三百十三話 たまにはね
文字数 2,709文字
こんこん。
「・・・はい」
ノックに『はい』と返答するのは鍵をかけている合図だ。食べものを粗末にするのは物凄く抵抗があるが、不味いものを無理して口に入れるのはかなりのストレスになっていた。
『美代さん、千代です』
「ああ、千代君か。今、開けるね」
真冬じゃなかったので少し、いやかなりホッとした。
「どうしたの?」
「真冬さんにキッチンの立ち入りを禁じました」
「ええ・・・。俺のため?」
「はい。お茶もそうですけど、料理になにを混入させるかわかりませんから」
「なにその理由?」
「実は今、都さんがカンカンに怒っていまして・・・」
「え!?」
「美代さんもご存じの通り、ジャスミンのごはんは都さんが獣医の指示通り手を加えて、ドッグフードに野菜の煮汁を入れて栄養バランスをとっています。桜子さんがキッチンの使い方を真冬さんに説明した時に、冷蔵庫に入っている煮汁のタッパーを見て『これはなにか』と質問して、煮汁のことを知ったようです。で、その煮汁に、犬にとって猛毒であるタマネギの煮汁をこっそり入れようとしたところを、ジャスミンが都さんと直治さんに知らせて、二人で現場を取り押さえました。都さん、ちょっと虫の居所が悪かったようで、直治さんが真っ青になる程怒ってしまいました」
「ああ、都が怒るのがわかっていたから直治を?」
「どうでしょう。直治さんから聞いた話では真冬さんは初めは白を切っていたようですし、一対一では不利だと判断して直治さんを呼んだのかもしれません。話を続けます。先程、初めて、都さんは美代さんのお茶の件を知りまして、報告しなかった直治さんもその場で叱責されました。桜子さんと私もお叱りを受けました」
俺は背凭れに身体を預け、姿勢を楽にした。
「いいのに、俺のことなんて・・・」
「あの、実は淳蔵さんも今・・・」
「えっ、淳蔵も?」
「はい。淳蔵さんもお茶のことは知っていたようです。なのでお叱りを・・・」
「都はどこに?」
「談話室です」
「行ってくる。君は仕事に戻ってくれ」
「はい。失礼します」
千代が事務室を出て少し待ってから、俺は談話室に向かった。都は談話室の入り口に背を向けて立ち、向かい合うように淳蔵も立っていた。淳蔵は都に叱られて気分が悪くなってしまったのか、青い顔をして少し俯いている。
「社長」
都が振り返る。
「千代君から事情は聞きました。その辺で」
都は組んでいた腕を、そっと解く。
「話がありますから、こちらに」
「ここで聞くわ」
「こちらに」
俺はにこりと微笑んだ。都はゆっくりと眉を寄せたあと、黙って頷く。俺は事務室に戻るため、背を向ける。淳蔵が吐き気を堪えるためなのか、胸元をおさえるのがちらりと見えた。事務室に戻り、都に椅子を勧め、俺はドアと鍵を閉める。
「なんの話?」
「都、真冬は試用期間が終わったらすぐに絞めればいいよ。俺のことなら気にしないで」
「貴方いつもそうやって、」
「八つ当たりしないで」
都は拳を握り締めた。
「自分は言うべきことを言わないのに、俺達がそうするのは駄目だなんて、そんなの通用しないよ」
俺は少し首を傾げてみせた。
「わかるよね?」
「・・・はい」
都は悔しそうに、それでもきちんと返事をした。
「まだ怒りが収まらない?」
こくり、と頷く。
「俺達の気持ちが理解できた?」
怒りを煽るのをわかってて言った。案の定、当たり散らして少しは収まっていたのだろう都の怒りが蘇る。化粧で和らげている狐のような目付きが鋭くなる。昔の俺だったら恐ろしくて堪らなかっただろう。泣いてしまったかもしれない。でも、今は違う。
「ジャスミンの力が効くまで、『阿部真冬という存在を世界から消すまで』に『五十日』かかるから、メイドの試用期間は二ヵ月ってことになってる。少し余分に考えてね。『アレ』は消した方がいい存在だ。それに俺、久しぶりに肉を喰いたいし。だから我慢してたんだよ。俺の我慢を無駄にしないで」
さて、都はなんと答えるか。
『誰に向かってそんな口を利いてるの』
『副社長になって偉くなったつもりか』
『愛玩動物がご主人様に指図しないで』
この三つは絶対に無い。そう確信している。
「・・・・・・・・・ごめんなさい」
沈黙のあと、都は謝罪した。
「うん。許します」
「はい」
「淳蔵と、直治と、千代と、桜子にも、怒り過ぎたことは謝ろうね」
「わかりました」
「謝りづらいなら一緒に居てあげるから」
「こっ、子供じゃないから!!」
都は顔を真っ赤にして椅子から立ち上がり、乱暴に鍵とドアを開けて事務室を出ると、『バタン!』と大きな音を立ててドアを閉めた。
翌日、客が居ないので兄弟は談話室に集まる。
「よう兄貴」
「おう」
「都、謝った?」
「えっ・・・」
淳蔵は目を丸くしたあと、気まずそうにした。
「理不尽に怒ってただろ?」
「りふじ、いや、俺が・・・」
「あれ? 謝ってないの?」
「・・・謝ったよ」
「許してあげたのか?」
「許すもなにも、都は悪くないだろ」
「そんなにビクビクされたら、都も気まずいだろ」
「・・・まあ、そうだな」
それきり黙り込んでしまったので、俺も無理に話しかけずノートパソコンで仕事をする。少しすると直治が談話室にやってきた。
「よう弟」
「おう」
「都、謝った?」
「はっ?」
「虫の居所が悪くて八つ当たりされたんだろ?」
「な、なんてこと言ってるんだお前!」
「事実だろ。本人に注意したら認めて謝罪したよ? だから直治にも謝ったかなって。謝ったか?」
「ッチ、謝られたよ! どうしていいかわかんねえ! 変なこと吹き込むな!」
直治は顔を真っ赤にして、怒鳴って去ってしまった。
「あらら」
「なんなんだお前のその余裕・・・」
「副社長になる際に色々ありましたからね」
「そうですか・・・」
その後、千代と桜子にも同じ質問をした。
千代は、
「はい。謝罪されましたよ。いニャあ、都さんの意外な一面を見ましたねェ」
と、何故だか感心したように言い、
桜子は、
「はい。都様はわたくしに謝罪しました」
と、優しく微笑んで言った。
真冬の『悪戯』は三日分の給料を減給することで決まり、キッチンには物置小屋にしまってあった古い監視カメラを置くことになった。真冬は恐らく反省はしていないだろうが、キッチンには言い付け通り入らないようになり、俺は不味いハーブティーを飲まなくてよくなった。一日五回も持ってこられていたから本当につらかった。
「フフ、良い香り・・・」
直治が『謝罪』として持ってきたハーブティーを楽しむ。皆、都の孤独に気付いていない。都には対等な存在が居ないということに。いや、本当は気付いていても、気付いていない振りをしているのかもしれないが、言葉や行動に出さないのならどちらも同じことだ。
「たまには叱ってあげないとね」
「・・・はい」
ノックに『はい』と返答するのは鍵をかけている合図だ。食べものを粗末にするのは物凄く抵抗があるが、不味いものを無理して口に入れるのはかなりのストレスになっていた。
『美代さん、千代です』
「ああ、千代君か。今、開けるね」
真冬じゃなかったので少し、いやかなりホッとした。
「どうしたの?」
「真冬さんにキッチンの立ち入りを禁じました」
「ええ・・・。俺のため?」
「はい。お茶もそうですけど、料理になにを混入させるかわかりませんから」
「なにその理由?」
「実は今、都さんがカンカンに怒っていまして・・・」
「え!?」
「美代さんもご存じの通り、ジャスミンのごはんは都さんが獣医の指示通り手を加えて、ドッグフードに野菜の煮汁を入れて栄養バランスをとっています。桜子さんがキッチンの使い方を真冬さんに説明した時に、冷蔵庫に入っている煮汁のタッパーを見て『これはなにか』と質問して、煮汁のことを知ったようです。で、その煮汁に、犬にとって猛毒であるタマネギの煮汁をこっそり入れようとしたところを、ジャスミンが都さんと直治さんに知らせて、二人で現場を取り押さえました。都さん、ちょっと虫の居所が悪かったようで、直治さんが真っ青になる程怒ってしまいました」
「ああ、都が怒るのがわかっていたから直治を?」
「どうでしょう。直治さんから聞いた話では真冬さんは初めは白を切っていたようですし、一対一では不利だと判断して直治さんを呼んだのかもしれません。話を続けます。先程、初めて、都さんは美代さんのお茶の件を知りまして、報告しなかった直治さんもその場で叱責されました。桜子さんと私もお叱りを受けました」
俺は背凭れに身体を預け、姿勢を楽にした。
「いいのに、俺のことなんて・・・」
「あの、実は淳蔵さんも今・・・」
「えっ、淳蔵も?」
「はい。淳蔵さんもお茶のことは知っていたようです。なのでお叱りを・・・」
「都はどこに?」
「談話室です」
「行ってくる。君は仕事に戻ってくれ」
「はい。失礼します」
千代が事務室を出て少し待ってから、俺は談話室に向かった。都は談話室の入り口に背を向けて立ち、向かい合うように淳蔵も立っていた。淳蔵は都に叱られて気分が悪くなってしまったのか、青い顔をして少し俯いている。
「社長」
都が振り返る。
「千代君から事情は聞きました。その辺で」
都は組んでいた腕を、そっと解く。
「話がありますから、こちらに」
「ここで聞くわ」
「こちらに」
俺はにこりと微笑んだ。都はゆっくりと眉を寄せたあと、黙って頷く。俺は事務室に戻るため、背を向ける。淳蔵が吐き気を堪えるためなのか、胸元をおさえるのがちらりと見えた。事務室に戻り、都に椅子を勧め、俺はドアと鍵を閉める。
「なんの話?」
「都、真冬は試用期間が終わったらすぐに絞めればいいよ。俺のことなら気にしないで」
「貴方いつもそうやって、」
「八つ当たりしないで」
都は拳を握り締めた。
「自分は言うべきことを言わないのに、俺達がそうするのは駄目だなんて、そんなの通用しないよ」
俺は少し首を傾げてみせた。
「わかるよね?」
「・・・はい」
都は悔しそうに、それでもきちんと返事をした。
「まだ怒りが収まらない?」
こくり、と頷く。
「俺達の気持ちが理解できた?」
怒りを煽るのをわかってて言った。案の定、当たり散らして少しは収まっていたのだろう都の怒りが蘇る。化粧で和らげている狐のような目付きが鋭くなる。昔の俺だったら恐ろしくて堪らなかっただろう。泣いてしまったかもしれない。でも、今は違う。
「ジャスミンの力が効くまで、『阿部真冬という存在を世界から消すまで』に『五十日』かかるから、メイドの試用期間は二ヵ月ってことになってる。少し余分に考えてね。『アレ』は消した方がいい存在だ。それに俺、久しぶりに肉を喰いたいし。だから我慢してたんだよ。俺の我慢を無駄にしないで」
さて、都はなんと答えるか。
『誰に向かってそんな口を利いてるの』
『副社長になって偉くなったつもりか』
『愛玩動物がご主人様に指図しないで』
この三つは絶対に無い。そう確信している。
「・・・・・・・・・ごめんなさい」
沈黙のあと、都は謝罪した。
「うん。許します」
「はい」
「淳蔵と、直治と、千代と、桜子にも、怒り過ぎたことは謝ろうね」
「わかりました」
「謝りづらいなら一緒に居てあげるから」
「こっ、子供じゃないから!!」
都は顔を真っ赤にして椅子から立ち上がり、乱暴に鍵とドアを開けて事務室を出ると、『バタン!』と大きな音を立ててドアを閉めた。
翌日、客が居ないので兄弟は談話室に集まる。
「よう兄貴」
「おう」
「都、謝った?」
「えっ・・・」
淳蔵は目を丸くしたあと、気まずそうにした。
「理不尽に怒ってただろ?」
「りふじ、いや、俺が・・・」
「あれ? 謝ってないの?」
「・・・謝ったよ」
「許してあげたのか?」
「許すもなにも、都は悪くないだろ」
「そんなにビクビクされたら、都も気まずいだろ」
「・・・まあ、そうだな」
それきり黙り込んでしまったので、俺も無理に話しかけずノートパソコンで仕事をする。少しすると直治が談話室にやってきた。
「よう弟」
「おう」
「都、謝った?」
「はっ?」
「虫の居所が悪くて八つ当たりされたんだろ?」
「な、なんてこと言ってるんだお前!」
「事実だろ。本人に注意したら認めて謝罪したよ? だから直治にも謝ったかなって。謝ったか?」
「ッチ、謝られたよ! どうしていいかわかんねえ! 変なこと吹き込むな!」
直治は顔を真っ赤にして、怒鳴って去ってしまった。
「あらら」
「なんなんだお前のその余裕・・・」
「副社長になる際に色々ありましたからね」
「そうですか・・・」
その後、千代と桜子にも同じ質問をした。
千代は、
「はい。謝罪されましたよ。いニャあ、都さんの意外な一面を見ましたねェ」
と、何故だか感心したように言い、
桜子は、
「はい。都様はわたくしに謝罪しました」
と、優しく微笑んで言った。
真冬の『悪戯』は三日分の給料を減給することで決まり、キッチンには物置小屋にしまってあった古い監視カメラを置くことになった。真冬は恐らく反省はしていないだろうが、キッチンには言い付け通り入らないようになり、俺は不味いハーブティーを飲まなくてよくなった。一日五回も持ってこられていたから本当につらかった。
「フフ、良い香り・・・」
直治が『謝罪』として持ってきたハーブティーを楽しむ。皆、都の孤独に気付いていない。都には対等な存在が居ないということに。いや、本当は気付いていても、気付いていない振りをしているのかもしれないが、言葉や行動に出さないのならどちらも同じことだ。
「たまには叱ってあげないとね」