二百三十五話 夜這い
文字数 1,983文字
愛坂が人がかわったように勉強に打ち込み始めた。動機は単純で不純。淳蔵に恋をしたから。夢で見て、淳蔵は都のものだと知っているだろうに。
金曜日、夜。今日は淳蔵と同衾する日。俺はベッドにうつ伏せになって肘をつき、手に顎を乗せて淳蔵の横顔を見ていた。淳蔵は鏡台と向かい合い、真剣に髪の手入れをしている。少し癖のある、緩く波打つ艶のある髪。
「『からす』の濡れ羽色の髪だな」
「ハハッ、違いない」
淳蔵が笑う。美しい黒い髪に包まれた、陶器のような白い肌。高い鼻に薄い唇。印象的な切れ長の目を彩る睫毛は、食虫植物の棘のようで、一度魅入られたら、獲物は決して逃れられない。その目元を緩めて、俺に微笑む。
「うーん、捕まった気分」
「なにに?」
「お前に」
「お前も惚れたか?」
「かも」
淳蔵が再び笑った。髪の手入れを終え、ベッドに二人で横になる。淳蔵も直治も俺のために予備の枕を置いてくれているので、俺はそれを使う。淳蔵の枕は髪を痛めない素材で作った特別製だ。さらさらつるつるしていて、結構気持ちが良い。今日は商談に行ったので、疲れて眠い。淳蔵が俺の肩をゆっくりと、とん、とん、と叩くと、すぐにとろとろと微睡みがやってくる。
こんこん。
ぱち、と目蓋を開いた。淳蔵を見上げると、対応する気が無いのか目を閉じている。
こんこん。
淳蔵が目を開ける。俺が頷くと、淳蔵は顔を横に振った。
こんこんこんこん。
焦ってノックしている、という感じではない。
こんこんこんこん。
愛坂だろう。淳蔵は眉間に皺を作る。
こんこんこんこんこんこん。
「うるせーなァ・・・」
こんこんこんこんこんこん。
「行ってこいよ」
こんこんこんこんこんこん。
「・・・ったく」
淳蔵はベッドから起き上がり、部屋の電気を点け、ドアを少し開けた。淳蔵の陰になって、俺からは愛坂の姿が見えない。
「淳蔵さん、こんばんは」
「夜這いなら間に合ってます」
「えっ?」
淳蔵がドアを閉めようとしたらしい。
「痛いッ!!」
愛坂が大きな声を上げた。淳蔵が慌ててドアを全開にする。
「指を挟まないでよッ!!」
「いやあんたが挟んできたんだろうが」
「私、女優なのよッ!? 女優の身体は商品なんだからッ!!」
「商品なら大切にしろよ」
「いいから部屋に入れてよ!! 早く!!」
淳蔵が身体をドアの横に躱すと、愛坂が入ってきて、俺と目が合った。二人共吃驚して固まってしまった。愛坂はピンクのネグリジェを着ている。細い肩紐で、胸元がざっくりと開いていて、丈は下着が見えそうな程短い。淳蔵は呆れた様子で自分の腰に手を置く。
「ほら、夜這いなら間に合ってますから」
「俺、お邪魔なら帰るけど?」
「足の骨折るぞ馬鹿美代」
俺は起き上がってベッドに座った。
「なんで、美代さんが、こんなところに・・・」
「兄弟仲良く一緒のベッドで寝てるだけですよ」
「きょっ、兄弟って、貴方達、血が繋がってないじゃないっ!」
「それがなにか問題でも?」
淳蔵は、心底面倒臭い、という顔で答える。愛坂は拳を握りしめ、顔をくしゃくしゃにした。
「・・・絶対、変なことしてたでしょ」
「変なこと?」
「キモい・・・最低・・・」
愛坂は静かに泣き始めた。
「愛坂さん、そんな格好でなにをしに来たのか知りませんけれど、俺、これから美代と寝るんで帰ってもらえますか?」
「なんでこんなことするのぉっ!? 私の気持ちを知っててこんなことっ!!」
淳蔵は盛大に溜息を吐いた。
「『こんなこと』って言われてもね。貴方が一条家に来るずーっと前から、金曜日は美代と添い寝する日って決めてるんですよ」
「はあ!?」
愛坂の騒ぐ声を聞きつけたのか、直治がひょこっと部屋の中を覗き込み、愛坂の格好を見て吃驚する。
「おー、直治」
「なんの騒ぎだ?」
「金曜日、お前、美代と添い寝してるよな?」
「は? してるけど・・・」
愛坂が直治をぎろりと睨んだ。直治はたじろがず、不思議そうに首を傾げる。愛坂は黙って、荒い足取りで部屋を出ていった。淳蔵が直治を手招き、直治は部屋に入ってドアを閉める。
「なんだ一体?」
「夜這いだろ」
「呆れた。礼儀作法を学ぶ場にあんな服持って来たのかよ」
「一条家の息子は美青年揃いって有名ですしなあ」
「念のため、ってか? 下らねえ」
直治は腕を組んだ。
「明日から大変だなァ」
「なんとかするさ」
「悪いな」
「兄さん、お兄ちゃんは明日も商談だ。早く寝かしつけてやれ」
「はいよ、おやすみ」
「おやすみ」
直治は部屋を出ていった。淳蔵が鍵をかけ、電気を消す。そして俺の横に腰掛けると、鼻で息を吐いて眉間を指で揉んだ。
「顔が良過ぎるってのも考えモンだな」
「まーた色んな人を敵に回す発言してる」
「女と色恋は切り離せないのかねえ」
淳蔵がベッドに横になった。俺も再び横になる。
「都の目論見通り、桜子が明日から苦労しそうだなあ」
「全く意地悪な生きものだよ、一条都って生きものは」
「違いない」
淳蔵が呆れて笑った。
金曜日、夜。今日は淳蔵と同衾する日。俺はベッドにうつ伏せになって肘をつき、手に顎を乗せて淳蔵の横顔を見ていた。淳蔵は鏡台と向かい合い、真剣に髪の手入れをしている。少し癖のある、緩く波打つ艶のある髪。
「『からす』の濡れ羽色の髪だな」
「ハハッ、違いない」
淳蔵が笑う。美しい黒い髪に包まれた、陶器のような白い肌。高い鼻に薄い唇。印象的な切れ長の目を彩る睫毛は、食虫植物の棘のようで、一度魅入られたら、獲物は決して逃れられない。その目元を緩めて、俺に微笑む。
「うーん、捕まった気分」
「なにに?」
「お前に」
「お前も惚れたか?」
「かも」
淳蔵が再び笑った。髪の手入れを終え、ベッドに二人で横になる。淳蔵も直治も俺のために予備の枕を置いてくれているので、俺はそれを使う。淳蔵の枕は髪を痛めない素材で作った特別製だ。さらさらつるつるしていて、結構気持ちが良い。今日は商談に行ったので、疲れて眠い。淳蔵が俺の肩をゆっくりと、とん、とん、と叩くと、すぐにとろとろと微睡みがやってくる。
こんこん。
ぱち、と目蓋を開いた。淳蔵を見上げると、対応する気が無いのか目を閉じている。
こんこん。
淳蔵が目を開ける。俺が頷くと、淳蔵は顔を横に振った。
こんこんこんこん。
焦ってノックしている、という感じではない。
こんこんこんこん。
愛坂だろう。淳蔵は眉間に皺を作る。
こんこんこんこんこんこん。
「うるせーなァ・・・」
こんこんこんこんこんこん。
「行ってこいよ」
こんこんこんこんこんこん。
「・・・ったく」
淳蔵はベッドから起き上がり、部屋の電気を点け、ドアを少し開けた。淳蔵の陰になって、俺からは愛坂の姿が見えない。
「淳蔵さん、こんばんは」
「夜這いなら間に合ってます」
「えっ?」
淳蔵がドアを閉めようとしたらしい。
「痛いッ!!」
愛坂が大きな声を上げた。淳蔵が慌ててドアを全開にする。
「指を挟まないでよッ!!」
「いやあんたが挟んできたんだろうが」
「私、女優なのよッ!? 女優の身体は商品なんだからッ!!」
「商品なら大切にしろよ」
「いいから部屋に入れてよ!! 早く!!」
淳蔵が身体をドアの横に躱すと、愛坂が入ってきて、俺と目が合った。二人共吃驚して固まってしまった。愛坂はピンクのネグリジェを着ている。細い肩紐で、胸元がざっくりと開いていて、丈は下着が見えそうな程短い。淳蔵は呆れた様子で自分の腰に手を置く。
「ほら、夜這いなら間に合ってますから」
「俺、お邪魔なら帰るけど?」
「足の骨折るぞ馬鹿美代」
俺は起き上がってベッドに座った。
「なんで、美代さんが、こんなところに・・・」
「兄弟仲良く一緒のベッドで寝てるだけですよ」
「きょっ、兄弟って、貴方達、血が繋がってないじゃないっ!」
「それがなにか問題でも?」
淳蔵は、心底面倒臭い、という顔で答える。愛坂は拳を握りしめ、顔をくしゃくしゃにした。
「・・・絶対、変なことしてたでしょ」
「変なこと?」
「キモい・・・最低・・・」
愛坂は静かに泣き始めた。
「愛坂さん、そんな格好でなにをしに来たのか知りませんけれど、俺、これから美代と寝るんで帰ってもらえますか?」
「なんでこんなことするのぉっ!? 私の気持ちを知っててこんなことっ!!」
淳蔵は盛大に溜息を吐いた。
「『こんなこと』って言われてもね。貴方が一条家に来るずーっと前から、金曜日は美代と添い寝する日って決めてるんですよ」
「はあ!?」
愛坂の騒ぐ声を聞きつけたのか、直治がひょこっと部屋の中を覗き込み、愛坂の格好を見て吃驚する。
「おー、直治」
「なんの騒ぎだ?」
「金曜日、お前、美代と添い寝してるよな?」
「は? してるけど・・・」
愛坂が直治をぎろりと睨んだ。直治はたじろがず、不思議そうに首を傾げる。愛坂は黙って、荒い足取りで部屋を出ていった。淳蔵が直治を手招き、直治は部屋に入ってドアを閉める。
「なんだ一体?」
「夜這いだろ」
「呆れた。礼儀作法を学ぶ場にあんな服持って来たのかよ」
「一条家の息子は美青年揃いって有名ですしなあ」
「念のため、ってか? 下らねえ」
直治は腕を組んだ。
「明日から大変だなァ」
「なんとかするさ」
「悪いな」
「兄さん、お兄ちゃんは明日も商談だ。早く寝かしつけてやれ」
「はいよ、おやすみ」
「おやすみ」
直治は部屋を出ていった。淳蔵が鍵をかけ、電気を消す。そして俺の横に腰掛けると、鼻で息を吐いて眉間を指で揉んだ。
「顔が良過ぎるってのも考えモンだな」
「まーた色んな人を敵に回す発言してる」
「女と色恋は切り離せないのかねえ」
淳蔵がベッドに横になった。俺も再び横になる。
「都の目論見通り、桜子が明日から苦労しそうだなあ」
「全く意地悪な生きものだよ、一条都って生きものは」
「違いない」
淳蔵が呆れて笑った。