二百十話 ワイン

文字数 2,944文字

都はなにをやっているんだ・・・。

他のヤツに、俺が一番嫌いな『女』に都をとられて、悔しいのに、悲しいのに、怒っているのに、二人の痴態から目を話せなかった。


「取引の続きをしましょう」


都が上体を起こしてそう言うと、イリスの動きを封じていたテーブルがガタゴトと音を立てて歩くように元の位置に戻った。


「つ、続き・・・?」

「金鳳花さんも貰うわね」

「なっ!?」

「『小国を買える程の金をつぎ込んでも手に入らない貴重品』だと、自分で認めていたではありませんか。一人で足りるとでも?」

「878は好きにすればいいッ!! だが281は私のモノだッ!!」


桜子が起き上がり、都の首に腕を絡める。


「嫌ですッ!! 都様のモノになれないのなら、わたくし自害しますッ!!」

「その女は人間を喰う悪魔なんだぞッ!! お前と一緒に雇われた平林真理はそいつが喰うために、」

「承知の上ですッ!!」


イリスは心底悔しそうに歯をぎりぎりと噛み合わせた。そして、震える手で全血製剤を掴んだ。


「必ず281を取り返しに来るッ!! 私に喧嘩を売ったことを後悔させてやるッ!!」

「またのお越しをお待ちしております」


イリスが談話室を出ていくと、しゅたたたっと素早い動きで千代が見送りに着いて行く。イリスの怒号が聞こえた。ずっとソファーの陰に隠れて泣いていた金鳳花が、そっと立ち上がる。


「都様・・・」

「なあに?」

「神様って、本当に居るんですね・・・」

「邪神かもね」


都は桜子の腕を首から外す。桜子が縋るような目で都を見た。


「続きは部屋でね」

「はいっ!」


二人が談話室を出ていく。

その夜は、夢を見なかった。

翌日、昼過ぎ。真理はジャスミンの散歩に行かせる。


「ワ、ワイン!?」


平常時は冷静な桜子が、大きな声を上げる。


「そう。千代さんがコンポートを作る時に使うワインよ」

「そんなものを賢者の石と偽ってイリスに渡したのですか?」

「真贋を確認しなかったあいつが悪い。でしょ? ね、淳蔵?」


都が隣に座っている淳蔵の髪を人差し指で掬い上げ、するりと滑らせる。


「仰る通りで」


淳蔵がにやりと笑って答えた。桜子も金鳳花も開いた口が塞がらないらしい。


「貴方達、上手く隠してるつもりなんでしょうけれど・・・」


都の艶のある唇が笑みを描く。


「そんなに長く生きられないんでしょ」


桜子と金鳳花は動揺し、目を伏せた。


「錆びたにおいがする」


都がそう言うと、桜子がそっと、都の目を見た。


「本当に、なにもかも、お見通しなのですね・・・」

「いいえ? なにも知らないわ。だから話しなさい。全てね」

「・・・わかりました」


桜子が『いつもの』冷静な顔付きになった。


「イリスが所有している賢者の石、いえ、悪魔の血は、劣化しているのです。イリスの父は優秀な錬金術師でしたが、イリスは、はっきり言って無能です。父に教えられながら作ったホムンクルスの作成には八回失敗し、九回目に漸く成功したのが、私だったのです」


都がゆっくり頷いた。


「モーリー家では十五歳になると、師匠である父にホムンクルスの作成方法を教わり、自分の精子を使ってホムンクルスを造ります。最初に造ったホムンクルスを自分の手で教育することで、人間とホムンクルスの違いを学び、それを糧にホムンクルスの研究に打ち込んでゆきます。最初のホムンクルスは側近として、遺伝子上の父であり、創造主であるモーリー家の跡継ぎの命を守り、身の回りの世話をして、共に研究をするようになります」


すう、と桜子が肺に空気を入れた。


「三回目の失敗で、先代はなにかがおかしいと思ったそうです。嫌がるイリスを無理やり検査した結果、イリスの精子は運動率が低く、数も少ない状態で、所謂『不妊症』だったのです。先代はその事実を受け入れられなくて・・・。連綿と受け継がれてきた伝統を、研究を、血筋を絶やすのかと、先代はイリスを酷く責めました。それまでずっと、先代に認められようと必死だったイリスは、先代に全てを否定されたことで、愛情が憎悪にかわって、先代を恨むように・・・」


桜子はつらそうな顔をした。


「わたくしがフラスコの中で産まれた日に、イリスは先代を殺害しました。先代に仕えていたホムンクルスは、先代が重んじた伝統、研究、血筋を守るために、仇であるイリスに忠誠を誓いました。他のホムンクルス達も逆らえません。イリスはホムンクルス達を使って、人間の研究員達を懐柔、脅迫し、研究所は非人道的な場所にかわり、その状態が長く続いて、定着してしまったのです」


金鳳花が静かに泣き始める。


「イリスはわたくしに『虫になれ』と言って育てました。プログラムに従い、機能美を追及せよ、と。イリスの命令には完璧に従い、遂行し、命令されていないことはどんな状況下にあっても行動することは許されない。わたくしは、瞬きをすることすら許されなかったのです」


ぱち、と桜子が瞬いた。


「わたくしが、281が作成されてから二十四年間。五百九十七体のホムンクルス達が作成されました。実験に使う消耗品として、ストレスを発散するサンドバッグとして、性欲を処理する奴隷として・・・。大量に生産するために『再利用』を繰り返した結果、悪魔の血はどんどん劣化してゆき、ホムンクルス達はどんどん短命になってゆきました。先代が造ったホムンクルス達は人間と同じ時を生きたのに、今では、十年持つかどうか・・・」


桜子が泣いている金鳳花を見る。


「成長促進剤、というものも開発されました。不完全で、危険です。投薬されると五年程で成体に育ちますが、全身の血管にガラスの破片が流れているような激痛が絶え間なく走り、錯乱して、幻覚と幻聴に悩まされます。耐え切れずショック死してしまう者も居ます。金鳳花さんは死ぬのを見越して十体作成され、成体になったのは三体。その中でも『一番金鳳花に似ているもの』が選ばれて、残り二体は圧搾機にかけられ、878、今の金鳳花さんが出来上がったのです」


桜子は都を見た。


「わたくしも・・・。イリスはわたくしの忠誠心を試すため、研究所の『外』で危険な任務に就かせるようになったのです。『おかえり』と、その一言を言いたいがためだけに・・・。わたくしは様々な訓練を受けさせられました。訓練と任務に耐える超人的な肉体を得るため、様々な投薬を繰り返した結果、わたくしは悪魔の血を定期的に摂取しないと肉体に耐え難い激痛が生じ、意識が混濁して、自発呼吸ができなくなってしまうのです。イリスは私に『拘泥』していて、他のホムンクルスを圧搾機にかけてまで私の延命を・・・」


拘泥、という言葉でこの前ひと悶着起こしたのを思い出して、俺はちょっと気まずくなった。


「狂ったイリス達の手元には、もう、悪魔の血は殆ど残っていません。このままでは、生存しているホムンクルス達を全て圧搾機にかけてしまいかねない状況です。ですから、イリスはわたくしではなく、都様から悪魔の血を受け取ることを選んだのでしょう。でも、それがただの赤ワインならば・・・。すぐに気付いて、次の手を打ってくるでしょう。わたくしと金鳳花さんが知っていることは、これで全てです」


金鳳花も頷いた。


「うーん、そうねえ・・・」


都は謀をしている顔で笑う。


「じゃあ、研究所を潰しにいこっか!」

『え?』


全員の声が重なった。
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