二百五十七話 問い
文字数 2,409文字
こんこんっ。
「どうぞ」
『失礼しますっ』
事務室に入ってきたのは瞳だった。慌てた様子だ。
「どうした?」
「あの、食事当番の美影さんが昼食を作っているんですけど、もう滅茶苦茶で・・・」
俺は呆れと苛立ちが混ざったうんざりした感情を表に出さないよう、必死に堪えた。
「詳しく話してくれ」
「はい。美影さんがちゃんと料理をしているか確認するために、キッチンに様子を見に行ったんです。昼食のメニューは焼き魚のはずなのに、美影さんは寸胴鍋の中をおたまで掻き混ぜていました。美影さんが作っていたのはカレーでした。また勝手に行動しているのかと注意しようとしたんですけれど、何故だか、いつも以上に会話が成り立たなくて、美影さん、気分がかなり高揚しているみたいなんです」
瞳はそこまで言って、息を吸い直す。
「聞き出した話を要約すると、直治様のカレー嫌いと林檎嫌いを治すために、愛情を込めた美味しいカレーと美味しいアップルパイを作っているそうです。昼食のメニューを直治様の好物の焼き魚と偽っておけば、騙されて食べに来るだろうから、サプライズなんだ、と言っていました。カレーとアップルパイの材料は、他の食事当番が使う予定の食材や、千代さんのお菓子作りのための材料、桜子さんのパン作りのための材料を勝手に使っているみたいです」
「わかった。知らせてくれてありがとう。俺が直接注意してくる」
「駄目ですよ! 直治様一人では危険です!」
「危険、って、美影はそんなにはしゃいでいるのか?」
「はい。注意されたら暴れかねない勢いですし、いつも以上に一対一での会話が成立しない状態なので、第三者が居た方が良いと思います」
「そうか。瞳、淳蔵と美代を事務室に呼んできてくれるか? そのあとは都に知らせて、キッチンには近付かないように言ってくれ。千代と桜子も探して、事情を知らせてくれ」
「はい。失礼します」
瞳が事務室を出ていって、数分。淳蔵と美代が順番に事務室に来た。二人共、瞳に『取り敢えず直治様の事務室に行ってください』と言われただけなのですぐに来たらしい。俺が事情を説明すると、二人共、呆れ返った。
「悪いな、付き合わせて」
「構わねえよ。行こうぜ」
淳蔵の言葉に美代が頷き、俺達はキッチンに向かう。廊下からそっと中を覗き込むと、瞳が言っていた通り、美影が寸胴鍋の中をおたまで掻き混ぜていた。俺達がキッチンの中に入っても気付かない程、集中している。
「おい」
俺が声をかけると、美影はビクッと驚いてから振り返り、眉を八の字にしながらも嬉しそうに笑った。
「なにをしている」
「もー! やだぁ、サプライズ失敗!」
早速会話が成立していない。
「美影、なにをしている」
「えー? ドラマの第一話って感じですねー」
「三度目の質問だ。美影、なにをしている」
「えー? 美味しいカレー作りの真っ最中です! デザートに美味しいアップルパイもありますよ!」
美影は自慢げに笑っている。俺は冷静になるよう努めた。
「昼のメニューは焼き魚だろ。なんでカレーを作ってるんだ」
「あは! 直治様ったらかわいーんだから! お昼の焼き魚を楽しみにしてたんですね? 食べられなくなったからって拗ねなくてもいいのにぃ」
「そうじゃない。美影、食事のメニューは食事当番で話し合って決めて、食材は淳蔵か桜子に車を出してもらって買いに行くだろ? 材料費は社長の都が出しているから、社員である俺達にとって、食材は『買ってもらっているもの』だ。千代のお菓子作りに必要な材料も、桜子のパン作りに必要な材料も、二人共、社長である都に許可を取って『買ってもらっているもの』だ。わかるか? 『買ってもらっているもの』なんだ」
「はあ・・・?」
「キッチンにある食材は、自由に使っていいものじゃない。誰が、いつ、どの料理で使うか決まっているんだ。許可なく勝手に使っちゃいけないだろ? それに、食材が傷んでいた等の理由がない限りは、メニューも勝手にかえちゃいけない。わかるか?」
「あー、じゃあ魚が傷んでました」
「『じゃあ』じゃねえだろうが。嘘を吐くな」
「えー? でも、カレーは日持ちするから、お鍋にたっぷり作っちゃえば他の食事当番の人も楽ができていいじゃないですかー。それにー、カレーはよく煮込んだ方が美味しいんですよ? だからー、二日目の方が美味しいし、三日目は更に美味しいですよ? 良いこと尽くめなんですよ?」
最悪の台詞だ。俺はトラウマを抉り返されて、咄嗟に言葉が出ない。それを優勢と判断したのか、美影が畳みかける。
「カレーのにおいって、お母さんの手料理のにおいって感じで、いいですよねー! あ、でも、直治様達って、お母さんの手料理を知らないんですよね? だって、都様、料理しないし。いくら仕事が忙しいからって、仕事を優先して子供に構わないのはどうかと思いますねー。まあ、子供っていっても養子だし、養子って赤の他人ですからねー」
美影はにこっと笑ってから寸胴鍋に向き直り、おたまでカレーを掻き混ぜながら喋り続ける。
「直治様も、淳蔵様も、美代様も、愛情に飢えてるんですねー。わかりますよー。だって、私の愛情がこもった料理のにおいを嗅ぎ付けて、皆で揃って見に来ちゃったんでしょ? 男の人ってそういう嗅覚ありますからねー。母性豊かな女性を見ると惹かれちゃう、みたいな? 包容力のある女性を見ると甘えたくなっちゃう、みたいな? まあ、私は別にどっちでもいいんですけど」
美影はそう言って、くすくす笑う。
「よーし! できた! 高そうな赤ワインも丸々一本使ったし、じっくり煮込んだからお肉もとろとろ! ちょっと大人向けの本格的な味ですよ! 皆で食べましょう! 淳蔵様は皆を呼んできてください! 美代様は食器と飲み物を運んで、直治様はお皿にお米をよそってください! って、あー! 私、お米、ちゃんと炊いたかなっ!?」
「お、お前・・・」
「はい?」
「お前、生きづらくないか?」
「どうぞ」
『失礼しますっ』
事務室に入ってきたのは瞳だった。慌てた様子だ。
「どうした?」
「あの、食事当番の美影さんが昼食を作っているんですけど、もう滅茶苦茶で・・・」
俺は呆れと苛立ちが混ざったうんざりした感情を表に出さないよう、必死に堪えた。
「詳しく話してくれ」
「はい。美影さんがちゃんと料理をしているか確認するために、キッチンに様子を見に行ったんです。昼食のメニューは焼き魚のはずなのに、美影さんは寸胴鍋の中をおたまで掻き混ぜていました。美影さんが作っていたのはカレーでした。また勝手に行動しているのかと注意しようとしたんですけれど、何故だか、いつも以上に会話が成り立たなくて、美影さん、気分がかなり高揚しているみたいなんです」
瞳はそこまで言って、息を吸い直す。
「聞き出した話を要約すると、直治様のカレー嫌いと林檎嫌いを治すために、愛情を込めた美味しいカレーと美味しいアップルパイを作っているそうです。昼食のメニューを直治様の好物の焼き魚と偽っておけば、騙されて食べに来るだろうから、サプライズなんだ、と言っていました。カレーとアップルパイの材料は、他の食事当番が使う予定の食材や、千代さんのお菓子作りのための材料、桜子さんのパン作りのための材料を勝手に使っているみたいです」
「わかった。知らせてくれてありがとう。俺が直接注意してくる」
「駄目ですよ! 直治様一人では危険です!」
「危険、って、美影はそんなにはしゃいでいるのか?」
「はい。注意されたら暴れかねない勢いですし、いつも以上に一対一での会話が成立しない状態なので、第三者が居た方が良いと思います」
「そうか。瞳、淳蔵と美代を事務室に呼んできてくれるか? そのあとは都に知らせて、キッチンには近付かないように言ってくれ。千代と桜子も探して、事情を知らせてくれ」
「はい。失礼します」
瞳が事務室を出ていって、数分。淳蔵と美代が順番に事務室に来た。二人共、瞳に『取り敢えず直治様の事務室に行ってください』と言われただけなのですぐに来たらしい。俺が事情を説明すると、二人共、呆れ返った。
「悪いな、付き合わせて」
「構わねえよ。行こうぜ」
淳蔵の言葉に美代が頷き、俺達はキッチンに向かう。廊下からそっと中を覗き込むと、瞳が言っていた通り、美影が寸胴鍋の中をおたまで掻き混ぜていた。俺達がキッチンの中に入っても気付かない程、集中している。
「おい」
俺が声をかけると、美影はビクッと驚いてから振り返り、眉を八の字にしながらも嬉しそうに笑った。
「なにをしている」
「もー! やだぁ、サプライズ失敗!」
早速会話が成立していない。
「美影、なにをしている」
「えー? ドラマの第一話って感じですねー」
「三度目の質問だ。美影、なにをしている」
「えー? 美味しいカレー作りの真っ最中です! デザートに美味しいアップルパイもありますよ!」
美影は自慢げに笑っている。俺は冷静になるよう努めた。
「昼のメニューは焼き魚だろ。なんでカレーを作ってるんだ」
「あは! 直治様ったらかわいーんだから! お昼の焼き魚を楽しみにしてたんですね? 食べられなくなったからって拗ねなくてもいいのにぃ」
「そうじゃない。美影、食事のメニューは食事当番で話し合って決めて、食材は淳蔵か桜子に車を出してもらって買いに行くだろ? 材料費は社長の都が出しているから、社員である俺達にとって、食材は『買ってもらっているもの』だ。千代のお菓子作りに必要な材料も、桜子のパン作りに必要な材料も、二人共、社長である都に許可を取って『買ってもらっているもの』だ。わかるか? 『買ってもらっているもの』なんだ」
「はあ・・・?」
「キッチンにある食材は、自由に使っていいものじゃない。誰が、いつ、どの料理で使うか決まっているんだ。許可なく勝手に使っちゃいけないだろ? それに、食材が傷んでいた等の理由がない限りは、メニューも勝手にかえちゃいけない。わかるか?」
「あー、じゃあ魚が傷んでました」
「『じゃあ』じゃねえだろうが。嘘を吐くな」
「えー? でも、カレーは日持ちするから、お鍋にたっぷり作っちゃえば他の食事当番の人も楽ができていいじゃないですかー。それにー、カレーはよく煮込んだ方が美味しいんですよ? だからー、二日目の方が美味しいし、三日目は更に美味しいですよ? 良いこと尽くめなんですよ?」
最悪の台詞だ。俺はトラウマを抉り返されて、咄嗟に言葉が出ない。それを優勢と判断したのか、美影が畳みかける。
「カレーのにおいって、お母さんの手料理のにおいって感じで、いいですよねー! あ、でも、直治様達って、お母さんの手料理を知らないんですよね? だって、都様、料理しないし。いくら仕事が忙しいからって、仕事を優先して子供に構わないのはどうかと思いますねー。まあ、子供っていっても養子だし、養子って赤の他人ですからねー」
美影はにこっと笑ってから寸胴鍋に向き直り、おたまでカレーを掻き混ぜながら喋り続ける。
「直治様も、淳蔵様も、美代様も、愛情に飢えてるんですねー。わかりますよー。だって、私の愛情がこもった料理のにおいを嗅ぎ付けて、皆で揃って見に来ちゃったんでしょ? 男の人ってそういう嗅覚ありますからねー。母性豊かな女性を見ると惹かれちゃう、みたいな? 包容力のある女性を見ると甘えたくなっちゃう、みたいな? まあ、私は別にどっちでもいいんですけど」
美影はそう言って、くすくす笑う。
「よーし! できた! 高そうな赤ワインも丸々一本使ったし、じっくり煮込んだからお肉もとろとろ! ちょっと大人向けの本格的な味ですよ! 皆で食べましょう! 淳蔵様は皆を呼んできてください! 美代様は食器と飲み物を運んで、直治様はお皿にお米をよそってください! って、あー! 私、お米、ちゃんと炊いたかなっ!?」
「お、お前・・・」
「はい?」
「お前、生きづらくないか?」