二百四話 意外な一面

文字数 2,886文字

私は談話室を覗き込んだ。今日はお客様が居ない日。つまり淳蔵さんと美代さんと直治さんが談話室で会話を楽しんでいる日である。


「直治さァん」

「休憩だな、いいぞ」

「休憩は休憩なんですけれど、キッチンで都さんが悪巧みしてますよォ」

「悪巧み?」

「はァい! 皆さんで阻止したほうがよろしいかと」


お三方は予想がつかないのか、困惑しながらもソファーから立ち上がった。


「おや、桜子さん!」


客室の掃除が終わったのか、タイミング良く部屋から出てきた桜子さんを手招く。


「なんでしょう?」

「桜子さんも、都さんの悪巧みを阻止しに行きましょう!」


桜子さんは首を傾げた。しかしこの人、綺麗だなあ。172cmの長身で、肩と腰ががっしりしているけれど、手首や足首はきゅっと細い。お顔は小さくお胸は程良い大きさ。ナチュラルボブの黒い髪は少し青みがかかっていて、凛とした目元に筋の通った鼻、上唇は少し薄く下唇が少し厚いが、ぱっきりとした赤い口紅がよく似合っている。『クールビューティー』という言葉がぴったりだ。


「悪巧み、ですか? 一体どんな?」

「ニャふっ、都さんの意外な一面が見られますよ」

「わかりました。わたくしも行きます」


私達はキッチンに向かった。広いキッチンの隅、お客様が沢山来た時に食堂に設置する予備のテーブルや椅子を置いてあるスペースを見て、都さんが考え込んでいる。


「都?」


淳蔵さんが声をかける。振り返った都さんの手にはカタログが握られていて、私達に気が付くと、都さんの笑顔が引き攣った。


「こんなところでなにしてんだよ」

「あのー、ちょっと、模様替えでもしうよかなと・・・」

「・・・で、その手に持ってるものは?」

「少々、家具に目星を付けておりまして・・・」

「お出しなさい」


淳蔵さんが歩み寄り、手を差し出す。都さんがそっと、カタログを渡した。ご丁寧に水色の付箋が貼ってあって、淳蔵さんはすぐに都さんの『目星を付けた家具』がなんなのかに気が付いた。


「『ソフトクリームメーカー』は家具とは呼ばんだろ」


淳蔵さんがカタログを美代さんに手渡し、私達は後ろから覗き込む。


「5Lも作れるのか、これ」

「四十万もすんのか、これ」

「アレンジのレシピも豊富に載っていますねェ!」

「・・・これが、都様の悪巧み、ですか?」


桜子さんの言葉に反応して、都さんは焦り出した。


「悪巧みだなんてとんでもない! 良いこと尽くめだよ! 暑い夏には勿論のこと、冬に温かい部屋で食べるアイスって罪深くて美味しいじゃない! 三台買えばお客様にも提供できるし、三種類のフレーバーが堪能できるし、パンケーキに添えても良いじゃない! 皆で食べよう? ねっ? 従業員は食べ放題ってことで、ねっ?」

「なに三台も買おうとしてんだよ」

「駄目だよ、都。一度ハマったら無理にダイエットしてでも同じもの食べ続けようとするんだから」

「血糖値ボロボロになるだろ。健康に良くない」


都さんが悲しそうな顔をする。演技とわかっていても揺れ動くのか、お三方は『うっ』という心の声が聞こえてきそうな顔をした。


「一台だけにするから! ねっ? 千代さんと桜子さんも食べたいよね?」

「三台はどうかと思いましたが、一台なら、まあ・・・」


手入れは私がするんだし。


「ねっ? ねっ? 桜子さんも食べたいよね?」


都さんに気圧されたのか、桜子さんは少しだけ引き攣った笑いを浮かべた。


「は、はい、そうですね・・・」


美代さんが都さんにカタログを返す。


「都、変なダイエットしちゃ駄目だからね?」


都さんがにこっと笑う。にこにこ、にこにこ。そのまま淳蔵さんに近付いて圧をかけた。


「・・・一台だけだぞ」


淳蔵さんが長い腕を組み、呆れつつも承諾する。都さんは直治さんに近付いた。


「多数決・・・、とっても無駄だろうな。金鳳花も真理も甘いものが好きだって言ってたし・・・」


都さんは心の底から嬉しそうにカタログを抱きしめた。


「むふふふふふっ! 注文してきまーす!」


軽やかな足取りでキッチンを出ていく。桜子さんは都さんの背中を見送りながら、ぱちぱちと瞬いた。


「た、確かに、意外な一面、ですね・・・」

「ああいうところが可愛いんですよねェ」

「・・・都様は、『完璧な人間』ではないのですか?」

「なんだそりゃ? ンなもん存在しねえよ」


淳蔵さんが肩を竦める。


「『完璧な人間』が、子供のように必死になって、あのような表情を・・・」


淳蔵さんもキッチンを出ていく。淳蔵さんは、桜子さんが少し俯いて唇を薄く開き、瞳を揺らして動揺しているのを見逃さなかった。


「食べ過ぎないように監視しないとね・・・」


美代さんと直治さんも気付いたらしい。美代さんに続いて、直治さんは黙ってキッチンから出ていった。


「千代さん」

「はい?」

「わたくし・・・」


桜子さんは、胸の前で両手を握り合わせた。


「わたくし、変なんです」


私は黙って先を促す。


「・・・変なんです」

「はて、どのように?」

「・・・わたくしは『虫になれ』と言われて育ちました。プログラムに従って行動し、ただひたすらに機能美を追及せよ、と。ずっとそうやって生きてきたのに、なのに、」


桜子さんは素早く視線を左右に往復させ、唇を一度、噛み締めた。


「都様を見ていると、胸がざわついて、プログラムに支障が、『迷い』が、有るはずもない場所からわきでてくるのです」

「『一寸の虫にも五分の魂』、ですよ」

「・・・嫌いな言葉です」

「あ、もしかして、都さんに惚れちゃいましたか?」

「は、はあ!?」


私は初めて、桜子さんの大きな声を聞いた。


「珍しくありませんよ? 都さんを好きになっちゃう女の子。メイドだけでなく、お客様や仕事関係の方まで。恥ずかしがることではありませんよ」

「そっ、そんな馬鹿なことが起こるはずありません!」

「おやま、私の勘違いでしたか。失礼しました」

「仕事の続きがあるので失礼します!」

「はい。お仕事頑張ってくださいね」


いつもより早い足取りで、桜子さんもキッチンから出ていった。


「あんな堅物まで雌にするとは・・・。都さんはとんでもない『たらし』ですなあ・・・」


ヴヴ、とプライベート用の携帯が鳴った。メッセージが入ったらしい。


『注文しちゃったですわよ』


都さんからである。今日は『お嬢様』の気分らしい。


『いつ届きますのですの?』


私はそう返信した。


『来週の火曜日、十四時ですわよ』

『明日にはキッチンにスペース作りますわね』

『唐揚げにかけると新たな世界が広がるらしいですわ』

『それはいかんですわ。美代お姉様にチンコロいたしますわよ』

『おやめくださいまし! 堪忍ですから! 後生ですから!』

『チョコスプレーを無茶苦茶に振りかけるので我慢なさいまし』

『アラザンもよろしいかしら?』

『よくってよ。準備しておきますわ』

『ありがとうございますですわ。では、ごきげんよう』

『ごきげんよう』


「・・・にひひ」


田舎の村娘が、貴族のお嬢様と秘密の友情を育んでいる時、きっとこんな気分なのだろう。超えられない壁は確かに存在し、それは超えてはいけない壁でもあるのだ。

私はこれでいい。

人に言えぬ秘密があってこそ、人生は面白いというもの。

そうでしょ、桜子さん。
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