二百六十三話 裏切者の夢
文字数 2,135文字
夢を見ていた。
強烈な違和感。いや、『不快感』を抱いた。
『人のこころに土足で入り込む』という表現を、本当に再現したような、吐き気がする程の不快感。甘ったるい紅茶の香り、ざらついた革のソファー、窓から差し込む午前の陽の光に照らされた都。
「どうしたの?」
静かな喫茶店。小声で話す他の客から生気は感じ取れない。指輪の『スイッチ』を入れる。やはり、水分は無い。キッチンから食器を洗う音が聞こえる。やはり、水分は無い。
「直治?」
「誰だテメェ」
都の姿形をした『なにか』が怯える。
「ど、どうしたの? 急に機嫌を悪くして。私がなにか、」
「問答する気が無いなら殺す。それが嫌ならとっとと失せろ」
『なにか』はティーカップをソーサーに置くと、呆れたように笑った。
「『誰だテメェ』・・・ですね? 聖、と申します」
『なにか』は、聖は、笑いの種類を挑発にかえた。
「一条直治さん、無礼をお許しください。単刀直入に申し上げます。私と『取り引き』をしていただきたいのです」
「取り引き?」
「成功報酬は『一条都』です」
意図がわからない。黙って先を促す。
「一条都、一条淳蔵、一条美代、櫻田千代、黒木桜子、そして犬のジャスミン。この五名と一匹の情報を、私に渡していただきたい」
聖は下唇を人差し指の腹で撫でた。
「欲しいでしょう? 『一条都』が。二人の兄と部下のメイドは、貴方にとっては『邪魔者』ですよ。どうです? 私が貴方のかわりに邪魔者を排除するというのは。犬が居なければ一条都は『外』に出ることができますし、膣に陰茎を挿入することもできます。つまりセックスできるんですよ。貴方と一条都が。貴方に都合の良い『まやかし』を施すこともできますから、貴方が『裏切者』として一条都に責められることもありません」
客の声が、ざわめきが、うるさい。
「私と貴方の会話は、誰にも聞かれていません。今の、この会話もです。安心してください。貴方は私に指示された情報を期間内に収集して、ただ眠りに就けばいい」
聖はテーブルに肘をつき、ゆっくりと、指を握り合わせた。
「どうでしょう?」
「何故、俺を?」
「貴方が蛇だからです」
「俺は人間だ」
「蛇は裏切者と相場が決まっておりますから」
「・・・裏切者、か。成程。条件は魅力的だが、お前に対する信頼が無い状態だ。だからいくつか質問させてくれ」
「いいですよ」
「なんのために情報を集めるんだ?」
「それはお答えできません」
「お前は何者だ?」
「それはお答えできません」
「・・・舐めてんのか?」
「いいえ?」
聖は都の顔のまま、ふんわりと笑う。
「・・・お粗末な情報収集力だな」
「仰る通り。ですから、貴方と取り引きを」
「いいだろう。俺は都を裏切る」
「では、」
「力を貸せ、ジャスミン」
からんからんからん。ドアベルの音が店内に響いた。ジャスミンが、『白い男』が喫茶店に入ってきて、俺と聖が座っているテーブルの前に立ち、腰に両手をあてて聖を見下ろす。
「本当に、お粗末な情報収集力だな」
「・・・不成立、ですかね?」
「諜報員が任務に失敗したらどうなるか」
聖はじっとりと俺を睨んだ。俺は聖の胸倉を掴み上げ、聖の身体でテーブルの上のティーセットを薙ぎ払い、仰向けに押し倒して馬乗りになった。そして、見せつけるように握り拳を作る。
「良いことを教えてやる」
余裕綽々だった聖は、演技なのか本心なのかはわからないが、覚悟を決めつつも怯えているような表情をした。
「俺は一条都を裏切る」
じっくりと、間を置いて。
「こういうふうにな」
俺は聖の顔面に拳を叩き込んだ。聖の顔は、都の顔は、美しい。小さな輪郭は宝石箱だ。ヘマタイトの瞳、ルビーの唇、真珠の歯。ローズクォーツの頬、白蝶貝と黒蝶貝で造られた鼻と眉毛。肌の肌理の一つ一つでさえ、自然光も人工光も等しく取り入れて光を反射し、きらきらと細やかな音を立てる。都が美しいのは顔だけではない。声も、髪も、身体も、こころも。
俺は都の全てが欲しい。
たった一度の、大きな過ち。
ただ一度だけの、背徳の夢。
『愛しているから、壊したい』
愛が不信に、怒りに、憎悪に、
そして絶望に。
怯える顔も、泣き叫ぶ顔も、
殺意で歪んだ顔すらも。
俺は都の全てが欲しい。
俺の拳に聖の返り血と体液が付き、べったりと粘る。聖は曲がった鼻では上手く呼吸できないのか、口を大きく開けて呼吸していた。その口から覗く、折れた歯並び。俺は殴打を続ける。治療しても、手術しても元の顔には戻れない程に、聖の、都の顔面を崩壊させていく。
「諦めていた『夢』を叶えてくれた礼だ。命は助けてやる」
ぱちん、と夢の泡が弾けた。寝起きの悪い俺はゆっくりとベッドから上体を起こし、目蓋をこする。がちゃ、と鍵をしっかりとかけたはずのドアが開いて、ジャスミンが入ってくると、両手を組み、にやりと笑って俺を見下ろす。
「・・・ドッグカフェでどうだ?」
ジャスミンは満面の笑みになって、二度、大きく頷き、俺の部屋を出ていった。かちゃかちゃ、と犬の足音が聞こえる。俺は苦笑してから、自分の両手を見つめて、握ったり開いたりを繰り返した。
美しい都。
可愛い都。
俺のご主人様。
今、顔を見たら衝動を制御できない。俺はそっとドアを閉めて鍵をかけ直し、都を殴った拳の指をしゃぶりながら、自慰を始めた。
強烈な違和感。いや、『不快感』を抱いた。
『人のこころに土足で入り込む』という表現を、本当に再現したような、吐き気がする程の不快感。甘ったるい紅茶の香り、ざらついた革のソファー、窓から差し込む午前の陽の光に照らされた都。
「どうしたの?」
静かな喫茶店。小声で話す他の客から生気は感じ取れない。指輪の『スイッチ』を入れる。やはり、水分は無い。キッチンから食器を洗う音が聞こえる。やはり、水分は無い。
「直治?」
「誰だテメェ」
都の姿形をした『なにか』が怯える。
「ど、どうしたの? 急に機嫌を悪くして。私がなにか、」
「問答する気が無いなら殺す。それが嫌ならとっとと失せろ」
『なにか』はティーカップをソーサーに置くと、呆れたように笑った。
「『誰だテメェ』・・・ですね? 聖、と申します」
『なにか』は、聖は、笑いの種類を挑発にかえた。
「一条直治さん、無礼をお許しください。単刀直入に申し上げます。私と『取り引き』をしていただきたいのです」
「取り引き?」
「成功報酬は『一条都』です」
意図がわからない。黙って先を促す。
「一条都、一条淳蔵、一条美代、櫻田千代、黒木桜子、そして犬のジャスミン。この五名と一匹の情報を、私に渡していただきたい」
聖は下唇を人差し指の腹で撫でた。
「欲しいでしょう? 『一条都』が。二人の兄と部下のメイドは、貴方にとっては『邪魔者』ですよ。どうです? 私が貴方のかわりに邪魔者を排除するというのは。犬が居なければ一条都は『外』に出ることができますし、膣に陰茎を挿入することもできます。つまりセックスできるんですよ。貴方と一条都が。貴方に都合の良い『まやかし』を施すこともできますから、貴方が『裏切者』として一条都に責められることもありません」
客の声が、ざわめきが、うるさい。
「私と貴方の会話は、誰にも聞かれていません。今の、この会話もです。安心してください。貴方は私に指示された情報を期間内に収集して、ただ眠りに就けばいい」
聖はテーブルに肘をつき、ゆっくりと、指を握り合わせた。
「どうでしょう?」
「何故、俺を?」
「貴方が蛇だからです」
「俺は人間だ」
「蛇は裏切者と相場が決まっておりますから」
「・・・裏切者、か。成程。条件は魅力的だが、お前に対する信頼が無い状態だ。だからいくつか質問させてくれ」
「いいですよ」
「なんのために情報を集めるんだ?」
「それはお答えできません」
「お前は何者だ?」
「それはお答えできません」
「・・・舐めてんのか?」
「いいえ?」
聖は都の顔のまま、ふんわりと笑う。
「・・・お粗末な情報収集力だな」
「仰る通り。ですから、貴方と取り引きを」
「いいだろう。俺は都を裏切る」
「では、」
「力を貸せ、ジャスミン」
からんからんからん。ドアベルの音が店内に響いた。ジャスミンが、『白い男』が喫茶店に入ってきて、俺と聖が座っているテーブルの前に立ち、腰に両手をあてて聖を見下ろす。
「本当に、お粗末な情報収集力だな」
「・・・不成立、ですかね?」
「諜報員が任務に失敗したらどうなるか」
聖はじっとりと俺を睨んだ。俺は聖の胸倉を掴み上げ、聖の身体でテーブルの上のティーセットを薙ぎ払い、仰向けに押し倒して馬乗りになった。そして、見せつけるように握り拳を作る。
「良いことを教えてやる」
余裕綽々だった聖は、演技なのか本心なのかはわからないが、覚悟を決めつつも怯えているような表情をした。
「俺は一条都を裏切る」
じっくりと、間を置いて。
「こういうふうにな」
俺は聖の顔面に拳を叩き込んだ。聖の顔は、都の顔は、美しい。小さな輪郭は宝石箱だ。ヘマタイトの瞳、ルビーの唇、真珠の歯。ローズクォーツの頬、白蝶貝と黒蝶貝で造られた鼻と眉毛。肌の肌理の一つ一つでさえ、自然光も人工光も等しく取り入れて光を反射し、きらきらと細やかな音を立てる。都が美しいのは顔だけではない。声も、髪も、身体も、こころも。
俺は都の全てが欲しい。
たった一度の、大きな過ち。
ただ一度だけの、背徳の夢。
『愛しているから、壊したい』
愛が不信に、怒りに、憎悪に、
そして絶望に。
怯える顔も、泣き叫ぶ顔も、
殺意で歪んだ顔すらも。
俺は都の全てが欲しい。
俺の拳に聖の返り血と体液が付き、べったりと粘る。聖は曲がった鼻では上手く呼吸できないのか、口を大きく開けて呼吸していた。その口から覗く、折れた歯並び。俺は殴打を続ける。治療しても、手術しても元の顔には戻れない程に、聖の、都の顔面を崩壊させていく。
「諦めていた『夢』を叶えてくれた礼だ。命は助けてやる」
ぱちん、と夢の泡が弾けた。寝起きの悪い俺はゆっくりとベッドから上体を起こし、目蓋をこする。がちゃ、と鍵をしっかりとかけたはずのドアが開いて、ジャスミンが入ってくると、両手を組み、にやりと笑って俺を見下ろす。
「・・・ドッグカフェでどうだ?」
ジャスミンは満面の笑みになって、二度、大きく頷き、俺の部屋を出ていった。かちゃかちゃ、と犬の足音が聞こえる。俺は苦笑してから、自分の両手を見つめて、握ったり開いたりを繰り返した。
美しい都。
可愛い都。
俺のご主人様。
今、顔を見たら衝動を制御できない。俺はそっとドアを閉めて鍵をかけ直し、都を殴った拳の指をしゃぶりながら、自慰を始めた。