百七十九話 変な夢

文字数 2,553文字

朝食の時間。


「中畑さんをお連れしましたァ!」


千代の明るい声が食堂に響く。中畑は真っ青になって小さく震えていた。


「遅刻だぞ、中畑。お前はいつも時間ギリギリだ。十五分前には行動するよう心掛けろと何度も、」

「直治」


都に名前を呼ばれて、直治が説教をやめる。


「さ、全員揃ったし、朝食をいただきましょう。いただきます」

『いただきます』


都と直治には、お粥と、甘辛く味付けした鶏のそぼろ、卵焼きと漬物が配膳されている。直治が都にお粥を一口食べさせたあと、自分も一口食べる。都と同じ期間、食を断っていたので、お粥から始めて胃を治すらしい。直治がそぼろを都に差し出すと、都はちょっと嫌がった。動物の肉は便の色やにおいに強く影響する。都はまだ、直治に排便の世話をされるのを割り切れないんだろう。


「都さん、ミキサーにかけて流動食にしてお口に捻じ込んでも良いんですよ?」


千代がそう言うと、都は諦めて、そぼろを口に含み、咀嚼し、飲み込んだ。


「兄貴よ」

「ん?」

「久しぶりに飯が美味いな」

「だな」


美代の機嫌が良い。俺も久しぶりに味がする食事を、ゆっくりと噛み締める。


「・・・み、みやご、ざん」


ずっと食堂の入り口で突っ立っていた中畑が、しゃくりあげながら声を発する。


「わ、わだ、じ、ぎのう・・・」

「昨日?」

「ぎのう、ぢがじづで・・・」

「地下室? うちにそんなものは無いけど・・・」

「え?」

「変な夢でも見たんじゃないの?」

「うぞ、うぞ・・・」

「食事しないなら部屋に戻りなさい。美醜は人の主観に寄るから、貴方が自分のことを可愛いと思うのも、貴方のお父様と婚約者が貴方のことを可愛いと思うのも、なにも間違ったことではないけれどね、私に言わせれば貴方とんでもないブスよ。見ているだけで楽しい気分じゃなくなるのに、食事の席で泣かれたりなんかしたら食欲が失せるわ。もう一度言うわね。食事しないなら部屋に戻りなさい」


中畑は食堂を出ていった。


「喋ったら疲れちゃった。もういいわ」

「駄目だ。もう少し食え」

「みやこちゃんいやよー」

「お父さん怒ったら怖いぞ」


直治がお粥を差し出す。都は楽しそうに笑って、口に含んだ。二人はゆっくりと食事を摂る。食べ終わった俺はなにをするでもなく二人を見つめ、二人が食べ終わって食堂を出ていって少し経ってから、俺も席を立った。自室に戻る前に、地下室へ続く階段がある場所に行ってみる。

階段へ続くドアはどこにも無い。

このところ『お仕置き』としてダイエットフード生活が続き、いくらか身体が引き締まったジャスミンが壁に背中をくっつけて腹を出して寝ていた。俺を見ると慌てたようにうつ伏せに寝直して、上目遣いで俺を見ながら尻尾を振り、きゅん、と小さく鳴く。


「馬鹿犬」


俺は部屋に戻り、パトロール用の鴉を飛ばした。外壁の上に等間隔に、唯一の出入り口である門扉の辺りに数羽待機させて中畑が外に出ないよう見張っているので、少しだけ髪が縮んでいる。敷地内にも山にも変化はない。俺はパトロール用の鴉を部屋に戻した。少しでも都に近い場所に居たいが、『中畑を刺激しないように』と命令されているので、自室の外には出ず、窓の外を見てぼんやりと過ごす。

客室の一号室のベランダ。

直治が窓を開ける。顔を出して俺の鴉と美代の鼠を見ると、いつもならそのまま引っ込んでしまうのに、今日は窓とカーテンを大きく開け、恭しい仕草で部屋の中に手招いた。俺と美代は部屋に飛び込んだ。美代が、ちゅっちゅっ、と甘えた声を出しながらベッドに飛び乗ろうと小さな身体でぴょんぴょん跳ねる。直治は呆れた様子だった。


「なにしてんだお前、絶対届かねえだろ」


直治が美代を掴んで、ベッドの上に乗せる。俺の身体も持ち上げてベッドに乗せた。都の肌はマネキンのように温度の無い白さをしているが、瞳はしっかりと俺と美代の姿を捉えていた。手にジャスミンのおもちゃのゴムボールを持って、握るように指を動かしている。


「握力鍛えさせてるんだ」

『成程な』

「食事だが、朝と夜はちょっと無理してでも食べさせて、昼は千代に作ってもらった甘いモンを軽く食べさせる。このところの絶食で胃が小さくなってるし、食べるだけで身体に負担がかかる状態だが、食べないといつまで経っても良くならないからな。お前ら、いつもの時間になったら談話室に来て、入り口に一番近いソファー片付けて待ってろ。いいな?」

『了解』


ちゅっちゅっ、ちうちう、んちゅんちゅ、耳がくすぐったくなるような可愛い声を上げて、美代が都の頬に引っ付き、身体を擦り付ける。


「直治、美代はなんて言ってるの?」

「『好き』、『愛してる』、『元気になってね』、『傍に居るよ』だと。あとは名前を呼んでるぞ」

「フフッ、かーわいい・・・」


都が首を捻って美代の腹にキスをすると、美代はデレデレになって、ぢゅうう、と満足そうに一鳴きすると、都の肩と頬の間、首に挟まるように身体をぴったりと密着させて、大人しくなった。俺も都の頬に身体を引っ付ける。都、と名前を呼ぶと、くるる、と喉が鳴った。


「夜になったら外に出ろよ。明日の朝、また入れてやる」

『一時間、じゃねえのか?』

「そうだ。中畑が出ていったら本体の方も入れてやる。そうなったら好きなだけ入り浸ればいい。言わなくてもわかってるとは思うが、都のリハビリにはお前達も付き合うんだぞ」

『あったりめーだボケ』


はあ、ふう、と都の息が上がる。直治が都の手からゴムボールを取り上げた。


「おしまい」


直治はゴムボールを置くと、熱冷ましシートを取り出し、都の額に貼り付けた。ゆっくりと、都の意識が眠りの中に落ちていく。


『弟よ』

「なんだ」

『仕事の話を抜きにして考えても、『この役割』はお前にしかできねえよ』

「そんなことないだろ」

『あるよ。俺は都の言うことを聞けなくて中畑を殺しちまう。美代は聞けても途中で倒れちまうよ』


美代から異議は上がらない。


「・・・まだ一週間とちょっとあるんだ。うっかり殺さないように気を付けろ」


直治は椅子に座り、パソコンに向かって仕事を始める。都はすぅすぅと寝息を立て始めた。美代の背中からは見えるはずのないハートマークがぽこぽこ浮かび上がっている。羽毛越しに伝わる都の肌の温度は、まだ冷たい。少しでも温もりを与えてやりたくて、俺は身体を引っ付け続けた。
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