百九十六話 嘘吐き
文字数 2,206文字
俺は美代の部屋のドアを三回ノックした。
こんこんこん。
出てきた美代の胸倉を掴み、ドアの横の壁に押し付ける。
「よう」
「なんだ?」
「なんだと思う?」
「都のことか?」
「そうだ」
夕食の席。美代と『話し合い』をしに行ったはずの都の頬には、湿布が貼られていた。
「手をあげたのか?」
「ああ、二回叩いたけど」
悪びれる様子もなく、言う。
「何故叩いた」
「お前には関係無い」
「・・・はっ、関係無い、ときたか」
「そうだ。俺と都がなにをしていようとお前には関係無い。だろ?」
「お前、逆の立場だったら『そうですね』つって引き下がるのか?」
「いや?」
「ならわかってるよな?」
美代が俺の手首を握り、力を込める。瞳の色がかわり、目尻が吊り上がり、ぶわ、と髪が広がる。そして、ぱち、と瞬くと、驚いた表情をして一瞬で力を抜いた。
「あっ」
淳蔵の声。振り向くと、至近距離に都が立っていた。
「みや、」
美代を殴ろうと握りしめていた拳を掴まれる。大して力は込められていないのに、全身から力が抜けて、抗えない。美代の胸倉から手を放し、その場に膝をつくと、都は俺を解放した。階段の途中で立ち止まっていた淳蔵が、そっと二階に降りてくる。
「淳蔵、美代、部屋に戻りなさい」
二人は大人しく部屋に戻っていく。
「直治、おいで」
都は返答を聞かず、階段を登っていく。俺は少し苛立ちながらも立ち上がり、都のあとに続いた。部屋に入るとソファーに座るように手で促されたので、従う。都は俺の対面に座った。
「直治、美代を責めないで。私が悪いの」
「理由を聞かないと納得できない」
都は苦笑した。
「淳蔵にも言って、怒られたんだけどね。直治も・・・。私に拘泥するのはやめなさい」
「・・・こう、でい?」
「怖い顔しないでよ」
「・・・は、ははっ」
乾いた笑いが出た。
「なんッだそりゃ? なんで、なんでそんな酷いことが言えるんだ? なあ?」
「嘘だからだよ」
「あ?」
「嘘だから」
呆れ返って、溜息も出なかった。
「メイドに手を出してもいいよとか、『外』の世界に行ってきなよとか、酷い冗談言うでしょ、私。そうやって愛情を試してた。そんなことしちゃいけないのに」
都は舌で唇を濡らした。
「私、自分のことが嫌いなの。だから・・・」
「目を見て話せ」
「っ、ごめんなさい。だ、だから、」
「目を見て話せつってんだろ!」
「つ、つらいの。自分のことが嫌いなのに、他人を好きになるのが」
俺は鼻から深く息を吸い、吐いた。目を見て話せと言ったのに、哀れで直視できなかった。
「ッチ、馬鹿が・・・」
「ごめんなさい」
消え入りそうな声に、何故か苛立ちが爆発する。俺はテーブルを両の拳で叩いた。
「二度と俺に嘘を吐くな」
「はい・・・」
立ち上がり、都の部屋を出る。階段の下で淳蔵が腕を組んで立っていた。
「・・・なんだよ」
「都のこと」
そう言って、淳蔵は自分の部屋に入っていく。人と話す気分ではなかったが、仕方なく俺もあとに続いた。淳蔵のベッドには美代が腰掛けていた。
「直治、さっきは悪かったよ」
「・・・いや」
俺は美代の隣に腰掛けた。淳蔵は部屋に設えた椅子に座っている。
「その様子じゃ、都にブチギレってとこか?」
「『二度と嘘を吐くな』と言った。それだけだ」
「許してやれ」
淳蔵を睨むと、淳蔵は真っ直ぐに見つめ返してきた。
「十五歳のガキのすることだぞ? 目くじら立てんなよ」
「クソ馬鹿ポジティブ野郎。お前の余裕はどっから出てくるんだよ」
「俺に余裕があるんじゃなくて、お前らが無さ過ぎるんだよ。人間、誰にも間違いはあるし、良好な関係を築くために嘘を吐くことだってあるだろ。もう責めてやるな」
なにも言い返せない。悔しい。俺は黙って淳蔵の部屋を出て自室に戻り、ベッドに寝転がる。苛々して眠れないまま、夜が過ぎていく。
早朝、五時前。
俺は都の部屋の前で待っていた。ジャスミンに朝飯をやるために都が部屋から出てくる。
「あら、直治。こんな時間にどうしたの?」
都は『いつも通り』に振舞っている。
「ジャスミンの飯が終わったら、デートしよう」
俺は階段を降りる。ジャスミンは尻尾を振りながら軽やかな足取りでキッチンに向かっていった。都がキッチンでジャスミンの朝飯を作り、与える。食べ終わるまで見守る。会話は無い。ジャスミンがキッチンを出ていくと、俺は裏庭に続くドアを開けて外に出た。続いて出てきた都に手を差し出すと、いつもなら嬉しそうな顔をして握ってくるのに、今日は緊張した面持ちで握ってきた。構うことなく指を絡め、歩き出す。
「都」
「なあに?」
「昨日は悪かった」
「あ・・・、う、ううん。悪いのは、」
「やめろ」
俺が立ち止まると、都も立ち止まる。俺は指を解いた。
「・・・好きだよ、都」
都を抱きしめ、頬に手を添える。
「愛してる」
恥じらいながらも笑う都が、酷く愛おしい。そっと顔を近付けると、都は目蓋を閉じた。綺麗な顔だ。これが動いてモノを食って笑うんだから、なんとも言えない感情になる。いつまで経ってもキスしない俺を不審に思ったのか、都が困惑しながらそっと目蓋を開ける。俺は都から顔を放した。
「・・・キスしないの?」
「未成年に手を出したら犯罪だからな」
「な、なにそれ・・・」
「十五歳のガキじゃねえか」
都は拗ねたように顔を歪ませる。それすら可愛い。俺は都から腕を放し、シャツを脱ぐ。そして地面に投げ捨てた。都が吃驚して固まる。
「マセガキ」
都の唇は、歪な笑みを描いた。俺も笑って、都を受け入れた。
こんこんこん。
出てきた美代の胸倉を掴み、ドアの横の壁に押し付ける。
「よう」
「なんだ?」
「なんだと思う?」
「都のことか?」
「そうだ」
夕食の席。美代と『話し合い』をしに行ったはずの都の頬には、湿布が貼られていた。
「手をあげたのか?」
「ああ、二回叩いたけど」
悪びれる様子もなく、言う。
「何故叩いた」
「お前には関係無い」
「・・・はっ、関係無い、ときたか」
「そうだ。俺と都がなにをしていようとお前には関係無い。だろ?」
「お前、逆の立場だったら『そうですね』つって引き下がるのか?」
「いや?」
「ならわかってるよな?」
美代が俺の手首を握り、力を込める。瞳の色がかわり、目尻が吊り上がり、ぶわ、と髪が広がる。そして、ぱち、と瞬くと、驚いた表情をして一瞬で力を抜いた。
「あっ」
淳蔵の声。振り向くと、至近距離に都が立っていた。
「みや、」
美代を殴ろうと握りしめていた拳を掴まれる。大して力は込められていないのに、全身から力が抜けて、抗えない。美代の胸倉から手を放し、その場に膝をつくと、都は俺を解放した。階段の途中で立ち止まっていた淳蔵が、そっと二階に降りてくる。
「淳蔵、美代、部屋に戻りなさい」
二人は大人しく部屋に戻っていく。
「直治、おいで」
都は返答を聞かず、階段を登っていく。俺は少し苛立ちながらも立ち上がり、都のあとに続いた。部屋に入るとソファーに座るように手で促されたので、従う。都は俺の対面に座った。
「直治、美代を責めないで。私が悪いの」
「理由を聞かないと納得できない」
都は苦笑した。
「淳蔵にも言って、怒られたんだけどね。直治も・・・。私に拘泥するのはやめなさい」
「・・・こう、でい?」
「怖い顔しないでよ」
「・・・は、ははっ」
乾いた笑いが出た。
「なんッだそりゃ? なんで、なんでそんな酷いことが言えるんだ? なあ?」
「嘘だからだよ」
「あ?」
「嘘だから」
呆れ返って、溜息も出なかった。
「メイドに手を出してもいいよとか、『外』の世界に行ってきなよとか、酷い冗談言うでしょ、私。そうやって愛情を試してた。そんなことしちゃいけないのに」
都は舌で唇を濡らした。
「私、自分のことが嫌いなの。だから・・・」
「目を見て話せ」
「っ、ごめんなさい。だ、だから、」
「目を見て話せつってんだろ!」
「つ、つらいの。自分のことが嫌いなのに、他人を好きになるのが」
俺は鼻から深く息を吸い、吐いた。目を見て話せと言ったのに、哀れで直視できなかった。
「ッチ、馬鹿が・・・」
「ごめんなさい」
消え入りそうな声に、何故か苛立ちが爆発する。俺はテーブルを両の拳で叩いた。
「二度と俺に嘘を吐くな」
「はい・・・」
立ち上がり、都の部屋を出る。階段の下で淳蔵が腕を組んで立っていた。
「・・・なんだよ」
「都のこと」
そう言って、淳蔵は自分の部屋に入っていく。人と話す気分ではなかったが、仕方なく俺もあとに続いた。淳蔵のベッドには美代が腰掛けていた。
「直治、さっきは悪かったよ」
「・・・いや」
俺は美代の隣に腰掛けた。淳蔵は部屋に設えた椅子に座っている。
「その様子じゃ、都にブチギレってとこか?」
「『二度と嘘を吐くな』と言った。それだけだ」
「許してやれ」
淳蔵を睨むと、淳蔵は真っ直ぐに見つめ返してきた。
「十五歳のガキのすることだぞ? 目くじら立てんなよ」
「クソ馬鹿ポジティブ野郎。お前の余裕はどっから出てくるんだよ」
「俺に余裕があるんじゃなくて、お前らが無さ過ぎるんだよ。人間、誰にも間違いはあるし、良好な関係を築くために嘘を吐くことだってあるだろ。もう責めてやるな」
なにも言い返せない。悔しい。俺は黙って淳蔵の部屋を出て自室に戻り、ベッドに寝転がる。苛々して眠れないまま、夜が過ぎていく。
早朝、五時前。
俺は都の部屋の前で待っていた。ジャスミンに朝飯をやるために都が部屋から出てくる。
「あら、直治。こんな時間にどうしたの?」
都は『いつも通り』に振舞っている。
「ジャスミンの飯が終わったら、デートしよう」
俺は階段を降りる。ジャスミンは尻尾を振りながら軽やかな足取りでキッチンに向かっていった。都がキッチンでジャスミンの朝飯を作り、与える。食べ終わるまで見守る。会話は無い。ジャスミンがキッチンを出ていくと、俺は裏庭に続くドアを開けて外に出た。続いて出てきた都に手を差し出すと、いつもなら嬉しそうな顔をして握ってくるのに、今日は緊張した面持ちで握ってきた。構うことなく指を絡め、歩き出す。
「都」
「なあに?」
「昨日は悪かった」
「あ・・・、う、ううん。悪いのは、」
「やめろ」
俺が立ち止まると、都も立ち止まる。俺は指を解いた。
「・・・好きだよ、都」
都を抱きしめ、頬に手を添える。
「愛してる」
恥じらいながらも笑う都が、酷く愛おしい。そっと顔を近付けると、都は目蓋を閉じた。綺麗な顔だ。これが動いてモノを食って笑うんだから、なんとも言えない感情になる。いつまで経ってもキスしない俺を不審に思ったのか、都が困惑しながらそっと目蓋を開ける。俺は都から顔を放した。
「・・・キスしないの?」
「未成年に手を出したら犯罪だからな」
「な、なにそれ・・・」
「十五歳のガキじゃねえか」
都は拗ねたように顔を歪ませる。それすら可愛い。俺は都から腕を放し、シャツを脱ぐ。そして地面に投げ捨てた。都が吃驚して固まる。
「マセガキ」
都の唇は、歪な笑みを描いた。俺も笑って、都を受け入れた。