二百九十八話 格好良い男

文字数 2,867文字

「千代君」

「はい?」


様子がおかしい。


「・・・いや、お茶をありがとう」

「失礼します」


ぱたん、ドアが閉まる。俺はどうするべきか、考えた。


「おかしくなっちまったのかぁ? 俺は・・・」


淳蔵に相談したい、と考えてしまう。仕事を放り出して淳蔵の部屋に駆け込んでしまいたい気持ちでいっぱいだ。きっと、淳蔵が一番つらいのに。いつもそうだ。淳蔵は喧嘩っ早いように見えて滅多に怒らない。余裕を漂わせてちょっとふざけているように見せているけど、本当はいつも冷静だ。必要な時には前に出て人を引っ張る力もある。そして、楽しくなくても無理に笑う。まるで都みたいに。

俺は昔、淳蔵が嫌いだった。

どこか人を見下しているような表情は、過剰な自信の表れに見えた。少し荒っぽい口調も、下品で、怖く感じた。他人に興味が無いと言って優しくも厳しくもしないのを、冷たい人なんだと思った。

そして同時に、憧れでもあった。


「美代様、お茶をお持ちしました」


大昔の話だ。もう名前も顔も忘れたメイドだ。


「ありがとうございます」

「ああ、そういえば、ハンカチを拾ったのですけれど、美代様のものでしょうか?」


そう言って、メイドがポケットからハンカチを取り出して見せる。


「いえ、美代のでは、」


俺は慌てて口をおさえた。メイドはほんの一瞬だが、にやりと笑っていた。


「じ、自分のハンカチではありません」

「そうですか。失礼しました。では・・・」


メイドが去っていく。当時の俺は、祖母と母親に強制された一人称が、自分のことを自分の名前で呼ぶことがなかなかやめられなかった。あのメイドはそれを面白がって、俺が名前を呼ぶよう誘発していた。どうせ喰うのに、都に迷惑をかけたくない、だなんて考えて、我慢しようとしたくせに結局我慢できなくなって、都に相談しに行った。


「淳蔵に相談なさい」


都は一言、そう言った。有無を言わさぬ圧があった。都は仕事が忙しいから、疲れていて機嫌が悪かったのか、なんて考えて、結構傷付いた。今思えば、少々強引だが淳蔵との接点を作ってくれていたのだとわかる。優しく突き放すのは、難しい。相手が傷付くとわかっているから。そんな相手を見て突き放した自分も傷付くから。俺は重たい気分を引き摺って淳蔵の部屋を訪ねた。

こんこん。


『どうぞ』

「失礼します・・・」


淳蔵は読んでいた本に栞を挟んで、テーブルに置く。


「なんか用か?」

「ちょっと、相談があって・・・」

「えっ、俺に?」


淳蔵が驚く。当然だ。俺は淳蔵を避けていたのだから。


「都が、淳蔵に相談してこいって・・・」

「ああ、成程・・・。いいよ。そこ座れよ」


俺は頷き、淳蔵が指差す対面の椅子に座った。


「あの・・・」


目を合わせられず、かといって完全に逸らすこともできず、右往左往どころか上下にも視線を揺らす。


「じ、自分のこと、名前で呼ぶの、やめたくて・・・」


変な間が開く。俺が変な喋り方をしているせいだ。


「お前、今いくつだっけ?」

「・・・十八」


一条美代になってまだ二年。淳蔵の方が少し先だが、ほぼ同時期に来たので淳蔵も二年ということになる。淳蔵はまだクスリのことで苛々したりうなされたりするらしいので、地下室で過ごす日もあった。そう考えると、目の前にいる淳蔵が物凄く怖かった。


「俺の真似する?」

「へっ?」


淳蔵が首を傾げる。


「自慢じゃないけど、俺、口が悪いからな。形から入る、って感じでどうよ?」

「あ、うっ、い、いいの、かな・・・」

「いいよ。都に怒られたら『淳蔵にこうしろって言われた』って俺のせいにしちまえよ」

「そんな・・・」

「お前、そろそろ高校に行きたいって思ってるんだろ? そんな弱気でいると虐められンのがオチだぞ。それに、養子とはいえ金持ちンとこのガキだってバレたら、利用されて捨てられるだろうな」


淳蔵はすらすらと言う。

虐め。

嫌な言葉だ。

弱気でいると虐められる。

都の家族となった今でも、それはかわらない。


「一回真似して言ってみろ。『俺』って」

「お・・・、お、『俺』・・・」

「そうそう」

「・・・『僕』じゃ、駄目かな」

「まあ、段階的に・・・あ、」

「ど、どうしたの?」

「やべ、頭ぐらぐらしてきた」


ぎょろり、と淳蔵はカメレオンのように目を回しながら上を向いた。物凄く怖い。


「だっ、大丈夫?」

「あー・・・、ちょっと太陽浴び過ぎたかも。昨日寝てないし・・・」

「都、呼んでこようか?」

「下らねえことで手間取らせんな。俺の自己責任だからよ。悪いけど部屋出てくれ。潜ってくる」

「あ、うん・・・」


部屋を出る時に気付いたが、テーブルの上に置かれている本は分厚く、タイトルの横に『下巻』と書かれていた。恐らく、本に夢中になって徹夜してしまったのだろう。妙に親近感がわいた。


「淳蔵」

「あ?」

「ありがとう。俺、頑張るよ」


淳蔵は少し笑うと、手をひらひら振りながら階段を降りていった。

こんこん。


「あっ、どうぞ」


部屋に来たのは、淳蔵だった。俺は思わず笑ってしまった。


「なに笑ってんだよ?」

「お前のことで頭がいっぱいだったもんでな」

「なんじゃそりゃ」

「で、なんだ?」

「千代の様子を聞きたくてな。あいつ、最近ロボットみたいになってるからよ」

「ああ、うん・・・。どうしようか俺も考えてたんだ。どうしようかな・・・」

「美代」

「ん?」

「誰にも言うなよ」


淳蔵は手の平を差し出すようにして、開いた。『精神安定剤』として支給されているジャスミンの血が入った赤いカプセル、ではない。


「都の血だ」


淳蔵はカプセルを隠すように手を握った。


「お前から千代に渡せ」

「・・・いいのか?」

「俺とあいつ、意外と接点無いんだよ。お前から渡した方が自然な流れになる」

「わかった。なあ、少し話さないか?」

「いいぞ」


俺は淳蔵からカプセルを受け取り、鍵付きの引き出しに入れる。そして二人で向き合う形でソファーに座った。


「淳蔵、お前は最高に格好良い男だよ」


淳蔵は片眉を上げて、問うように首を傾げる。


「都の父親を撃ち殺した時もそうだった・・・」


大きな銃を片手で軽々と持ち、身を屈めて素早く背後に忍び寄り、照準を合わせるために立ち上がった瞬間、長い髪が揺れた。


『こんばんは』


油断を産ませるための日常会話。破裂音。白い肌と黒い髪に返り血が舞う。まるで映画のワンシーン、それもクライマックスのよう。

なのに、

金曜日の夜に俺を抱きしめて眠る時は、花のように甘く優しい。添い寝をせがむ異常な俺を受け入れて、子守歌がわりに低い声で詩を諳んじることもあった。


「お前と出会えて、よかった」


淳蔵の目を真っ直ぐ見て、言った。


「・・・なんだよ急に」


何故か、ちょっと悔しそうな表情をしている。照れているのだろう。


「俺、甘えてばかりだから・・・。落ち着いたら、ちゃんと恩返しがしたい」

「要らねえよ馬鹿美代」

「そう言わず受け取れ。社長命令」

「やーなこった」


二人で笑う。こんなに優しい顔もできるのに、都の父親を殺したあの夜、淳蔵は瞳に返り血が入っても瞬きをせず、都の父親を見下ろしていた。俺は淳蔵の中に有る、洒落や飾りではない本当の狂気を、あの夜に見た。


「本当に、格好良い男だよ」
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