百六十六話 ただいまぁ
文字数 2,305文字
プライベート用の携帯に美代から着信が入った。珍しい。
「はい、一条直治です」
『美代です。今さ、中畑、なにしてる?』
「千代に教えられて晩飯作ってるが、なにかあったのか?」
『俺、誘拐されちゃった』
「・・・で、携帯で電話かけてくるってことは抜け出してるんだな?」
『そー。でさ、俺を襲ってきたの、男二人と女二人なんだけど、中畑の手下だって白状したんだよ』
「なッ、マジか・・・」
『ごめん、顔を殴られたからイラッときて、三人殺しちゃった。女は残ってるよ。詳しく話すね・・・』
美代はなにがあったのか詳細に語る。
『・・・ってわけ』
「うーん、都に言ったら中畑をブチ殺しかねないな」
『そう思って直治に電話したんだ。悪いんだけど、淳蔵と一緒に都を止めてくれよ。俺、自分で運転して帰れるから気にしないで』
「そうはいかんだろ」
『あはは、ありがとう。ま、女はトランクに詰めて大人しくさせとくから、喰うか警察に突き出すか利用するかは都に決めてもらおう。それじゃ』
「おう」
電話が切れる。俺は自室に居る淳蔵を呼び出して都の部屋に行き、美代のことを伝えた。都は静かに激怒していて、平静を装うために完璧な笑顔を作りながらも、額の血管がメキメキと盛り上がっていた。俺も淳蔵も息を呑む。
「直治、千代さんと中畑さんには先に食事を摂ってもらうように。そのあとは部屋から出ないように伝えて」
「わかりました」
「私、玄関で美代を待つから」
都が椅子から立ち上がる。
「一緒に待ちます」
「俺も待ちます」
「ありがとう。それじゃ・・・」
三人で部屋を出る。都と淳蔵はそのまま玄関ホールへ、俺はキッチンに向かった。
「あっ、直治さん! 食事ができたので皆さんをお呼びしようと思っていたところですゥ!」
「悪い、二人共。ちょっと急用ができちまった。食事を摂ったら仕事は上がってもらって構わないから、夜は自室から出ないようにしてもらえるか?」
中畑がにやっと笑う。
「わかりましたァ! お疲れ様です!」
「お疲れ様でーす」
「・・・お疲れ様」
玄関に行く。
「直治」
「はい」
「あの馬鹿娘、言うことを聞かずに様子を見に来るでしょうね」
振り返った都は、やはり激怒している。
「反応を見て決めましょうか」
「はい」
暫く待つ。都の想定通り、中畑が自室がある二階から階段を降りてきて、玄関ホールで待っている俺達に近付いてきた。
「あれ? なにしてるンですか?」
「人を待っているの。それより、直治に『部屋から出るな』と言われなかったかしら?」
「ちょっと喉が渇いちゃって。キッチンで水を飲んだらすぐ部屋に戻ります」
「そう。水差しに水を汲み忘れないようにね」
「そンなに怒らなくってもいいじゃないですかぁ。なンでそンなに怒ってるンですか? 私に洗面台やトイレの手洗いの水を飲めって言うンですか?」
「早く部屋に戻りなさい」
「はあい。すみませえン」
中畑はキッチンに行ったっきり、帰ってこない。ちら、と玄関ホールからキッチンまで真っ直ぐ伸びている廊下の方に視線をやると、ひょこ、と顔を覗かせてじーっとこちらを見ていた。
がちゃ。
玄関の大きなドアが開く。酸化して赤茶色くなった血で全身を染めた美代が、にこにこ顔で帰ってきた。
「ただいまぁ」
「美代!」
抱き着こうとした都を、美代が肩を押し返して留める。
「駄目駄目、汚れちゃうから」
「そんなこと・・・」
「俺なんかのために泣いたりしちゃ駄目だよ」
「馬鹿なこと言わないの!」
淳蔵がハンカチを都に渡す。都は大人しく受け取って、涙を拭いた。
「美代、腹減ってるだろ。飯食え」
美代の返答を待たず、淳蔵がすたすたと食堂に向かって歩いていく。キッチンから外に出る方法は三つ。キッチンからそのまま廊下に出るか、キッチンと繋がっている食堂に移動して食堂から外に出るか、キッチンから裏庭に繋がっているドアから出るか。
キッチンと食堂はそれぞれ両開きのドアがあるが、鍵は掛かっておらず常に開け放たれている。また、キッチンと食堂を繋ぐスライド式のドアもあり、こちらは鍵が無いので自由に行き来が可能だ。
キッチンから裏庭に出られる小さなドアは内鍵でのみ開けられるが、中畑が万が一にも脱走したら困るので、ドアガードに細工をして『コツ』を知らないと出られないようになっている。
ガチャン! ガチャガチャ!
キッチンから、ドアと格闘している音が聞こえる。淳蔵が食堂の中に入っていった。俺と美代は都の後ろを歩いてキッチンまで行く。キッチンの中に入ると、裏庭に続くドアの前で顔を青くした中畑が小さく縮こまって震えているのを、淳蔵が無表情で見下ろしていた。
「あ・・・あ・・・」
「どうしたの? 中畑さん」
美代が中畑に歩み寄り、顔を覗き込むようにしゃがむ。
「俺の顔になにかついてる?」
蕩けるような低い声で美代が囁いた。
「美代、お風呂に入って服を着替えてきなさい」
「はあい」
「淳蔵と直治も夕食はまだでしょう? 美代が戻ってくるまでの間に料理を温め直して、皆でいただきましょう。それと、中畑さん」
ヒュッ、と中畑が息を呑む。
「これも『勉強』だわ。直治に教わって料理の温め方を習いなさい。夕食には貴方も同席するように。いいわね?」
中畑は顔をぶるぶると横に振る。都は笑ったまま、食器棚からコップを取り出して水を汲むと、中畑の頭に注ぐように振りかける。
「ほら、喉は潤ったでしょう? 夕食には貴方も同席するように。いいわね?」
バギャンッ! と形容し難い音が鳴った。都が素手でコップを粉砕した音だ。都が指をくねくねと動かすと、ガラスの破片が廊下から入ってくる薄明りに照らされてきらきらと輝き、落ちていく。中畑はびしょ濡れの顔で泣きながら笑顔を作り、頷いた。
「はい、一条直治です」
『美代です。今さ、中畑、なにしてる?』
「千代に教えられて晩飯作ってるが、なにかあったのか?」
『俺、誘拐されちゃった』
「・・・で、携帯で電話かけてくるってことは抜け出してるんだな?」
『そー。でさ、俺を襲ってきたの、男二人と女二人なんだけど、中畑の手下だって白状したんだよ』
「なッ、マジか・・・」
『ごめん、顔を殴られたからイラッときて、三人殺しちゃった。女は残ってるよ。詳しく話すね・・・』
美代はなにがあったのか詳細に語る。
『・・・ってわけ』
「うーん、都に言ったら中畑をブチ殺しかねないな」
『そう思って直治に電話したんだ。悪いんだけど、淳蔵と一緒に都を止めてくれよ。俺、自分で運転して帰れるから気にしないで』
「そうはいかんだろ」
『あはは、ありがとう。ま、女はトランクに詰めて大人しくさせとくから、喰うか警察に突き出すか利用するかは都に決めてもらおう。それじゃ』
「おう」
電話が切れる。俺は自室に居る淳蔵を呼び出して都の部屋に行き、美代のことを伝えた。都は静かに激怒していて、平静を装うために完璧な笑顔を作りながらも、額の血管がメキメキと盛り上がっていた。俺も淳蔵も息を呑む。
「直治、千代さんと中畑さんには先に食事を摂ってもらうように。そのあとは部屋から出ないように伝えて」
「わかりました」
「私、玄関で美代を待つから」
都が椅子から立ち上がる。
「一緒に待ちます」
「俺も待ちます」
「ありがとう。それじゃ・・・」
三人で部屋を出る。都と淳蔵はそのまま玄関ホールへ、俺はキッチンに向かった。
「あっ、直治さん! 食事ができたので皆さんをお呼びしようと思っていたところですゥ!」
「悪い、二人共。ちょっと急用ができちまった。食事を摂ったら仕事は上がってもらって構わないから、夜は自室から出ないようにしてもらえるか?」
中畑がにやっと笑う。
「わかりましたァ! お疲れ様です!」
「お疲れ様でーす」
「・・・お疲れ様」
玄関に行く。
「直治」
「はい」
「あの馬鹿娘、言うことを聞かずに様子を見に来るでしょうね」
振り返った都は、やはり激怒している。
「反応を見て決めましょうか」
「はい」
暫く待つ。都の想定通り、中畑が自室がある二階から階段を降りてきて、玄関ホールで待っている俺達に近付いてきた。
「あれ? なにしてるンですか?」
「人を待っているの。それより、直治に『部屋から出るな』と言われなかったかしら?」
「ちょっと喉が渇いちゃって。キッチンで水を飲んだらすぐ部屋に戻ります」
「そう。水差しに水を汲み忘れないようにね」
「そンなに怒らなくってもいいじゃないですかぁ。なンでそンなに怒ってるンですか? 私に洗面台やトイレの手洗いの水を飲めって言うンですか?」
「早く部屋に戻りなさい」
「はあい。すみませえン」
中畑はキッチンに行ったっきり、帰ってこない。ちら、と玄関ホールからキッチンまで真っ直ぐ伸びている廊下の方に視線をやると、ひょこ、と顔を覗かせてじーっとこちらを見ていた。
がちゃ。
玄関の大きなドアが開く。酸化して赤茶色くなった血で全身を染めた美代が、にこにこ顔で帰ってきた。
「ただいまぁ」
「美代!」
抱き着こうとした都を、美代が肩を押し返して留める。
「駄目駄目、汚れちゃうから」
「そんなこと・・・」
「俺なんかのために泣いたりしちゃ駄目だよ」
「馬鹿なこと言わないの!」
淳蔵がハンカチを都に渡す。都は大人しく受け取って、涙を拭いた。
「美代、腹減ってるだろ。飯食え」
美代の返答を待たず、淳蔵がすたすたと食堂に向かって歩いていく。キッチンから外に出る方法は三つ。キッチンからそのまま廊下に出るか、キッチンと繋がっている食堂に移動して食堂から外に出るか、キッチンから裏庭に繋がっているドアから出るか。
キッチンと食堂はそれぞれ両開きのドアがあるが、鍵は掛かっておらず常に開け放たれている。また、キッチンと食堂を繋ぐスライド式のドアもあり、こちらは鍵が無いので自由に行き来が可能だ。
キッチンから裏庭に出られる小さなドアは内鍵でのみ開けられるが、中畑が万が一にも脱走したら困るので、ドアガードに細工をして『コツ』を知らないと出られないようになっている。
ガチャン! ガチャガチャ!
キッチンから、ドアと格闘している音が聞こえる。淳蔵が食堂の中に入っていった。俺と美代は都の後ろを歩いてキッチンまで行く。キッチンの中に入ると、裏庭に続くドアの前で顔を青くした中畑が小さく縮こまって震えているのを、淳蔵が無表情で見下ろしていた。
「あ・・・あ・・・」
「どうしたの? 中畑さん」
美代が中畑に歩み寄り、顔を覗き込むようにしゃがむ。
「俺の顔になにかついてる?」
蕩けるような低い声で美代が囁いた。
「美代、お風呂に入って服を着替えてきなさい」
「はあい」
「淳蔵と直治も夕食はまだでしょう? 美代が戻ってくるまでの間に料理を温め直して、皆でいただきましょう。それと、中畑さん」
ヒュッ、と中畑が息を呑む。
「これも『勉強』だわ。直治に教わって料理の温め方を習いなさい。夕食には貴方も同席するように。いいわね?」
中畑は顔をぶるぶると横に振る。都は笑ったまま、食器棚からコップを取り出して水を汲むと、中畑の頭に注ぐように振りかける。
「ほら、喉は潤ったでしょう? 夕食には貴方も同席するように。いいわね?」
バギャンッ! と形容し難い音が鳴った。都が素手でコップを粉砕した音だ。都が指をくねくねと動かすと、ガラスの破片が廊下から入ってくる薄明りに照らされてきらきらと輝き、落ちていく。中畑はびしょ濡れの顔で泣きながら笑顔を作り、頷いた。