百話 謹賀新年
文字数 2,598文字
大晦日の朝。ランニングから戻ってくると、部屋着の都が館を見てなにかを考えていた。
「こらこら、そんな薄着でなにしてるんだ」
「あ、直治。おかえり。いやあ、噴水を作ろうと思ってね」
「噴水?」
俺はジャージを脱いで都に羽織らせる。
「直治が寒いでしょ」
「走ってきたから寒くねえよ。で、なんだ噴水って」
「この辺、殺風景過ぎると思わない? ジャスミンが入れるような大きな噴水を作って、お洒落なベンチを置いて、花壇とかも置いてさ。小さな畑でもいいんだけど。日光浴を楽しめれば、お客様も、もっと楽しめるかなって・・・」
確かに、古い洋館だけでは殺風景かもれしない。庭の森は神秘的だが、長く暮らしている俺達でないと場所がわからなくなるような、どこまでも同じ風景が続く深い森だ。客がバーベキューすることなども禁止しているので、一部の客からすれば面白みに欠けるだろう。
「私も仕事ばっかりしてると息が詰まっちゃうから、外の空気を吸って太陽の光を浴びないとさ。それで、植物の世話をしようかなって。あはっ、千代さんに相談したら『南瓜育てたいです』ってやる気満々だったから、結局私はやることなさそうだけどね」
「・・・ふうん」
ご主人様とメイド、という立場の違いはあるが、都と千代は毎日楽しそうに会話している。ジャスミンが千代を『こちら』に引き込んでくれて良かった、と思いたい。千代には可哀想なことかもしれないが。
俺は後ろから都の肩を抱き、頬に頬を寄せた。
「・・・なにしてるの?」
「甘えてる」
「いいにおいだね、直治」
「・・・汗掻いてるぞ」
「うん。それがいいにおい」
一気に恥ずかしくなった。
「もう甘えないの?」
都がくすくす笑う。俺は少し考えたあと、にやりと笑って手をワキワキさせた。途端に都が余裕を無くして怯えだす。
「なっ、なに?」
「なんだと思う?」
俺は都に襲い掛かり、耳にキスしまくるとお姫様抱っこをして大きく二回転する。
「あははははっ、直治の馬鹿っ」
「はははっ」
都を降ろすと、俺の首に腕を絡めてキスをしてきた。俺は都の後ろ髪に指を絡ませて、じっくりキスを楽しむ。
『アッアッ・・・』
変な声が聞こえた。唇を放してそちらを見ると、館から出てきた雅が俺達を見て顔を真っ赤にしていた。
「あ、雅さん! 貴方にも相談しようかしら」
有無を言わせぬ力で都が俺の身体を押す。俺は大人しく都から離れた。
「この辺にジャスミンが入って遊べるような大きな噴水を置こうと思うの。あとはベンチとか花壇か畑。どう思う?」
「いぃ、インじゃないですか・・・。あはっ、あはっ、あははっ・・・」
クソガキが。邪魔しやがって。
「あにょっ、ンンン、あのっ、私っ、都さんを探してましてぇ!」
「あら、どうしたの?」
「と、年越しそば! 今年は皆で一緒に食べたいなっておも、思いましたぁ! 談話室で、紅白歌合戦でも見ながら、どど、どうですか?」
「私はいいわよ。直治は?」
「・・・わかった」
「じゃ、あとは淳蔵と美代と千代さんね」
「千代はいいよって・・・」
小賢しいガキだ。都が『いい』と言ったら、俺達は嫌々でも従ってしまうのをわかっている。だから朝一番、朝食の席よりも前に都を捕まえて、俺達に文句を言われずに決定事項にしようとしたのだろう。結局、淳蔵も美代も承諾して、一時間付き合うことになった。
午後十一時。
「お待たせしましたァ! 年越しそばとぉ」
「うどんだよ」
千代と美代がそばとうどんを運んでくる。
「都さんと淳蔵と千代、うどんなんだね」
「縁起を担いで好きじゃないもの食べるのって、食べものに対する冒涜じゃない?」
「えー? そんなに大きな話なんですか・・・?」
「今年は家族しかいないし、好きなもの食べればいいのよ。ね?」
雅が嬉しそうな顔をした。千代がキッチンから往復して、そばとうどんの付け合わせを持ってくる。
「都様がお正月くらいは休めと仰るので、おせちもお取り寄せとインスタント食品なんですよぉ」
「・・・黒豆ある?」
「はい! 雅さんがお好きな黒豆と栗きんとんは沢山注文しろと都様が」
「都さん、ありがとぉ!」
「どういたしまして」
都に教えられた食べ方では、麺類は息を吹きかけて冷まさず、レンゲか器の上で広げて冷ます。そして箸で持ち上げ、口に入れたあと、麺の下を箸で掴んで、麺を噛み切る。麺は箸で掴んでいるので器に落ちないし、啜らないので音も立たない。うどんの食べ方はいろいろあるらしいが、一条家ではこの食べ方で決まっていた。雅はここで暮らしていた経験から、千代は飲み込みの速さから。音のない食事が始まった。
「あの、都さん。お礼を言いたくて」
「うん?」
「食べ方がとても綺麗だって、会社の人に褒められたんです。上司や先輩だけじゃなくて、同僚からも。ランチでうどんを食べた時にこの食べ方をしていたら、不思議そうな目で見られましたけど、『普段、お行儀が良い子がやってるから正しい食べ方なんだ』って、皆、感心してて・・・」
「あら、そう。よかったわね」
「字も綺麗だって褒められたし、お辞儀や、他のマナーも・・・」
「勘違いしないでね、雅さんを育てたのは私じゃなくて、お母様の美雪さんよ」
「っわ、わかってますよ! 美雪お母さんと、都さんですよ!」
「はいはい」
「それで、あの、今、素敵な男性とちょっと良い雰囲気になっていて・・・」
「あら」
「中田敏明さんっていうんです。二つ年上の先輩です。お付き合い、しようかなって・・・」
「貴方まだ十九歳じゃなかったかしら? それに、働き始めて一年も経っていないのに、ちょっと早くない?」
「・・・で、ですよね、あはは」
「ま、お付き合いするなら二十歳になってからがオススメね。私の発言はあくまでもアドバイスだから、聞き入れるかそうでないかは自分で判断してちょうだい」
「えっ、お、お付き合いしてもいいんですか?」
「『駄目だ』なんて一言も言ってないけど?」
「あっ、ああっ、ありがとうございますぅ!」
「よかったですねェ! 雅さん!」
「うん!」
やかましい。都の意見を無視しているし、ムカつく。
一時間が経過して、日付が一月一日にかわった。
「皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
都が頭を下げた。
『よろしくお願いします』
俺達も頭を下げる。
かちゃかちゃ。
ジャスミンが来て、都の太腿に顎を乗せた。なにか言っている。
「フフッ、今年も楽しい年になりそうね・・・」
都は笑った。
「こらこら、そんな薄着でなにしてるんだ」
「あ、直治。おかえり。いやあ、噴水を作ろうと思ってね」
「噴水?」
俺はジャージを脱いで都に羽織らせる。
「直治が寒いでしょ」
「走ってきたから寒くねえよ。で、なんだ噴水って」
「この辺、殺風景過ぎると思わない? ジャスミンが入れるような大きな噴水を作って、お洒落なベンチを置いて、花壇とかも置いてさ。小さな畑でもいいんだけど。日光浴を楽しめれば、お客様も、もっと楽しめるかなって・・・」
確かに、古い洋館だけでは殺風景かもれしない。庭の森は神秘的だが、長く暮らしている俺達でないと場所がわからなくなるような、どこまでも同じ風景が続く深い森だ。客がバーベキューすることなども禁止しているので、一部の客からすれば面白みに欠けるだろう。
「私も仕事ばっかりしてると息が詰まっちゃうから、外の空気を吸って太陽の光を浴びないとさ。それで、植物の世話をしようかなって。あはっ、千代さんに相談したら『南瓜育てたいです』ってやる気満々だったから、結局私はやることなさそうだけどね」
「・・・ふうん」
ご主人様とメイド、という立場の違いはあるが、都と千代は毎日楽しそうに会話している。ジャスミンが千代を『こちら』に引き込んでくれて良かった、と思いたい。千代には可哀想なことかもしれないが。
俺は後ろから都の肩を抱き、頬に頬を寄せた。
「・・・なにしてるの?」
「甘えてる」
「いいにおいだね、直治」
「・・・汗掻いてるぞ」
「うん。それがいいにおい」
一気に恥ずかしくなった。
「もう甘えないの?」
都がくすくす笑う。俺は少し考えたあと、にやりと笑って手をワキワキさせた。途端に都が余裕を無くして怯えだす。
「なっ、なに?」
「なんだと思う?」
俺は都に襲い掛かり、耳にキスしまくるとお姫様抱っこをして大きく二回転する。
「あははははっ、直治の馬鹿っ」
「はははっ」
都を降ろすと、俺の首に腕を絡めてキスをしてきた。俺は都の後ろ髪に指を絡ませて、じっくりキスを楽しむ。
『アッアッ・・・』
変な声が聞こえた。唇を放してそちらを見ると、館から出てきた雅が俺達を見て顔を真っ赤にしていた。
「あ、雅さん! 貴方にも相談しようかしら」
有無を言わせぬ力で都が俺の身体を押す。俺は大人しく都から離れた。
「この辺にジャスミンが入って遊べるような大きな噴水を置こうと思うの。あとはベンチとか花壇か畑。どう思う?」
「いぃ、インじゃないですか・・・。あはっ、あはっ、あははっ・・・」
クソガキが。邪魔しやがって。
「あにょっ、ンンン、あのっ、私っ、都さんを探してましてぇ!」
「あら、どうしたの?」
「と、年越しそば! 今年は皆で一緒に食べたいなっておも、思いましたぁ! 談話室で、紅白歌合戦でも見ながら、どど、どうですか?」
「私はいいわよ。直治は?」
「・・・わかった」
「じゃ、あとは淳蔵と美代と千代さんね」
「千代はいいよって・・・」
小賢しいガキだ。都が『いい』と言ったら、俺達は嫌々でも従ってしまうのをわかっている。だから朝一番、朝食の席よりも前に都を捕まえて、俺達に文句を言われずに決定事項にしようとしたのだろう。結局、淳蔵も美代も承諾して、一時間付き合うことになった。
午後十一時。
「お待たせしましたァ! 年越しそばとぉ」
「うどんだよ」
千代と美代がそばとうどんを運んでくる。
「都さんと淳蔵と千代、うどんなんだね」
「縁起を担いで好きじゃないもの食べるのって、食べものに対する冒涜じゃない?」
「えー? そんなに大きな話なんですか・・・?」
「今年は家族しかいないし、好きなもの食べればいいのよ。ね?」
雅が嬉しそうな顔をした。千代がキッチンから往復して、そばとうどんの付け合わせを持ってくる。
「都様がお正月くらいは休めと仰るので、おせちもお取り寄せとインスタント食品なんですよぉ」
「・・・黒豆ある?」
「はい! 雅さんがお好きな黒豆と栗きんとんは沢山注文しろと都様が」
「都さん、ありがとぉ!」
「どういたしまして」
都に教えられた食べ方では、麺類は息を吹きかけて冷まさず、レンゲか器の上で広げて冷ます。そして箸で持ち上げ、口に入れたあと、麺の下を箸で掴んで、麺を噛み切る。麺は箸で掴んでいるので器に落ちないし、啜らないので音も立たない。うどんの食べ方はいろいろあるらしいが、一条家ではこの食べ方で決まっていた。雅はここで暮らしていた経験から、千代は飲み込みの速さから。音のない食事が始まった。
「あの、都さん。お礼を言いたくて」
「うん?」
「食べ方がとても綺麗だって、会社の人に褒められたんです。上司や先輩だけじゃなくて、同僚からも。ランチでうどんを食べた時にこの食べ方をしていたら、不思議そうな目で見られましたけど、『普段、お行儀が良い子がやってるから正しい食べ方なんだ』って、皆、感心してて・・・」
「あら、そう。よかったわね」
「字も綺麗だって褒められたし、お辞儀や、他のマナーも・・・」
「勘違いしないでね、雅さんを育てたのは私じゃなくて、お母様の美雪さんよ」
「っわ、わかってますよ! 美雪お母さんと、都さんですよ!」
「はいはい」
「それで、あの、今、素敵な男性とちょっと良い雰囲気になっていて・・・」
「あら」
「中田敏明さんっていうんです。二つ年上の先輩です。お付き合い、しようかなって・・・」
「貴方まだ十九歳じゃなかったかしら? それに、働き始めて一年も経っていないのに、ちょっと早くない?」
「・・・で、ですよね、あはは」
「ま、お付き合いするなら二十歳になってからがオススメね。私の発言はあくまでもアドバイスだから、聞き入れるかそうでないかは自分で判断してちょうだい」
「えっ、お、お付き合いしてもいいんですか?」
「『駄目だ』なんて一言も言ってないけど?」
「あっ、ああっ、ありがとうございますぅ!」
「よかったですねェ! 雅さん!」
「うん!」
やかましい。都の意見を無視しているし、ムカつく。
一時間が経過して、日付が一月一日にかわった。
「皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
都が頭を下げた。
『よろしくお願いします』
俺達も頭を下げる。
かちゃかちゃ。
ジャスミンが来て、都の太腿に顎を乗せた。なにか言っている。
「フフッ、今年も楽しい年になりそうね・・・」
都は笑った。