三百三十話 金魚

文字数 1,929文字

「千代、焼酎と唐辛子と大葉持ってこい」

「はァい!」


不快感が少し落ち着いたのか、淳蔵がリラックスした様子でソファーに座り直す。


「お持ちしましたァ!」

「『金魚』って飲み方教えてやるよ。キメてから飲むと馬鹿程酔えるんだけど、普通に飲んでもキッツいぞ」


淳蔵がグラスに焼酎を注ぎ、大葉を飾るように入れ、唐辛子も入れる。


「大葉が水草、唐辛子が金魚みたいで綺麗、っつってな。飲んでみ」

「直治」

「お前ら弟を虐めるなよ! こえーなあもう・・・」


ちろり、と舐めるように飲む。


「うっわ辛い・・・。辛いなこれ・・・。千代、絶対飲むなよ。都もやめとけ。明日起きられなくなるぞ」

「ヒエッ! 直治さん、顔真っ赤ですよ! 私が飲んだら下手しなくても死んぢゃいますニャァ!」

「直治、もう飲まない方が・・・」

「おう、やめとく。ほれお兄ちゃん」


美代が俺から酒を受け取り、飲む。


「かッらい! これはザルの俺でもヤバいぞ・・・」

「あの、わたくしも、少しだけ・・・」

「桜子君、本当に少しだけだよ」

「はい。いただきます」


桜子に酒を渡す。


「うッ!? き、キツいですね・・・」

「ハハハ、もっとキツい飲み方があンのよ」


淳蔵が笑う。


「唐辛子じゃなくて、七味唐辛子入れんの。大量にな。んで吸ってた煙草でグルグル混ぜんだ。辛いし臭いし気持ち悪いしで飲めたモンじゃねえ。でも『先輩の言うことは絶対』だからな。『乾杯』って言われたら一気飲みすンだよ。『杯を乾す』と書いて『乾杯』だからな。ガキが悪ぶって酒を飲むなんて話じゃなかったぜ」


俺は怖くなった。淳蔵の過去が。

そして、静かに怒っている今の淳蔵が。


「なあ、なに同情してンだよ、お前らよ。俺の姪だからってよ、なんで特別扱いしてんだよ」

「そういうわけじゃ、」

「舐めてんのか俺のこと。舐めてんだろ」

「淳蔵、」

「お前は黙ってろ」


吃驚した。都のことを『お前』と呼ぶのは禁止されている行為の一つだ。都は唇を噛み締め、俯く。


「面倒臭ェ以外の感情ねェンだよ、あの蛆虫によ。過去は蛆虫のように湧いてくる。どんなに汚ェ場所でも繁殖してポンポンとガキを産むあの馬鹿を、俺の古い血筋をさっさと絶やしてしまいたいだけだ。それをなんだお前ら? 俺が揺さぶられて悲しんだり怒ったりすると思ったのか? なわけねェだろ馬鹿が。お前らはなにもわかってない。俺は都以外のことはどうでもいいんだよ。都以外の女のことは興味ねェんだよ。なァ兄弟。そこんとこはメイドの千代や桜子の方が弁えてるぞ。舐めんじゃねえぞ、オイ」


怒っているとか、激怒しているとかではなくて、これはもう『キレている』。剥き出しのナイフのような鋭い視線が、俺達の神経の喉元にあてられて、今にも掻き切られそうだ。


「都、お前もだ。俺のことを舐めるな」

「は、はい・・・」

「馬鹿犬お前もだ。調子乗ってたら蹴り殺すぞ」


ジャスミンが『きゅうん』と情けない声をあげる。


「しかしまあ、血は争えないのかねえ」


淳蔵は客用のとびっきりの笑顔を浮かべたが、目が全く笑っていなかった。


「ネグレクト、薬物、半グレで『手押し』。頭か顔が良ければまた違った道があったのかもしれないし、貧乏じゃなけりゃもっと選択肢があったのかもしれねえがな。そンなん『たられば』の話だから、いくらしたって無駄なことだ。都、もう一つカプセルを」

「はい」


都は淳蔵が差し出した手の上にカプセルを置いた。飲み下すたび、普段の、俺達が知っている淳蔵に戻っていく。


「いいか、俺のことを教える必要は一切無い。いつも通りに肉として『処理』して、終わったら全部忘れろ。それができるならお前達のムカつく態度も許してやるよ」

「・・・わかったよ」


一番に答えたのは美代だった。


「わかりましたァ!」


千代はいつも通りに。


「わかりました」


桜子もいつも通りに。


「・・・わかった」


俺も、そう答えるしかなかった。

淳蔵は、都を愛している。

淳蔵は忠誠、美代は盲信、俺は依存。千代は信仰、桜子は恋慕。俺はずっとそう思っていた。しかし、俺の認識が間違っているのかもしれない。俺達は都に『私を殺して』と言われても、決してそんなことはできないだろう。しかし淳蔵は、都の刹那の願いを叶えるために、そのあとの永久の人生を、苦しみながら生き続けることができる。できてしまうのかもしれない。

狂って、歪んで、捩じれた、愛。

未だに両親のことを夢に見て憂鬱な気分になる俺には、到底理解できない感情に、領域に居る。それは淳蔵が都のみを受け入れる聖域で、他の生物は決して立ち入れない禁断の区域だ。

それをジャスミンが荒らしてしまった。

だから淳蔵は怒り狂っている。


「あんまり俺を、怒らせるなよ」


笑顔でそういう淳蔵は、今まで見たどんな生物よりも恐怖心を掻き立てさせた。
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