二百十九話 ワルプルギスの夜

文字数 2,534文字

俺達と出会えなかった時間を埋め合わせるように、桜子は今に至るまでの話をせがんだ。過去の話は秘密の話だ。なにを話していいのかは都に決定権がある。都は酒で舌を濡らしながら、桜子の望みに応えた。


「・・・とまあ、そんなところかな?」

「みっ、みやござま達に、ぞんな過去があっだなんでぇ・・・!」


酒が入って感情が脆くなったのか、桜子がちょっとどうかと思うくらい泣いている。隣に座って都のお気に入りのトマトジュースを飲んでいる千代がハンカチを差し出すと、桜子は涙声で礼を言って受け取り、目元を拭った。


「桜子さんの過去も聞かせてよ」

「そ、そんな・・・。わたくしは、ぺらぺらの、」


桜子はちょっと照れた。


「・・・ぺらぺらの『人間』ですから」


『中身の無い男』を自称している直治が笑いを堪える。


「楽しい話ではありませんし、死んだ人間の愚痴ばかりになってしまいます」

「私達の話だって似たようなものじゃないの」

「・・・そうですかぁ? なにからお話すればよいのか」


再教育を始めて、二ヵ月と少し。桜子は随分と人間らしくなった。いや、というより、ずっと殺し続けていた、桜子本来のこころが、穏やかで、素直で、好奇心旺盛で、少し真面目過ぎるこころが、息を吹き返してきたのだろう。都の思惑通り、俺は桜子の教育係になることで桜子への理解を深め、すっかり戦意を喪失してしまった。都に認められようとする姿を健気だとすら思う。

にしてもムカつく。

こいつ身長が172cmもあるのだ。俺は174cm。決して低い背丈ではないのに、ちっぽけなプライドが傷付いて、そんな自分に情けなくなる。

夕暮れに始まった酒宴は都の話で夜になり、桜子の話で日付が変わった。


「・・・とまあ、そんなところです」

「もっと早めに潰しときゃよかったなあ・・・」

「いいえ。拾っていただいて、感謝しております」


桜子はにこりと笑った。


「桜子さん、大分顔色が良くなったね。出会った時は新聞紙から抜け出てきたみたいだったのに」

「きっちり三食いただいていますから、とても充実しております。トレーニングルームで身体を鍛えるのも楽しいんです」

「お願いがあったらなんでも言ってね」

「あの、では・・・、ビーズ手芸の手解きを・・・」

「あら可愛い。いいよ」

「千代さんも一緒にどうですか・・・?」


千代がぱちぱちと瞬く。


「二人っきりになるチャンスなのに、いいんですかァ?」

「はい。是非」

「そういうことなら、ご一緒します!」

「ありがとうございます。実は、都様のお部屋に飾られている、小さなトルソーに飾り付けられたビーズのドレスを見てから、このことで頭がいっぱいで、いつ切り出そうか迷っておりました」

「ああ、『アレ』ね」


都が苦笑する。


「若い頃は服飾を学びたかったから、その名残りなの」


初めて聞く話だ。俺達は酒を飲むのをやめて、耳を傾ける。


「兎に角、華やかなドレスを作りたくて・・・。趣味にするには場所を取るし、どうしたもんかと悩んでいたある日、館に泊まりに来た小さなお嬢さんが、ビーズで作った根付けを見せてくれたのよ」


知らない話だ。多分、俺達が来る前の。


「きらきら光っていて、本当に素敵だった・・・」


都は目を伏せ、微笑む。


「『コレでドレスを作れたら綺麗だろうなあ』と閃いたわけ。で、我慢できなくなって、当時じゃ珍しいビーズ手芸の先生を何度もお招きして勉強したの。一通りできるようになると、ああでもない、こうでもないと試行錯誤するのが楽しくて、寝ずにやっちゃった日もあったなあ。私、大雑把なくせに細かい作業をするのが好きみたい」


どうして他人事みたいに言うんだ。


「素敵な趣味ですねェ!」


千代の明るさに救われる。


「作ったのは、お部屋に飾ってある三つだけなのですか?」

「ううん、少なくとも三十は作ったよ。飾ってる三つは・・・、」


そこまで言って、口を閉じた。


「へへ、秘密」


珍しく、少年のように笑う。可愛くて可愛くて堪らなかった。

二百年に一度のワルプルギスの夜。

春を謳い、初夏を迎える伝統ある祭りは、三人の女の話し声で静かに朝を迎える。


「そろそろお開きにしない?」


都が最後のクラッカーを口に入れて咀嚼した。


「面白い夜でしたよ。それじゃ」


淳蔵が談話室を出ていった。


「皆さん、私、今日と明日はお休みにしていただいてますし、片付けは一人でやりますよォ! ゆっくり休んでくださいましまし」

「じゃ、お言葉に甘えて」


都も談話室を出ていく。


「千代、いつもありがとうな」

「いえいえ!」

「千代さん、わたくしにも手伝わせてくれませんと」

「おやおや、でしたら片付けは二人で・・・」


直治も軽く手を振って談話室を出た。


「ご馳走様。それじゃ」


駄目だ。どうしても知りたい。都のことはなんでも知りたい。俺は談話室を出ると、真っ直ぐに都の部屋に向かった。

こんこん。


『どうぞー』


部屋に入る。


「どうしたの?」

「色々聞きたいけど、そうだね、順番に。ドレスの話かな」

「美代君は知的好奇心旺盛ですなあ」

「ごめんね。好きだから、なんでも知りたいんだ」


俺は都が小物を飾っている棚の前に立つ。小さなトルソーに着せられたビーズのドレスが三つ、並んでいた。都が俺の隣に立つ。


「結婚式で、こういうの着たいなあって・・・」


一つ、指差す。


「淳蔵は格好良いし背が高いから、ベルラインのドレスを着ても写真映りが良いと思うんだよね」


もう一つ。


「直治は落ち着いた雰囲気の男性だから、シックな雰囲気のマーメイドライン」


最後。


「美代はAライン。美代は華やかな人だから、私のせいでゴチャゴチャしないようにシンプルで、でも可愛いのが着たいの」


都は俺の顔を見て、ちょっとだけ苦笑いをした。


「こんなモン飾って一人でニヤニヤしてんだ。気持ち悪い女でしょ」


俺は首を横に振り、都を思いっ切り抱きしめた。


「結婚したい程、俺のこと好きなの?」

「うん」

「あはっ、なんて可愛いんだ・・・」


頬を擦り寄せる。


「今は『フォトウェディング』っていうのがあるんだよ。写真だけの結婚式」

「知ってるよぅ」

「じゃあ話が早い。館にカメラマンを呼んで、写真を撮ろうよ」

「三人分?」

「俺が一番最初。あとから『酔ってました』なんて言い訳は聞かないからね」

「じゃあ、秋になったら」

「約束だよ」


俺はそっと、都に口付けた。
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