三百十九話 すき焼き
文字数 1,980文字
今日は重要な会議の日である。
『第一回鍋会議』だ。
進行役は鍋の経験がある千代。
「では、順番にお聞きします。淳蔵さん、美代さん、直治さん、桜子さん、お鍋の経験はありますか?」
全員、無い。
「わかりました。当日の進行はこの櫻田千代めが務めさせていただきます。皆様、肩の力を抜いてお楽しみください。では、次。すき焼きには二種類ございます。『関東風』にするか『関西風』にするか。関東風は割り下を作ってお肉を煮ます。関西風はお肉を焼いてから調味料で味付けしつつ煮込みます。注意点として、関東、関西、どちらもしらたきは牛肉と離して入れることです。お肉が硬くなってしまうからです」
全員、頷く。
「都さんのことでしょうから、『シメ』のおうどんも楽しみにしているでしょう。割り下に具材の旨味が溶け込んだ関東風の方がよい可能性もありますが、なにせ初めてのすき焼きですから、都さん好みの味に調節しながら作る関西風の方がよいと思うのです。シメとしての味はすこォし落ちるかもしれませんが、シメができないわけではありません。というわけで関西風を推しますが、いかがでしょう」
全員、頷く。
「では、当日の席順です。上座に都さん、隣に私、その隣に桜子さん。対面は淳蔵さん、美代さん、直治さんで座りましょう。『直箸』は、禁止です。私と美代さんで調理、調味をしたあとは、私が都さんの分を都度取り分けます。他の方は、御自分で、専用に用意した箸で取り分けてから、御自分の箸でお食べください」
全員、頷く。
「卵は予めアルコールで殺菌しておきますから、素手で触って器に割り入れてください」
頷く。
「では、次。当日の具材と、シメのおうどんについて・・・、」
会議は一時間で終了した。
数日後。
すき焼き、当日。
『おお・・・』
千代が作ったすき焼きが完成した。
「都さん、初めの一口をどうぞ。この櫻田千代めが取り分けます」
「ありがとう」
都が肉に溶き卵をからめ、はむ、と口に運び、数度咀嚼した。好奇心と期待に満ちた表情から、途端に、幸せそうに顔を綻ばせる。世界一可愛い生きものが誕生した瞬間である。
「美味しい・・・」
「おおッ!」
「凄く美味しい!」
「シメにおうどんもありますからねェ! さ、皆さんも食べましょう!」
俺も肉を食べてみる。臭みは一切無い。直治の手腕だ。柔らかいがぎゅむぎゅむとした食感で噛み応えがあり、自分は今、肉を食べているのだという充実感がある。他の具材も美味しい。旨味たっぷりの椎茸、ジャキジャキとした食感のえのき、出汁をたっぷりと吸ったしらたき、なめらかな舌触りの焼き豆腐、ほろ苦い春菊、甘さと青さの長ネギ、白菜も、彩の人参も甘い。この日のために用意した卵の、濃厚な卵黄が風味をまろやかにするだけではなく、卵黄独自の風味と旨味も素晴らしい。具材の熱で卵白に僅かに火が通ると卵白も絡むようになり、とろとろになった。これがまた美味である。
「美味いな」
「うん、美味い」
「美味い」
俺も淳蔵も直治も、
「美味しいですねェ!」
「とっても美味しいです」
千代も桜子も、
「和室、作ってよかったあ・・・」
都も、初めて家族で囲む鍋を楽しんだ。
自室に戻り、寝る準備を済ませた俺は、部屋の灯りを落としてベッドに寝転び、考える。次はなにがいいかな。キムチチゲは駄目だ。都は辛いものが物凄く好きだから『取り皿に入れるから』と言って辛いものをドバドバ入れかねない。健康にも美容にも悪いのでナシ。ごま豆乳鍋はどうだろう。美容に良いらしいから一度食べてみたい。都は豆乳もごまも好きなのできっと気に入るだろう。もつ鍋、ちゃんこ鍋、水炊き、おでんもいいな。昔に流行ったトマト鍋もやってみたい。シメに白米とチーズを入れてリゾットにしていた。凄く美味しそうだ。都もきっと気に入るだろう。
「フフッ、俺、都のことばかり考えてる・・・」
毎日会って話しているのに。寝ても覚めても都のことばかり。
「まッずいハーブティーを飲んだ甲斐があったってモンだ」
俺は知っている。都は『前の家族』と食卓を囲んだことがないことを。都の祖母と、母親と、父親のクソ野郎。祖母が存命だった頃は祖母と二人で、祖母が亡くなってからは一人での食事だったそうだ。祖母は父親が食事に参加することを一切許さず、平気そうにしている父親に違和感はあったものの、都はそういうものだと割り切って暮らしてきたそうだ。
俺と都が初めて食事をした時。
俺は礼儀作法がなってなかった。淳蔵に睨まれてビクビクしながら食事をしたのを覚えている。都は優しく笑っていた。女神のように敬愛していた都と、家族として鍋を囲むことができるなんて、夢みたいだ。
「んっ?」
プライベート用の携帯にメッセージが入った。直治からだ。
『次の肉料理、もつ鍋で決まった』
「あはっ、もう決まったんだ」
『いいね』
『時期を見てまた調達する。おやすみ』
『おやすみ』
『第一回鍋会議』だ。
進行役は鍋の経験がある千代。
「では、順番にお聞きします。淳蔵さん、美代さん、直治さん、桜子さん、お鍋の経験はありますか?」
全員、無い。
「わかりました。当日の進行はこの櫻田千代めが務めさせていただきます。皆様、肩の力を抜いてお楽しみください。では、次。すき焼きには二種類ございます。『関東風』にするか『関西風』にするか。関東風は割り下を作ってお肉を煮ます。関西風はお肉を焼いてから調味料で味付けしつつ煮込みます。注意点として、関東、関西、どちらもしらたきは牛肉と離して入れることです。お肉が硬くなってしまうからです」
全員、頷く。
「都さんのことでしょうから、『シメ』のおうどんも楽しみにしているでしょう。割り下に具材の旨味が溶け込んだ関東風の方がよい可能性もありますが、なにせ初めてのすき焼きですから、都さん好みの味に調節しながら作る関西風の方がよいと思うのです。シメとしての味はすこォし落ちるかもしれませんが、シメができないわけではありません。というわけで関西風を推しますが、いかがでしょう」
全員、頷く。
「では、当日の席順です。上座に都さん、隣に私、その隣に桜子さん。対面は淳蔵さん、美代さん、直治さんで座りましょう。『直箸』は、禁止です。私と美代さんで調理、調味をしたあとは、私が都さんの分を都度取り分けます。他の方は、御自分で、専用に用意した箸で取り分けてから、御自分の箸でお食べください」
全員、頷く。
「卵は予めアルコールで殺菌しておきますから、素手で触って器に割り入れてください」
頷く。
「では、次。当日の具材と、シメのおうどんについて・・・、」
会議は一時間で終了した。
数日後。
すき焼き、当日。
『おお・・・』
千代が作ったすき焼きが完成した。
「都さん、初めの一口をどうぞ。この櫻田千代めが取り分けます」
「ありがとう」
都が肉に溶き卵をからめ、はむ、と口に運び、数度咀嚼した。好奇心と期待に満ちた表情から、途端に、幸せそうに顔を綻ばせる。世界一可愛い生きものが誕生した瞬間である。
「美味しい・・・」
「おおッ!」
「凄く美味しい!」
「シメにおうどんもありますからねェ! さ、皆さんも食べましょう!」
俺も肉を食べてみる。臭みは一切無い。直治の手腕だ。柔らかいがぎゅむぎゅむとした食感で噛み応えがあり、自分は今、肉を食べているのだという充実感がある。他の具材も美味しい。旨味たっぷりの椎茸、ジャキジャキとした食感のえのき、出汁をたっぷりと吸ったしらたき、なめらかな舌触りの焼き豆腐、ほろ苦い春菊、甘さと青さの長ネギ、白菜も、彩の人参も甘い。この日のために用意した卵の、濃厚な卵黄が風味をまろやかにするだけではなく、卵黄独自の風味と旨味も素晴らしい。具材の熱で卵白に僅かに火が通ると卵白も絡むようになり、とろとろになった。これがまた美味である。
「美味いな」
「うん、美味い」
「美味い」
俺も淳蔵も直治も、
「美味しいですねェ!」
「とっても美味しいです」
千代も桜子も、
「和室、作ってよかったあ・・・」
都も、初めて家族で囲む鍋を楽しんだ。
自室に戻り、寝る準備を済ませた俺は、部屋の灯りを落としてベッドに寝転び、考える。次はなにがいいかな。キムチチゲは駄目だ。都は辛いものが物凄く好きだから『取り皿に入れるから』と言って辛いものをドバドバ入れかねない。健康にも美容にも悪いのでナシ。ごま豆乳鍋はどうだろう。美容に良いらしいから一度食べてみたい。都は豆乳もごまも好きなのできっと気に入るだろう。もつ鍋、ちゃんこ鍋、水炊き、おでんもいいな。昔に流行ったトマト鍋もやってみたい。シメに白米とチーズを入れてリゾットにしていた。凄く美味しそうだ。都もきっと気に入るだろう。
「フフッ、俺、都のことばかり考えてる・・・」
毎日会って話しているのに。寝ても覚めても都のことばかり。
「まッずいハーブティーを飲んだ甲斐があったってモンだ」
俺は知っている。都は『前の家族』と食卓を囲んだことがないことを。都の祖母と、母親と、父親のクソ野郎。祖母が存命だった頃は祖母と二人で、祖母が亡くなってからは一人での食事だったそうだ。祖母は父親が食事に参加することを一切許さず、平気そうにしている父親に違和感はあったものの、都はそういうものだと割り切って暮らしてきたそうだ。
俺と都が初めて食事をした時。
俺は礼儀作法がなってなかった。淳蔵に睨まれてビクビクしながら食事をしたのを覚えている。都は優しく笑っていた。女神のように敬愛していた都と、家族として鍋を囲むことができるなんて、夢みたいだ。
「んっ?」
プライベート用の携帯にメッセージが入った。直治からだ。
『次の肉料理、もつ鍋で決まった』
「あはっ、もう決まったんだ」
『いいね』
『時期を見てまた調達する。おやすみ』
『おやすみ』