百九十話 『外』の世界

文字数 2,678文字

四月。メイド達の二ヵ月の試用期間が過ぎ、正社員として雇用することになった。

休憩時間、談話室に行く。


「おー、直治。メイド達どうよ?」

「安定してる。美波は料理がイマイチだから料理当番は外そうと思う。それ以外は問題無い。じゅえりはちょっと落ち着きが足りんな。家庭環境のせいなんだろうけどな。全体的に仕事が粗いから、もっとゆっくり丁寧に仕事をするように指導してる。素直に聞くから教えてて苦にはならないんだが、『すみません』と『ごめんなさい』の数が多い」


淳蔵は雑誌を畳んだ。美代もパソコンを触る手を止める。


「美波君は相変わらず淳蔵に惚れてるの?」

「千代曰く『昔読んだ少女漫画に出てきた王子様そっくり』だそうだ」


淳蔵は心底嫌そうな顔をして、深く息を吐いた。

ひょこっ。

足音も無く、都が談話室に現れる。


「お姫様の登場だ」

「ういーっす」

「フランクなお姫様だね」

「ちょっと直治に話があってね」


都は俺の隣に座り、腕に抱えていたいくつかのパンフレットをテーブルに広げた。


「ね、直治。千代さんにお休みをあげてほしいの。旅行をプレゼントしたくてね。この前の『お詫び』よ」

「わかった。千代と二人で相談して好きな日程で決めてくれ。今はメイドが二人居るからな」


かちゃかちゃ、ぱたぱた。ジャスミンが千代を連れてきたのだろう。


「おお、都さん! おジャスにズボンを引っ張られたので来てみたのですが、なにかご用ですか?」

「話があるの。ちょっとそこに座って」


都は誰も座っていない上座を手の平で差す。


「失礼します」


千代が座った。都は一度膝に置いた手の平を、再びパンフレットの上で広げる。


「この前の『お詫び』を千代さんにしようと思ってね? この中から好きなのを選んでちょうだい」

「お詫びだなんて、そんな。でも、有難く頂戴しますね!」


千代が目の間にあるパンフレットを見る。そして固まった。


「・・・クルーズ旅行?」

「確か、パスポート持ってたわよね?」

「は、はい! 持ってます! で、でも、こんなに高価な贈り物、私には分不相応では・・・」

「貴方の『労働』に関しての価値は、私が決めるのよ? 海外旅行が嫌なら国内旅行でもいいわよ」

「いえっ、いえっ! ありがとうございます!」


千代は嬉しそうに両手で口元をおさえると、パンフレットを見渡し、一つ、手に取った。


「イタリア・・・!」


ベネチア、ローマ、アドリア海、世界遺産。クルーズ九日間の旅。


「他のパンフレットもじっくり見てから決めてね。私は仕事があるから戻るわ。じゃあね」


都は立ち上がり、俺の頭をぽんぽんと撫でると談話室を出ていった。淳蔵と美代が物凄く悔しそうにしているので、羞恥よりも勝ち誇った気持ちが強くなり、俺は思わずにやけてしまった。


「んニョあァあ・・・」

「なんつー声あげてんだよ」

「私、一回でいいからクルーズ旅行してみたいって、都さんに言ったことがあるんですよ・・・。本当に、ほんッとーに何気ない会話での一言だったんですけれど、覚えていてくださったんですねェ・・・」

「良かったね、千代君」

「はい! とっても嬉しいです! パンフレットは一旦部屋に持って帰って、夜にゆっくり見ますね!」


千代がパンフレットを集め、まとめる。しっかりと手に持つと、お辞儀をしてから談話室を出ていった。

結局、イタリア旅行に行くことにしたらしい。

二ヵ月後、バスタブとバルコニー付きの一番良い部屋にドリンクパッケージを付けた、イタリアを巡る優雅な船旅に、千代は出掛けていった。


「もう六月か。一年も半分が終わっちまったよ」

「それ言い出すとおっさんだぞ」

「いやもうジジイだろ俺達」


談笑していると、都が談話室にやってきた。上機嫌だ。


「お、都。良いことあったか?」

「ンフフフフフ」


淳蔵の隣に座る。


「千代さん、旅行を楽しんでくれているみたい。食べものや綺麗な景色の写真を沢山送ってくれるの。それが嬉しくてね」


本当に嬉しそうに笑っているので、こっちまで嬉しくなると同時に、可愛い都に胸がきゅんきゅんして、そんな自分を気持ち悪く感じた。きゅんきゅんてなんだよ。


「ねえ、貴方達は旅行に興味無いの? 一人旅でもいいし三人で出掛けても、」

「行かねえ」

「興味無い」

「やだ」


同時に喋ったので聞き取れたのかはわからないが、否定しているのは伝わったのか、都は苦笑した。


「私のことなら、ジャスミンが居るから平気よ?」

「淳蔵ちゃんはママが居ないと眠れませんので」

「美代君は母さんと離れると寂しくて泣いちゃいます」

「直治さんもお母さんと同じ空気を吸っていたいですね」


都は顔を真っ赤にして小さくなった。可愛い。


「も、もう。たまには『外』に出て見聞を広めてきなさいってば・・・」


沈黙。耐え切れなくなったのか。都は顔を手で覆った。


「諦めろって、都。男のガキは母親が好きなモンなんだよ」

「八割の男が『マザーコンプレックス』らしいからね」

「ここ十割いってるぞ」


都は手をずらして口元だけ覆うと、小さな声で、


「馬鹿」


と言って立ち上がり、談話室を出ていった。


「・・・こんなこと言ったら、都は嫌がるだろうけどよ」


淳蔵の瞳が憂いで濡れる。


「『外』の世界は汚すぎる。都はずっと、この世界に居た方がいい」


美代が僅かに顔を顰めた。怒っているような悔しいような、そんな顔だ。


「このままでいい」


淳蔵は断言した。


「・・・俺もそう思う。だから、俺が都のかわりに『外』に出るよ」


美代はどこか遠くを見つめていた。それは、『外』の世界に居る、都の協力者達と、都に仇を成す不届き者達に言い聞かせるような声色だった。


「今までやってきたことを、これからも続けていく」


美代も、そう断言した。


「都のかわり、か・・・」


俺は言うべきか少し迷って、結局言うことにした。


「美代」

「ん?」

「都のこと、美しいと思うか?」

「は? 当たり前だろ」

「どれくらい美しい?」

「都がルーヴル美術館に入っていったら展示物が己を恥じて床に這いつくばるわ」

「お前、自分の名前にもっと自信を持て。お前は『美しい者の代わり』なんだろ」


淳蔵も美代も、目を見開く。


「・・・俺が、『都の代わり』っだって、言いたいのか?」

「そうだ」

「・・・・・・・・・なんだよ、突然」


満更でもなさそうな様子だ。


「わかんねえ。言いたくなった」

「ハハ、なんだそりゃ」

「俺も、都は『外』に出ない方がいいと思う。都が『外』の世界で上手くやっていけないからじゃない。そんな心配じゃない。この世で最も高潔な存在である都が、わざわざあんな場所に降り立つ必要は無い」


美代が喉を鳴らして妖しく笑った。


「一条都は俺達だけのモンだよ」


俺と淳蔵は頷いた。
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