二百七十三話 お相撲虫

文字数 2,931文字

こんこん。


「どうぞ」


部屋に来たのは直治だった。今日は桜子の運転で麓の町に降りて、新しいメイドの面接をする日だったはず。桜子が来るまでは俺が送迎していたのを、なんだか懐かしく感じる。


「お疲れさん。で、どうよ?」

「『支配者気取りの猿』と『コバンザメ』」

「また厄介なのが来るなァ・・・」

「猿の履歴書だ。見ろ」


俺は直治から履歴書を受け取った。名は久遠寺椿。二十六歳。


「これ、パソコンで作った履歴書だよな?」

「そうだ」

「なんで出身大学が太字で書かれてんの?」

「『アピールポイント』だからだそうだ」

「あらら」

「資格の欄も見てみろ」

「日本語検定2級、日本漢字能力検定準1級、ことわざ検定2級、文章読解・作成能力検定準2級、校正技能検定中級、ビジネス文章検定1級」

「小説家としてデビューすることを目指しているそうだ。『読書は高尚な趣味。頭が良くて育ちが良くて、本を買う余裕があるお金持ちの証拠。だから小説を書く人間は高尚な人間。頭が良くて育ちが良くて、お金持ちで、尚且つ個性的で、特別な存在なんです』だとよ」

「そんな素晴らしいお人がなんでメイドに?」

「実家が金持ちなのは本当らしくてな。親は甘やかしはしたがまともなのかもしれん。大学在学中は就職活動を一切せず、卒業後も小説で一発当てようとしている娘を見て『社会経験が足りなさ過ぎる。どこかで働かせた方が良い』と判断して、娘を説得した結果が今だよ」

「なんだかなァ・・・」

「で、この猿、『格下』だと認定した相手はとことん馬鹿にしてつらくあたって、『格上』だと認定した相手は媚び諂いながらも蹴り落とすチャンスを伺って、容赦なく蹴り落とす。本人はそれを当たり前のことだと思ってる。容姿と品性についても勘違いを。まるで天使のように清らかで美しいと思っているようだ」

「あーあー、さようなら、平穏な日々・・・」

「コバンザメの履歴書だ、見ろ」


俺は履歴書を受け取った。宮川裕美子、二十五歳。特筆すべき点は無い。


「うーん、猿が大暴れしそうだなァ」

「コバンザメがそれに拍車をかける」

「泣けるぜ」

「相手の出方次第だが、美代がどうなるか・・・」

「学歴に対するコンプレックス?」

「そう。『雅』にすら苛々してたんだ。流石に昔みたいに叩いて躾けるなんてことはしないだろうけどなあ・・・」

「目に余るようなら都か桜子に注意させるか? 学歴って点では猿より上だし」

「桜子は経歴詐称なんだよ」

「えっ、あ、ああー。あいつ生い立ちがややこしいんだったな」

「ま、どうせ喰うんだ。手荒に扱って構わねえよ」


一番優しく取り扱うくせに、直治はそう言って部屋を出ようとした。


「直治」

「ん?」

「愚痴や相談はいつでもどうぞ」


直治は二度瞬き、少し笑って部屋を出ていった。

それから一週間後、椿と裕美子が一条家にやってきた。面通しを済ませたあと、俺は部屋に戻っていつも通りに過ごす。談話室に行く時間になるとソファーに座って雑誌を読む。少しすると美代がノートパソコンを抱えてやってきて、仕事をしながら息抜きに会話をする。いつも思うが息抜きになっているのか疑問だし、なっているのなら器用だなと感心してしまう。


「淳蔵、都となにかあったか?」

「ん? なにもないぞ。なんかあったのか?」

「俺、仕事を終える前にいつも都の部屋に行って報告するだろ? 昨日の夜、都がさ、なんていうか、ぼーっとしているというかぽわんとしているというか、放心した顔で一枚の紙を見てたんだよ。『なにを見てるの?』って聞いたら『カブトムシの雄同士で交尾してる写真』って答えてさ・・・」

「えっ? カブトムシの雄同士で交尾してる写真?」

「そう。カブトムシの雄同士で交尾してる写真。飼育下では珍しいことではないらしくてさ。いやそこはどうでもいいんだ。変に刺激しない方が良いと思って『そっかー、ホットカルピス飲んで寝ようかー』って言ったら『うん』って返事して、都は写真を机に置いた。そのあとはいつも通り仕事の話をして、俺がホットカルピスを作って都に飲ませて、ちゃんと歯を磨いてから寝てたんだけど、俺はどうすれば良かったんだろう・・・」

「いや、いやー、わからん。そして多分答えは無い」

「だよな? 写真は取り上げた方が良いと思って、これがその写真なんだけど・・・」


美代は写真を取り出し、俺に渡す。


「・・・新しいメイドの関係で心労が?」

「かもしれないから、直治にも聞かないと」


俺は都から貰った眼鏡をかけてもう一度写真を見たが、変化は無かった。


「お、直治」


美代の呼びかけに直治は軽く手を上げ、ソファーに座り、腕を組んで背凭れに身体を預ける。


「こっちも大変だ」

「こっち?」

「お先にどうぞ」

「メモをだな、メモを」

「二人共?」

「椿の方だよ。裕美子は取ってる。あいついちいち『何故ですか?』って聞いてきやがる。何故家電が最新式じゃないのか、何故客室の鍵がカードキーじゃないのか、何故俺達を『様』と敬称を付けて呼ばなくてはいけないのか。ったく馬鹿馬鹿しい・・・」

「初日でそれかァ」

「ハハ、蝶よ花よで育てられた箱入り娘のお嬢様なんだろ? 純粋に疑問なのか見下すために重箱の隅をつついているのか・・・」

「両方だな。進言のつもりなのか『私ならこうします』のおまけ付きだ。あんまりにもしつこいから『社長の方針だ』と答えたら『じゃあ社長に質問します』だとよ。『社長は多忙だから駄目だ』と注意したら『何故ですか?』だ。二歳児かよ」

「あー、『なぜなぜ期』な。答えが知りたいんじゃなくてやりとりを楽しんでるってヤツ」

「本人は会話してるつもりなんだろうね」

「で、なんだ『こっちも大変』って。なにかあったのか?」


美代が『カブトムシの雄同士で交尾してる写真の話』をする。直治はぽかんとしていた。


「これがその写真なんだけど・・・」


写真を受け取った直治は数秒見つめたあと、俯いて片手で顔を覆い、身体を揺らす。笑っているようだ。


「俺のせいです・・・」

「ええ? 直治のせい?」


直治はすうーっと息を吸いながら顔を上げた。


「都と『おうちデート』してて、」

「あ?」

「いいから聞け。ゲームやってる俺の膝を枕にするのが好きなんだよ」


美代が直治を睨み付ける。直治は苦笑している。


「怖いもの見たさで『ホラーゲームをしてほしい』って俺にねだるんだ。『直治が操作してるなら怖くない』って強がり言ってな。可愛いだろ? B級モノなら適度に怖くて突っ込みどころがあって面白いから、よくやるんだよ。昨日やったゲームに、巨大化したカブトムシが人間の男を犯すシーンがあって、二人でゲラゲラ笑ってたんだ。都が『お相撲虫があんなこと・・・』なんて言うから『お相撲虫ってなんだよ』って俺も言っちまって、何故かはわからないが二人で『ツボ』に入って、笑い過ぎてゲームができなくなった。そのあとは二人で虫の交尾について調べて動画を見て、その日のデートは終わった。悪いな、二人共。俺とのデートの余韻に浸ってたみたいだな?」

「あほくさ」

「惚気をどうも」


直治は立ち上がった。


「俺も浸り直してくる」

「頭に漬物石を乗せてやろうか?」

「遠慮しておきます。では・・・」


直治は去っていった。


『お相撲虫』


俺と美代の声が重なる。なんだか凄く、脱力した。
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