三百二話 おかえり

文字数 1,772文字

淳蔵が倒れてしまった。熱がかなり出ている。病院は淳蔵が嫌がったので、山の見張りは桜子に頼んで鴉を全て身体の中に戻し、今は部屋で安静にしている。

こんこん。


「どうぞ」

『失礼しますっ』


千代が少し慌てた様子で部屋に来た。


「美代さん、お医者様が来ています。ジャスミンが呼んだらしくて、今、都さんの手当を、」

「えっ!?」

「医務室です」


俺は部屋を出て階段を降り、医務室に向かう。

きゅいっ、きゃぴっ。

奇妙な鳴き声が聞こえた。誰のものかすぐに検討がついた。


「全く情けないねぇ。あんた達は母親が居ないと生きていけないのかい?」


黄色いドレスを着た上品な老婆が、都の身体を白い糸で縫合していた。『白い男』が医者の対面に座って興味深そうに手元を見ている。それよりも、医務室の隅で両手で口をおさえて真っ青になりながら震えている直治の方に視線が行った。


「直治、どうし、」

「見てるのがつらいんだとさ」


医者が答える。

きゅうっ、きゅうっ。

胸が締め付けられるような声。


「ま、麻酔、とか・・・」

「馬鹿かいあんた。弱り切って死んじまうよ。糸を寄こしな」


前半は俺に、後半はジャスミンに言ったらしい。ジャスミンは自分の長い髪を根元から抜いて、医者に渡す。医者はするりと針に糸を通し、硬いはずの竜の鱗をザクザクと縫い合わせていく。ハンカチに刺繍を施しているような、フェルトでぬいぐるみを作っているような気軽さで。


「・・・こんなもんかね」


ぴくん、ぴくん、と痙攣する都を、医者は昨日から使っている枕の上に降ろした。ジャスミンはにっこりと笑い、両手を小さく叩き合わせて音の無い拍手を贈る。


「じゃ、元気になったら金払って」

「おッ、お待ちくださいっ!」


荷物をまとめて去ろうとする医者を千代が呼び止める。


「なんだい」

「元気、元気と言われましても」

「爪も歯も角もほっときゃ生えてくるよ。目玉もね。自発呼吸ができているし、心臓にも問題はない。さっきそこのヘタレに説明したけど、体温が少し低いから部屋を暖めるんじゃなくて直接身体を温めること。食事は果物を中心に野菜を少し。食物繊維が多いものは避けること。自力で動き回れるようになったら肉も少し食べさせていい。食後十二時間経っても便が出ないようなら、濡らした布巾で叩いて刺激して、それでも出ないようなら濡らした綿棒を挿入して刺激しな。絶対に腹は強く押さないこと。これで満足かい?」

「・・・はい。ありがとうございます」

「退きな」

「失礼しました。お見送りします」

「結構」


俺がやるべきことを、千代にさせてしまった。医者が去っていくと、直治はゆっくりと口元の両手を外し、笛を鳴らしているような呼吸を繰り返した。


「直治、大丈夫、じゃないな・・・」

「直治さん、お水飲みますか? それとも背中をさすりましょうか?」


直治は手を振って、どちらも要らないと示した。


「美代さん、お仕事に。都さんの看病はジャスミンがしますから」

「・・・わかった」


ジャスミンは目を伏せて、都を見つめて、優しく微笑んでいる。俺の中に弱い甘えがある。『ジャスミンが焦っていないのなら大丈夫だ』という、弱い考えが。甘える気持ちが。

都の部屋に戻って仕事をする。

夕食、食堂に来たのは三人。俺と、直治と、千代。淳蔵の部屋には千代が食事を運んだ。桜子は身体を全て蜂にかえて山で見張りをしているので来られない。


「直治」

「んあ?」

「ぼーっとするな。食べる時は食べることに集中しろ」

「あ、ああ、悪い・・・」


都のことで頭がいっぱいらしい。

食事を終えて部屋に戻り、仕事をする。『いつも通り』の生活をするため、自室に戻り、ベッドに入る。医務室に行って都の様子を見に行きたかったが、寝込んでいる淳蔵と、山を見張り続けている桜子のことを考えると何故だか抜け駆けしているような気がして、行けなかった。それに、俺の足音や呼吸音といった刺激で、都に悪い影響が出たらと思うと、怖かった。

意識が少しずつ微睡む。

働き過ぎているからどうしても寝てしまう。

カチャ、と小さな音が鳴った。鍵が開く音だ。俺は吃驚して飛び起きる。ジャスミンが都を連れてきた。ドアが勝手に閉まり、電気が勝手につく。ジャスミンが持つクッションの上に居る都の瞳が俺を捉える。そして、にっこりと笑い、


『きゅいっ!』


と言った。


「・・・おかえり、都」


長い長い、永遠にも感じる一年だった。
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