七十話 氏より育ち

文字数 2,727文字

「直治様ァ!」

「休憩だな。いいぞ」

「ありがとうございまァす!」


千代が去っていく。勉強中の雅がぐいと腕を伸ばした。


「美代、私も休憩したーい」

「はいはい」

「ねー、皆、いつも似たような服を着てるけど、冒険しないの?」

「しません」

「えー。その服って、やっぱり都さんがコーディネートしてくれた服?」

「そうです」

「えー・・・。まあ、似合ってるんだけどさあ」

「そりゃ特注だからな」

「えっ?」


淳蔵が雑誌から目を離さないまま言う。


「俺の場合、上に着る服は既製品だと袖が足りないんだよ。ズボンも裾に合わせると腹回りがブカブカになる」

「モデルみたいなこと言ってぇ! でも、シンプルな上着に黒か白のズボンっていうのは、かなり似合ってるかも・・・」

「お世辞をどうも」

「シャツインして許されるの、淳蔵くらいなもんだよ! で、美代のも特注?」

「ズボンは裾を足してもらってる」

「ふうん。足長いんだ。自慢だあ」

「どこがだよ」

「美代のファッションは『ビジネスカジュアル』ってヤツでしょ?」

「そう。都のかわりに商談相手に会いに行くこともあるから、失礼のないようにね」

「三百六十五日その服じゃない? 私服は?」

「三百六十五日仕事だから私服はない。このファッション気に入ってるし」

「ええ・・・。直治は半袖のシャツ、羽織りものにパーカーだよね。ズボンはジーンズか黒か白」

「よく見てるな」

「寒い日でも半袖にパーカーなの、どうして?」

「腕が入らないんだよ」

「腕? あっ、鍛えるとそんな弊害があるのかあ」


雅は少し、沈黙した。


「あの、あのね・・・」

「どうした?」

「三者面談の日、なにかあったでしょ」


雅の祖父母が大学進学の資金援助を高圧的な態度で頼みに来て、それを断ったら、麦茶を都にぶっかけた日。俺達は雅になにも言わないよう、都に命令されている。


「別に? なにもなかったけど?」

「うっそだあ。だって、だーれも見送りに来てなかったもん。礼儀正しい一条家がそんなことするわけないと思って、お爺ちゃん達に聞いてみたの。そしたらお婆ちゃんが『頑固女の頭を冷やしてやった』って自慢げに言ってて、なんかあったんだなと思ったよ。タクシーが来るまでの間、お爺ちゃん達と話したんだけど、要約すると介護のためにお爺ちゃんの家で暮らすか、老人ホームに入りたいから仕送りしてくれって言われてさあ」


雅は肩を竦め、両手を広げた。


「ちょっと頭にキちゃって、『ねえ、『氏より育ち』って知ってる?』って言ってやったの。お婆ちゃんの方がわからなかったみたいだったから、説明してあげたのね。『家柄よりも、育つ環境が人柄に大きく影響し、大切であること』だって。それでもイマイチわかってなかったみたいだから、『私を十三歳まで育ててくれたのは美雪お母さんと一条家の人達。十三歳から十八歳まで育ててくれてるのは都さんと淳蔵と美代と直治と千代。お爺ちゃん達は育ててくれたどころか、お年玉すら貰ったことないよ。そんな人達に使うお金は一銭も無いの』って言ったのね。そしたら二人共、顔を真っ赤にして黙っちゃった。で、タクシーが来たから、二人は無言でタクシーに乗って帰って行ったってわけ」

「・・・ふうん」

「お爺ちゃんが毎週日曜日に電話かけてこいって言ったから電話してたんだけど、もうやめる。大型連休もあっちには帰らない。ここに帰ってくるか、お客様の都合で帰ってくるのが難しいなら家で一人でゲームすることにした」

「ずっとゲームしてろ」

「淳蔵、酷い!」


雅はケラケラ笑った。


「ん、俺、そろそろ戻る」

「おー」


俺は少し考えて、雅の頭を撫でてやった。


「・・・えへへ、直治に撫でられるの、初めてだぁ」

「そうかよ。じゃあな」


淳蔵と美代に揶揄われる前に、事務室に戻る。


「氏より育ち、ねえ・・・」


俺は指輪を陽の光に翳す。トルマリンの黄色い輝きが俺の脳みその中で屈折する。都と会って、半年くらいは付きっきりで礼儀作法を教えてもらった。食事のマナー、風呂の入り方、歯磨き。掃除に洗濯。家電の使い方に、人と接する時の態度。それから、客用の笑顔と口調、お辞儀なんてつむじからつま先まで徹底的に叩き込まれた。淳蔵と美代もそうだったらしい。今じゃ俺達は莫大な資産と人脈を持つ一条家の養子だ。未だに信じられなくて、時々夢なんじゃないかと思うことがある。だとしたら、幸せな夢だ。未だに俺は統合失調症で、都という理想の女を作り出して、なにもない空間に話しかけながら一人で自慰しているのかもしれない。


「ははっ、馬ッ鹿馬鹿しい・・・」


デスクの引き出しに入れているジャスミンの血が入ったカプセルを飲む。すぐに効いてきて、頭がしゃっきりした。カリカリ、とジャスミンがドアを引っ掻く音がする。ドアノブを開けようとしているのだろう。俺は椅子から立ち上がり、中に入れてやった。


「どうした」


オテ、オカワリ、オテ、オカワリ。


「はいはい」


遊んでやる。ぱたぱたと足音が近付いて、都がひょこっと顔を覗かせた。


「ジャスミンの馬鹿! また直治に迷惑かけてるの?」

「ん? 林檎剥くのか?」


都の手には、林檎と果物ナイフが握られていた。ナイフには鞘がついている。


「うん。いつもの、耳掃除のご褒美」

「鞘がついているとはいえ、ナイフを持って動き回るんじゃない」

「あっ、ご、ごめんなさい・・・」

「・・・俺にも一口くれ」

「わかった。今、剥くね」


ジャスミンは林檎が大好物だ。しかし皮は食べたくないらしく、前歯で果肉だけ削ぎ取って皮は捨ててしまう。『勿体無いから』という理由でいつも都が皮を剥いてやり、都が皮を食べている。主従が逆転している気がする。ショリショリと都が皮を剥くと、一本の長い皮になった。器用だ。都はそれを折り畳んで口に入れると咀嚼しながら林檎を半分に切り、ジャスミンに渡した。ジャスミンは林檎を咥えると部屋の外に出て行った。


「あっ、行っちゃった」

「俺の分」

「はいはい」


種の部分をカットした林檎を差し出されたので、受け取って食べる。


「・・・俺、林檎が嫌いなんだ」

「えっ!?」

「祖父が林檎農家やってて、毎月ダンボール一箱、俺の母親に押し付けてたんだよ。形が悪かったり傷が入って売り物にならなかったヤツ。俺の病気のせいで近所からは村八分状態だったから俺の家で消費してたんだけど、腐らせないように必死になった結果、創作料理が沢山食卓に並んでた。カレーにじゃがいもが入ってると思ったら林檎だったこともあったな」

「へえー、直治が昔の話するなんて珍しい・・・」

「今度、都の昔の話も聞かせてくれ」

「いいよ、じゃあ、またあとでね」


都は立ち上がり、俺にキスをする。俺は都の首根っこを掴んでたっぷりディープキスを楽しんだ。林檎味のキスは、悪くなかった。
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