百二十九話 すっぴん

文字数 2,427文字

「・・・ん? んっ? あれっ?」


『14:53』


「えっ・・・。う、嘘ォ!? ね、寝坊っ!!」


俺は慌ててベッドを飛び出し、服を着替えて歯を磨き、都の部屋に向かった。

こんこんっ!


『んっ? どうぞ』


ドアを開ける。


「ごめんなさいっ、寝坊しました!」

「ね、寝坊?」


都が首を傾げる。


「俺っ、いつも七時までには仕事を始めてたのに、ごめんなさいっ」

「ちょっと美代、落ち着いて。直治は千代さんの仕事の関係上、出勤時間と退勤時間を設けてるけど、貴方にはないでしょ?」

「い、いや、でもっ」

「フフ、ワーカーホリックさん。疲れて寝ちゃったんでしょう? 今日は仕事はなーし。軽くなにか食べて、談話室で兄弟と遊んでらっしゃいな」


都が俺の頬に軽くキスをした。俺はもう一度都に謝ってから、談話室に向かった。


「やっほー、美代! 雅ちゃんだよ!」

「そーかよ」

「あれ? 顔色悪いけど大丈夫?」


淳蔵が雑誌から顔を上げる。


「なんだ、すっぴんなだけじゃねえか」


そう言って雑誌に視線を戻した。俺はいつもの席に座った。


「えっ、嘘! 美代、すっぴんなの!?」

「そーだよ悪かったな」

「う、嘘嘘嘘ォ! だって、大して顔かわってないじゃん!」

「かわるっつの!」


俺は心底苛々していた。寝坊した自分に苛立っているのと、腹が減っているせいもある。


「美代、なんか飯持ってくるか?」


察した直治がそう言ってくれた。


「悪い、頼む」

「おう」


自分の休憩中なのに、優しい男だ。


「美代」

「なんだ」

「具合どうだ」


淳蔵も優しい。


「すこぶる元気だよ」


ちらりと俺を見ると、口角を上げた。直治が卵かけごはんとお茶を持って戻ってくる。


「エッ!? 美代、そんな貧乏臭いもの食べるの!?」

「大好物なんですが??」

「ごっ、ごめんなさい」

「お前まさか、外にいる時もそんな口の利き方してないだろうな?」


俺は木製のスプーンで卵と白米をかき混ぜながら言う。


「してないよっ! だって、お母さんにも学生時代の友達にもやっちゃって、学習したもの・・・」

「ふうん。ならいいけど。一条家の顔に泥を塗るなよ」

「き、機嫌悪いなぁ・・・」

「うるせえ」

「美代、早く食え」


直治が急かす。俺は黙って食事を始めた。


「淳蔵と直治はなにか顔のお手入れしてるの?」

「俺はなにもしてない」

「えっ、ナチュラルでその顔なの・・・。淳蔵、ずるい・・・」


確かに、淳蔵はずるい。なにもしないであの顔なのは本当だ。


「直治は?」

「眉毛と髭の手入れ。あと洗顔」

「あ、直治はそれなりに気を遣ってるんだ」


雅は『うーん』と唸った。


「皆は都さんのすっぴん見たことある? 私、ないんだよねえ」

「あ? お前も何度も見たことあるだろ」

「えっ、いつ・・・?」

「都に風呂に入れてもらったことあるだろ。風呂上がりに化粧水塗ってるところ見たことないのか?」


雅は、はっ、とした表情になった。


「えーっ! ちょっと顔が狐っぽくなるだけじゃん・・・」


確かに、都のすっぴんは狐っぽいというか、目は大きいが目尻がちょっと上がり過ぎているので、印象を柔らかくするような化粧をしている。


「ねえ、美代。なんで卵かけごはん好きなの?」


俺は咀嚼したものをちゃんと飲み込んでから答えた。


「食欲のコントロールがまだできてなかった頃に、都に食べさせてもらってたから」

「食欲のコントロール?」

「元居た家じゃまともに食わせてもらえなかったんでね。都のところに来てからは一日三食、満腹まで食べさせてもらってたけど、それでも物足りなくて、都にねだって、色々食べさせてもらってたんだよ」

「へえー・・・」

「一番多かったのが卵かけごはん。塩昆布とか七味入れる時もあったな。ちょっと手間がかかってるものは、トーストにスクランブルエッグを乗せてケチャップかけたヤツとか、ロールパンに切れ目を入れて、カレー粉で炒めたキャベツとソテーしたウィンナーを挟んだヤツとか・・・」

「おい待て」


淳蔵が組んだ足を元に戻して座り直す。


「なんだその、スクランブルエッグだとかソテーしたウィンナーだとか。そんなん俺やってもらったことないぞ」

「俺もない」

「私、ある・・・」


淳蔵と直治が、雅をあまりよろしくない目で見る。


「受験勉強頑張ってた時期と、高校のテスト前後とか・・・」


淳蔵が黙って携帯を取り出して文字を打ち込み始めた。


「でさぁ、美代、食欲のコントロールってどうやるの?」


不機嫌な淳蔵から話題を逸らそうとしたのか、雅が言う。


「最初は、間食はなるべく避ける。間食するくらいなら三食満腹食べた方がいい。一食ずつ減らしていって、一日三食になったら、少しずつ量を減らして腹八分目くらいで満足できるようにするんだ。暫く続けると胃が小さくなってきて、結構するする痩せるぞ」

「ほえー・・・。私には無理そう」

「だろうな」

「あははっ、ひどぉーい」


ぱたぱたぱた、と都が早足で談話室にやって来る。


「すみませんっ! 今すぐ作りますっ! 人数分っ!」


と言って、談話室を出て行った。


「直治も食うだろ? 『ウィンナーカレーパン』とやら」

「おう」

「俺も食う」

「お前も食うのかよ。胃が小さいとかなんとか言ってなかったか?」

「気のせいじゃないか?」

「そーですか」

「わっ、食べるの久しぶりぃ!」

「そーですか」

「機嫌直しなよぉ。今から食べられるんだからさ!」


千代がひょこっと談話室に顔を出す。


「直治様ァ!」

「休憩だな、いいぞ」

「なにやら都様がご馳走してくださるそうなので、有難く頂きますねェ!」

「俺達も食う。お前も家族団欒に加われ」

「おッ! わッかりましたあ! あら? 美代様、食器洗ってきましょうか?」

「勤務時間外だろう? 自分で洗ってくるよ」


俺は食べ終わった食器を持って、キッチンに向かう。都が一生懸命キャベツを千切りにしていた。


「母さん、兄貴に怒られたのかい?」

「それはもう・・・」

「手伝おうか?」

「一人で頑張りますぅ」

「俺の分もよろしくね」

「はい・・・」


俺は食器を洗って拭いて、棚に戻す。可愛い背中を見つめてから、談話室に戻った。
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