百四十三話 浮雲はどちらか
文字数 2,372文字
談話室でアフタヌーンティーを楽しんでいると、かんかん、とドアノッカーを叩いた音がした。
「見てきますぅ」
千代が談話室を出ていく。
『ニャひぃん!』
そして間抜けな声が響いた。どすどすと荒っぽい足音を立てて現れたのは、白木だった。
「あら、白木さん。今、アフタヌーンティーを楽しんでおりますの。貴方も参加しますか?」
「・・・死体が、五つ、あがった」
都はティーカップを持ったまま、首を傾げる。
「手の指と、足の指が全て切り落とされていた。指は胃の中から出てきた。消化具合からして、一日、一本・・・」
「あの、なんのお話です?」
「残りの八人はどうしたッ!?」
「すみません、仰っている意味がちょっと」
「あいつらは、金のためならなんでもするが、人を殺す度胸は無いただのチンピラだッ! あいつらだって人間だッ! それを、惨たらしく殺していいと思っているのかッ!」
都は馬鹿にしたように笑って、ティーカップをソーサーに置いた。
「金のためならなんでもするが、人を殺す度胸は無い。矛盾していますねえ」
「うッ・・・」
「暴力には『はずみ』というものがありますから、うっかり、で死んでしまうこともあるでしょう。わざとじゃなかった、悪気は無かった、そんなつもりじゃなかったと言えば、罪は軽くなる、或いは罪に問われなくなるのでしょうか? 警察ではそういう教育をしているの?」
「魔女めッ・・・!」
「貴方は法律に準じ、確証を求められる『警察官』という職に長く就きながらも、『勘』だなんて不確かなものを頼りにしているのですから、魔女の存在も本気で信じているのでしょうね」
「そうだ。私は警察官だ。私に問われたら、口の堅い人間でも情報を喋らざるを得なくなる。私は一条家のことについて聞き込んで回った。皆、『一条都』に、なんの疑問も抱いていない。息子達についてもそうだ。そこのメイドもな。私がそのことを指摘しても、誰も意味がわからない。そして理解できない。それどころか、おかしいのは私の方だと・・・。貴方をまるで、聖母の様に敬っているヤツすら居る・・・」
白木は歯をぎりっと噛みしめ、都は少し外に跳ねている髪をふわりと撫でつけた。
「貴方は私をどうしたいの?」
「『不義にして富み且つ貴きは浮雲の如し』」
不正な手段で得た地位や財産は、浮雲の様に頼りなく儚いもの、という意味。
「あは、自己紹介?」
「なんだと・・・?」
「死体が五つだの残りの八人だの、なんのことかしら。白木さん、なにか良からぬことを企んでいたのではないの? それこそ、金や身分、手段を不正に使って、ね」
白木は豚のいびきのような声を喉から捻り出した。
「浮雲の様に儚く危うい立場にあるのは貴方の方じゃないかしら。証拠が出ないといいわね」
「・・・こちらの台詞だ」
「鑑識を呼んで館の中を調べてもらっても構いませんよ。できるものならね」
「・・・帰ります。失礼しました」
深く深く頭を下げ、白木は帰っていった。
「馬鹿だなァ」
「間抜けめ」
「アホが」
「こらこら、怒らないの」
紅茶がすっかり冷めてしまった。
かちゃかちゃ。
ジャスミンが薄く小さな箱を持って談話室にやってきて、千代にそれを押し付けると談話室を出ていった。
「ありゃ、なんか押し付けられちゃいました」
「あっ、それ、御婆様と御爺様の写真だわ」
「エッ!」
「全く、どうやって箪笥の奥から掘り出したのかしら」
都は千代に手を差し出す。千代は都の手に箱を乗せて渡した。都がそっと箱を開けて、写真を取り出し、テーブルの上に置く。
写真に映っていたのは、少し前に夢で見た都の祖母。上品な着物を身に纏い、白髪交じりの黒髪をきっちりと結い上げ、都と同じ目元で真っ直ぐこちらを見ていた。厳しい女性だということが写真を見ただけでわかる。隣に立っているのは、軍服をかっちりと着込んだ精悍な顔付きの老人。都の祖母の腕の中には、赤ん坊が抱かれていた。
「家族写真・・・?」
ちょっと違和感を覚えた。我が子を抱いているにしては、写真の二人は年をとり過ぎている。都は目を伏せて沈黙すると、首を横に振った。
「あんまり良い話じゃないの」
「・・・聞かせてよ」
俺が言うと、直治が少し責めるような目で俺を見た。
「この人は、一条家十五代目当主、一条都花。私の御婆様よ」
都が指差す。
「こっちの人は、私の御爺様で、名前は夏彦。陸軍の中将だったの」
「かなり偉い人じゃないか・・・」
美代が吃驚する。夢で『誇り高き軍人』であることは知っていたが、そこまで偉い人間だったなんて思わなかった。
「で、この赤ちゃんが私」
「あらっ、御母様ではなく?」
こういう時、千代は遠慮なく物事を聞いてくれるので助かる。
「うん・・・。お母さんは一条家の跡継ぎとしては認められなかったから、写真は無いのよ。一条家では自分より目上の人を呼ぶ時、御婆様とか御母様、御姉様って呼ぶしきたりがあったんだけど、それも許されなくて、『お母さん』なわけ」
「・・・ということは、御婆様が十五代目、都様が十六代目、ですか?」
「そう。私の代で終わりにするけどね」
千代が珍しく、苦笑した。
「ねえ、私からの提案なんだけど、千代さん、『様』って付けて呼ぶのやめない?」
「エェッ!?」
「家族に上下関係があるのって、あんまり良いことだとは思わないのよね。だから息子達にも『都』って呼ばせてるのよ。千代さんは家族同然の存在ですから。そうねえ、『都さん』が最適な距離感だと思うんだけれど、どう?」
「は、はァいッ!! とっても嬉しい提案ですゥ!! これからは、都さんとお呼びさせていただきますッ!!」
千代は感激していた。
「じゃ、俺も淳蔵さんでいいぞ」
俺が言うと、美代と直治も頷く。
「うん。美代さん、だな」
「直治さん、でいいぞ。な、都?」
「付き合いが長いだけあってわかってるじゃない」
都が笑う。これからも楽しいことが起こりそうだ。
「見てきますぅ」
千代が談話室を出ていく。
『ニャひぃん!』
そして間抜けな声が響いた。どすどすと荒っぽい足音を立てて現れたのは、白木だった。
「あら、白木さん。今、アフタヌーンティーを楽しんでおりますの。貴方も参加しますか?」
「・・・死体が、五つ、あがった」
都はティーカップを持ったまま、首を傾げる。
「手の指と、足の指が全て切り落とされていた。指は胃の中から出てきた。消化具合からして、一日、一本・・・」
「あの、なんのお話です?」
「残りの八人はどうしたッ!?」
「すみません、仰っている意味がちょっと」
「あいつらは、金のためならなんでもするが、人を殺す度胸は無いただのチンピラだッ! あいつらだって人間だッ! それを、惨たらしく殺していいと思っているのかッ!」
都は馬鹿にしたように笑って、ティーカップをソーサーに置いた。
「金のためならなんでもするが、人を殺す度胸は無い。矛盾していますねえ」
「うッ・・・」
「暴力には『はずみ』というものがありますから、うっかり、で死んでしまうこともあるでしょう。わざとじゃなかった、悪気は無かった、そんなつもりじゃなかったと言えば、罪は軽くなる、或いは罪に問われなくなるのでしょうか? 警察ではそういう教育をしているの?」
「魔女めッ・・・!」
「貴方は法律に準じ、確証を求められる『警察官』という職に長く就きながらも、『勘』だなんて不確かなものを頼りにしているのですから、魔女の存在も本気で信じているのでしょうね」
「そうだ。私は警察官だ。私に問われたら、口の堅い人間でも情報を喋らざるを得なくなる。私は一条家のことについて聞き込んで回った。皆、『一条都』に、なんの疑問も抱いていない。息子達についてもそうだ。そこのメイドもな。私がそのことを指摘しても、誰も意味がわからない。そして理解できない。それどころか、おかしいのは私の方だと・・・。貴方をまるで、聖母の様に敬っているヤツすら居る・・・」
白木は歯をぎりっと噛みしめ、都は少し外に跳ねている髪をふわりと撫でつけた。
「貴方は私をどうしたいの?」
「『不義にして富み且つ貴きは浮雲の如し』」
不正な手段で得た地位や財産は、浮雲の様に頼りなく儚いもの、という意味。
「あは、自己紹介?」
「なんだと・・・?」
「死体が五つだの残りの八人だの、なんのことかしら。白木さん、なにか良からぬことを企んでいたのではないの? それこそ、金や身分、手段を不正に使って、ね」
白木は豚のいびきのような声を喉から捻り出した。
「浮雲の様に儚く危うい立場にあるのは貴方の方じゃないかしら。証拠が出ないといいわね」
「・・・こちらの台詞だ」
「鑑識を呼んで館の中を調べてもらっても構いませんよ。できるものならね」
「・・・帰ります。失礼しました」
深く深く頭を下げ、白木は帰っていった。
「馬鹿だなァ」
「間抜けめ」
「アホが」
「こらこら、怒らないの」
紅茶がすっかり冷めてしまった。
かちゃかちゃ。
ジャスミンが薄く小さな箱を持って談話室にやってきて、千代にそれを押し付けると談話室を出ていった。
「ありゃ、なんか押し付けられちゃいました」
「あっ、それ、御婆様と御爺様の写真だわ」
「エッ!」
「全く、どうやって箪笥の奥から掘り出したのかしら」
都は千代に手を差し出す。千代は都の手に箱を乗せて渡した。都がそっと箱を開けて、写真を取り出し、テーブルの上に置く。
写真に映っていたのは、少し前に夢で見た都の祖母。上品な着物を身に纏い、白髪交じりの黒髪をきっちりと結い上げ、都と同じ目元で真っ直ぐこちらを見ていた。厳しい女性だということが写真を見ただけでわかる。隣に立っているのは、軍服をかっちりと着込んだ精悍な顔付きの老人。都の祖母の腕の中には、赤ん坊が抱かれていた。
「家族写真・・・?」
ちょっと違和感を覚えた。我が子を抱いているにしては、写真の二人は年をとり過ぎている。都は目を伏せて沈黙すると、首を横に振った。
「あんまり良い話じゃないの」
「・・・聞かせてよ」
俺が言うと、直治が少し責めるような目で俺を見た。
「この人は、一条家十五代目当主、一条都花。私の御婆様よ」
都が指差す。
「こっちの人は、私の御爺様で、名前は夏彦。陸軍の中将だったの」
「かなり偉い人じゃないか・・・」
美代が吃驚する。夢で『誇り高き軍人』であることは知っていたが、そこまで偉い人間だったなんて思わなかった。
「で、この赤ちゃんが私」
「あらっ、御母様ではなく?」
こういう時、千代は遠慮なく物事を聞いてくれるので助かる。
「うん・・・。お母さんは一条家の跡継ぎとしては認められなかったから、写真は無いのよ。一条家では自分より目上の人を呼ぶ時、御婆様とか御母様、御姉様って呼ぶしきたりがあったんだけど、それも許されなくて、『お母さん』なわけ」
「・・・ということは、御婆様が十五代目、都様が十六代目、ですか?」
「そう。私の代で終わりにするけどね」
千代が珍しく、苦笑した。
「ねえ、私からの提案なんだけど、千代さん、『様』って付けて呼ぶのやめない?」
「エェッ!?」
「家族に上下関係があるのって、あんまり良いことだとは思わないのよね。だから息子達にも『都』って呼ばせてるのよ。千代さんは家族同然の存在ですから。そうねえ、『都さん』が最適な距離感だと思うんだけれど、どう?」
「は、はァいッ!! とっても嬉しい提案ですゥ!! これからは、都さんとお呼びさせていただきますッ!!」
千代は感激していた。
「じゃ、俺も淳蔵さんでいいぞ」
俺が言うと、美代と直治も頷く。
「うん。美代さん、だな」
「直治さん、でいいぞ。な、都?」
「付き合いが長いだけあってわかってるじゃない」
都が笑う。これからも楽しいことが起こりそうだ。