八十七話 ワインオセロ
文字数 2,369文字
刺青の女、倉橋が赤と白のワインを五本、紙コップの袋を三つ、お手製のオセロのマス目が描かれた紙を持ってやってきた。都の対面に倉橋が、左手に淳蔵と俺が、右手に直治と千代が座る。
「ピッチを速めるためにガキ共に注がせろ」
「美代、千代さん、いいかしら」
「はい」
「はァい」
俺と千代が紙コップにワインを注ぐと、倉橋は膝を叩いて笑った。
「おい! なに上品に注いでんだよ! 酔い潰させるのが目的なんだからもっと景気よくいけや!」
「美代、千代さん、美月さんの言う通りに」
俺は苛々しながら紙コップにワインを注ぐ。
「赤と白、どっちがいい?」
「では赤で。先攻と後攻どちらになさいますか?」
「先攻だな」
倉橋が白ワインを置く。都がひっくり返された駒のワインをくいっと飲み干した。
「都さん、年は幾つだ」
「永遠の十五歳ですよ。美月さんはお幾つなんですか?」
「永遠の二十六になるな」
「お若いのに随分達観されてますね」
「ハハハ、物心ついた頃からこの商売してるんでね」
「あら、興味深いお話ですね」
「父親が刺青の彫り師だったんだよ。で、私の五歳の誕生日に、私の背中に刺青を彫った。いやあ、あの時は痛くて痛くて、小便ちびりながら何度も失神したね。針でサクサク彫られたあとに、日本酒を吹きかけられる。本当に死んでもおかしくなかったよ」
「誕生日プレゼントにしては過激ですね」
「だろ? 実は私の住んでた村に悪魔がやってきてな。そいつを退治するためにお偉方が考えた魔法陣が、私の背中に彫った刺青だったのさ。つまり、私は悪魔にぶつけるための道具、生贄だったんだよ」
「それで?」
「お偉方の中に一人、『本物』が居たんだよ。私は村を救った救世主になった。ま、それも数ヵ月の話だ。『あの人』は父を丸め込んで、私を『悪魔祓い』として育てることにした。一年かけて魔法陣を熟考して、私の誕生日に身体に墨を彫る。そうして世界各地を回ったんだ」
「『あの人』というのは?」
「もう死んだよ。私が二十六歳の誕生日に殺したんだ。墨を入れるのは、痛い。これ以上は嫌だったのさ」
「父親も殺しましたか?」
「殺した」
「奇遇ですね。私も殺しましたよ」
それから都は、自分の過去を語った。
「・・・へえ、都さんも苦労してるんだな」
「いいえ、美月さん程では」
コト、と最後のコップが置かれた。
「・・・あ、負けちまった」
「勝ったけど酔いました」
「面白かったぜ、都さん。また今度、遊ぼう」
「ええ、美月さん。またのお越しをお待ちしております」
「見送りは結構だ。へへ、二度と来ねえよ」
倉橋は立ち上がり、去っていく。テーブルの上には六十四個の紙コップに注がれたワイン。
「う、う・・・」
「都、大丈夫か?」
都は酒には強いが、あくまで『強い』だけであって、ザルな俺達と違って酔わないという訳ではない。ワインの瓶は二本と半分空いていて、かなり急ピッチで飲まされている。
「めがまわるぅ」
「部屋に運ぶよりここで寝かせた方がいいんじゃね? 今日は客も居ないし」
「あっ、枕と毛布とお水とバケツ取ってきますぅ」
淳蔵の提案に、千代が素早く動いた。
「残りのワインは俺達で飲むか」
「だな」
一条家では、食べものを粗末にすることは許されない。盤上の六十四個のワインを、赤白構わず近くにあるものから三人で適当に飲んでいく。
「誰かあと着けたか?」
「俺が着けた。ちゃんと帰って行ったよ」
丁度、俺の足元に倉橋のあとを着けていた鼠が戻って来た。ズボンの裾から体内に戻っていく。
「なにが目的なんだろうな」
「ジャスミン、じゃないのか?」
「わからん。ただ単純に都と遊んでいたようにも見える」
「敵意も悪意も感じなかったな。前まではバリバリだったのによ」
「おい、油断して警戒を怠るなよ」
「・・・美代の言う通りだな」
千代が毛布などを持って戻って来た。俺達は都の頭をそっと持ち上げて枕に乗せてやり、首元まで毛布をかける。
「都、聞こえてるか?」
「うん・・・」
「水飲むか?」
「いらない・・・」
「吐きそうになったら、ソファーの下にバケツを置いてあるからな。我慢するなよ」
「ありがと・・・寝る・・・。あの、誰か、」
「うん?」
「寝るまで、手を繋いでて」
俺は迷わず手を繋いだ。
「おやすみ」
頬にキスを落とす。都はすぐに寝始めたが、俺はずっと手を繋いでいた。
「・・・不安定なんだなァ」
「昔の話なんてしたくないだろう。俺、門扉閉めるついでに敷地内の見回りしてくる」
「俺も行くわ。美代、都の傍についていてやれ」
「・・・わかった」
淳蔵はいつも、重要な時は冷静で頼りになる。
直治は優しくて、行動力がある。
俺は?
可愛いだけの美代。
「美代様」
千代が俺を見つめていた。
「どうして落ち込んでいるんですか?」
「あ、いや・・・」
鋭い。侮れない。
「・・・俺は、淳蔵や直治みたいに男らしくないから、都の手を握る資格なんて、無いのかもしれないと思って」
「えぇ? 変なことで悩んでるんですねェ」
千代は母性を感じさせるような微笑みを浮かべた。
「淳蔵様はちょーっとォ野性的ですし、直治様は言っちゃなんですが強引ですし、お二人では刺激が強すぎる時もあると思いますよ」
「し、刺激・・・?」
「美代様が都様と接する時は、ゆーっくり、そぉーっと。騎士がお姫様に傅くみたいに接していますよ。美代様じゃないと駄目な時もありますよぉ」
「・・・そうだね。ありがとう」
「いえいえ。では、私は仕事に戻りますねぇ。ここはあとで片付けに来ますから。では、失礼しまァす」
千代なりに声をおさえたんだろう。それでも十分デカいが。千代はぺこりとお辞儀をして談話室を去っていった。
「・・・騎士、ね」
守りたい。都を。なにに代えてでも。
「良い夢見てね、俺のお姫様」
そっと囁く。聞こえているのかいないのか、都はもぞもぞと寝相を変える。愛おしすぎて、胸が爆発して、頭がどうにかなりそうだった。
「ピッチを速めるためにガキ共に注がせろ」
「美代、千代さん、いいかしら」
「はい」
「はァい」
俺と千代が紙コップにワインを注ぐと、倉橋は膝を叩いて笑った。
「おい! なに上品に注いでんだよ! 酔い潰させるのが目的なんだからもっと景気よくいけや!」
「美代、千代さん、美月さんの言う通りに」
俺は苛々しながら紙コップにワインを注ぐ。
「赤と白、どっちがいい?」
「では赤で。先攻と後攻どちらになさいますか?」
「先攻だな」
倉橋が白ワインを置く。都がひっくり返された駒のワインをくいっと飲み干した。
「都さん、年は幾つだ」
「永遠の十五歳ですよ。美月さんはお幾つなんですか?」
「永遠の二十六になるな」
「お若いのに随分達観されてますね」
「ハハハ、物心ついた頃からこの商売してるんでね」
「あら、興味深いお話ですね」
「父親が刺青の彫り師だったんだよ。で、私の五歳の誕生日に、私の背中に刺青を彫った。いやあ、あの時は痛くて痛くて、小便ちびりながら何度も失神したね。針でサクサク彫られたあとに、日本酒を吹きかけられる。本当に死んでもおかしくなかったよ」
「誕生日プレゼントにしては過激ですね」
「だろ? 実は私の住んでた村に悪魔がやってきてな。そいつを退治するためにお偉方が考えた魔法陣が、私の背中に彫った刺青だったのさ。つまり、私は悪魔にぶつけるための道具、生贄だったんだよ」
「それで?」
「お偉方の中に一人、『本物』が居たんだよ。私は村を救った救世主になった。ま、それも数ヵ月の話だ。『あの人』は父を丸め込んで、私を『悪魔祓い』として育てることにした。一年かけて魔法陣を熟考して、私の誕生日に身体に墨を彫る。そうして世界各地を回ったんだ」
「『あの人』というのは?」
「もう死んだよ。私が二十六歳の誕生日に殺したんだ。墨を入れるのは、痛い。これ以上は嫌だったのさ」
「父親も殺しましたか?」
「殺した」
「奇遇ですね。私も殺しましたよ」
それから都は、自分の過去を語った。
「・・・へえ、都さんも苦労してるんだな」
「いいえ、美月さん程では」
コト、と最後のコップが置かれた。
「・・・あ、負けちまった」
「勝ったけど酔いました」
「面白かったぜ、都さん。また今度、遊ぼう」
「ええ、美月さん。またのお越しをお待ちしております」
「見送りは結構だ。へへ、二度と来ねえよ」
倉橋は立ち上がり、去っていく。テーブルの上には六十四個の紙コップに注がれたワイン。
「う、う・・・」
「都、大丈夫か?」
都は酒には強いが、あくまで『強い』だけであって、ザルな俺達と違って酔わないという訳ではない。ワインの瓶は二本と半分空いていて、かなり急ピッチで飲まされている。
「めがまわるぅ」
「部屋に運ぶよりここで寝かせた方がいいんじゃね? 今日は客も居ないし」
「あっ、枕と毛布とお水とバケツ取ってきますぅ」
淳蔵の提案に、千代が素早く動いた。
「残りのワインは俺達で飲むか」
「だな」
一条家では、食べものを粗末にすることは許されない。盤上の六十四個のワインを、赤白構わず近くにあるものから三人で適当に飲んでいく。
「誰かあと着けたか?」
「俺が着けた。ちゃんと帰って行ったよ」
丁度、俺の足元に倉橋のあとを着けていた鼠が戻って来た。ズボンの裾から体内に戻っていく。
「なにが目的なんだろうな」
「ジャスミン、じゃないのか?」
「わからん。ただ単純に都と遊んでいたようにも見える」
「敵意も悪意も感じなかったな。前まではバリバリだったのによ」
「おい、油断して警戒を怠るなよ」
「・・・美代の言う通りだな」
千代が毛布などを持って戻って来た。俺達は都の頭をそっと持ち上げて枕に乗せてやり、首元まで毛布をかける。
「都、聞こえてるか?」
「うん・・・」
「水飲むか?」
「いらない・・・」
「吐きそうになったら、ソファーの下にバケツを置いてあるからな。我慢するなよ」
「ありがと・・・寝る・・・。あの、誰か、」
「うん?」
「寝るまで、手を繋いでて」
俺は迷わず手を繋いだ。
「おやすみ」
頬にキスを落とす。都はすぐに寝始めたが、俺はずっと手を繋いでいた。
「・・・不安定なんだなァ」
「昔の話なんてしたくないだろう。俺、門扉閉めるついでに敷地内の見回りしてくる」
「俺も行くわ。美代、都の傍についていてやれ」
「・・・わかった」
淳蔵はいつも、重要な時は冷静で頼りになる。
直治は優しくて、行動力がある。
俺は?
可愛いだけの美代。
「美代様」
千代が俺を見つめていた。
「どうして落ち込んでいるんですか?」
「あ、いや・・・」
鋭い。侮れない。
「・・・俺は、淳蔵や直治みたいに男らしくないから、都の手を握る資格なんて、無いのかもしれないと思って」
「えぇ? 変なことで悩んでるんですねェ」
千代は母性を感じさせるような微笑みを浮かべた。
「淳蔵様はちょーっとォ野性的ですし、直治様は言っちゃなんですが強引ですし、お二人では刺激が強すぎる時もあると思いますよ」
「し、刺激・・・?」
「美代様が都様と接する時は、ゆーっくり、そぉーっと。騎士がお姫様に傅くみたいに接していますよ。美代様じゃないと駄目な時もありますよぉ」
「・・・そうだね。ありがとう」
「いえいえ。では、私は仕事に戻りますねぇ。ここはあとで片付けに来ますから。では、失礼しまァす」
千代なりに声をおさえたんだろう。それでも十分デカいが。千代はぺこりとお辞儀をして談話室を去っていった。
「・・・騎士、ね」
守りたい。都を。なにに代えてでも。
「良い夢見てね、俺のお姫様」
そっと囁く。聞こえているのかいないのか、都はもぞもぞと寝相を変える。愛おしすぎて、胸が爆発して、頭がどうにかなりそうだった。