二百七十七話 闖入者
文字数 2,261文字
椿と裕美子が一条家にやってきて一ヵ月が経った。椿はめげずに淳蔵にアプローチをかけているが、淳蔵は全く相手にしていない。いや、問いかけに返答はしているのだが、椿が望んでいるであろう回答を一切しないのだ。自分本位な愛情は憎悪に変化しやすいので、見ていて少しヒヤヒヤする時もある。裕美子は日和見を貫いている。
こんこん。
「どうぞ」
事務室に珍しく淳蔵が来た。
「どうした?」
「侵入者だ」
ざわ、と肌が粟立つ。
「・・・都に言われて黙ってたんだが、二週間前から山の裾に居る」
「何故黙れと?」
「馬鹿犬」
「いつか殺す」
「若い女だ。テントを張って住み着いてる。昼はファミレス、夜は居酒屋で働いて、二日に一回銭湯に行ってる。一度だけ本屋へ行ったが、他は判を押したように生活してる。今から捕り物だよ」
「警察へ?」
「相手次第」
「ッチ、手を滑らせてこいよ」
「物騒なこと言いなさんな。『玄関で待て』だとよ」
「はいはい・・・」
玄関へ行く。俺は一番最後に呼ばれたらしい。桜子は出掛ける用意を済ませていて、淳蔵と共に館を出ていく。直治は不機嫌な様子で腕を組み、千代はいつも通りの表情をしている。椿と裕美子は不安げな表情で顔を見合わせていた。都は呑気にジャスミンのブラッシングをしている。
三十分程経過して。
玄関のドアが開いた。開けたのは桜子だ。淳蔵に背後に立たれて退路を塞がれた状態で現れた女は、真っ青な顔をしていた。
「入れ」
淳蔵が命じる。女は目を閉じて身を竦ませると、恐る恐るといった様子で館の中に入ってきた。淳蔵は女との距離をぴったりと保つ。桜子がドアを閉めると、都が女の前に進み出た。
「こんにちは、不法侵入者さん」
「すっ、す、すみませんでしたっ・・・!」
女が崩れるように膝をつき、土下座をする。
「なにか、事情があるのかしら? 素直に話してくれるのなら警察に通報するのはやめておくけど・・・」
「す、すみませんっ・・・すみませんっ・・・!」
「お名前は?」
女はそっと顔を上げ、都を見た。
「み、水無瀬、文香、です・・・」
「水無瀬さん、どうして私の山でテント生活なんてしていたの?」
「うっ、あ、あの・・・。こちらの山の、その、森が、『迷いの森』と言われていまして、『綿町』の町民は決して立ち入らないので、隠れて住むには良い場所だと思って、無断で、侵入、して、しまいました・・・。す、すみません・・・」
「隠れ住む? 何故そんなことをする必要が?」
「・・・お、」
「・・・お?」
「お、お金が、無いんですッ!」
椿が一瞬笑ったのを淳蔵が見逃さなかったのを俺は見逃さなかった。
「わ、私、どこへ行っても上手く馴染めなくて、わた、私のせいで人を不快にさせてしまって、働く、ことが、体力的にもつらくて、病院にも、行ってるんですけど、あまり、良くならなくて、その、頼れる親族も、居ないんです。なので、あの、テントで生活すれば家賃は無くなると思って、その、」
「成程ね。それで、融通が利くファミレスや居酒屋のアルバイトを?」
「えっえっ、な、なんで知ってるんですか?」
「質問に答えなさい」
「あっ、はい! あの、融通も、そうなんですけど、『まかない』やお店で使える割引券が貰えるので、それ目当てで・・・」
「淳蔵、荷物は?」
「車」
都が淳蔵と会話を始めたので、水無瀬は気まずそうに口を閉じる。
「内容は?」
「テントとランプ、懐中電灯、電池、毛布、タオル、ペットボトルの水、貴重品、ゴミ袋とその中身。それと本が数冊と書きかけの原稿用紙」
「あら、作家さん?」
水無瀬は慌てた様子で首を横に振る。ジャスミンはオスワリをして、オテとオカワリを繰り返している。機嫌が良い時にやる仕草だ。俺達の機嫌は悪くなる一方だ。都もそれはわかっているはず。嫌な予感がした。
「ね、貴方。うちで働かない?」
的中した。水無瀬はぽかんとしている。
「へっ?」
「ここね、私の家なんだけれど、会社でもあるし、宿泊施設でもあるのよ。私が社長でオーナー。丁度もう一人メイドが欲しいなと思っていたところなの」
嘘だ。
「社長ッ!!」
椿が声を上げた。
「なに馬鹿なこと言ってるんですか!? こんな不審者を雇うだなんて正気ですか!?」
「失礼な物言いね」
都は珍しく、冷たい表情で椿を見る。椿は都のそんな顔を始めて見たのか、怯んだ。
「で、でも、通報の義務が、」
「『住居侵入罪』に通報の義務は無いわよ。それに、私は水無瀬さんが山に住み続けても構わない」
「なっ・・・」
「もう一度言う? 私は水無瀬さんが山に住み続けても構わない。丁度もう一人メイドが欲しいなと思っていたところだから、水無瀬さんにうちで働いてくれないか打診してるだけ。千代さん、ここでの仕事について、水無瀬さんに手短に説明して」
「はァい!」
千代が労働条件を滔々と述べる。
「・・・と、お仕事については以上になりまァす!」
「どう? 水無瀬さん。仕事内容は、貴方の能力次第かしらね。体力的につらいと感じたら、労働時間や休日を調節してもいいわよ」
「へあっ、へっ?」
「あら、情報量が多くてパンクしちゃったかしら」
「はっ、は、な、なんで、私を、や、雇ってくださるんですか?」
「ん? だから、丁度もう一人メイドが欲しいなと思っていたところなのよ」
「あっ、あっ、は、働きます! ここで働かせてください! よろしくお願いします!」
水無瀬は額を床にこすり付ける勢いで土下座を再開した。直治が額に手を添え、項垂れる。
「直治、文句があるの?」
「ありません・・・」
こうして、山への闖入者、水無瀬文香が一条家で働くことが決まった。
こんこん。
「どうぞ」
事務室に珍しく淳蔵が来た。
「どうした?」
「侵入者だ」
ざわ、と肌が粟立つ。
「・・・都に言われて黙ってたんだが、二週間前から山の裾に居る」
「何故黙れと?」
「馬鹿犬」
「いつか殺す」
「若い女だ。テントを張って住み着いてる。昼はファミレス、夜は居酒屋で働いて、二日に一回銭湯に行ってる。一度だけ本屋へ行ったが、他は判を押したように生活してる。今から捕り物だよ」
「警察へ?」
「相手次第」
「ッチ、手を滑らせてこいよ」
「物騒なこと言いなさんな。『玄関で待て』だとよ」
「はいはい・・・」
玄関へ行く。俺は一番最後に呼ばれたらしい。桜子は出掛ける用意を済ませていて、淳蔵と共に館を出ていく。直治は不機嫌な様子で腕を組み、千代はいつも通りの表情をしている。椿と裕美子は不安げな表情で顔を見合わせていた。都は呑気にジャスミンのブラッシングをしている。
三十分程経過して。
玄関のドアが開いた。開けたのは桜子だ。淳蔵に背後に立たれて退路を塞がれた状態で現れた女は、真っ青な顔をしていた。
「入れ」
淳蔵が命じる。女は目を閉じて身を竦ませると、恐る恐るといった様子で館の中に入ってきた。淳蔵は女との距離をぴったりと保つ。桜子がドアを閉めると、都が女の前に進み出た。
「こんにちは、不法侵入者さん」
「すっ、す、すみませんでしたっ・・・!」
女が崩れるように膝をつき、土下座をする。
「なにか、事情があるのかしら? 素直に話してくれるのなら警察に通報するのはやめておくけど・・・」
「す、すみませんっ・・・すみませんっ・・・!」
「お名前は?」
女はそっと顔を上げ、都を見た。
「み、水無瀬、文香、です・・・」
「水無瀬さん、どうして私の山でテント生活なんてしていたの?」
「うっ、あ、あの・・・。こちらの山の、その、森が、『迷いの森』と言われていまして、『綿町』の町民は決して立ち入らないので、隠れて住むには良い場所だと思って、無断で、侵入、して、しまいました・・・。す、すみません・・・」
「隠れ住む? 何故そんなことをする必要が?」
「・・・お、」
「・・・お?」
「お、お金が、無いんですッ!」
椿が一瞬笑ったのを淳蔵が見逃さなかったのを俺は見逃さなかった。
「わ、私、どこへ行っても上手く馴染めなくて、わた、私のせいで人を不快にさせてしまって、働く、ことが、体力的にもつらくて、病院にも、行ってるんですけど、あまり、良くならなくて、その、頼れる親族も、居ないんです。なので、あの、テントで生活すれば家賃は無くなると思って、その、」
「成程ね。それで、融通が利くファミレスや居酒屋のアルバイトを?」
「えっえっ、な、なんで知ってるんですか?」
「質問に答えなさい」
「あっ、はい! あの、融通も、そうなんですけど、『まかない』やお店で使える割引券が貰えるので、それ目当てで・・・」
「淳蔵、荷物は?」
「車」
都が淳蔵と会話を始めたので、水無瀬は気まずそうに口を閉じる。
「内容は?」
「テントとランプ、懐中電灯、電池、毛布、タオル、ペットボトルの水、貴重品、ゴミ袋とその中身。それと本が数冊と書きかけの原稿用紙」
「あら、作家さん?」
水無瀬は慌てた様子で首を横に振る。ジャスミンはオスワリをして、オテとオカワリを繰り返している。機嫌が良い時にやる仕草だ。俺達の機嫌は悪くなる一方だ。都もそれはわかっているはず。嫌な予感がした。
「ね、貴方。うちで働かない?」
的中した。水無瀬はぽかんとしている。
「へっ?」
「ここね、私の家なんだけれど、会社でもあるし、宿泊施設でもあるのよ。私が社長でオーナー。丁度もう一人メイドが欲しいなと思っていたところなの」
嘘だ。
「社長ッ!!」
椿が声を上げた。
「なに馬鹿なこと言ってるんですか!? こんな不審者を雇うだなんて正気ですか!?」
「失礼な物言いね」
都は珍しく、冷たい表情で椿を見る。椿は都のそんな顔を始めて見たのか、怯んだ。
「で、でも、通報の義務が、」
「『住居侵入罪』に通報の義務は無いわよ。それに、私は水無瀬さんが山に住み続けても構わない」
「なっ・・・」
「もう一度言う? 私は水無瀬さんが山に住み続けても構わない。丁度もう一人メイドが欲しいなと思っていたところだから、水無瀬さんにうちで働いてくれないか打診してるだけ。千代さん、ここでの仕事について、水無瀬さんに手短に説明して」
「はァい!」
千代が労働条件を滔々と述べる。
「・・・と、お仕事については以上になりまァす!」
「どう? 水無瀬さん。仕事内容は、貴方の能力次第かしらね。体力的につらいと感じたら、労働時間や休日を調節してもいいわよ」
「へあっ、へっ?」
「あら、情報量が多くてパンクしちゃったかしら」
「はっ、は、な、なんで、私を、や、雇ってくださるんですか?」
「ん? だから、丁度もう一人メイドが欲しいなと思っていたところなのよ」
「あっ、あっ、は、働きます! ここで働かせてください! よろしくお願いします!」
水無瀬は額を床にこすり付ける勢いで土下座を再開した。直治が額に手を添え、項垂れる。
「直治、文句があるの?」
「ありません・・・」
こうして、山への闖入者、水無瀬文香が一条家で働くことが決まった。