四十二話 罵倒
文字数 1,829文字
「美代様ァ! お化粧教えてくーださい!」
俺は笑顔を維持するのがキツくて、思わず深呼吸した。
「休憩中?」
「非番です!」
「あのね、俺の貴重な時間をね、君はね」
「ワンポイントアドバイスとかでいいんでェ!」
「どうしてそう・・・はあ、雅には内緒だよ・・・」
「はい!」
千代は猫のような顔をしているので、キツくなりすぎず、愛らしさがでるような化粧のアドバイスをしてやる。物事の飲み込みは意外と早い方なので、教えている間はあまりストレスにはならなかった。寧ろ、ぽんぽんと言葉が出てくるのを面白く思う。ジャスミンが気に入る理由が少しわかったような気がする。
「おお、ちょっと工夫するだけで変わりますねェ」
「服もお洒落してるみたいだけど、出掛けるのかい?」
「はい! 淳蔵様に連れて行ってもらって、ちょっと麓の町へ」
「え? 淳蔵が?」
「雅さんの高校入学のお祝いをなにか買おうかなーと思いまして。ああ、淳蔵様にとっては私はあくまで、つ、い、で、ですよォ。コンビニで新発売された甘いものを、都様のために買いに行くそうですから!」
「ふーん。デートだね」
「そう見られても淳蔵様が恥ずかしくないようにと思いまして、お顔も美代様のアドバイスを」
お、気が利くじゃん。
「小鳥さん、今、歳幾つ?」
「二十九歳です! 今年最後の二十代なんですよォ」
「じゃ、あと七十年は頑張ってもらわないとね」
「ひゃ、ひゃくねん・・・?」
俺は千代を送り出す。暫く仕事に集中していると、カリカリカリ、とジャスミンがドアを引っ掻く音がした。ドアを開けて入れてやる。
「なんだよ。俺は顔は舐めさせないぞ」
オテ、オカワリ、オテ、オカワリ。
「なにしてんだよ・・・」
呆れた。なにか機嫌が良いらしい。
『ジャスミーン、ジャースミーン?』
都がジャスミンを探している。
「・・・まさか隠れてるのか? 悪いけど俺は都優先だから」
廊下に出て、開けているドアをこんこんとノックする。ちょっと遠くに居た都がすぐに気付いて近寄ってきた。
「ここに居るよ」
「ああ! よかった。爪切りしてたら逃げちゃって」
「どうぞお入りください」
「お構いなくぅ」
俺は椅子に座ってパソコンに向き直り、都が後ろでジャスミンの爪を切る。ぱち、ぱち、という音が規則的に鳴る。
「ジャスミン、どうして爪切りから逃げちゃうの。貴方、ドアを引っ掻くからあっちこっち傷だらけになって、じっとしなさい。お友達と遊ぶ時も爪が伸びてたら困るでしょ。じーっとしてなさい。じーっと。あとちょっとだから。美代にまで迷惑かけて、こ、このっ、なんでそんなに力が強いのっ、こらっ!」
「おさえようか?」
「いいっ、いいっ。あと一本だからっ、・・・よし!」
のしのしと身体を揺らしてジャスミンは出て行った。都は這いつくばってジャスミンの爪を集めている。
「み、都」
「ん?」
「なんていうかちょっと、館の女主人が這いつくばって犬の爪拾ってるってのは」
「え、駄目?」
「ちょっとエロいシチュエーションなんじゃないですかね?」
「・・・そうかなぁ?」
都が幼児のように這ってドアを閉める。
「いや、俺は、あの、なんていうかちょっと」
「うん?」
つつ、と俺の太腿の上に都が指を滑らせる。
「ス、ストレス溜まってるせいかな、考えすぎかも」
「そうですねえ、若い女の子が二人もいるのに、こんなおばさん相手に、ねえ」
「そ、そんなことない」
何故だか物凄く興奮している。後頭部をがつんと殴られた気分だ。くらくらする。そういえば最近、ちょっと忙しくて、都が相手をしてくれていない。皆、溜まっている。俺だけ、俺だけ、いいか?
「か、可愛いよ、都」
「可愛いのは美代の方でしょ」
やばい。完全にそういう雰囲気だ。鍵をかけたい。淳蔵と千代は居ない。でも直治と雅が、ど、どうし、
『都さーんっ!! みーやーこーさーんー!!』
「あ??」
雅が都を呼んでいる。俺達は数秒、黙って見つめ合った。都が、俺にではなく、雅に向けたであろう嫌悪で表情を歪ませる。
「ッチ、あのクソガキ・・・」
初めて聞く低い声でそう言って立ち上がると、事務室から出て行った。
「・・・や、」
やばい。間接的に罵倒された気分だ。都に罵倒されるなんて考えただけで気が狂いそうになるほど悲しいのに、同時に酷く興奮している自分が居る。
「や、やばい」
心臓のドキドキが止まらない。いっそ吐きそうだった。都は優しいから、罵倒を楽しむなんてことはできない。だから、俺を見ながら雅に向けられた心からの罵倒が、震えるほど気持ち良かった。
俺は笑顔を維持するのがキツくて、思わず深呼吸した。
「休憩中?」
「非番です!」
「あのね、俺の貴重な時間をね、君はね」
「ワンポイントアドバイスとかでいいんでェ!」
「どうしてそう・・・はあ、雅には内緒だよ・・・」
「はい!」
千代は猫のような顔をしているので、キツくなりすぎず、愛らしさがでるような化粧のアドバイスをしてやる。物事の飲み込みは意外と早い方なので、教えている間はあまりストレスにはならなかった。寧ろ、ぽんぽんと言葉が出てくるのを面白く思う。ジャスミンが気に入る理由が少しわかったような気がする。
「おお、ちょっと工夫するだけで変わりますねェ」
「服もお洒落してるみたいだけど、出掛けるのかい?」
「はい! 淳蔵様に連れて行ってもらって、ちょっと麓の町へ」
「え? 淳蔵が?」
「雅さんの高校入学のお祝いをなにか買おうかなーと思いまして。ああ、淳蔵様にとっては私はあくまで、つ、い、で、ですよォ。コンビニで新発売された甘いものを、都様のために買いに行くそうですから!」
「ふーん。デートだね」
「そう見られても淳蔵様が恥ずかしくないようにと思いまして、お顔も美代様のアドバイスを」
お、気が利くじゃん。
「小鳥さん、今、歳幾つ?」
「二十九歳です! 今年最後の二十代なんですよォ」
「じゃ、あと七十年は頑張ってもらわないとね」
「ひゃ、ひゃくねん・・・?」
俺は千代を送り出す。暫く仕事に集中していると、カリカリカリ、とジャスミンがドアを引っ掻く音がした。ドアを開けて入れてやる。
「なんだよ。俺は顔は舐めさせないぞ」
オテ、オカワリ、オテ、オカワリ。
「なにしてんだよ・・・」
呆れた。なにか機嫌が良いらしい。
『ジャスミーン、ジャースミーン?』
都がジャスミンを探している。
「・・・まさか隠れてるのか? 悪いけど俺は都優先だから」
廊下に出て、開けているドアをこんこんとノックする。ちょっと遠くに居た都がすぐに気付いて近寄ってきた。
「ここに居るよ」
「ああ! よかった。爪切りしてたら逃げちゃって」
「どうぞお入りください」
「お構いなくぅ」
俺は椅子に座ってパソコンに向き直り、都が後ろでジャスミンの爪を切る。ぱち、ぱち、という音が規則的に鳴る。
「ジャスミン、どうして爪切りから逃げちゃうの。貴方、ドアを引っ掻くからあっちこっち傷だらけになって、じっとしなさい。お友達と遊ぶ時も爪が伸びてたら困るでしょ。じーっとしてなさい。じーっと。あとちょっとだから。美代にまで迷惑かけて、こ、このっ、なんでそんなに力が強いのっ、こらっ!」
「おさえようか?」
「いいっ、いいっ。あと一本だからっ、・・・よし!」
のしのしと身体を揺らしてジャスミンは出て行った。都は這いつくばってジャスミンの爪を集めている。
「み、都」
「ん?」
「なんていうかちょっと、館の女主人が這いつくばって犬の爪拾ってるってのは」
「え、駄目?」
「ちょっとエロいシチュエーションなんじゃないですかね?」
「・・・そうかなぁ?」
都が幼児のように這ってドアを閉める。
「いや、俺は、あの、なんていうかちょっと」
「うん?」
つつ、と俺の太腿の上に都が指を滑らせる。
「ス、ストレス溜まってるせいかな、考えすぎかも」
「そうですねえ、若い女の子が二人もいるのに、こんなおばさん相手に、ねえ」
「そ、そんなことない」
何故だか物凄く興奮している。後頭部をがつんと殴られた気分だ。くらくらする。そういえば最近、ちょっと忙しくて、都が相手をしてくれていない。皆、溜まっている。俺だけ、俺だけ、いいか?
「か、可愛いよ、都」
「可愛いのは美代の方でしょ」
やばい。完全にそういう雰囲気だ。鍵をかけたい。淳蔵と千代は居ない。でも直治と雅が、ど、どうし、
『都さーんっ!! みーやーこーさーんー!!』
「あ??」
雅が都を呼んでいる。俺達は数秒、黙って見つめ合った。都が、俺にではなく、雅に向けたであろう嫌悪で表情を歪ませる。
「ッチ、あのクソガキ・・・」
初めて聞く低い声でそう言って立ち上がると、事務室から出て行った。
「・・・や、」
やばい。間接的に罵倒された気分だ。都に罵倒されるなんて考えただけで気が狂いそうになるほど悲しいのに、同時に酷く興奮している自分が居る。
「や、やばい」
心臓のドキドキが止まらない。いっそ吐きそうだった。都は優しいから、罵倒を楽しむなんてことはできない。だから、俺を見ながら雅に向けられた心からの罵倒が、震えるほど気持ち良かった。