六十六話 天然

文字数 2,556文字

五月下旬。雅が三年生になった最初の中間テストが返ってきた。全て90点台で、現代文が100点だった。


「おお! 凄いじゃないか!」

「えへへ、頑張ったでしょ!」


俺は頭を撫でてやる。雅はちょっと吃驚したあと、嬉しそうに笑った。淳蔵に言われた通り気持ち良く出て行ってもらうために優しくするのも抵抗が無くなってきた。都に敵対心を向けることも無くなり、感謝するようになったし、順風満帆だ。


「私ね、二つ隣の町にある〇〇会社の事務員になろうと思うの。だから、パソコンのエクセルとワード、パワーポイントも教えてほしい。あと、簿記の資格も取りたい!」

「ん、わかった。夕食のあとに時間を作るよ」

「やった! ありがとう!」

「よし、次のテストも良い点が取れるように、勉強するぞ」

「うん!」


暫く勉強を続けていると、ばたばたと慌ただしい足音が談話室に近付いてきた。


「ねえっ、私の仕事用の携帯知らないっ?」


焦った様子で現れた都は、右手に仕事用の携帯を持っている。俺達はぽかんとしてしまった。


「あのっ、黒い革のスマホカバーのやつっ、あと十分で仕事の電話をかけなくちゃいけないんだけどっ、見つからなくてっ」

「都、お酒飲んでる?」

「飲んでないっ」

「最後に携帯見たの、いつ?」

「三十分前! ちゃんと机の上に置いておいたのっ、充電できてるか確認しようと思って手に取ったらっ、ジャスミンがおやつの棚を引っ張って中身をひっくり返してっ、片付けてる間になくなっちゃってっ」


淳蔵が両手で顔を覆って俯き、顔を撫でた。直治は口元を手でおさえて堪えている。雅は続けてぽかんとしていた。


「都さん、右手に持ってるモノなんですか?」

「ふえ?」


俺が言うと、都は右手を見て、笑いながら崩れ落ちた。


「く、っふっふっふ・・・」

「んんっ、っく、うう・・・」

「っぷ、うう、っぐ・・・」

「見つけてくれてありがとう・・・。お騒がせして失礼しました・・・」


都はそそくさと去っていった。


「だ、大丈夫なの? 都さん、疲れてるんじゃない?」

「いや、時々ああいうことするんだよ。この前は『書斎の高いところにある本を取ってほしい』って言って俺の部屋に来たことがあってな」


淳蔵が言うと、雅が吃驚した。


「書斎って、小さな脚立置いてなかったっけ?」

「置いてる置いてる。部屋の入り口にな。で、本を取ったあとに指摘したら顔を真っ赤にして『椅子かと思った』って言ってた」

「天然だね・・・。美代は都さんの天然エピソードってある?」

「この前、事務室に来て話をしたあと、出る時にドアをノックしてたよ。ノックしたあとに気付いたらしくてドアに凭れ掛かって笑ってたな」

「えー・・・。直治は?」

「『ワイヤレスマウスが動かなくなったから見てほしい』って言われて見に行ったら、マウスの電池が切れてたことがあった。都はUSB側の問題だと思ってずーっとUSBを弄ってたよ。で、部屋に戻ったら今度は『USBが挿さらなくなっちゃった』って言うからもう一回見に行ったら、ずっと反対方向でガチャガチャ挿そうと頑張ってたよ。挿しっぱなしだったから軽く掃除しようと思って引っこ抜いたら挿さらなくなったと。俺がひっくり返して一発で挿したら不思議そうな顔をしてたから説明したら、顔を真っ赤にして泣きそうになりながら何度も謝罪された」

「へえー!」


ひょこ、と千代が談話室に顔を出す。


「直治様ァ!」

「休憩だな。いいぞ」

「あっ、千代! ちょっとちょっと!」

「おお、雅さん、どうしました?」

「皆で都さんが天然だねって話をしてたの。千代は都さんの天然エピソードってなにかない?」

「ああ、ありますよォ。都様と雑談をしている時に、明日の朝食をごはんとパン、どちらにしようかと思ってお聞きしたら、『ごパン』とお答えになったんです。『ごはんとパンですか?』と聞き返したら、暫く考えてから顔を真っ赤にしてましたねェ」

「へえー。私もこの前、ちょっと『アレ?』って思うことがあったんだけど、あれも天然だったのかなあ?」

「というと?」

「この前、二人で談話室でテレビ見てたの。サラダの特集をやってたんだけど、具材に使われてるキクラゲが凄く高いキクラゲだったらしくて、テレビが密着取材してたのね。そしたら栽培してるところを見た都さんが『あれっ? キクラゲって茸なの?』って言ってた」

「あー、海藻だと思ってたんだろうな。天然爆発してんなァ」

「変なところ抜けてるよな」

「そこが可愛い」


直治が言う。俺と淳蔵は頷いた。


「では、私は失礼しますねぇ。三十分で戻ります!」

「おう、お疲れ」

「な、る、ほ、どー。バリバリ仕事できちゃう綺麗なお姉様がそういう一面を見せると、みーんな父性をくすぐられちゃうのかぁ」


雅が変な分析をしている。


「あっ、そうだ! 皆に聞きたかったんだけど、自転車乗れる人いる?」

「俺は乗れねー」

「俺も乗れない」

「俺も」

「えー、変なの。免許がないと乗れない車には乗れるのに?」

「こんな山奥で自転車に乗ってどうすんだよ。車が運転できりゃ十分だ。ま、ペーパードライバーのヤツもいるけどな?」


淳蔵が俺を見てにやっと笑った。


「はいはい、わかったよ。今度練習に付き合え」

「お願いする態度かよ」

「お兄様、美代のお車の運転の練習に付き合ってくださいませ」

「ごめん俺が悪かったそのままのお前でいてくれ」

「で、雅。自転車が欲しいのか?」


直治が話を戻す。


「うん。都さんにお願いしたら『いいよ』って言ってくれたんだけど、都さんは自転車に乗れないから、淳蔵達に乗れるか聞いてみなさいって言われたの。千代は乗れるかなあ?」

「乗れないヤツの方が珍しいだろ」

「そっかあ。私、就職したらゴールデンウィークとかお盆とかお正月休みとか、お爺ちゃんのところにも行くけど、ここにも帰ってくる予定なの。その時は電車と自転車で来ようと思ってさ。いつか車の免許も取るつもり!」

「は? 帰ってくんの?」

「都さんはいいって言ってたよ。私、知ってるんだから。淳蔵達が反対しても、都さんがいいって言ったら、皆、嫌々でも賛成に傾いちゃうの。都さんは『最後の砦』ってヤツ?」

「ったく、無駄に賢くなりやがって・・・」

「えへへー、美代のおかげ」

「嬉しくねえよ」

「えへへー」


やれやれ。こいつの顔を見なくてもよくなる日が来るのは、先の話になりそうだ。
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