二百八十九話 長年の夢
文字数 2,692文字
「都、具合が悪いの?」
「あ・・・、ううん、具合は・・・」
都は薄く唇を開いて、俯く。
「・・・夢見が悪いの」
そっと、俺を見上げる。助けを求めるような視線は、ほんの一瞬だけだった。慌てたように笑顔を作り、少し早口で喋り出す。
「八月は終わったけど、まだ暑いからって部屋に籠って碌に運動をしていないから、血の巡りが悪いだけよ。心配してくれてありがとう。大丈夫だから、」
「一緒に、」
「えっ?」
「い、一緒に、寝てあげようか・・・?」
都は少し、迷った。
「・・・いいの?」
「うん」
「・・・じゃあ、お願い、しようかな」
「準備してくるね」
「うん・・・。ありがとう」
俺は都の部屋を出る時は余裕を持ってゆっくりと、部屋を出たあとは急いで自室に戻り、手早く寝る前の準備を済ませて、都の部屋に戻った。
二人でベッドに横になる。
都の両手を、俺の両手で包む。柔らかくて、綺麗だ。俺はどうしてもドキドキしてしまう。都は眠れなくてつらい思いをしているのに。
二人の間に言葉は無い。
少しだけ、都の呼吸が深くなる。僅かな灯りを反射して暗い部屋に浮かび上がる都の肌。女性にしかない曲線、寝具に包まれている安心感と、都のにおい。
「・・・で、結局一睡もできなかったと?」
談話室、いつもの時間。淳蔵と直治が呆れた顔をした。
「うなされていたら起こしてあげようと思ったんだよクソボケ」
「お前の身が持たんだろ・・・」
「馬鹿犬は関与してないのか?」
「寝室の隅っこでひっくり返って豚みたいないびきを掻いてたよ」
「つまり都自身が乗り超える問題だと?」
「だろうなァ」
「都が安眠できるまで俺が添い寝するから、お前らちょっかいかけに来るなよ」
淳蔵が渋い顔をした。
「ンだテメェ文句あんのか」
「そうじゃなくてだな。お前も寝た方がいいって話」
「いいんだよ俺は。その気になれば睡眠は必要無い身体してるんだからよ」
「まあ、そうだけど・・・。寝ないと肌もこころも荒れるだろ」
「いいんだよ俺は! 肌が吹き出物だらけになろうが爛れようが俺はいいんだ!」
「せめて仮眠を、」
「わかっとる!! 明日からここに来る時間は睡眠に回すって言いに来ただけだ!! じゃあな!!」
俺はソファーから立ち上がり、事務室に戻った。
「クソ忙しいのに寝てられるかよッ・・・!」
俺が『一条都の代わり』になるために、準備を怠ってはならない。それと並行して通常の業務もこなさなければならない。
「はぁー・・・」
午後十時。都の部屋に今日一日の仕事の報告に行く。今日も都は顔色が悪い。今朝は『よく眠れた。ありがとう』なんて言っていたが、嘘だ。浅くしか眠れず、目を閉じたまま睡眠と覚醒を繰り返していたのだから。
「都」
「なあに?」
「今日も一緒に寝よう」
都は困った顔をする。
「美代、私は、」
「大丈夫じゃないでしょ。それとも、俺と寝るの、嫌?」
ずるい言い方だ。都は首を横に振る。
「じゃあいいよね。準備してくるよ」
自室に行き、準備を済ませて都の部屋に戻る。
二人でベッドに横になる。
二人で手を繋ぐ。
闇夜に浮かぶ都の姿は、絵画のように美しい。
「・・・嫌な夢を見るの」
「うん。聞かせて」
「お母さんの、夢なの」
ぽつり、ぽつりと、都が話し出す。
「我儘で、些細なことであっという間に機嫌が悪くなって、人にも物にもあたって、泣いたり怒ったり。嵐が過ぎると、人がかわったように優しくなって、謝って、傷付けた相手を気遣ったり、壊した物を慈しんだりする。その繰り返し。父はそんな母を『子供みたいに純粋なんだよ』と言っていたけれど、『アレ』は・・・。純粋と言うよりは、知能が停滞しているような感じ、だと思うの・・・」
都の手に、じわ、と汗が滲む。緊張しているのだろう。
「最近、何故だか、あの人のそういうところばかり夢に見て、私、怒りや悲しみよりも先に・・・」
そこで、言い淀み、
「・・・同情してしまうの」
と、声を震わせた。
「親に優しくしてもらえなかった大人が、子供っぽいことをして過去の自分を慰めるような、そんな姿を見ると、感情が、グチャグチャになる」
震える言葉は続く。
「そんな自分が嫌になっちゃった。それだけ・・・」
都は無理に笑った。
俺はなにも言わなかった。
俺はなにも言えなかった。
親に同情する子供の気持ち。
母性、或いは父性を持って、
母親や父親を哀れみ、優しくしたいと思うこと。
理解できない。
しようとする気すら起きなかった。
「都、話してくれてありがとう」
「ううん。聞いてくれて、ありがとう」
都は、溶けたように安心した顔をした。
「おやすみなさいしようか」
「うん。おやすみなさい・・・」
都が目蓋を閉じる。少しすると、呼吸がゆっくりとしたものにかわる。大好きな都と手を繋いでいる幸福感。お互いの体温で温かくなる寝具に包まれる安心感。都の甘くて優しいにおい。僅かに聞こえるのは、互いの呼吸音と衣擦れの音。夜は不思議だ。永遠にこのままでいたい。今だけは世界に二人だけ。じんわりと疲れが身体から滲み出して、ふわふわと眠くなっていく。俺は目蓋を閉じた。
「ん・・・」
ふわふわ。
さらさら。
あたたかい。
「あっ・・・」
朝だ。俺は仰向けに寝ていて、都はいつの間にか俺に抱き着く形で寝ていた。安心しきった寝顔が可愛い。甘えられて嬉しい。こころの底から優しい気持ちが溢れてくる。キスしたい。キスしまくりたい。一種の『キュートアグレッション』で『ぐぬぅ』と変な声が出てしまった。
「んー・・・、みよぉ・・・」
「お、おはようございます・・・」
「おあよ・・・」
やっちまった。起こしてしまった。
「よく眠れた?」
「よぐねだ・・・」
もそもそと起き上がる。少し乱れた髪、崩れた寝巻き、寝惚けた表情。いつものきっちりと身なりを整えた姿からは想像できない程、無防備だ。
襲って食べちゃいたい。
我慢した。こんなにも無防備なのは、俺を信頼している証だ。ジャスミンは食欲よりも都の睡眠を優先したのだろう。ベッドに顎を乗せて『ぶぅん』と不満そうに鼻を鳴らし、じとっとした目で俺を見る。
「都、ジャスミンがお腹空いたってさ」
「わかったぁ・・・。あの、美代・・・」
「うん?」
「・・・また、一緒に寝てほしいです」
「あはっ、うん。喜んで・・・」
談話室、いつもの時間。
「来たか、直治・・・」
「なんだ?」
「同衾に成功したぞ」
「お前この家に来てから何年かかってのその台詞なんだよ」
「今日は人生最高の朝を迎えられたからな、多少の無礼は許してやろう」
「お前機嫌が良くても悪くても口が悪いな・・・」
淳蔵が呆れた様子で溜息を吐く。
「ま、都も元気になったし、美代も長年の夢が叶ったし。良かったってことで」
「兄さんは寛大だな・・・」
「あ・・・、ううん、具合は・・・」
都は薄く唇を開いて、俯く。
「・・・夢見が悪いの」
そっと、俺を見上げる。助けを求めるような視線は、ほんの一瞬だけだった。慌てたように笑顔を作り、少し早口で喋り出す。
「八月は終わったけど、まだ暑いからって部屋に籠って碌に運動をしていないから、血の巡りが悪いだけよ。心配してくれてありがとう。大丈夫だから、」
「一緒に、」
「えっ?」
「い、一緒に、寝てあげようか・・・?」
都は少し、迷った。
「・・・いいの?」
「うん」
「・・・じゃあ、お願い、しようかな」
「準備してくるね」
「うん・・・。ありがとう」
俺は都の部屋を出る時は余裕を持ってゆっくりと、部屋を出たあとは急いで自室に戻り、手早く寝る前の準備を済ませて、都の部屋に戻った。
二人でベッドに横になる。
都の両手を、俺の両手で包む。柔らかくて、綺麗だ。俺はどうしてもドキドキしてしまう。都は眠れなくてつらい思いをしているのに。
二人の間に言葉は無い。
少しだけ、都の呼吸が深くなる。僅かな灯りを反射して暗い部屋に浮かび上がる都の肌。女性にしかない曲線、寝具に包まれている安心感と、都のにおい。
「・・・で、結局一睡もできなかったと?」
談話室、いつもの時間。淳蔵と直治が呆れた顔をした。
「うなされていたら起こしてあげようと思ったんだよクソボケ」
「お前の身が持たんだろ・・・」
「馬鹿犬は関与してないのか?」
「寝室の隅っこでひっくり返って豚みたいないびきを掻いてたよ」
「つまり都自身が乗り超える問題だと?」
「だろうなァ」
「都が安眠できるまで俺が添い寝するから、お前らちょっかいかけに来るなよ」
淳蔵が渋い顔をした。
「ンだテメェ文句あんのか」
「そうじゃなくてだな。お前も寝た方がいいって話」
「いいんだよ俺は。その気になれば睡眠は必要無い身体してるんだからよ」
「まあ、そうだけど・・・。寝ないと肌もこころも荒れるだろ」
「いいんだよ俺は! 肌が吹き出物だらけになろうが爛れようが俺はいいんだ!」
「せめて仮眠を、」
「わかっとる!! 明日からここに来る時間は睡眠に回すって言いに来ただけだ!! じゃあな!!」
俺はソファーから立ち上がり、事務室に戻った。
「クソ忙しいのに寝てられるかよッ・・・!」
俺が『一条都の代わり』になるために、準備を怠ってはならない。それと並行して通常の業務もこなさなければならない。
「はぁー・・・」
午後十時。都の部屋に今日一日の仕事の報告に行く。今日も都は顔色が悪い。今朝は『よく眠れた。ありがとう』なんて言っていたが、嘘だ。浅くしか眠れず、目を閉じたまま睡眠と覚醒を繰り返していたのだから。
「都」
「なあに?」
「今日も一緒に寝よう」
都は困った顔をする。
「美代、私は、」
「大丈夫じゃないでしょ。それとも、俺と寝るの、嫌?」
ずるい言い方だ。都は首を横に振る。
「じゃあいいよね。準備してくるよ」
自室に行き、準備を済ませて都の部屋に戻る。
二人でベッドに横になる。
二人で手を繋ぐ。
闇夜に浮かぶ都の姿は、絵画のように美しい。
「・・・嫌な夢を見るの」
「うん。聞かせて」
「お母さんの、夢なの」
ぽつり、ぽつりと、都が話し出す。
「我儘で、些細なことであっという間に機嫌が悪くなって、人にも物にもあたって、泣いたり怒ったり。嵐が過ぎると、人がかわったように優しくなって、謝って、傷付けた相手を気遣ったり、壊した物を慈しんだりする。その繰り返し。父はそんな母を『子供みたいに純粋なんだよ』と言っていたけれど、『アレ』は・・・。純粋と言うよりは、知能が停滞しているような感じ、だと思うの・・・」
都の手に、じわ、と汗が滲む。緊張しているのだろう。
「最近、何故だか、あの人のそういうところばかり夢に見て、私、怒りや悲しみよりも先に・・・」
そこで、言い淀み、
「・・・同情してしまうの」
と、声を震わせた。
「親に優しくしてもらえなかった大人が、子供っぽいことをして過去の自分を慰めるような、そんな姿を見ると、感情が、グチャグチャになる」
震える言葉は続く。
「そんな自分が嫌になっちゃった。それだけ・・・」
都は無理に笑った。
俺はなにも言わなかった。
俺はなにも言えなかった。
親に同情する子供の気持ち。
母性、或いは父性を持って、
母親や父親を哀れみ、優しくしたいと思うこと。
理解できない。
しようとする気すら起きなかった。
「都、話してくれてありがとう」
「ううん。聞いてくれて、ありがとう」
都は、溶けたように安心した顔をした。
「おやすみなさいしようか」
「うん。おやすみなさい・・・」
都が目蓋を閉じる。少しすると、呼吸がゆっくりとしたものにかわる。大好きな都と手を繋いでいる幸福感。お互いの体温で温かくなる寝具に包まれる安心感。都の甘くて優しいにおい。僅かに聞こえるのは、互いの呼吸音と衣擦れの音。夜は不思議だ。永遠にこのままでいたい。今だけは世界に二人だけ。じんわりと疲れが身体から滲み出して、ふわふわと眠くなっていく。俺は目蓋を閉じた。
「ん・・・」
ふわふわ。
さらさら。
あたたかい。
「あっ・・・」
朝だ。俺は仰向けに寝ていて、都はいつの間にか俺に抱き着く形で寝ていた。安心しきった寝顔が可愛い。甘えられて嬉しい。こころの底から優しい気持ちが溢れてくる。キスしたい。キスしまくりたい。一種の『キュートアグレッション』で『ぐぬぅ』と変な声が出てしまった。
「んー・・・、みよぉ・・・」
「お、おはようございます・・・」
「おあよ・・・」
やっちまった。起こしてしまった。
「よく眠れた?」
「よぐねだ・・・」
もそもそと起き上がる。少し乱れた髪、崩れた寝巻き、寝惚けた表情。いつものきっちりと身なりを整えた姿からは想像できない程、無防備だ。
襲って食べちゃいたい。
我慢した。こんなにも無防備なのは、俺を信頼している証だ。ジャスミンは食欲よりも都の睡眠を優先したのだろう。ベッドに顎を乗せて『ぶぅん』と不満そうに鼻を鳴らし、じとっとした目で俺を見る。
「都、ジャスミンがお腹空いたってさ」
「わかったぁ・・・。あの、美代・・・」
「うん?」
「・・・また、一緒に寝てほしいです」
「あはっ、うん。喜んで・・・」
談話室、いつもの時間。
「来たか、直治・・・」
「なんだ?」
「同衾に成功したぞ」
「お前この家に来てから何年かかってのその台詞なんだよ」
「今日は人生最高の朝を迎えられたからな、多少の無礼は許してやろう」
「お前機嫌が良くても悪くても口が悪いな・・・」
淳蔵が呆れた様子で溜息を吐く。
「ま、都も元気になったし、美代も長年の夢が叶ったし。良かったってことで」
「兄さんは寛大だな・・・」