二百二十六話 珍しく

文字数 1,787文字

愛坂が来て三日が経った。

待遇はメイドと同じ。朝七時から夜八時まで、働きながら家事を覚える。指導するのはメイド長の千代と、副長の役職を与えられた桜子。直治も一日一回は時間を作って働きっぷりを確認するらしい。礼儀作法は都が教えることになっていたが、食事の作法があまりにも酷いので、都の心労を減らしたいからと桜子が一人で指導することを申し出て、愛坂は桜子と二人で食事を摂ることになった。今まで雇ったメイドは親近感を持たせて油断させるために名前で呼んでいたのだが、今回は特別感を持たせてはいけないということで、全員が『愛坂さん』と呼ぶことになっている。

談話室に直治がやってくるなり、ドカッと音を立ててソファーに座り、腕を組んで背凭れに身体を預けた。


「おう、弟よ。聞いてしんぜよう」


淳蔵が雑誌を畳む。俺もパソコンにロックをかけた。


「なんで馬鹿に限ってメモを取らないんだろうな・・・?」


心底疑問らしい。首を傾けてそう言った。


「愛坂の料理の腕前を確認してから教育方針を決めようと思って、白米、豆腐の味噌汁、豚肉入りの野菜炒めと、三切れの沢庵の献立を考えて、レシピ表を愛坂に渡した。レシピ表は桜子が作って、俺と千代で『わかりやすい』と太鼓判を押したモンだ。千代が『好きなだけ書き込んでいいし、わからないことがあったら私達に聞いてください』と言った。そうしたら急に機嫌が悪くなって、レシピ表をビリビリに引き裂いてゴミ箱に捨てた。桜子が酷く傷付いてな。堪えていたんだがつらそうだった」

「おやまあ・・・」


淳蔵が腕を組む。


「『なんでこんなことをするんだ』と問いただしたら、はっきり言ったよ。千代の発言が気に食わないって。『私は女優だから、こんなもの一瞬で覚えられる。台本はもっと分厚くて覚えることがいっぱいで大変だ。馬鹿にしないで』ってな。おまけに『先輩女優が料理するシーンを何度も見ているのでこの程度のことすぐにできる。口出ししないで』と啖呵切りやがったから、三人で黙って見てたよ。そしたら・・・」


はあー、と溜息を吐いた。


「棚や引き出しや冷蔵庫をバタバタ開けて確認したあと、焦り始めた。なにをどうすればいいのかわからなくなったんだろうな。『なに見てるの、出ていってよ』だとよ。『千代と桜子に謝るならもう一枚レシピ表をやる』と言ったら、『こんなこと演技に必要無い』とキャンキャン喚き始めたから、『なら今すぐ出ていってもらって構わない』と答えた。そこで漸く二人に謝ったから、レシピ表を渡した。頭が痛いのはここからだぞ」


直治は肩を竦める。


「レシピ表は『見る』だけで『読まない』んだよ。『認識する』けど『理解できない』んだ。米も肉も野菜も洗剤で洗おうとした。食器用洗剤だぞ。洗いも甘くて米は研ぎ汁が濁ってるし、野菜はじゃぶっと水にくぐらせただけ。肉も水で洗おうとしたよ。桜子は委縮しちまってるから千代が指導したんだが、返事の一つもしやしない。火加減は全部強火だ。豆腐も沢庵も等間隔に切れない。結局作るのに二時間かかった」

「それで昨日の夜、キッチンでガチャガチャやってたのかァ」

「話はまだ終わりじゃないぞ。愛坂に『反抗的な態度を取る間は、自分が作ったもの以外、口にしてはならない。お前の今日の夕飯はソレだ』と言ったら、めそめそと泣き始めた。『千代が作るところを見て勉強しろ』と言ったのに、睨み付けるだけ。千代が『質問してもいいですよ』と言ったら顔をぐしゃぐしゃにしてたぞ。食事作法の指導のために二人っきりで飯を食う桜子のことを思うと不憫でならん」

「ンなこと続いたら夜中に勝手に冷蔵庫漁りそうだなァ」

「有り得るねえ。椎名が何故、愛坂に入れ込んでるのかもそうだけど、都もなんで・・・」

「呼んだ?」


俺達は吃驚して、談話室の入り口を見た。腕を組んだ都が入り口に立っていた。かちゃかちゃ、とジャスミンの足音がして、千代も現れる。ジャスミンが連れてきたのだろう。


「およっ? 都さん!」

「千代さん、休憩時間増やすか、ずらしていいから、ちょっと話に付き合ってくれない?」

「構いませんよォ!」

「じゃ、私の部屋で。貴方達も来なさい」


返答を聞かず、都は千代を連れて談話室を出ていった。


「『秘密主義者』の都にしちゃ珍しい・・・」


淳蔵が少し呆れながらもソファーを立ち上がり、談話室を出る。俺と直治はなにも言わず、淳蔵のあとに続いた。
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