六十九話 滅茶苦茶

文字数 2,899文字

雅の三者面談の日。俺と雅は校門で雅の祖父母を待っていた。タクシーでやって来た祖父母は、雅の母親の美雪の葬儀で会った時よりも老化が進んでいた。葬儀の時は二人共背筋をぴんと伸ばしていたのに、祖父は背を海老のように曲げ、祖母は杖をついていた。


「お久しぶりです。教育係の美代です」

「お爺ちゃん、お婆ちゃん、久しぶり!」

「美代さん、お久しぶりです。大きくなったね、雅。じゃあ、行こうか」


三者面談が始まる。雅の成績の良さなら〇〇会社の事務員になれるだろう、と教師が言う。俺、もとい一条家は雅の意志を尊重するというスタンスを貫き会話をする。祖父母は〇〇会社について根掘り葉掘り聞いた。町では有名な大手企業だと知ると、なにか納得したように頷いていた。三者面談は問題なく終わった。

近くのコインパーキングで待機している淳蔵を携帯で呼び出す。やって来た淳蔵は車から降りると、礼をした。


「お久しぶりです。運転手の淳蔵です」

「お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」

「どうぞ」


淳蔵が後部座席のドアを開ける。雅と祖父母が乗り込み、俺は助手席に座った。淳蔵が車を走らせる。道中、会話は無かった

館の入り口では都と直治が待っていた。館の前に車を停め、淳蔵が後部座席のドアを開け、祖父母が降りる。


「初めまして、一条都です。よろしくお願いします」

「直治です。よろしくお願いします」

「お世話になっております。半田勉です。こちらは妻の雪です。よろしくお願いします」

「どうぞ」


都が談話室に案内する。車を駐車場に停めてきた淳蔵が遅れて参加し、千代が冷たい麦茶を持ってきて、全員に配った。


「雅、どうして進学じゃなくて就職にしたんだい?」

「え? だってお爺ちゃん、『進学させられるお金は無い』って言ってたじゃん。だからバリバリ働いてお金を貯めて、自分で大学に行こうと思ったの」

「奨学金があるじゃないか」

「ええ? 『奨学金は借金と同じだから駄目だ』って言ったのもお爺ちゃんじゃん」

「おや、そうだったかね。ボケて忘れてしまったよ」

「しっかりしてよね」


なんだ。なんか嫌な予感がするぞ。都はいつも通り上品な笑みを浮かべている。俺は淳蔵に視線を投げた。淳蔵も頷く。直治にも視線を投げる。直治も頷いた。


「雅、ちょっと大人の話をするから席を外しておくれ」

「都さん、庭で千代とジャスミンと遊んでていいですか?」

「いいわよ」

「じゃあ、行ってきます」


雅が千代とジャスミンを連れて館の外に出た。それまで、如何にも害のない老人です、という笑みを浮かべていた祖父母から、笑みが消えた。


「幸せそうに暮らしているんですな。いや、週に一度の電話の時に、いつも楽しそうに話してくれていましたので、心配はしていなかったのですがね。でもね、都さん。いくらここが居心地が良いからって、大型連休があるのに、血の繋がっている祖父母の家に帰さない、というのはどうかと思うんです」

「私は帰るように諭しましたよ。ここで過ごすことを決めたのは雅さんですし、ちゃんとお爺様とお婆様にも許可をとったと言っていましたよ?」

「今更帰ってこられてもどう接していいかわかりませんよ。それに、じじばばの狭くて汚い家より、家政婦を雇って綺麗にしている大きな家に居たがるのは当たり前でしょう。ここは三階建てで、一階は宿泊施設になっていて、客室が十六部屋もあるそうじゃないですか。広い食堂に広い談話室。台所なんて学校の家庭科室より広いと言っていましたよ。書斎だって図書室顔負けだと」


俺はイラッとした。このジジイ、自分が言ったこともわからないのか? どうしてこんな矛盾したことを言えるんだ?


「二階と三階は家族の空間だそうですね。空き部屋は倉庫にして、トレーニングルームも完備してあるとか。部屋はホテル並みで、部屋の中にバスタブとシャワーとトイレ、乾燥機付き洗濯機もあるとか。ベランダもね。部屋が広いので冷蔵庫やポット、電子レンジも置いているそうじゃないですか。こんなに甘やかしてしまったら、一人暮らしできないじゃないですか」

「我が家では基本、自分の部屋のものは自分で綺麗にするルールがありまして、掃除と洗濯は自分でやらせていますよ。勿論、私もです。料理は当番制ですけれど、就職活動が落ち着いたら雅さんにも料理を教える予定ですから、一人暮らしの練習は十分できていると思います」

「家政婦が居るのに自分でやらせているんですか?」


淳蔵の口角がヒクヒクしている。俺は耳にかけている髪をかけ直した。直治は膝に置いた手をギリギリと握っている。


「将来のことも心配ですよ。美雪みたいに子供を産んで幸せな家庭を築いてもらいたいのに、葬儀に出席できない程の仕事人間の貴方をお手本にしたら、雅は一生、結婚できませんよ。なにより、貴方の息子達です。ホストクラブですかここは? 目が肥えて普通の男に反応しなくなってしまうでしょう。困ったものです」

「私にはなにを言っても構いませんけれど、息子達を侮辱するのはやめてください」


祖父は吃驚して黙った。


「いや、貴方と喧嘩をしに来たわけじゃない。お願いがあって来たんです」


お前から吹っ掛けておいてなに言ってんだ。


「なんでしょう?」

「雅を大学に行かせたいのです。資金援助していただきたい」


俺達はぽかんとしてしまった。祖母はずっと黙ってニコニコしている。


「お断りします」

「何故です? 人の手から掻っ攫って十八年間も育てたら、情がわくでしょう。最後まで面倒を見るのが筋ってものじゃありませんか?」

「すみません、仰っている意味がちょっと」

「貴方は聡明な方だと聞いておりましたが、違うようですな」

「私も同意見です」

「雅が就職したらこの館から追い出すつもりですか?」

「追い出すだなんてとんでもない。一人暮らしを始める支援はキッチリさせていただきますよ」

「具体的に仰ってください」

「女の子ですから、オートロックのマンションを探します。敷金などは私がお支払いしますし、家具は新しいものを買い与えるつもりです」

「それだけ?」


そ、それだけ!? それだけってなんだ!?


「十分だと思いますけれど?」

「話にならん。可愛いところだけ味わって、可愛くなくなったら追い出すのですね。話になりません。タクシーを呼んでください。帰ります」

「わかりました。淳蔵、タクシーを」

「はい」


淳蔵がタクシーを呼ぶ。


「ニ十分程程で来るそうです」

「では後日、タクシーの領収書を、」

「そんなものない! 五万寄こせ!」


都は黙って、財布から五万円を出してテーブルに置いた。祖父がそれを掻っ攫うと、祖母が自分の麦茶を都の顔にぶっかけた。


「なっ!?」

「やめなさい」


都の声に、立ち上がった俺達は渋々座る。祖父母はすたすたと歩いて談話室を出て行った。都の一番近くに座っていた直治がハンカチを取り出し、都の顔を拭く。


「直治、ありがとう」

「いえ・・・」

「今まで何度か電話したことあるんだけどね。まさかここまで滅茶苦茶だったとは。このことは雅さんには内緒にしておいてね。私、疲れたから寝る。誰も邪魔しないで」


都は談話室を出て行ってしまった。俺達は顔を見合わせ、深い溜息を吐いた。
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