三百十五話 重症
文字数 2,533文字
談話室で雑誌を読んでいると、真冬がやってきた。
「淳蔵様、お話いいですか?」
「休憩中か?」
「はい」
「ならいいぜ」
真冬は対面のソファーに座る。俺は雑誌を畳んだ。
「あの、美代様に謝りたいんです」
ハーブティーのことだろうか。だとしたら遅い。真冬が一条家に来てから一ヵ月と少し。つまり少なく見積もっても二週間は美代に謝っていないことになる。
「謝るって、なにを?」
「ハーブティーのことです」
「謝ったらいいじゃん」
「あの、絶対に美代様と仲良くしたいので、謝りたいんですけど?」
「だから、謝ったらいいだろ」
「どうやって謝ったらいいですかね?」
本当になんなんだこいつ。比較しちゃいけないのはわかってるが都はちゃんと謝れたのに。
「自分が悪いと思ってるところと、どうして悪いことをしてしまったのかっていう説明と、今後なにをすれば悪いことをしなくなるかっていう三つを考えて、謝ればいい」
「あ、はい。どうやって謝ったらいいですかね?」
これで知能に問題はないのか。精神の方にはありそうだが。
「まず、自分が悪いと思ってるところは、どこだ?」
「え、ないです」
「え? じゃあなんで謝るんだよ」
「美代様が怒ってるので」
「なんで怒ってると思うんだ?」
「私が淹れたハーブティーが不味かったからですけど?」
「不味いハーブティーを淹れたことは、悪いことだと思わないか?」
「あ、はい。悪気はなかったので」
もう頭が痛い。
「真冬、よーく聞けよ」
俺はいつもよりゆっくりと話す。
「真冬は、悪気はなくても、美代が『入れないでほしい』って言った砂糖や牛乳をハーブティーに入れて持っていっていた。美代から『もうお茶を持ってこないで』と言われるくらい、何度もだ。わかるか?」
「あ、はい」
「悪気はなくても、相手が嫌がることをしていたのなら、それは悪いことになるんだ。悪気はなくても、相手のためを思っていても、相手が嫌な気持ちになったら、それは悪いことなんだよ」
真冬は確か二十六歳のはず。なのに俺は幼女に言うようなことを言っている。その事実にくらくらした。
「でも、私ならお砂糖と牛乳入れてくれた方が、疲れが取れるしイライラに効くからいいと思ったんですけど?」
「あのな、真冬は美代じゃないだろ? 真冬と美代が同じ考え方をしているとは限らない。現に美代は『もう持ってこないで』って言ったんだよな?」
「でも、照れ隠しだと思ったんですけど?」
「なんで照れる必要があるんだよ」
「だって、顔採用した美人がお茶を持ってきたら、嬉しいじゃないですか?」
駄目だこりゃ。こいつ本当に自分のことしか考えていない。地球の地軸と引力は自分だと思っていやがる。
「真冬、一条家では、顔採用は、していない」
「そうですか? 淳蔵様のタイプじゃないってだけじゃないですか? だって面接官は直治様でしたし、直治様のタイプってことになりますよね?」
「ならない」
「なんでならないんですか?」
「逆に聞くが、なんで顔採用されたと思ってるんだ?」
「私が美人だからですけど?」
「その自信はどこからくるんだよ」
「だって、私が美人過ぎて、学生時代は誰も声をかけてこなかったんですよ? 高嶺の花っていうのもつらいんですけど?」
「あのなあ、相手の嫌なことをやって、それを指摘されても謝れないから、人が避けてんじゃないのか?」
「え、なんかそれ昔も言われた。嫉妬ですか?」
「はあ? 嫉妬?」
「私、高嶺の花なので、女子は悔しくて『調子乗んなブス』って言ってくるし、男子は私と付き合えないことに怒っちゃって無視とか色々。私、内面も良くて、明るくて優しくて気が利くから、人気者なんですよね。大学も、センター試験っていうのがあるってことを誰も教えてくれないから行けなくなったんですけど、本当は有名大学をトップで卒業できるくらい頭も良いので、よく嫉妬されるんですよね。私と仲良くすれば良いこといっぱいあるんですけどね。馬鹿とブスと貧乏人にはそれがわからないみたいです」
重症だ。
「真冬、結局、美代には謝らないのか?」
「いや、謝りたいんですけど?」
「じゃあ謝ってこいよ。自分がどう思ってるか、美代に素直に言ってきたらいい」
「あ、はい。どうやって謝ったらいいですかね?」
まさかとは思ったが、聞いてみる。
「一人じゃ心細いから、俺に着いて来てほしいのか?」
「あ、そこまでしなくていいです。でも、ちょっと軽く、私が謝ってたってこと伝えてもらったらいいかなって思うんですけど?」
「断る」
「なんでですか?」
「子供かお前は。ごめんなさいする時くらい一人でしろ」
面倒臭くなってしまった。都はちゃんと謝れたのに。
『淳蔵』
『はい』
『さっき、理不尽に怒って、言い過ぎて、ごめんなさい』
『えっ・・・』
『本当に、申し訳ありませんでした』
相手の目を見て話し、きちんと頭を下げて、自らの非を認める。それを『屈辱だ』と感じて謝れない人間の多いこと。真冬も、その一人。ちっぽけなプライド、ちっぽけな自尊心のために謝りたくないから、自分を正当化して現実逃避する。
「あの、どうやって謝ったらいいですかね?」
駄目だ。本当に、駄目だ。
「手紙でも書いたら?」
「手紙ってなんですか?」
「手紙は手紙だよ! 謝罪の手紙! 会話するのが難しいなら手紙に書くんだよ!」
「あ、はい。じゃあ書きます。ありがとうございました」
真冬が談話室を去っていく。それから数分、苛立った様子の直治が談話室に現れた。
「淳蔵、真冬見なかったか?」
「少し前まで談話室で話してたぞ」
「あいつ、勤務時間中になにやってんだ・・・」
「本人は休憩中って言ってたぞ」
「俺の事務室のノートパソコンにステッカー貼りやがったんだよあいつ!」
「ええっ?」
「千代と桜子がこんなことするはずないからな。どうせ下らねえ理由でやったんだ。ふざけやがって!」
「直治、ちょっと待て」
「なんだよ!」
「もう相手のことは『人間』だと思わない方がいいぞ」
直治の怒りは途端に鎮火した。
「『仕込み』のことだけ考えろ。あとちょっとだしな。次は都待望の『すき焼き』だ。家族全員で鍋を囲むって楽しみにしてるんだから、目に余ることだけなんとかして、あとは野放しにしとけ」
「・・・そうだな」
深い溜息を吐いて、直治は静かに談話室を出ていった。
「淳蔵様、お話いいですか?」
「休憩中か?」
「はい」
「ならいいぜ」
真冬は対面のソファーに座る。俺は雑誌を畳んだ。
「あの、美代様に謝りたいんです」
ハーブティーのことだろうか。だとしたら遅い。真冬が一条家に来てから一ヵ月と少し。つまり少なく見積もっても二週間は美代に謝っていないことになる。
「謝るって、なにを?」
「ハーブティーのことです」
「謝ったらいいじゃん」
「あの、絶対に美代様と仲良くしたいので、謝りたいんですけど?」
「だから、謝ったらいいだろ」
「どうやって謝ったらいいですかね?」
本当になんなんだこいつ。比較しちゃいけないのはわかってるが都はちゃんと謝れたのに。
「自分が悪いと思ってるところと、どうして悪いことをしてしまったのかっていう説明と、今後なにをすれば悪いことをしなくなるかっていう三つを考えて、謝ればいい」
「あ、はい。どうやって謝ったらいいですかね?」
これで知能に問題はないのか。精神の方にはありそうだが。
「まず、自分が悪いと思ってるところは、どこだ?」
「え、ないです」
「え? じゃあなんで謝るんだよ」
「美代様が怒ってるので」
「なんで怒ってると思うんだ?」
「私が淹れたハーブティーが不味かったからですけど?」
「不味いハーブティーを淹れたことは、悪いことだと思わないか?」
「あ、はい。悪気はなかったので」
もう頭が痛い。
「真冬、よーく聞けよ」
俺はいつもよりゆっくりと話す。
「真冬は、悪気はなくても、美代が『入れないでほしい』って言った砂糖や牛乳をハーブティーに入れて持っていっていた。美代から『もうお茶を持ってこないで』と言われるくらい、何度もだ。わかるか?」
「あ、はい」
「悪気はなくても、相手が嫌がることをしていたのなら、それは悪いことになるんだ。悪気はなくても、相手のためを思っていても、相手が嫌な気持ちになったら、それは悪いことなんだよ」
真冬は確か二十六歳のはず。なのに俺は幼女に言うようなことを言っている。その事実にくらくらした。
「でも、私ならお砂糖と牛乳入れてくれた方が、疲れが取れるしイライラに効くからいいと思ったんですけど?」
「あのな、真冬は美代じゃないだろ? 真冬と美代が同じ考え方をしているとは限らない。現に美代は『もう持ってこないで』って言ったんだよな?」
「でも、照れ隠しだと思ったんですけど?」
「なんで照れる必要があるんだよ」
「だって、顔採用した美人がお茶を持ってきたら、嬉しいじゃないですか?」
駄目だこりゃ。こいつ本当に自分のことしか考えていない。地球の地軸と引力は自分だと思っていやがる。
「真冬、一条家では、顔採用は、していない」
「そうですか? 淳蔵様のタイプじゃないってだけじゃないですか? だって面接官は直治様でしたし、直治様のタイプってことになりますよね?」
「ならない」
「なんでならないんですか?」
「逆に聞くが、なんで顔採用されたと思ってるんだ?」
「私が美人だからですけど?」
「その自信はどこからくるんだよ」
「だって、私が美人過ぎて、学生時代は誰も声をかけてこなかったんですよ? 高嶺の花っていうのもつらいんですけど?」
「あのなあ、相手の嫌なことをやって、それを指摘されても謝れないから、人が避けてんじゃないのか?」
「え、なんかそれ昔も言われた。嫉妬ですか?」
「はあ? 嫉妬?」
「私、高嶺の花なので、女子は悔しくて『調子乗んなブス』って言ってくるし、男子は私と付き合えないことに怒っちゃって無視とか色々。私、内面も良くて、明るくて優しくて気が利くから、人気者なんですよね。大学も、センター試験っていうのがあるってことを誰も教えてくれないから行けなくなったんですけど、本当は有名大学をトップで卒業できるくらい頭も良いので、よく嫉妬されるんですよね。私と仲良くすれば良いこといっぱいあるんですけどね。馬鹿とブスと貧乏人にはそれがわからないみたいです」
重症だ。
「真冬、結局、美代には謝らないのか?」
「いや、謝りたいんですけど?」
「じゃあ謝ってこいよ。自分がどう思ってるか、美代に素直に言ってきたらいい」
「あ、はい。どうやって謝ったらいいですかね?」
まさかとは思ったが、聞いてみる。
「一人じゃ心細いから、俺に着いて来てほしいのか?」
「あ、そこまでしなくていいです。でも、ちょっと軽く、私が謝ってたってこと伝えてもらったらいいかなって思うんですけど?」
「断る」
「なんでですか?」
「子供かお前は。ごめんなさいする時くらい一人でしろ」
面倒臭くなってしまった。都はちゃんと謝れたのに。
『淳蔵』
『はい』
『さっき、理不尽に怒って、言い過ぎて、ごめんなさい』
『えっ・・・』
『本当に、申し訳ありませんでした』
相手の目を見て話し、きちんと頭を下げて、自らの非を認める。それを『屈辱だ』と感じて謝れない人間の多いこと。真冬も、その一人。ちっぽけなプライド、ちっぽけな自尊心のために謝りたくないから、自分を正当化して現実逃避する。
「あの、どうやって謝ったらいいですかね?」
駄目だ。本当に、駄目だ。
「手紙でも書いたら?」
「手紙ってなんですか?」
「手紙は手紙だよ! 謝罪の手紙! 会話するのが難しいなら手紙に書くんだよ!」
「あ、はい。じゃあ書きます。ありがとうございました」
真冬が談話室を去っていく。それから数分、苛立った様子の直治が談話室に現れた。
「淳蔵、真冬見なかったか?」
「少し前まで談話室で話してたぞ」
「あいつ、勤務時間中になにやってんだ・・・」
「本人は休憩中って言ってたぞ」
「俺の事務室のノートパソコンにステッカー貼りやがったんだよあいつ!」
「ええっ?」
「千代と桜子がこんなことするはずないからな。どうせ下らねえ理由でやったんだ。ふざけやがって!」
「直治、ちょっと待て」
「なんだよ!」
「もう相手のことは『人間』だと思わない方がいいぞ」
直治の怒りは途端に鎮火した。
「『仕込み』のことだけ考えろ。あとちょっとだしな。次は都待望の『すき焼き』だ。家族全員で鍋を囲むって楽しみにしてるんだから、目に余ることだけなんとかして、あとは野放しにしとけ」
「・・・そうだな」
深い溜息を吐いて、直治は静かに談話室を出ていった。