二百七十二話 複雑

文字数 2,845文字

桜子は丁寧に墓を掃除した。萌恵の墓だ。俺はスーパーで買ってきた大量のお菓子と仏花を墓に供える。


「おやすみなさい、萌恵ちゃん」


桜子の言葉に、萌恵が微笑む。そして、すう、と消えた。


「萌恵ちゃん、『ヤングケアラー』だったのですね。それも、かなり酷い環境の・・・」


ヤングケアラーとは、本来は大人が担う、家事や、家族の世話、労働を日常的に行っている十八歳以下の子供のことだ。桜子の言う通り、萌恵はその中でも特に酷い家庭環境に居たのだろう。


「お疲れ様です」


驚いて振り返ると、アンナが立っていた。


「何故ここに・・・」

「『事件が解決したのでお礼に来ました』とか言って家に来られたら困りますから」


アンナは萌恵に供えたお菓子の一つを手に取り、断りもなく開封した。


「ちょっと、」

「『死人に口なし』と言うとちょっと意味が違いますが、食えませんから」


そう言ってもぐもぐと食べ始める。


「ずっとわたくし達を監視していたのですね?」

「そう。泥投げつけられてご愁傷様」


桜子は閉口した。かわりに俺が口を開いた。


「アンナさん、お聞きしたいことがあります」

「なんです?」

「萌恵が死んだあと、あの家はどうなったんですか?」

「あの子、流行り病が原因で死んだんです。祖母も感染して死にましたよ。母親は指を差されるようになって、息子を連れて町を出ていきました」

「そう、ですか・・・」

「まさかとは思いますが、あの子を純粋無垢で哀れな子だと同情していませんよね?」


俺と桜子は顔を見合わせた。


「泥を投げつけてきた時の態度を見たでしょう。手を叩いて笑っていた。あの子、あっちこっちで悪さをしたあとは一番手の込んだ悪さをしたところで見つかるのを待って、被害者の反応を見て楽しんでから、家に帰って感傷に浸っていたんですよ」

「手の込んだ、とは?」

「ハハ、やっぱり。『呪い』と呼ばれる程の悪さの内容を、社長から聞いてないんでしょう?」


都は『不幸なことが起こる』としか言わなかった。


「寝ている間に髪を切る。庭や畑に灯油を撒く。ペットも何匹か手にかけてますよ」


俺は言葉を失い、渋い顔をしてしまった。桜子は衝撃の事実に泣きそうな顔になって、両手で口元をおさえる。


「情報の料金は結構ですよ。面白い一日でした。さて、忠告です。これで『解決した』とは思わない方が良いでしょう。『呪いのマーク』を利用して悪さを働く人間も居るでしょうからね。では、社長によろしくお伝えください」


アンナはもう一つお菓子を取ると、歩いて墓地から出ていった。辺りはもう薄暗い。


「・・・帰るか」

「・・・はい」


俺達は館に帰った。桜子に自室でシャワーを浴びて服を着替えるように言い、俺は都の部屋に行き、事の顛末を話した。


「そう・・・」


都は薄く笑う。あとから部屋に来た桜子も、俺と同じことを都に伝える。


「どうするんだ? このあと・・・」

「どうって、どうもしないけど?」

「えっ。アンナの言う通り、悪さを働くヤツも居ると俺は思うんだけど・・・」

「じゃあ、呪いは『憑き物』のせいだとかなんとか言って、『憑き物落とし』を町に呼んでおくわ」

「おいおい・・・」

「居るのよねえ、一人。墨で染めたような真っ黒い着流しに晴明桔梗が染め抜いてある薄手の黒い羽織を纏って、手には手甲、黒足袋に鼻緒だけが赤い黒下駄の人が」

「それは『京極夏彦』だろ」

「いいのよ、淳蔵。今回の一件は『丁度良い機会』だっただけなの」


都の『悪い癖』が始まった。


「眼鏡越しに見た世界は、どうだった?」

「・・・奇妙だったよ」

「私が見ている世界は、奇妙ということになるわね」


俺は意味を理解して、ポケットから眼鏡ケースを取り出した。


「都と同じ・・・」

「そう。眼鏡をかけて、私を見てごらん」


俺と桜子は言われた通りに眼鏡をかけて、都を見る。


「なにが見える?」


仕事机を挟んで椅子に座っている都は、いつもとなにもかわらない。


「狩る側の生きものは景色に擬態して、そっと近付いてくる。気を付けなさいね」

「俺と桜子に、どうしろと?」

「見せびらかさなければなにをしても。なんて、我が家にそんなことをする人間は居ないから、言う必要の無いことね」


都はにっこりと笑ったが、今日はそれをあまり良く思わなかった。

夕食後。

談話室に美代と直治、千代を呼んで、今日あったことを話す。


「なんというか、後味の悪い話だね」


美代が言う。直治も頷く。


「あ、誰も怒ってないみたいだから言っておくけど、桜子君、『外』で『人間じゃないこと』がバレるようなことしちゃいけないよ」

「すみません・・・」


桜子は素直に謝る。美代は許しの意味を込めてか、にっこりと笑う。俺はそんな美代をじーっと見つめて、


「美代、ちょっと隣に座れ」


と言った。俺の隣は都の席だ。誰が言い出したわけでもないのに、自然とそういうことになっている。だから美代は、戸惑いながらも俺の隣に座った。


「どうした?」


俺は美代を抱きしめた。


「えっ、ちょっと、」

「なにしてんだお前」


直治が呆れた様子で問う。


「可愛いから癒されてる」


俺がそう答えると、美代は大人しくなった。


「なにしてんだお前ら」

「スキンシップ」

「あのなあ」

「あとでお前ともやる」

「やだよ」


千代と桜子がくすくす笑う。俺は少しだけほっとした。

萌恵は、桜子に似ている部分があった。

狭い部屋、小さな窓、陽の光。

俺の考え過ぎのような気もする。


「そうそう、墓に供えたモン、そのままにしとくわけにはいかないから持って帰ってきたんだよ。あとで皆で分けようぜ」


美代の身体を離す。いつもは勝気で生意気な美代がしおらしくなって、拗ねたような顔をしながら照れている。

人間は『ピンキリ』だ。

ピンからキリまで。最高のものから最低のものまで。しかしこの考え方は、少し間違っている。『清く正しい善人』と『醜悪な悪党』といった、極端というより単純な二元論もまた、少し間違っている。

萌恵は、家族の温もりを信じた無垢で哀れな少女だったのか?

自らの手で不幸にした存在を見て喜ぶ邪悪な怪物だったのか?

答えは『両方』だ。

清く正しい善人であり、醜悪な悪党であり、

被害者であり、加害者である。

抑圧された人生を送ったからって、人を不幸にしてそれを楽しむなんてこと、許されてはいけない。そう思うと同時に、今の俺の、俺達の、都に拾われて一条家の人間となった者達は、どうなのか。そう考えてしまった。

善人も魔が差す。悪党も慈善で動く。

人間のこころは複雑だ。


「美代」

「な、なに?」

「お前、今日も可愛いな」

「どっ、どうしたんだよ淳蔵! 疲れてるぞお前・・・」

「昨日より可愛いぞ。つまり明日はもっと可愛いってことか。恐ろしいヤツ・・・」


俺が真剣にそう言うと、直治がソファーから立ち上がって両手をぱんぱんと叩き合わせた。


「もう寝ろ淳蔵。桜子も疲れただろう。解散だ、解散」

「ごめん、直治。俺が可愛過ぎるせいで淳蔵が・・・」


胸がざわついて、止まらない。

『来る日』の、その時まで。

願わくば平穏な日々を送りたい。

気持ちを悟られたくなくて、俺は少し無理をして、笑った。
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