出て、なんとかして薬を手に入れようと躍起になっていた。俺の世話をする都を見て、初めのうちは俺を利用してなにかをするつもりなんだろうと酷く警戒していた。けれど、都の献身的な世話を享受するうち、俺は母親からあまり貰えなかった母性愛のようなものを都から感じて、少しずつ都のことを好きになっていった。薬が身体から抜ける頃には、俺は都のことを命の恩人だと思うのと同時に、一人の人間として好きになっていた。
「美代はー?」
「うーん、怒られたことは何度もあるけど、喧嘩したことはないかな・・・」
「えっ、美代でも怒られるんだ」
「そりゃあね。なんで怒られたのかは教えてあげない」
「あ、先手打たれちゃった。直治は?」
「来て三年くらいの間はバチバチだったぞ」
「ええーっ!!」
「俺は美代よりキレやすかったからな」
「おい聞き捨てならんぞ」
「元の家に居た頃はキレて物事を押し通してたからな。そういうのが通じるのはランドセル背負ってるガキだけだってわかるのにかなり時間がかかった」
「へえー・・・」
美代がノートパソコンのキーボードを叩く指を止める。
「そういえば淳蔵、俺とお前が初めて会った時って、『馬鹿』の時期だったのか?」
「そうだよ。『精神安定剤』貰って飲んで、その日は珍しく外に出ることを許された」
「えっ!? 淳蔵、薬が必要なくらい荒れてたの?」
「まあな」
「こ、こわー・・・」
なにも知らない雅が呑気に言う。『精神安定剤』とはジャスミンの血のことだ。
「『馬鹿』がマシになるのに三年、治るのに二年かかった」
「成程なあ、それで最初の内は俺とあんま会わなかったわけだ」
「直治は来て五年くらいの間は可愛かったよなァ」
「ハハッ、確かに、可愛かったな」
「どういう意味だよ」
「右も左もわかんねえから質問責めだったじゃねえか」
「最初は結構反発してたしうるさかったけど、段々素直に静かになっていって、教え甲斐があったよ」
「・・・そうかよ」
「今も可愛いぜ、弟よ」
「確かにな、弟よ」
美代がくすくす笑う。直治は腕を組み、背凭れに身体を預けた。不機嫌なんじゃなく照れているらしい。
「人生いろいろだねえ」
雅が再びわかったような口を利いたが、今度は言及しなかった。