百五十話 もしも
文字数 2,063文字
「まずいな俺達」
「非常にまずい」
俺は直治の部屋で酒を飲んでいた。
「俺、雅が死んだ時に、頭踏んじゃったよ・・・」
「俺も止めなかったから共犯だよ・・・」
二人して溜息を吐く。
「ブチギレて叩いたこともあるし、俺が一番邪険に扱ってたし・・・」
「お前は勉強みてやったりあれこれ世話を焼いてやってただろ。俺はなにも・・・」
沈黙が重い。
「まさか雅にあんなに入れ込んでいただなんて・・・」
本当はわかっていた。でも、認めたくなくて、気付かない振りを、わからない振りをしていた。
「身代わりとして育てている頃から、情がわいていたんだろうな。『懐かせるのが目的だから』と言って、母親の美雪が面倒見られない時は、都が率先して面倒を見ていたが、その時には、もう・・・」
直治がそう言う。俺は酒を煽った。
「俺、正直、雅に嫉妬してた」
「・・・俺も嫉妬してた」
「俺達がこんなんだから、ジャスミンがおちょくるんだろうな・・・」
「・・・はあー。あとで千代も慰めに行かないと」
カンカン。
窓の外に鴉が一羽。アメジスト色の瞳が輝いている。淳蔵だ。直治が中に入れる。
『都、酒飲んで寝たぞ』
「少しは落ち着いたか?」
『んー、どうだろうなァ。ずぶ濡れだった時よりは大分落ち着いてるけど、まだ危ういかもしれん』
淳蔵の言葉に、身体の奥底から良くない感情がざわざわと沸き起こってきて、不安になる。
『自分が雅を身代わりにしなければ、雅が幸せに生きられたんじゃないかって考えが堂々巡りしてるみたいだ』
淳蔵はカリカリと片足で頭を掻く。
『まっ、時薬だな』
淳蔵は直治の足を伝ってベッドの上によじ登る。直治がグラスを差し出すと、嘴をちょこっと入れて酒を飲んだ。
『お前ら辛気臭い顔すんな。いつも通りにしろ。都が引っ張られるだろ』
「う・・・、そうだな・・・」
「・・・俺、千代のところ行って慰めてくる」
「直治、部屋でもうちょっと飲んでていいか?」
「いいぞ。鍵も開けっ放しで帰っていいから。それじゃ」
直治は千代に会いに、部屋を出ていった。
「淳蔵」
『ん?』
「俺・・・」
言葉が出てこない。なにを言いたいのか。
「俺・・・」
『無理に喋んな』
「・・・悪い」
酒を煽る。
『なあ、雅のヤツ、幸せだったと思うか?』
俺は苛ついた。
「あッたりまえだろ。十三までは実の母親に育てられて、そのあとは都が母親代わりだ。貧乏で困ったこともない。身代わりの役目を果たして有り余る程幸せだっただろ」
『うーん、都にはそこがわかんないんだよなァ』
「優し過ぎるんだよ、都は・・・。人間なんて使い捨てればいいのに・・・」
『俺もそう思う』
淳蔵がつんつんと嘴でグラスをつつく。俺はグラスを傾けて、淳蔵に酒を飲ませた。
『俺さ、『無償の愛情』なんてモノは、存在しないと思うんだよな。俺もお前も直治も、都を好きになったのには理由があるだろ?』
「・・・まあ、そうだな」
『都もだよ。良心の呵責、罪悪感、同情。そこから始まっちまうモンもある。そういうのを優しさって呼ぶんなら、都は確かに優しい女だよ』
「冒涜だぞ」
『宗教やめろや』
「うるせー、続けろ」
『都は、いろんなモノを持ってる。生まれ持った才能ってモノも、努力して勝ち取ったモノも、運良く手に入ったモノも。雅もその一つだ。雅も都の所有物の一つに過ぎない』
少し間を置く。
『『もしも』の話だけど、都が雅を『身代わりだ』と割り切って、愛情を抱かずに育てていたら、ガキ特有の鋭さで雅がそれを見抜いて、十五歳の誕生日が来る前に館を出て、血の繋がりのある祖父母と暮らしていたかもしれない。そう考えると、この結末が一番良かったんだよ。都にとっても雅にとっても、俺達にとっても、な』
「・・・そう、だな」
『都は一度『こうだ』と決めたら、視野が、こう、せまァくなっちまう人間だからな。思い込みが激しい年頃のガキみてぇなところあるからよ』
「冒涜だっつってんだろ生きたまま貪り喰うぞ」
『宗教やめろっつの。芯が強い女だって言いたいんだよ。だからこそ、ショックな出来事があると自分だけを責めちまって、許容量を超えると爆発して、不安定になる。思い込みの激しい年頃のガキみてぇだろうがよ』
「・・・永遠の十五歳だからな」
『思春期真っただ中だな。おじさん達が優しく励まして見守ってあげるしかないだろ?』
「おじさんっていうかもうお爺さんの域だけどな」
『違いない』
淳蔵は笑った。
『さて、俺はパトロールしてくるわ。都が起きたら酒じゃなくて飯で腹を膨らませるように説得するからよ』
「頼むぜ兄貴」
『じゃあな弟よ』
俺は窓を開けて、淳蔵を外に出す。飛び立っていったのを確認すると窓を閉めて鍵をかけた。グラスと酒を片付けるためにキッチンに向かう。
「・・・俺が思ってる程、都は完璧じゃ、ない」
薄っすらと感じていたこと。
そして目を逸らしていたこと。
その事実を再確認させられた。
「・・・俺が守ってあげなきゃ」
守られるだけの可愛い美代は、もう居ないんだ。
俺は一条家の次男、一条美代だ。
都は強い。いつか雅の死も乗り越える。
でも、今だけは、泣いてしまう弱い都にそっと寄り添おう。
「非常にまずい」
俺は直治の部屋で酒を飲んでいた。
「俺、雅が死んだ時に、頭踏んじゃったよ・・・」
「俺も止めなかったから共犯だよ・・・」
二人して溜息を吐く。
「ブチギレて叩いたこともあるし、俺が一番邪険に扱ってたし・・・」
「お前は勉強みてやったりあれこれ世話を焼いてやってただろ。俺はなにも・・・」
沈黙が重い。
「まさか雅にあんなに入れ込んでいただなんて・・・」
本当はわかっていた。でも、認めたくなくて、気付かない振りを、わからない振りをしていた。
「身代わりとして育てている頃から、情がわいていたんだろうな。『懐かせるのが目的だから』と言って、母親の美雪が面倒見られない時は、都が率先して面倒を見ていたが、その時には、もう・・・」
直治がそう言う。俺は酒を煽った。
「俺、正直、雅に嫉妬してた」
「・・・俺も嫉妬してた」
「俺達がこんなんだから、ジャスミンがおちょくるんだろうな・・・」
「・・・はあー。あとで千代も慰めに行かないと」
カンカン。
窓の外に鴉が一羽。アメジスト色の瞳が輝いている。淳蔵だ。直治が中に入れる。
『都、酒飲んで寝たぞ』
「少しは落ち着いたか?」
『んー、どうだろうなァ。ずぶ濡れだった時よりは大分落ち着いてるけど、まだ危ういかもしれん』
淳蔵の言葉に、身体の奥底から良くない感情がざわざわと沸き起こってきて、不安になる。
『自分が雅を身代わりにしなければ、雅が幸せに生きられたんじゃないかって考えが堂々巡りしてるみたいだ』
淳蔵はカリカリと片足で頭を掻く。
『まっ、時薬だな』
淳蔵は直治の足を伝ってベッドの上によじ登る。直治がグラスを差し出すと、嘴をちょこっと入れて酒を飲んだ。
『お前ら辛気臭い顔すんな。いつも通りにしろ。都が引っ張られるだろ』
「う・・・、そうだな・・・」
「・・・俺、千代のところ行って慰めてくる」
「直治、部屋でもうちょっと飲んでていいか?」
「いいぞ。鍵も開けっ放しで帰っていいから。それじゃ」
直治は千代に会いに、部屋を出ていった。
「淳蔵」
『ん?』
「俺・・・」
言葉が出てこない。なにを言いたいのか。
「俺・・・」
『無理に喋んな』
「・・・悪い」
酒を煽る。
『なあ、雅のヤツ、幸せだったと思うか?』
俺は苛ついた。
「あッたりまえだろ。十三までは実の母親に育てられて、そのあとは都が母親代わりだ。貧乏で困ったこともない。身代わりの役目を果たして有り余る程幸せだっただろ」
『うーん、都にはそこがわかんないんだよなァ』
「優し過ぎるんだよ、都は・・・。人間なんて使い捨てればいいのに・・・」
『俺もそう思う』
淳蔵がつんつんと嘴でグラスをつつく。俺はグラスを傾けて、淳蔵に酒を飲ませた。
『俺さ、『無償の愛情』なんてモノは、存在しないと思うんだよな。俺もお前も直治も、都を好きになったのには理由があるだろ?』
「・・・まあ、そうだな」
『都もだよ。良心の呵責、罪悪感、同情。そこから始まっちまうモンもある。そういうのを優しさって呼ぶんなら、都は確かに優しい女だよ』
「冒涜だぞ」
『宗教やめろや』
「うるせー、続けろ」
『都は、いろんなモノを持ってる。生まれ持った才能ってモノも、努力して勝ち取ったモノも、運良く手に入ったモノも。雅もその一つだ。雅も都の所有物の一つに過ぎない』
少し間を置く。
『『もしも』の話だけど、都が雅を『身代わりだ』と割り切って、愛情を抱かずに育てていたら、ガキ特有の鋭さで雅がそれを見抜いて、十五歳の誕生日が来る前に館を出て、血の繋がりのある祖父母と暮らしていたかもしれない。そう考えると、この結末が一番良かったんだよ。都にとっても雅にとっても、俺達にとっても、な』
「・・・そう、だな」
『都は一度『こうだ』と決めたら、視野が、こう、せまァくなっちまう人間だからな。思い込みが激しい年頃のガキみてぇなところあるからよ』
「冒涜だっつってんだろ生きたまま貪り喰うぞ」
『宗教やめろっつの。芯が強い女だって言いたいんだよ。だからこそ、ショックな出来事があると自分だけを責めちまって、許容量を超えると爆発して、不安定になる。思い込みの激しい年頃のガキみてぇだろうがよ』
「・・・永遠の十五歳だからな」
『思春期真っただ中だな。おじさん達が優しく励まして見守ってあげるしかないだろ?』
「おじさんっていうかもうお爺さんの域だけどな」
『違いない』
淳蔵は笑った。
『さて、俺はパトロールしてくるわ。都が起きたら酒じゃなくて飯で腹を膨らませるように説得するからよ』
「頼むぜ兄貴」
『じゃあな弟よ』
俺は窓を開けて、淳蔵を外に出す。飛び立っていったのを確認すると窓を閉めて鍵をかけた。グラスと酒を片付けるためにキッチンに向かう。
「・・・俺が思ってる程、都は完璧じゃ、ない」
薄っすらと感じていたこと。
そして目を逸らしていたこと。
その事実を再確認させられた。
「・・・俺が守ってあげなきゃ」
守られるだけの可愛い美代は、もう居ないんだ。
俺は一条家の次男、一条美代だ。
都は強い。いつか雅の死も乗り越える。
でも、今だけは、泣いてしまう弱い都にそっと寄り添おう。