三十三話 におい

文字数 2,147文字

「そ、そんな簡単なことで?」

「うん」


都の案を、そう簡単には受け入れられなかった。


「いやー、焦った焦った。物持ちが良い性格で良かったわ」

「こんな重要な役目、俺が・・・」

「美代が最適だよ。私は嫌われてるしね」

「そう・・・。うん。わかった。やる」

「淳蔵と直治にはもう説明したけど、美代も、」

「わかってるから」


俺は手を振って都の声を掻き消した。


「・・・ごめんね」

「構わないよ。愛してるからさ。淳蔵も直治もそう言っただろ?」

「うん」


都が女学生の頃に使っていた香水を手に持ち、俺は事務室に戻る。窓から差し込む光に瓶を翳してみると、きらきらと輝いた。


「きれい・・・」


俺がやるしかない。

こんこん。

ノックの音がする。


「どうぞ」


ドアが開いて、雅が入ってきた。


「美代! お化粧教えてくれるって本当!?」

「うん。仲直りの『しるし』にね」

「うわあ! 嬉しい!」

「これ、なんだと思う?」

「・・・瓶?」

「美雪が、君のお母さんが独身時代に使ってた香水だよ」

「えっ・・・。お母さんが?」


喜んでいる。


「俺はメイドからちょくちょく化粧の相談を受けてさ、たまーに化粧品の交換とかしてたってわけ」

「香水、つけていい?」

「いいよ。ただし、これは特別なモノだから、次からは特別な日にね。誕生日とか、初デートの日とか・・・」

「どうやってつけるの?」


やり方を教えてやると、見様見真似で香水をつける。ふわ、と上品な香りが広がった。こいつの体臭と混ざったモノなんて吸いたくなかったが、都のモノだと思うと勝手に身体が反応してしまう。


「・・・なんか、お母さんらしくない」

「ハハハ! そりゃ『お母さん』はこんなモノつけないよ。香水は異性にアプローチする時に使うモノなんだから」

「あ、そっか・・・。ねえ、ちょっと、淳蔵と直治の反応見てきていい?」

「んー、淳蔵は鈍いからなあ。直治は香水嫌い」

「なぁんだ、残念・・・」

「さて、簡単な化粧の仕方を教えてあげる・・・」


そういうと、雅はにっこり微笑んだ。手取り足取り化粧を教えてやり、目鼻立ちがくっきりしてほんのり色づくと、若い女らしい顔になる。まだまだの出来だが充分嬉しかったようで、ついに我慢できなくなり、淳蔵と直治に見せに行った。


「はー・・・。しょーもな・・・」


ぎし、と背凭れが軋む。あと一年。あと一年で十五歳だ。

こんこん。


「どうぞ」


メイドの千代が、瞳を輝かせながら入ってきた。


「失礼しますゥ! 美代様、雅さんにお化粧教えたんですかァ!?」

「えっ、ああ、うん」

「ずるいですよォ! 私にも教えてくださーい!」

「い、いいけど、君は休憩中かい?」

「直治様に直談判して休憩とってきましたァ!」


こいつ苦手なんだよな、勢い凄くて・・・。


「・・・じゃあ、ここに座って」

「はい!」


内心うんざりしながら、俺は千代に化粧講座を開いた。

数日後。

長く勤めていた貴子を絞めたので、十時になると都の部屋に集まり、酒を開けていた。


「日本酒も美味いな」

「全員ザルだから飲み甲斐がないなあ。誰か馬鹿になれば面白いんだけど・・・」

「今回は諦めが早かったぞ。人を死に追いやってるとある程度達観するんだな」


ジャスミンが空中にオテとオカワリを繰り出している。機嫌が良い時にやるヤツだ。


「雅の化粧見たか?」

「見た」

「どうよ」

「なんとも思わん」

「俺も」


淳蔵と直治が卓球のような速さで会話をする。


「はーあ。言っとくが、俺の腕が悪いんじゃないぞ」

「わかってるよ」

「おい、信用してないな? なんならお前でも試してやろうか?」

「俺は都に時々やられ、あっ」


淳蔵が、しまった、という顔をした。


「へえ? 淳蔵ちゃん、お化粧するんですか・・・」

「クソ・・・」

「淳蔵は似合うだろ。変態親父に好かれる顔だからな」


直治が馬鹿にするので、俺は笑いを堪えるのに必死になった。淳蔵は顔を真っ赤にして震えている。


「ふいー、良いお湯だったあー。って淳蔵、どうしたの?」

「なんでもない・・・」


風呂から出てきた都が首を傾げる。


「ジャス、ミン、ジャス、ミン、ど、う、し、て、オテオカワーリ、す、る、の、か、な?」


無限オテオカワリをしているジャスミンの前足に合わせるように、都が手の平を前に出す。あんまりにも可愛くて、見ているだけで幸せになれた。


「この子、昔っから機嫌いいとコレするんだよねえ。なんでだろ?」

「多分、都が楽しそうに付き合うからだと思うぞ」

「えー? ジャスミン、そうなの?」


直治の推測が当たっているのかはわからないが、都が相手をするとジャスミンは無限オテオカワリをやめた。


「変な犬だね」


犬。

犬ねえ・・・。


「都って動物好きだよなァ」

「うん。ジャスミン以外は飼ったことないんだけどね。こーんなに庭が広いんだから、動物園でも作りたいなあ」

「どんな動物がいいの?」

「うーん・・・。大きな池を掘って人魚でも放り込むかな」


都はぐいと背を伸ばした。


「眠いので寝ます。おやすみあそばせ。オホホホホ」


ジャスミンを連れて寝室に消えていく。俺達は暫くじっと見つめ合ってしまった。


「人魚だって」

「本気かな」

「かもしれない」


都の場合、本当にやりかねない。


「人魚の肉を喰うと不老不死になれるって知ってたか?」


淳蔵が馬鹿にしたように言う。


「へえ、羨ましい」


俺がわざとらしく言うと、直治はにやりと笑って酒を煽った。
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