三百八話 燃えるような愛

文字数 2,453文字

桃野の家に着いた。


「祖父は地下のアトリエに居ます」


忍の先導で階段を降り、一番奥の部屋のドアの前に立つ。

こんこんこん。


「お爺様、僕です。忍です」


返答は無い。


「美代さん、祖父は中に居ます」


俺は頷いた。忍がドアを開ける。真っ暗な部屋の中で、痩せ細った老人が蝋燭の灯りを頼りに絵を描いていた。

俺の絵だった。

ぱち、とスイッチを入れた音がすると、部屋の照明がついた。俺は左右を見渡した。様々な角度で描かれた俺の絵が、『一条美代』の顔がある。ぱたん、とドアが閉まる。振り返った壁にも、ドアにも、俺が居た。


「祖父は、ある日突然、いがみ合っていた父に社長の座を譲り、祖母と離婚して、『誰にも邪魔されたくない』と言って地下室を作り、絵を描き始めたのです。この部屋に来るまでの間にあった部屋の中には、今まで描いた絵が保管されています」

「へえ・・・」


描かれた一条美代は、全て微笑だ。


「貴方は、祖父になにをしたのですか」

「・・・俺? 俺はなにも。仕事の話をしただけだよ」


若かりし頃の二代目、桃野尊という男に、俺は仕事用の笑顔で仕事の話をしただけだ。ゆっくりと身体ごと回転して部屋を見渡してみる。こつ、こつ、と、小さく俺の足音が響く。


「貴方は祖父になにをしたのですか! 美代さん!」


忍が俺の名を呼ぶと、それまで俺達のやりとりを無視して絵を描いていた尊の動きが、ぴく、と止まった。


「お兄ちゃん! お爺様が・・・!」


尊がゆっくりと振り返る。生気の無い瞳は俺の姿を捉えると、カメラのレンズを調節するように目を見開いた。


「ハッ・・・カハッ・・・」


ひゅう、ひゅう、と喉を鳴らす。震えながら俺を指差す。


「こんにちは、尊さん。いや、もうこんばんはかな?」


俺は自分の腰に手をあて、


「それ、残しておくと危険だね」


指輪の『スイッチ』を入れて絵を燃やした。


「きゃあああああッ!!」


藍が叫ぶ。


「な、何故燃えてッ、藍!! 外に出なさい!!」


俺はドアノブを火傷しない程度に熱する。


「やあッ!! ノブが、ノブが!!」

「なんてこと、なんでこんなことに、何故、なんで・・・」

「お、お兄ちゃん!! しっかりして!!」

「何故、僕はここに・・・?」

「お兄ちゃん!! 『お兄ちゃんがお爺様が一目惚れした相手に似た美代さんをここに連れて来たんじゃない!!』」

「あ、ああ、なんてこと!! 『お爺様が錯乱して火を!!』 美代さん!! 早く逃げましょう!!」


兄妹は再びまやかしの中に堕ちた。俺はドアノブを握ってドアを開け、二人を外に放り出すと、ドアを閉めた。


「忍さん! 藍さん! 早く逃げてください! 早く消防車を!」

『美代さん!! 貴方も早く逃げてください!!』

「僕のことは気にしないで! 早く助けを呼んでください!」


僅かな足音、二人分、遠退いていく。


「・・・さて、」


緑の炎が部屋を包む。


「ごめんね、尊さん。俺の笑った顔も怒った顔も泣いてる顔も、一条都だけのモノなんだ。だから、勝手にこんなことされたら、困るよ」


焼死は苦しかろう。俺は素早く尊の首を掴み、べき、と骨を折った。壁の美代達が醜く焼き崩れていく。俺自身も炎に包まれたが、熱くない。それどころか服やポケットに入っているモノすら熱を帯びない。俺を構成する一部であるモノは俺に燃やされることはないのだ。つまり、壁の美代達は俺ではないのだ。崩壊したドアを蹴破って廊下に出た。部屋の一つ一つの美代達を燃やす。部屋の一つ一つの微笑の美代達を燃やす。部屋の一つ一つの偽りの俺を燃やす。そうして外に出る頃には、日はとっぷりと暮れていた。火は地下から燃え移り、一階を蝕んでいる。赤い炎。俺は携帯を二つ取り出し、電源をオフにした。少し一人になりたかったからだ。車に乗り、桃野家の敷地を出る。敷地の外で藍に抱き着かれながら携帯で必死に助けを呼んでいる忍が、俺に気付くことはなかった。


「おう、火事だってよ」

「この近くじゃないのぉ」


常連客であろう男と店主の女がテレビを見ながらそう話している。


「お会計を」

「ああ、はいはい。こちらです」


俺は古い手打ちレジで会計を済ませ、車を走らせる。館まで二時間かかる。夜の海沿いの道は、暗くて静かだ。ラジオをかけると、どこかで聴いた歌が流れてきた。


『しんぴはしらない おのれが きせきだとは』


都が、どこかで、歌っていたような・・・。


「歌、か・・・」


都は歌が嫌いだ。正確には歌わされるのが嫌いだ。どうしても歌わされる自分を連想してしまうから歌が嫌いらしい。母親との因縁である。母親からのトラウマである。そして、母親からの虐待の傷跡である。でも、俺は知っている。直治がまだ若かった頃、直治の部屋に呼ばれた都が、乞われて子守歌を歌っていたことを。六月の初めのことだ。窓を開けていると気持ち良い風が吹いてくるからと、俺も直治も窓を開けていたのだろう。都の歌声は、澄んでいて冷たいのに、優しく温かい。俺は直治に嫉妬の念を抱かず、不思議と直治に感謝しながら、何度か眠りに就いたのだった。


「美代、おかえり」


玄関で都は待っていた。いつだってそう。都は忙しいのに、見送りは必ずしてくれるし、帰りが遅い日は出迎えもしてくれる。


「ただいま戻りました」


にこり、と微笑んでみせる。


「都に話そうと思ってたんだけど、やっぱり内緒にする」

「どうして・・・」

「淳蔵と直治には話すよ。それと、桃野社長は無事だよ。家は燃やしたけど」


都は唇をきつく結び、鼻から息を吐いて肩をゆっくりと下げる。


「・・・そうね、貴方はもう『秘書』じゃなくて『副社長』だもの。私にかわって判断を下すことも、あるわよね」

「そうですよ、社長。夜更かしは美容の大敵です。もうおやすみください」

「おやすみなさい」


都が階段を登っていく。

ごめんね、都。

きっとこれから都を沢山怒らせる。沢山悲しませる。

偽りの俺が、あんなにも美しいだなんて知らなかったんだよ。

淳蔵と直治だってそうだ。

都じゃない人から愛情を向けられる姿は、

きっと都にとって、とてつもない苦痛だろうから。

全て、燃やしてしまうね。
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