二百九十五話 絵本

文字数 2,832文字

一ヵ月が過ぎた。俺は都の部屋で仕事をしている。金曜日は一人で寝るようになった。

こんこん。


「どうぞ」


部屋に来たのは直治だった。俺は思わず立ち上がった。直治は充血した目を見開き、こめかみは血管が浮き出ていた。獣のような呼吸を繰り返し、全身を震わせながら、びっしょりと汗を掻いている。


「ど、どうした?」

「みよ、た、たのむ・・・」


呂律もおかしい。


「ジャスミンの、ちが、きかないんだ・・・。いっ、いくら、のんでも・・・」


ふらふらと俺に近付いてくる。


「な、直治、落ち着いてくれ」


ガチャ、と寝室のドアが開いた。都の服を山ほど抱えた『白い男』が出てきた。


「ジャスミン! お前、なにをして、」


振り返った直治に、ジャスミンは服を押し付ける。直治が服を受け取ると、ジャスミンは部屋の出入り口のドアを指差した。


「・・・ありがとう」


直治がジャスミンを見上げて、小声で礼を言う。ジャスミンは優しく微笑むと、寝室に戻ってドアを閉めた。直治はふらふらとした足取りのまま、部屋を出ていった。


「どうしよう・・・」


どうしようもできない。


「男なんだから、泣いちゃ駄目だろ、美代・・・」


机に突っ伏して泣くことしかできない。

こんこん。

俺は慌てて涙を拭いた。


「どうぞ」

『失礼します』


淳蔵だ。


「どうした?」

「客だ。もう帰った」

「なんだ、お前の判断で通したのか?」

「そうだ。『絵本作家のみどりちゃん』と名乗った婆さんだ。山に入るなり鴉の俺に話しかけてきた。一冊千円、三冊作ったから買ってほしいと」

「買ったのか」

「買った。その場で読んだ。だからどうってわけじゃない」


淳蔵は机に絵本を置いた。『竜の女王様』、『英雄ソロモン』、そしてもう一冊は、なにも描かれていない。俺は『竜の女王様』を手に取った。俺が間違えるはずもない。表紙に描かれているのは、都だった。


『昔々、ある山に、
 竜の女王様が暮らしていました。
 女王様は寂しがり屋なのに、
 国民は一人も居ませんでした。
 女王様はとても恐ろしい竜だと噂され、
 近付く者は誰もおりませんでした。

 ある日、一人の男が女王様の住む
 山にやってきて、こう言いました。

 「女王様、僕は王子様です。
  僕をこの山の民にしてください」

 女王様は驚いて、こう言いました。

 「貴方、私が怖くないの?」

 男はこう答えました。

 「怖いだなんてとんでもない。
  女王様はとてもお優しい。
  どうか僕をこの山の民にしてください」

 女王様は王子様と
 二人で暮らし始めました。

 ある日、一人の男が女王様の住む
 山にやってきて、こう言いました。

 「女王様、僕は騎士様です。
  僕をこの山の民にしてください」

 女王様は驚いて、こう言いました。

 「貴方、私が怖くないの?」

 男はこう答えました。

 「怖いだなんてとんでもない。
  女王様はとてもお利口です。
  どうか僕をこの山の民にしてください」

 女王様は王子様と騎士様と
 三人で暮らし始めました。

 ある日、一人の男が女王様の住む
 山にやってきて、こう言いました。

 「女王様、僕は勇者様です。
  僕をこの山の民にしてください」

 女王様は驚いて、こう言いました。

 「貴方、私が怖くないの?」

 男はこう答えました。

 「怖いだなんてとんでもない。
  女王様はとてもお美しい。
  どうか僕をこの山の民にしてください」

 女王様は王子様と騎士様と勇者様と
 四人で暮らし始めました。

 女王様は毎日楽しく暮らしていましたが、
 それと同じくらい悲しいのでした。

 竜は悪者だ、という人々が、
 女王様の国に攻め入ってくることが、
 女王様にはわかっていたのです。

 戦いの日、女王様は旅立つ前に言いました。

 「王子様、騎士様、勇者様、
  私のかわりに三人で国を守るのですよ。
  私は必ず帰ってきます。
  どうか泣かないで、
  待っていてくださいね・・・」

 王子様、騎士様、勇者様の三人は
 女王様の言いつけを守り、
 国を守り、女王様を待ち続けました。

 ずっとずっと、待ち続けましたとさ。

              おしまい。』


俺は絵本を床に叩き付けた。


「下らねえッ!!」

「落ち着け」


俺が睨み付けても淳蔵は涼しい顔をしている。俺は叫びたい気持ちを堪えながら『英雄ソロモン』を開いた。


『昔々、あるところに、
 ソロモンという名の男が居ました。
 小さな国のお姫様に恋をしたソロモンは、
 きらきらぴかぴかの宝石で
 お姫様を振り向かせようとしますが、
 お姫様はソロモンのことを
 好きになってくれません。

 「お姫様、どうすれば
  私を好きになってくれるのですか?」

 ソロモンがお姫様にそう言うと、
 お姫様はにこにこ笑って言いました。

 「私は世界中の人を愛しています。
  ですから、ソロモン、
  貴方のことも、愛していますよ」

 ソロモンはふくれっ面をして、
 お姫様にこう言いました。

 「それではいけません。
  私一人だけがよいのです。
  私一人だけを愛してください。
  お姫様、お願いします。
  どうか、どうか・・・」

 お姫様は悲しそうな顔をして、
 ソロモンにこう言いました。

 「では、ソロモン、
  世界中の人を守れますか?」

 「ええ、守れます」

 「うそおっしゃい。
  そんなことができるのは
  英雄だけです。
  人間は王にしかなれませんよ」

 「お姫様、貴方も間違うのですね。
  では、このソロモンが
  世界中の人を守ってみせましょう。
  そして英雄になってみせましょう。
  そうしたら、私一人だけを、
  ソロモン一人だけを
  愛していただけますね?」

 「いいえ、いいえ、ソロモン。
  できません。できっこないわ」

 ソロモンはお姫様が
 引き留める声を振り払い、
 世界中の人を守るため、
 奇妙で不思議な旅を始めます。
 長い旅の終わり、
 英雄になったソロモンは、
 お姫様に愛してもらえるのでしょうか?

              おしまい。』


「都と宝石商の男の会話が・・・」

「『最悪の災厄』が起こるって言ってた割には、平和だよな。あの男、恐らく『ソロモンの指輪』を使って、なにか・・・」

「なんにせよ、俺達には考えることしかできない。その材料の情報が少な過ぎて腹が立つ」


腹が立つ。誰に。都にだ。淳蔵はそれをわかっているのか、余計なことは言わなかった。俺は最後の絵本を開いた。

文字は書かれていない。

『白い男』が白い雲に寝そべってなにかを見ている。

少女。

黒い影と言い争う白い男。

空から堕ちる白い男。いや、堕とされたのか。

醜い怪物の姿で、草むらに横たわる。

少女と怪物が出会う。

少女が人差し指を立ててなにかを言う。

犬の姿にかわる怪物。

少女が成長していく。外側に跳ねるふわふわの髪。

少女と向かい合う白い男。

少女と向かい合う白い犬。

少女と向かい合う白い化け物。

最後のページ。

『HAPPY END』の文字が。


「・・・下らねえ」

「そうだ。下らねえ。でも、」


淳蔵は言葉を一度切り、


「直治にはまだ見せるな」


と言った。俺は二度、頷いた。
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