百十四話 秘めた怒り
文字数 2,679文字
白木刑事が客としてやってきた。都の右に淳蔵、左に俺、右手のソファーに直治が座り、談話室の外で千代が待機する。
「おはようございます。素敵な夢は見られましたか?」
「うーむ・・・」
白木はぽりぽりと額を掻く。
「あら、人には言えないような夢かしら。お疲れの方はそういう夢をよく見るそうなので・・・」
「妙な夢でしたよ」
「というと?」
「右手と右足が痛くて痛くて堪らんのですよ。身体もぴくりとも動かない。そんな私の顔を変な男が覗き込んでいまして、にやっと笑っているんですよ。男がぴんと立てた人差し指を、ゆっくりゆっくり回すと、痛みが、ふっ、と消えましてな。立ち上がった私の身体に、男は自分が着ていた、白い布のようなものを着せました。どうやら私は全裸だったようです。男に『いいのか』と聞くと、男は空中に手を伸ばして、なにかをサッと掴むような仕草をしました。そうすると、男の手に私に着せてくれた布と同じ布があるんですよ。男は黙ってそれを着ると、私の後ろを指差しました」
白木は自分の目の前、対面に居る都を指差した。
「私は田崎浩が死んだ〇〇駅のホームに居ました。駅のアナウンスが流れます。『快速電車が来るから線の内側に下がれ』とね。私の身体は、勝手に線路に向かって歩いていく。男も私の横に並んで歩いていた。まるで、散歩でもするかのようにね。男は詩を歌うようになにかを喋っていたが、全く聞き取れませんでした。私の知らない言語でした。男がぴたりと立ち止まり、私の肩をぽんぽんと叩いた。私はそれを合図に、線路に飛び込んで・・・」
「・・・飛び込んで?」
「そこで目が覚めました」
都はにっこり笑って頷き、白木は指を降ろした。
「まるで田崎の死に様みたいだとは思いませんか?」
「貴方が田崎さんに固執するから、そういう夢を見たのではないのでしょうか」
「右手と右足に、なにか答えがあるような気がするんですけどね」
「田崎さんは自殺でしょう? 監視カメラにも、野次馬のカメラにも、自分から線路に飛び込んだ瞬間が映っていたじゃありませんか。ニュースで見ましたよ」
「私は他殺だと思っていますよ」
「プライベートな時間を使って捜査ですか? それとも潜入調査でお仕事中なのかしら?」
「さあ、どちらでしょうね」
「まるでフィクションに登場する刑事みたいですね。こんな方が実在するとは」
「私も驚いていますよ。山奥に建てた大きな館の女主人。莫大な金と人脈を持ち、一部の人間からは夢を操る魔女と恐れられている。まるでフィクションに登場する人物みたいです」
「ウフフ」
「ハハハ」
俺達は客用の装いもせず、ただ黙って聞いている。
「うーん、知れば知るほど貴方に興味がわきますな」
「私は興味ありません」
「ハハッ、でしょうね」
「それで? なにが狙いなんですか?」
「狙い?」
「田崎さんのことで突いて動揺させて、なにか他の情報を引き出そうとしているように見えますね」
「・・・人探しをしていまして」
都が笑ったまま目を開き、首を傾げる。
「愛美、坂田愛美という人物を探しています。私の姪です」
淳蔵は反応しなかったが、俺と直治は反応してしまった。
「ああ、少し前にここで雇っていましたよ」
「仕事をやめた時の話を聞かせてもらいたい」
「やめたんじゃなくて、やめさせたんです。仕事はできないし、行儀はなってないし、おまけに失礼な方でしたから」
「それは失礼しました。愛美は弟の子供でね。弟の嫁、私から見た義妹が、常識のなってないヤツでして。弟は仕事で忙しくて愛美に構ってやれなかったから、愛美は義妹の影響を大きく受けて育ってしまったんです」
「今更そんな説明をされましてもねえ。ああ、やめさせた時の話でしたね。積もり積もったものもありますけれど、決定打は事務室を漁っていたこと、ですね」
「事務室?」
「はい。そちらの直治はメイド達の直属の上司です。直治は仕事中は事務室、昼過ぎの休憩時間は談話室で兄弟で会話をしています。お客様が居ない時だけそのように過ごすので、事務室に鍵はかけません。愛美さんは直治の休憩中に事務室に入って、なにを探していたのかはわかりませんけれど、事務室の中を漁っていたんです。特に酷いのは、直治のデスクの引き出しの鍵を、自分が持っていたボールペンでこじ開けようとして壊したことです」
「そんなことを・・・?」
「はい。どうしてそんなことをしたのか問い詰めたんですけれど、要領を得ない回答ばかり。それで解雇することを決めたんです。ね、直治?」
「はい」
直治が小さく頷きながら答える。愛美のした行為について、都は嘘は言っていない。愛美の要領の得ない回答を要約すると、『なにか面白いモノがあると思って探してしまった』ということだった。絞める数日前の出来事だったので、お咎めなしで許してやったのである。
「で、やめた当日のことは?」
「荷物をまとめさせて、タクシーを呼んで駅まで送らせました」
「タクシーの領収書は?」
「ありません。一刻も早く追い出したかったので、私のポケットマネーを渡して、運転手に釣りは要らないと」
「・・・愛美を雇ったのは何故です?」
「可哀想だと思ったので」
「可哀想、ですか」
「はい。愛美さん、〇〇事件の犯人でしょう?」
「知っていたんですか」
「ええ。寝食を共にするのですから、軽い身辺調査はしますよ。愛美さん、生活が立ち行かなくなって『デブ専風俗』で働いているなんて、可哀想じゃないですか。嫌味に聞こえるかもしれませんけれど、お金は有り余る程持っているものですから、どうせ雇うなら生活の苦しい女性を救ってあげたいと思っているんです」
「あのメイドもですか?」
「千代さんですか? 彼女も極貧生活を送っていましたよ」
「・・・傲慢ですな。金持ちの偽善です」
「なんとでも。私は偽善で千代さんに巡り合えましたので」
「あのメイドがそんなに大切ですか?」
「替えが効くかどうか、という考えすら腹立たしくなる程には」
「ふむ・・・」
白木は沈黙した。
「そろそろ帰ります。また来ますよ」
「またのお越しをお待ちしております」
白木はチェックアウトして帰って行った。見送りから戻ってきた千代の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
「み、都様ァ!」
「なあに?」
「う、うれじいでずぅ! 私なんがのごどぉぉぉ!」
「可愛いチェシャ猫さん、今夜はオムレツにしてね」
「はいぃ!! お仕事頑張りまずぅ!!」
千代が仕事に戻っていく。
「都、あの白木とかいうヤツ、やばいんじゃねえの?」
「俺もそう思う」
「殺すか?」
「物騒ねえ。暫く遊べるみたいだから放っておきましょう」
『都が言うなら』
俺達の声が重なった。
「おはようございます。素敵な夢は見られましたか?」
「うーむ・・・」
白木はぽりぽりと額を掻く。
「あら、人には言えないような夢かしら。お疲れの方はそういう夢をよく見るそうなので・・・」
「妙な夢でしたよ」
「というと?」
「右手と右足が痛くて痛くて堪らんのですよ。身体もぴくりとも動かない。そんな私の顔を変な男が覗き込んでいまして、にやっと笑っているんですよ。男がぴんと立てた人差し指を、ゆっくりゆっくり回すと、痛みが、ふっ、と消えましてな。立ち上がった私の身体に、男は自分が着ていた、白い布のようなものを着せました。どうやら私は全裸だったようです。男に『いいのか』と聞くと、男は空中に手を伸ばして、なにかをサッと掴むような仕草をしました。そうすると、男の手に私に着せてくれた布と同じ布があるんですよ。男は黙ってそれを着ると、私の後ろを指差しました」
白木は自分の目の前、対面に居る都を指差した。
「私は田崎浩が死んだ〇〇駅のホームに居ました。駅のアナウンスが流れます。『快速電車が来るから線の内側に下がれ』とね。私の身体は、勝手に線路に向かって歩いていく。男も私の横に並んで歩いていた。まるで、散歩でもするかのようにね。男は詩を歌うようになにかを喋っていたが、全く聞き取れませんでした。私の知らない言語でした。男がぴたりと立ち止まり、私の肩をぽんぽんと叩いた。私はそれを合図に、線路に飛び込んで・・・」
「・・・飛び込んで?」
「そこで目が覚めました」
都はにっこり笑って頷き、白木は指を降ろした。
「まるで田崎の死に様みたいだとは思いませんか?」
「貴方が田崎さんに固執するから、そういう夢を見たのではないのでしょうか」
「右手と右足に、なにか答えがあるような気がするんですけどね」
「田崎さんは自殺でしょう? 監視カメラにも、野次馬のカメラにも、自分から線路に飛び込んだ瞬間が映っていたじゃありませんか。ニュースで見ましたよ」
「私は他殺だと思っていますよ」
「プライベートな時間を使って捜査ですか? それとも潜入調査でお仕事中なのかしら?」
「さあ、どちらでしょうね」
「まるでフィクションに登場する刑事みたいですね。こんな方が実在するとは」
「私も驚いていますよ。山奥に建てた大きな館の女主人。莫大な金と人脈を持ち、一部の人間からは夢を操る魔女と恐れられている。まるでフィクションに登場する人物みたいです」
「ウフフ」
「ハハハ」
俺達は客用の装いもせず、ただ黙って聞いている。
「うーん、知れば知るほど貴方に興味がわきますな」
「私は興味ありません」
「ハハッ、でしょうね」
「それで? なにが狙いなんですか?」
「狙い?」
「田崎さんのことで突いて動揺させて、なにか他の情報を引き出そうとしているように見えますね」
「・・・人探しをしていまして」
都が笑ったまま目を開き、首を傾げる。
「愛美、坂田愛美という人物を探しています。私の姪です」
淳蔵は反応しなかったが、俺と直治は反応してしまった。
「ああ、少し前にここで雇っていましたよ」
「仕事をやめた時の話を聞かせてもらいたい」
「やめたんじゃなくて、やめさせたんです。仕事はできないし、行儀はなってないし、おまけに失礼な方でしたから」
「それは失礼しました。愛美は弟の子供でね。弟の嫁、私から見た義妹が、常識のなってないヤツでして。弟は仕事で忙しくて愛美に構ってやれなかったから、愛美は義妹の影響を大きく受けて育ってしまったんです」
「今更そんな説明をされましてもねえ。ああ、やめさせた時の話でしたね。積もり積もったものもありますけれど、決定打は事務室を漁っていたこと、ですね」
「事務室?」
「はい。そちらの直治はメイド達の直属の上司です。直治は仕事中は事務室、昼過ぎの休憩時間は談話室で兄弟で会話をしています。お客様が居ない時だけそのように過ごすので、事務室に鍵はかけません。愛美さんは直治の休憩中に事務室に入って、なにを探していたのかはわかりませんけれど、事務室の中を漁っていたんです。特に酷いのは、直治のデスクの引き出しの鍵を、自分が持っていたボールペンでこじ開けようとして壊したことです」
「そんなことを・・・?」
「はい。どうしてそんなことをしたのか問い詰めたんですけれど、要領を得ない回答ばかり。それで解雇することを決めたんです。ね、直治?」
「はい」
直治が小さく頷きながら答える。愛美のした行為について、都は嘘は言っていない。愛美の要領の得ない回答を要約すると、『なにか面白いモノがあると思って探してしまった』ということだった。絞める数日前の出来事だったので、お咎めなしで許してやったのである。
「で、やめた当日のことは?」
「荷物をまとめさせて、タクシーを呼んで駅まで送らせました」
「タクシーの領収書は?」
「ありません。一刻も早く追い出したかったので、私のポケットマネーを渡して、運転手に釣りは要らないと」
「・・・愛美を雇ったのは何故です?」
「可哀想だと思ったので」
「可哀想、ですか」
「はい。愛美さん、〇〇事件の犯人でしょう?」
「知っていたんですか」
「ええ。寝食を共にするのですから、軽い身辺調査はしますよ。愛美さん、生活が立ち行かなくなって『デブ専風俗』で働いているなんて、可哀想じゃないですか。嫌味に聞こえるかもしれませんけれど、お金は有り余る程持っているものですから、どうせ雇うなら生活の苦しい女性を救ってあげたいと思っているんです」
「あのメイドもですか?」
「千代さんですか? 彼女も極貧生活を送っていましたよ」
「・・・傲慢ですな。金持ちの偽善です」
「なんとでも。私は偽善で千代さんに巡り合えましたので」
「あのメイドがそんなに大切ですか?」
「替えが効くかどうか、という考えすら腹立たしくなる程には」
「ふむ・・・」
白木は沈黙した。
「そろそろ帰ります。また来ますよ」
「またのお越しをお待ちしております」
白木はチェックアウトして帰って行った。見送りから戻ってきた千代の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
「み、都様ァ!」
「なあに?」
「う、うれじいでずぅ! 私なんがのごどぉぉぉ!」
「可愛いチェシャ猫さん、今夜はオムレツにしてね」
「はいぃ!! お仕事頑張りまずぅ!!」
千代が仕事に戻っていく。
「都、あの白木とかいうヤツ、やばいんじゃねえの?」
「俺もそう思う」
「殺すか?」
「物騒ねえ。暫く遊べるみたいだから放っておきましょう」
『都が言うなら』
俺達の声が重なった。